03話 エキサイティングな夜
「制限時間は五分。両者、素手の状態で競い合いどちらかが気絶または降参しだい決着とします。また、危険だと思われた場合にも私が仲裁に入るのであしからず」
「いいですか?」と確認を取るメイド長の淡々とした声にノアはゆっくりと首を縦に振った。
リュコスも小さく頷いてはいるが、視線だけはこちらを外さず、鋭い視線がノアに向けられている。
もちろん、こちらとしてももっと穏便に事を運びたかった。
こんな拳と拳を交じり合って夕日を眺めて、絆を深める青春ではなく、もっと知的な交流で仲良くなりたかった。
だが、その段階はもう過ぎていることがわかっているし、彼も止まる気はないだろう。
ならば残された方法は、決められたルールのなかでいかに穏便に、かつ全力で事に当たるかだ。
『血で血を洗う殴り合い、原始的で血がたぎるな人間!!』
「いやいや、もっと穏便にいきましょうよ。話し合い大事」
『だがあの後ろの娘がそれを許すと思うか?』
「ソウデスヨネー」
うん、上司が上司なだけに逆らえない。全力の対決をご所望のようだ。本気で行けというクローディアの視線が後ろから圧となって背中に突き刺さる。
正直痛いです。
周りを見渡せば、噂を聞きつけた子供たちにより周囲はすっかりお祭り状態だった。
どうやらこういった行事は慣れっこなのだろう。寝間着姿でざわついてはいるものの、子供たちの動揺は思った以上に少ない。それどころかいまにも始まるヒーローショーを待ちきれない少年たちのように様々な色の瞳を輝かせていた。
ざっと見ただけでも五十人は下らない年少組から年長組の子供たちでひしめき合っている。
その身体はやはり人間に何かを付け加えたようで、完全に異形の姿かたちの子供たちというのはいない。それが劣等種と呼ばれる所以なのだろう、人として認められず迫害されてきたという過去を持つ子供達は皆、ナイトキャップや長い髪で尻尾や耳を隠していた。
「もっとみんな、自由に生き生きと自信をもって生きてほしいって思うのは僕のエゴなんですかね」
『まぁ、温室育ちの人間がそう思うのは仕方がないがな。表情が死んでいないだけまだマシだと思うべきだろうよ。私の生きていた時代の孤児など、お前が泣き出すくらい酷い状況だったぞ』
「あとは、本人たちの気持ち次第という訳ですか」
指を小さく鳴らして、周囲を観察する。
電気の魔術を用いて『術化製品』を動かすくらい日常的に魔術が普及している時代だ。
勝手に炎が灯る燭台があっても何ら不思議じゃない。
それが例え、ノアとリュコスを中心に円を描くようにして燭台ごとに浮いていようともだ。ビバこれぞ異世界。
明かりの灯るグランドを見つめれば、そこは半径二百メートルはある大きな運動場だった。様々な用途で使われているのか、砂場や簡単な遊具で溢れている。
おそらくもとは闘技場だったのだろう。今や崩れ、朽ちてしまった観戦席を見れば、どれだけ長年放置されていたかがうかがえた。
それに――、
「期待の新人はおやつ二倍。リュコスに賭ければ1・2倍。――さぁさぁ張った張った!! ……おっ!? ミリアとチーシャは新人に全部か、大きく出たねぇ」
……賭け事が成立してらっしゃる。
おそらく年中組の誰かだろう。券売機よろしく手元の紙に何かを書いてはせわしなく、発券を繰り返している。
たくましいというか、ずる賢いというか。
というかクローディアさん? 貴女まで賭けちゃいますか。そして僕に賭けるの? あ、それはアカン、アカンやつですぞ。
「――チッ」
案の定、その光景を見ていたのかそれとも聞き取ったのか、リュコスの態度があからさまに悪くなっていくのを感じる。
組手の開始時間は八時ジャスト。
あれほど騒がしかったお祭り騒ぎも、試合開始時刻が迫ると徐々に鳴りを潜めていった。
「――なぁ、ガキ」
「ノア」
「あん?」
「ノア=ウルム。それがいまの僕の名前さ」
言葉を遮られ、不機嫌そうに顔をしかめるリュコスだがこればかりは譲れない。
魔王さまがくれた名前だし、そもそも彼の名前をこちらが知っていて向こうが何も知らないというのはあまり気分のいいものではない。
ふん、とあからさまに忌々しそうに目尻を尖らせるリュコスに、ノアが右手を突き出すと眉間のしわが一層深くなった。
「……何の真似だ」
「お互い正々堂々言い勝負ができるように」
冷たい声に臆することなく言い放つ。
すると、一瞬だけリュコスの視線が下に落ちた。
『人間、お前がこういった挑発をするとは珍しいな』
「(……まぁこういう手合い大抵、力比べで友情を深めるもんなんですよ。――漫画でやってたし)」
『おお、いわゆるメタと言うやつだな』
「(魔王さまのそれこそメタですよ)」
聞こえないように心のなかで苦笑していると、短く鼻を鳴らしたリュコスに手を払われた。
どうやら馴れあうつもりはないらしい。
実力で示して見せろと言う意思表示だろう。
一度燭台の近くまで去っていくリュコスの後姿を眺め、払われた右手をじっと見つめて静かに拳を握る。
対人戦はこれが初めてではない。二週間前にも何度か経験したことがある。
ノアの力のほとんどは、化け物や人間に対してふるわれた。
地下大地でも、創生獣の肉を裂き、骨を断ち、命を奪ったことなどいくらでもある。
ただ、これまでも、そしてこれからもノアが自ら進んで人を殺すことはないだろう。
それだけ自分の力に責任が伴うことも理解しているし、平気で命を奪うようなクズに成り下がる気はない。
それでも『劣等種』と戦うのは初めてだ。
奈落への探索経験者にして、アルセクタが抱える劣等種のまとめ役。弱いはずがない。
さらに劣等種と呼ばれる彼らの力がどれほどのものかまだ未知数なので、油断できるはずもない。
『ただ、一見するとお前を否定しているように感じるが、実はあいつ、お前の実力を疑っている訳ではなかったな』
魔王さまがポツリと漏らした声に、ノアも大きく同意する。
「……それだけクローディアさんを信用しているんでしょう。なら、これは文字通りの見せしめ。周囲にノアという子供の実力を示すための」
『ならば手は抜けんなぁ』
「ですようねー」
ここまでお膳立てされて戦いたくありませんなんてのは、チキンどころかただのクズだ。
誠意には誠意をもって答えなくてはならない。
『この戦いでお前が魔族であるとバレることはないと思うが、――まぁほどほどにな』
「それくらいの分別はありますよ。子供じゃないんですからいきなりキレたりしませんって」
『……どうだろうな。お前はキレると何しでかすかわからないところがあるからな』
「新手の若者ですか僕は」
小さく苦笑して、念入りにストレッチする。
力を入れすぎて同調外傷が走らないとは限らないし、ないとは思うが力加減を間違えないとも限らない。
それに魔族が復活するかもしれないという恐怖が、劣等種の『彼ら』を迫害する要因になったのだ。ここでノアの正体がばれてしまえば、この屋敷に住む子供たちだけでなくもっと多くの子供たちが迫害の対象となってしまう。
それだけは絶対に避けねばならない。
いまさら心配そうにこちらを見つめるシオンの横で、ぴょんぴょん跳ねて主張する二人の少女にノアは小さく手を振った。
『まぁいい機会だ。成長のほどを見せてもらおうか』
「――あと二十秒」
メイド長の声に、リングの中央に向き直る。
了解ですと心のなかで呟き、再びゆっくりと歩いてくるリュコスを見つめた。
二人が中央についたことを確認するメイド長の仕草で、ギャラリーに緊張が走った。
楽しそうに笑うクローディアも、不安そうに表情を曇らせるシオンも、みんながみんな中央に立つノアとリュコスに目を向けている。
表情の読めないメイド長の視線が手元の懐中時計に落ちる。
ノアもリュコスも同時に腰を落とし、いつでも動けるように準備する。
そして――
「はじめッ」
火蓋は切って落とされた。
◇
飛んできた拳を寸でのところで受け流し、そのままリュコスの左腕を掴もうとする手のひらが空を握る。
ビュッ!! と走る左腕が鋭く引かれ、避けられたと認識したころには、容赦のない蹴りがノアの腹部に叩き込まれる。反射的に持ち上げた右腕が衝撃で吹き飛んだ。
「――くぅッ!?」
ガッ!! と肉と骨がぶつかる音が響き、勢いに押し負けてノアの身体がたたらを踏んだ。
どうやら本気で殴りにかかってきているらしい。寸止めどころでない衝撃が腕に走った。
追撃を避けるように堪らず横に腕を振るうと、駆けだした格好のリュコスの身体に急ブレーキがかかった。おそらくこちらの攻撃を警戒しての保険だったに違いない。勢い良く後ろに飛びのくと、身を低くしたままノアを睨み受けた。
小さく息をつきお互いいったん距離を取る。
まずは小手調べという事だろうか。軽く放たれたジャブを躱したはいいが、捕らえ損ねてしまった。
はじめの合図が最もはやく、最も警戒の薄い状態だったのに。もう、やすやすと隙を取らせてもらえないだろう。
思った以上に戦い慣れている。
それがノアの感想だった。
重心移動もさるところながら、仕事人とも呼べる淡々とした動きに迷いがない。まるで最善ルートが見えているかのように繰り出される一撃一撃がノアの神経を確かに削っていた。
まるでチェスでも打っているかのような理詰めで無駄のない動き。一見してみれば、ただの粗暴な少年にしか見えなかったが戦い方はなかなかどうしていやらしく、精密だ。
「――こなクソ!!」
顔面に跳んできた拳を首を横に振って躱す。返す刀で蹴りを放つが速度が乗る前に捕まれてしまった。一瞬、膝の関節を決められるイメージがよぎり、慌てて身体を回転して強引に振りほどく。
小さな舌打ちが聞こえて蹴り飛ばされるが、交差する右足が中途半端に届いてお互いにたたらを踏む。
鈍痛のする腹部を右手で抑えて、大きく息を吐く。
これは、思った以上にやりにくい。
それは向こうも同じ感触だったのか、先ほどまでよりノアに向けられた瞳の色が変わった。
ほんの十数秒程度の攻防に、周囲から驚きと興奮の声が上がる。
きっとノアがやられる方に賭けた子供たちが多いのだろう。身を乗り出すようにこちらを見つめる瞳は驚愕で見開かれていた。
小さくどよめく子供たちの声を無視して、ノアの方から飛び出す。
体格差がある以上、こちらから手を出さねば追い詰められる。
握った拳を振りかぶり、まっすぐ振りぬく。
体格差があるためどうしても顔面を狙うことはできないが、それでも大きな的に拳は届く。
だが、一回二回と振りぬく拳はどれもリュコスの微妙な体重移動と軽快なステップで避けられ、五回目の拳が空を切ったとき腹部に重い一撃が加わった。
「ぐぅッ!?」
初めてのクリーンヒット。
小さく唸り、勢いに逆らわず後ろに跳ぶ。飛んできた衝撃はノアを傷つけることはないが、それでも微妙な同調外傷の影響か痛みだけが鈍く身体を走った。
まるで胃袋に熱い鉄板を押し付けられたような熱に小さく呻いていると、唐突にリュコスの身体が目の前から消えた。
文字通り姿を消したわけではない。
僅かに地面を蹴る音、風の向き、そして僅かにもれる息づかい、そのどれもが同じ場所にとどまっていない事を物語っている。
そしてそれは――
「――ッ」
背後からやってきた。
身をひねるようにして上空に跳び、横なぎにふるわれた拳を素早くさける。
小さく舌打ちする声と共に空気を切り裂く音が耳に届き、それと同時に地面に手をつき、逆立ちして片足を振り上げるリュコスが見えた。
とっさに両腕を顔の方にもっていかなければ直撃していたかもしれない。
鼻をぶつける痛みに歯噛みしながら、子供、いや人間とは思えない脚力で三メートル飛ばされた。
視界が回転し、衝撃が背中を打つ。
肺から洩れる息が口から飛び出て慌ててせき込んで体勢を立て直した。
依然とその場に立つリュコスは何でもないように再び低く腰を落とす。
『これが劣等種の能力か、すさまじいな』
頭の中に響く魔王さまの感嘆の言葉に、ノアは大きく同意した。
地下大地でもここまで立ち回れる創生獣はいなかっただろう。
おおよそ人間の脚力では不可能な高速移動。それに耐えうる筋肉もさることながら、真に驚くべきはそのバランス感覚だ。
小説家だったからこそ、こういう時に雑学は生きてくる。
通常、物体が加速すれば加速するほど方向転換というのは難しくなる。
車や新幹線を思い浮かべてもらえれば簡単かもしれない。時速二百キロを超える新幹線がたった一つの小石に車輪を取られて脱線する事故をたまに耳にする。
あれは単に小石で車輪が浮いただけでなく、その僅かな力のズレが物体全体に広がり起こる現象だ。
それは物体の速度が早ければ早いほど、物体にかかる影響が大きくなる。
地下大地でノアも力加減の練習した時に同じようなことをした事があるが、あの速度を制御するのは並大抵の努力では不可能だ。
それをこの少年は高速の世界で自身の身体を制御し、あまつさえノアの死角をに回り込むという芸当までして見せた。
めちゃくちゃ速いし、めちゃくちゃ強い。
戦闘技術、徒手空拳全てにおいて、その技量は現状のノアよりはるかに上だ。
正直、マントを手放したノアに勝ち目はない。
だが、だがらこそ。
「だからこそ、勝機がある」
怪訝そうに眉を潜ませるリュコスに、小さく笑って、大地を蹴りつけた。
地面を揺らす音が響き、純粋に力の爆発した勢いがノアの身体を圧迫する。
それでもスピードに乗った身体は、地面から一瞬だけ身体を離し弾丸のようにリュコスの身体に肉薄した。
目を見張るリュコスの顔が視界いっぱいに映し出される。
急停止のために踏み出した右足を初動に、リュコスの頭を跳び超える。全ての勢いを回転にまわし、着地と同時に振り払うように爪を立てたリュコスの両腕を屈んで避けた。
僅かに小さく息を呑む音が聞こえた。
がら空きの胴体。いまなら確実に決まる。あらん限りの鋭い掌底を繰り出そうと右手を振りかぶり――
「――なぁッ!?」
反射的に僅かに身を引いたリュコスの足を、その小さな足で刈り取った。
僅かに崩れたバランスがリュコスの両足を地面から解放させる。堪らず身をひねって蹴り上げてくるが軸足を払ってしまえば関係ない。地面に着地したころには息をつかせる間もなく組み伏せた。
周囲からどよめきの声と共に、歓声が上がった。
今や、リュコスはうつぶせに倒れた状態でノアに肩関節を決められている。
『ふっあの時の苦い経験が生きたな人間。馬鹿正直も少しはズルくなったみたいだな』
「いい加減、成長したってところを見せなきゃ、魔王さまに申し訳が立たないんですしね」
「――クッソ!!」
小さく呟かれたノアの言葉は、下で呻くリュコスの声にかき消された。
よくやった。
そう魔王さまに言われて気が緩んだのだろう。
僅かに緩んだ手のひらから、リュコスの腕がすり抜けた。
腕立て伏せの要領で、身体を持ち上げ回し蹴りの要領で体を回転させる。はじけれたノアの身体が地面に崩れ、視界がノアととらえたとき。
「両雄、時間です」
感情の起伏もない静かな声と共に、『二人』の拳がメイド長によって止められた。
疾走感のある戦闘を愉しんでいただけたら幸いです。