01話 ノアの日常
転生してはや六十日。
地上生活で言えば二週間になるのか。ノア=ウルムはトボトボと頼りない足取りで伝統を感じさせる門扉を潜った。
視線をあげればそこは古い洋館だった。
まるで聖堂のような豪奢な造りをしているが、それは過去のことでかなり劣化が進んでいるのか、今では朽ちた城という方が正しいかもしれない。
広大な敷地の大半はあちらこちらに、朽ち果てた建物の形跡が残っているありさまだ。
開けた場所には群生したのか広葉樹に針葉樹といった様々な樹木が共生し、子供たちの遊び場と化している。
唯一残った中央の建物だけが、人の住める洋館という形を保っているおり、出来うる限りの清掃の痕が見られる。
それでも周囲から上がる子供たちの声は、そんな朽ちた建物の薄暗い雰囲気を打ち消すように明るいものだった。
こちらの疲れを吹き飛ばす心地よい声が聞こえてくる。
「ただいまー」
「あ、お兄ちゃんだ!!」
未だに慣れない言葉に、頬を僅かに緩ませていると、ノアの帰宅に小さな女の子たちが二人、こちらに気づいた。
トテトテと小さな足を懸命に動かして走ってくる。
一人は茶色い長い髪を振りまいて、手を掲げて走っている。その右手は二の腕から妙に膨らんでおり、緑色の鱗がきらきら光っていた。
そして、長髪少女のあとを追いかける少し背の低い女の子は、鳶色の短い髪を小さく揺らして、虎のようなネコ科独特の耳をヒクヒクさせていた。
どちらも唯一、よそ者のノアに心を開いてくれたかわいい妹分である。
茶色い髪を揺らす少女がミリアで虎の少女がチーシャだ。
それにしても嫌に速いような……。
そんなことを考えて間もなく、ノアの身体がくの字に折れ曲がった。
「おかえりー」
「りー!!」
小さい両腕をめいいっぱい広げ、泥棒さん顔負けのジャンピングアタックを繰り出してきた。
慌てて抱きとめるも、おわかりいただけるだろうか?
小さい身体に二人分の体重+助走込み、体格はそう変わらないのだ。
もちろん吹き飛ばされます。
それでも一応、こちらにもお兄ちゃんとしてのプライドもあり、妹分の戯れを台無しにするわけにいかない。力を逃がすように、勢いに任せてクルクルと回転すると二人から嬉しそうな声が上がった。
「もー、ミリアにチーシャ。人に飛びついちゃいけません。またシオン姉ちゃんに怒られるぞー」
「ごめんなさーい」
「さーい」
まったく仲が二人である。
しかし、いつまでもくるくると回ってはいられないので、頃合いを見て二人を開放してやる。
「――っと、それでクローディアさんがどこいるかわかる? 今日のお使いの報告に行きたいんだけど」
「お姉ちゃんなら教会に呼ばれていないわ。ね、チーシャ」
「うん、たしかとけいの針が十一の時どこかいったよ」
という事は、入れ違いか。道草食ってないでもう少し早く帰ってくればよかった。
「そっかぁ、直接報告したかったんだけどなぁ――あ、ただいまシオン」
任務達成したワンコよろしく。二人の頭をワッシャワッシャ撫でていると、ブロンドヘアーを後ろで編みこんだ少女が通りかかった。
身の丈あるほどの洗濯物を籠に突っ込んで前が見えなかったのか、抱えた籠から顔を出すと、少女二人と大して変わらない背丈の少女が顔を出した。
「あら、ノア君お帰りなさい。ちくわは買えたかしら?」
「……面目ございません」
「……そう、残念ね。でも、ちくわなんていつでも手に入るし、どこかのお店を探せばきっと――」
「どこも、一か月先売り切れだそうです」
「そ、そう」
デパートはいつから品物を予約制で仕入れることになったのだろうか。
自信満々に言った手前、やや残念そうに微笑む『少女』の気遣いが申し訳ない。
シオン=ティタノエル。
見たところ、ノアとさほど身長の変わらない子供だが、これでも二十二歳の立派な成人らしい。
ティタノエル家分家の当主、クローディア=ティタノエルの『妹』であり、館に住む子供たちの親代わりでもある。
十一歳くらいだと思ったら、まさかの年上だと聞かされ度肝を抜かれたのはまだ記憶に新しい。
タンポポのような印象を与える『女性』だが、本人は年相応の身体つきでないことをかなり気にしているらしく、このところ胡散臭いうわさ話にひかかったりしている。まぁ夢を見るだけならタダだ。
「(毎日朝のラジオ体操とかしていらっしゃるのでしょうか。だとしたら不憫だ)」
朝一人でラジオ体操後に、慎重を図って一喜一憂している姿を思い起こして、思わずぶわっと涙ぐましい思いが込み上げてきた。
ちなみにあまり言いたくはないが、彼女も劣等種と呼ばれる人種でその両目は左右で色が違う。
「今日はアレン君の所にお届け物だったかしら。どう、元気そうだった?」
「はい、久しぶりに話し込んじゃって。……あ、これシオンにって」
「わぁ、ローズベリーの紅茶ね。いま手が離せないけどお茶の時に淹れてもらいましょうか。いまメイド長さんに『マナ』を焼いてもらってるの」
「「やったぁーッ!!」」
ミリアとケーシィ同時に飛び上がる。
よほど嬉しいのか、不思議な踊りを踊って走り出した。
顔を見合わせてどこかおかしそうに小さく笑う。そして、重そうにしている洗濯籠を一瞥すると、
「もちますよ?」
「そう? じゃあお願いしようかしら」
うれしそうに微笑まれ、ずっしりと重い洗濯物を受け取った。……意外と重い。
「シオンおねーちゃん、はやくー」
「くー!!」
そんなに急がなくてもお菓子はなくならない……とは限らないか。
慌てたように走り去っていく少女たちを眺めて、ノアとシオンは小さく苦笑すると、彼女たちに追いつくべく、小走りで『我が家』へと走っていった。
◇
聖門都市ヘカテリア。
肥沃な大地と湖に挟まれた開門都市だ。
ここでの暮らしは生前いた日本と変わらない生活水準を保ち、いい意味で中世時代の遺伝子を受け継いでいた。
車の代わりに馬車を。
火の代わりに電気を。
科学の代わりに『魔術』を。
おおよそ、思い描いていた異世界とは異なるもの技術系統はまさしく異世界だった。
そして、この世界に転生した新入社員ことノア=ウルムは魔王さまと共に新しい世界を見るのであった――
『なに格好つけいる人間。いいから次のページをめくれ、続きが気になる』
「日記くらい格好つけさせてください。っていうか勝手に見ないでください恥ずかしい」
『隠すことないだろう、どうせ丸見えなんだから』
人が気分よく書いてたのにこの魔王さまときたら、もう!!
半眼で部屋を見渡すが誰もいない。しかし、この部屋には確かに『二人』いるのだ。
ノアは大きく息を吐き、ここにはいないであろう人に向けて口を尖らせた。
「赤裸々と綴っちゃってるんで恥ずかしんですー。のぞき見禁止です魔王さま」
『それが面白いんだろうが、最近同じ作業ばっかりで飽きてきたんだ、少しくらい刺激をよこせ。退屈で死んでしまう』
「もう死んでるじゃないですかヤダー!! もう、何と言われようと絶対に見せません!!」
『奈落で一緒に生まれた仲だろう、日記くらいケチケチするな!!」
「ああっ!? 身体の権限奪ってまで見ようとしないでください、後々からかわれるのは目に見えてるんですからってあぁああっ!?」
どったんばったんと身体を動かす権限を取り合うも、魔王さまには勝てなかったよ。
チートやチート。
結局、赤裸々とつづった日記は魔王さまに爆笑されることになった。
簡単に説明すると、訳あって、(元)人間の僕は魔王さまと一つの身体を共有している。
異世界転生だなんてよく聞く話だが、実際に書き手が異世界転生を果たすのは稀だろう。
それも、他人の転生体を横取りしているんだからなお質が悪い。
まぁぶっちゃけて言おう。この身体には高潔な(元)魔王の魂と矮小な(元)人間の二つの魂が入っているのだ。
当然、魔王さまご本人も二人分の魂を許容できるような造りにしているはずもなく、その他諸々の事情で三つの願いを叶えたら、この身体を譲り渡す契約になっている。
この超絶身内に甘い魔王さま。自分の死後の世界がどうなってるのか知りたくてこの身体を作ったらしく、新しい結末さえ見られれば返却期限はいつでもいいらしい。
魔王という恐怖の象徴から最もかけ離れたイメージお持ちだが、これは言わないでおこう。なにせ『お仕置き』が怖いから。
そんなこんなで、いまだにこの僕の友人として厳しく、時に甘く、さながら支配者ばりの統率力でもって導いてくれる。
唯一の不満? そりゃ『なに』が消えたくらいかな。何とは言わないけど。
『……かなり、端折って説明したな人間。これ読んでわかる読者いるか?』
ちなみに時折変な電波を受信します。
でも口が裂けても言えません、お仕置きが怖いから。
『頭のなか駄々洩れだ馬鹿者。……それで研修はずいぶん進んだはずだが、あといくつ仕事をこなせば地下大地に行けるのだ』
呆れるように首を振る魔王さま。それでもしっかりローストしてくれましたねこの野郎。
『なにか問題でも?』
いえ、なんでもございません!!
身体に走る同調外傷の余韻に苛まれていると、なんだかうん、まずいような気がしてきた。
具体的に言うと、ここ最近お仕置きを喰らいすぎているような。……まぁいい話を戻そう、余計な墓穴は掘りたくない。
『懸命だな。少しは賢くなったじゃないか』
これで賢くなったのなら昔の自分はどれほど絶望的だったのだろう。
いやきっとこの超絶頭よろしい魔王さまのことだ。きっとフェルマーの最終定理と足し算が同レベルとか言い出すに決まってる。人間がどれだけ頑張って難問に挑んでいるかわからない天才ちゃんに決まってる。
『何を勝手に卑屈になってる人間? お前の思考は愉快だが、時に訳の分からぬ方に跳ぶのが難点だな』
この時点で、馬鹿であると言われたも同義である。
「でも、ホントにそういった話はクローディアさんに聞くしかないですね、僕に聞いてもさっぱりで」
『未だに、共用語もまともに読めないくらいだからな。私の補助がなくては何もできんじゃないか。――あ、その三行目。誤字ってるぞ』
「まっさかー、……あ、ほんとだ」
ケシケシと誤字を直す。元作家として誤字を曝すのは恥ずかしいことだ。
地味な作業からコツコツとは慣れっこなので問題ない。
そうして出来上がった日記を掲げて満足そうに頷き、今度こそ大きく伸びをする。
こうして自分の書いた日記を読み返すと、なんだか成長してるって気になれる。
いささか埃っぽい『部屋』だが、それでも気分だけは爽やかだ。成長って素晴らしい!!
『それも蚤くらいの差だがな』
変わらす茶々を入れてくる魔王さま。これだからできる子はッ!!
『地下に置いてきたホロですらまだ賢かったがなぁ?』
「いやいや、さすがにこっちも飼い主の威厳がありますしぃ? 獣ごときに負けてはいられませんよ魔王さま」
『その獣に一時期お世話になってたのはどこの誰だ? あとハッキリ言っとくと知能、経験ともに奴の方が上だと思うぞ。それに奴はリア獣だったしな』
キィーーー悔しッ!? 魔王さまが勉強できる子だからそんなこと言って、少しはできない子の苦労を知るべきだ。
この場にハンカチがあれば口にくわえて引っ張りたい。
『そんな惨めなことしかできんのならば、私なら足首をくくる』
「まさかの夢をあきらめるレベル!?」
え、まさかホントにペットにすら負けてないよね?
『危機感を覚えるくらいなら、死ぬ気でやれ。そうすればうむ、なんとかなるやもしれん』
「それでも疑問形なんですね。――はぁ、癒されたい」
地下大地に置いてきた白い狼のことを思い出し、窓から見える街並みを見下ろす。
視線を下にやれば、劣等種の子供たちが独自の遊びで戯れている。そのなかには先の事件の被害者であったチーシャとミリアの姿があった。
特にあんな酷い仕打ちを受けた後だ、チーシャの精神状態が心配されたが、どうやら杞憂なようだ。楽しげな声が響いている。
こうして笑えるのも、きっとこの館の主が寛容なのと、地下に存在するもう一つの世界のおかげだろう。
地下大地。奈落。神域。
呼び方は様々あれど、この世界にはもう一つ、地下に広大な『異世界』が広がっている。
異世界というのは、別に時空を超えた場所という意味ではない。文字通り、地上とは常識がかけ離れた世界のことだ。
死んで、生まれて、生まれて、死んでを繰り返す地下世界。
そこは日々多くの『遺物』と『恩恵』に満ちていた。
ノアが初めてこの世界に誕生したのも地下大地だった。今でこそ、クローディアさんの手で地上に掬いだされたか、あそこは死と生の混在する異世界と言っても差し支えないだろう。
『そんなところにわざわざ行きたがるのだから、探索者というのは愉快な人種だな』
「まぁそれだけ魅力がありますからね、あの世界は」
そう言ってやると、どこか嬉しそうな魔王さまの声が返ってきた。
『なんだ、生まれた場所に帰りたくなったか?』
「それは魔王さまでしょう。それに今は、ここが僕の居場所ですよ」
すると、『扉』が数回ノックされ、床が抜けた。
比喩ではなく文字通り『抜けた』のだ。
黒い塊がぬっと出てきたかと思うと、それは人の形をしていた。
ハウスメイドのようなフリフリしたものではなく実用的な黒いメイド服に身を包む、メイド長。
相変わらず表情筋は動くことなく、黒い瞳には感情が見られない。
それでも、どこか虚ろな目を向けるメイド長は、ノアをジッと見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「主が帰ってきた。報告があるなら早く下りてこい」
「はいッ」
感情の籠らない声が、ノアの背筋をぴんと立たせる。
なんだかこの人は苦手だ。女性なのにどこか圧倒させられるというか圧がすごいのだ。
そのまま、扉を閉めようとするメイド長だがややあって動きを止めて、顔を上げた。
何事かと首をかしげると、ちょいちょいと手招きしてくるので、不思議に思い近づく。するとメイド長はそっとノアの耳元に口を近づけ、
「それと独り言は結構だがもう少し声を抑えるといい。下まで丸聞こえだった」
「……はい」
か細く漏れる声に満足したのか、小さく頷きパタンと扉を閉めるメイド長。
床になった扉を眺め、魔王さまの笑い声が頭に響いた。
ハイそこ、笑い事じゃありませんよこれは。由々しき事態だ。
だって仕方ない、仕方ないじゃないですか。部屋がないんですもん、ここが僕の私室ですもん。
「空き部屋がないとか、不幸だ」
『どんまい』と実体もないのに立体映像の魔王さまに肩を叩かれ、ノアは大きく項垂れた。
おおよそ十帖半、風通しもよくて見晴らしもいい最高の立地。
窓から零れ落ちる光のカーテンは未だ掃除しても埃っぽい天井の裏を寂しく揺らした。
狸型ロボットでももうちょっと人間的な生活を送ってた気がする。
小さく息を吐き出し、ノアは離れにある別館の屋根裏の扉をゆっくりと持ち上げた。
下には、子供たちの楽しそうな声が響いていた。




