19話 僕もいっしょに――
「いやーまさかクローディアさんとこの従業員だとは思わなかったよ。手荒な真似をする前に気づいて本当によかった。……あ、お茶でもどうだい」
「いただきます」
アレン=クロリア。
そう名乗った青年は、黒髪の爽やかな雰囲気をまき散らして、急須らしきポットからお茶を酌んでいるところだった。
穏やかな優しげな声に視線を上げると、その整った顔立ちと黒い瞳と目が合って思わず視線を逸らしてしまった。
気まずい。そう非常に気まずいのだ。
敵だと勘違いして飛び出した相手が、まさかこの世界で言うところの警察官で、クローディアの知り合いだとは思いもしなかった。
逆さに宙吊りにされた状態で、首から飛び出したペンダントを見て声を上げられたときはどうなるのかと思った。
ほっかほかの緑茶? を前にノアは借りてきた猫のように身体を小さくして、椅子に座らされている。
仕事をする大勢の人たちのなかに子供がいるというのは非常に気まずい。
なにせ行き交う人がノアを見て目を丸くするのだ。なかにはお菓子を携えて、いまにも二人の間に混ざりたがっている人までいる。
ノアの身体が小さいからなのか。ここ最近出会う人たちは、みんながみんな子供の姿をしているノアを優しげな瞳で見つめてきた。
生前では奇怪な目で見られることが多かったので、こんなくすぐったい気持ちにさせられる視線には慣れてなかったりする。
『聖神守護機関 聖門支部』
それがノアが連れてこられた場所だ。
サッと周囲を見渡せば、警察官らしき黒いローブを着た人々が忙しなく廊下や部屋を歩き回っており、様々な声が飛び交っていた。
ほとんどが若い男女のようだが、それでも飛び交う情報はどれもノアの理解できない高度な単語で情報交換が行われ、パーテーションのようなもので軽く仕切られてはいるものの、隙間から覗く限り書類や物で溢れ返っていた。
簡素な造りの机に置かれたお茶に視線を向け、もう一度ニコニコと笑みを浮かべる青年に目を向ける。
敵意はないと判断して、ノアは勧められたお茶を一口飲むと小さく息をついてアレンを見上げた。
「あ、あのアレンさん。先ほどは本当にすみませんでした。まさか、警備兵の人だったとは」
「ん? ああ、別に問題ないよ。こっちは無傷だったし、ボクの方も紛らわしい言い方をしてしまった。ノア君が驚くのも無理はない」
ノアの謝罪に対して気にも留めていないように笑うアレン。
拘束を逃れようと反射的に、結構強めの蹴りをお見舞いしたのだが、難なくそれを受け止めてしまった。
ばつが悪い思いで胸がいっぱいになり、下からのぞき込むように様子を窺うとアレンの表情に変化はない。
本当に気にしてないらしい。
お茶をおいしそうに啜るアレンは、用意されたお茶菓子を幸せそうにかみしめては、もう一度お茶を啜っている。
何でもないように振る舞ってはいるが、内心ノアの頭のなかでは様々な想像が飛び交っていた。
ここの法律がどんなものかはわからないが、警備団の人間の前で暴力を振るったのだ。
現行犯逮捕。
頭を過ぎったのはそんな単語に一瞬、心臓が握りつぶされる錯覚を味わった。
サッと血の気が引いていく感覚に、握った手のひらに汗が滲ばんでいくのを感じて無意識に喉がなる。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。君は何一つ罪を犯していないから、いまはただ正直に話してくれればいい」
「四人の男を昏倒させたのに、ですか?」
「罪の意識があるならそれに越したことはない。けど、君を罰するのは彼らが一般人『だったら』の話だ」
「?」
何を言いたいのかよくわからず首をかしげると、アレンは小さく苦笑して頬を掻いた。
「えっと、ノア君だったよね。君は、あの人たちと初対面なんだよね」
「はい、路地裏で男の子が囲まれるのを見て助けたんです。ロブを助けなきゃって」
「ロブ? ああ、あの逃げていった浮浪児の子か。……それで彼らは何でもめていたかわかるかな?」
そこからノアはあの事件で知り得たことをすべて隠さずアレンに話した。
ほとんど知らないも同然の情報だったが、相槌を打ってはアレンも身を乗り出して真剣な表情で聞いてくれる。
そして、洗いざらいすべてを語り終えるとアレンは納得したように自分の膝を片手で打った。
「……なるほど、まぁ捉えた彼らの証言とほとんどあってるね」
「なんで彼らは、ロブを」
「おおかた勘違いしたんだろう」
「勘違い?」
「……劣等種の君には胸糞悪い話かもしれないけど、ここ最近、君のような劣等種が失踪する事件が増えているんだ」
そう言えばトールがそんなことを言っていたような気がする。
でもそれは失踪ではなく、人さらいと言っていたはずだ。
それもこの平和な都市で噂が立つほど頻繁に繰り返されているなんて考えにくい。それでもノアの表情に何かを察したのか、深刻そうな顔つきのアレン小さく頷くとゆっくりと口を開いた。
「それをボクら警備団に先日、謎の情報筋からとあるタレコミがあってね、三日くらい前にその一部の実行犯を捕らえたんだ」
「ロブはなにかの情報を周りに言いふらしたって言ってたけど、そのことに関係が?」
「分らない。けれど彼らはそのロブって子が情報筋だと思ったみたいなんだ。逆恨みで攫うよう指示を受けたと言っていた」
「それを知らずに僕が助けた、ってわけですか」
そうなると話の流れがつながってくる。
奇しくも、彼らが捕まったのはノアが助けに入ったからだ。
あのまま見て見ぬふりをしていたら、ロブがどうなったかわかったものではない。
「おかげでボクらは目立たずにすんだ。君のおかげさ。見ていたけどすごい身体能力だね」
「いや、その。たまたまです」
「だとしても、少年を逃がすためにあえてボクの方に突っ込むなんて勇気ある決断をできる子はなかなかできないよ」
本来ならアレンを躱して、ある程度の距離を保ちながら逃げるはずだった。
それでも目の前の青年は何でもないような顔でノアを捕まえると、逃げようと繰り出した蹴りを難なく止めて見せたのだ。
『まぁ自信満々に突っ込んで捕まれば世話ないな。そう思わんか人間』
「あんまりそう言うこと言わないでください気にしてるんですから」
アレンに気付かれないように陰で小さく呟いていると、一人の若い女の人がアレンの後ろに立った。
一瞬、お茶のお代わりを持ってきたのかと思ったが、よくない予感がする。
案の定、身をかがめて耳打ちする女性の言葉にアレンの表情が明らかに曇り始めた。
小さくお辞儀をして去っていく女性職員を目で追い、指を絡ませ思案の表情を浮かべるアレンを見やる。
「どう、したんですか。いったい」
「たった今情報が入ったけどマークしていた赤毛の少年が攫われた。たぶん組織の大本の指示だろう」
「なんでロブの情報をッ!?」
「いや、彼をマークしていたのは僕らも同じだったからね。言い方は悪いが囮になってもらったのさ。これで人身売買組織をまた一つ潰せる――でも行動が早すぎる」
テーブルを鳴らして立ち上がると、苦虫をかみつぶすような表情で髪を掻き揚げたアレンが大きく息をついた。
途端、あれだけ声にあふれていた声が一気に静まり返った。
「仕方ない。プランβに移行する」
アレンは立ち上がってしきりに掛けていた制服を受け取ると、勢いよく翻して袖を通した。
黒いローブがはためいて、背中に丸い円が縦に連なりその中央に大きな十字架が添えられているのが見える。
何かを意味しているのかその紋章の四隅は赤、青、黄、緑と四色の色が着色されていた。
聖神守護機関の紋章なのだろう。
椅子の横に立掛けていた刀剣を腰に指すと、密会を隠すように仕切られていたパーテーションが一瞬で消失する。
開けた視界で、アレンはサッと部屋を見渡した。
忙しく行き交って情報を交換していた全員がアレンの立ち上がる音を聞いて動きを止めている。
誰もがアレンの指示を待っているのか、起立して微動だに動こうとしない。
「アレン隊長。指示をお願いします」
「各自、持ち場について捜索をはじめて発見しだいボクに連絡。今日中に片づける、いいね」
「「「「はいッ」」」」
一糸乱れぬ声が、室内を打つ。
二十台そこらの青年の言葉に、それと同じかそれ以上の年齢の職員が命令に従っているのだ。
目を丸くしてその光景を眺めていると、先ほどまで右往左往していた人たちが規律を持った軍隊のように散らばり始めた。
「すごい」
はじめてみる現場の雰囲気に圧倒されていると、小さく息をついて一歩踏み出そうとするアレンを見て、ノアは慌てて身を乗り出してローブを掴んだ。
僅かに揺れたテーブルにお茶がこぼれる。
それでも気にせずアレンを見上げていると、落ち着いた黒い瞳がノアを捕らえた。
「一体、どこのだれににロブは連れ去られたんですか」
「連絡によると、奴隷商崩れの盗賊団らしい。警備網を潜って都市から出るみたいだ。僕はこれからやつらを追う」
早すぎる。ロブと別れてまだ一時間も経っていないのに。
この聖門都市の面積を完全に把握していないが、それでも一時間やそこらで出られるほど小さくないのだけはわかる。
それにいくつも検問があったはずだ。そこまで情報が拡散されていれば、確保など簡単なはず。それでも未だに逃げおおせているという事は――
「国外から出るのってそんなに簡単なんですか? なんで、誰も彼らを――」
「いいや警備は万全だ。この指輪がある限りね。ただあまり言いたくないけど、劣等種の捜索届が出ても他の部署はほとんど取り合ってくれないんだ」
「どうしてですか?」
「君も知っているだろう? 平和なこの都市でもほとんどの人が劣等種を恐れているんだ。魔族が復活する兆候じゃないかってね。……実際、この件だって上はあんまり乗り気じゃない」
だからあんなにも言いにくそうな顔をしたのか。
「考えたくないけど、他の部署が賄賂をもらっていればそれまでだ。鬱陶しい悩みの種を一掃できるし小遣い稼ぎもできる。まさに一石二鳥って訳だ」
「そんなッ!?」
「それに、……たった一日それも初めてあった彼に君がここまで心を砕く必要はないんじゃないかな? 言い方は悪いけど、君はただの部外者だ関わるべきじゃない」
そう言われて、思考が一瞬だけ彼方へと飛んでしまった。
確かに今日一日、ほんの少し助けただけの間柄だ。ノアはまったく事情を知らず首を突っ込んでしまったに過ぎない。
アレンの言う通り、友達でもないのにここまでやる必要はないかもしれない。
でも、今日の昼間にあんな光景を見てしまっては、見捨てるなんてことはできない。
『どうした人間、何をためらう必要がある。言いたいことがあるならさっさと言ってしまえばよかろう」
でも、僕が口を出していいのだろうか。
『ここでためらっていてもお前はまた後悔して私が面倒を見なくてはならなくなる。もう覚悟が決まっているんだろ? 付き合ってやるからさっさとしろ」
ヤレヤレと首を振って仕方ないとばかりに、身体に痛みが走る。
まるで目を覚ませともいわんばかりの痛みに、ノアは顔をしかめ、魔王さまに背中を押された。
「あの、アレンさん。僕にできることはありませんか?」
「君にできることは何もない」