18話 迷子でございます
『ここいらで人さらいが横行しているから気を付けてね』
とトールと公園で別れてからどれくらいたったろう。
気まずさはあったものの早いうちに誤解が解けて本当によかった。
そんでもって――
「迷った」
右を見ても左を見ても同じような通路に見える。
てっぺんにあった太陽はいつの間にかだいぶ傾いており、あれだけ行き交っていた人たちも大通りを外れてしまえば見かけなくなった。
地図を片手に小さく呟くと、脳内でため息にも似た重い声が脳を叩いた。
『私の言った通りだろう人間。だからあの時左に曲がれと言ったんだ』
「いやだって、絶対に右だと思ったんですもん。というかほら、魔王さまが言った地点からちゃんと右に曲がってますし」
『お前の絶対などあてにならんしそもそも地図が逆だ馬鹿者!!』
「……あっ」
指摘されてはじめて気づいた。どうやらくるくる地図を回しすぎて、上下さかさまに持っていたらしい。
何とも微妙な空気が流れて途方に暮れていると、今度こそはっきりと魔王さまに馬鹿のレッテルを張られてしまった。
重いため息が頭に響く。
『はぁ、まさか地上に出てから真っ先に経験することが迷子とは、さすがの私も予想できなかったよ人間』
ダメな子でホントごめんなさい。
『まったくだ。ここまで私の思い通りにならなかったことなど初めてだ』
「し、しかたないじゃないですか!? だってここ似たような建物ばっかだしー、生まれてこの方地図なんかで歩いたことないしー」
『文明の利器に頼って衰えていく生命体の見本だな。こんなもの方角さえ把握していれば幼児でも出来るお使いと変わらんぞ」
「それはあれですか幼稚園児と同じだと?」
『それ以下だ馬鹿者』と言われ、なんかへこむ。
いまどきの園児は地図の読み方くらいできるんだろうか、いやできるんだろうな。
『そもそもお前がムキにならなければ、ここまで時間をかけずに屋敷に着けたんだ。変な意地を張りおって』
「あーもう、反省してますから少し黙っててください。僕が悪かったのはわかってますから」
心に大きな傷を負いノアは大きく項垂れて静かに息を吐いた。
こんなことになるんだったら、素直にトールから地図の道のりを聞いておくんだった。
「この家紋のある家を探せって言ったってどこにあるんですかクローディアさん」
首に下げられたペンダントを手に取り、縋る思いでサムズアップを決めるクローディアを思い浮かべる。
「一応地図は書いてもらったけど、あの笑顔、絶対にウソがばれてたって顔でしたよね」
『わかったうえで話を合わせているのだろう。――そこの道を左だ。そうすれば二十分も歩けば元の道に戻れる』
「うーん、なぜそうなるのかがさっぱりわからない」
『……お前はあれだな人間。空想やらな雑学やら無駄な知識はあるのにこういった常識はてんでダメだな』
「一応、まじめに授業は受けてたんですけどねー」
ここで泣き言を言っても仕方がない。
地下大地のように空から探せればあっという間のような気もするが、クローディアにはくれぐれも問題は起こさないようにと厳命されている。
もちろん、ジャンプ一つで数十メートル飛べるような人間はここにはいないことなど理解しているので、ノアもここは自嘲する思いで魔王さまのナビゲートに従った。
『このあたりのような気がするのだが、人通りが少なくなってきたな。どれもう一度地図を見せてみろ』
「うーんダメださっぱりわからんです。……誰かいるみたいですし、その人たちに聞いてみます?」
何かあれば、この羽のついた妖精の家紋を見せれば一発かもしれない。
そんな思いを込めて、曲がり角を曲がるとそこには大人四人が子供一人を囲っているのが見えた。
さながらカツアゲのように見えなくもない風景だが、少年の方は果敢に大人たちに食って掛かっているのか、足は震えているがその表情はどこか真剣だ。
きっちりと黒いスーツに身を固める四人に対して、少年の服は、布の切れ端を継ぎ足したかのようなみすぼらしい格好をしている。
それでもくすんだ色の赤毛に負けないくらい顔を赤らめる少年の瞳は、取り合わない大人たちを睨みつけていた。
『ふむ、どうやら子供が何かを訴えかけているようだな? なにかを――かえせ? としきりに訴えている』
魔王さまの声に、ノアは反射的に曲がり角の陰に隠れた。
どうやらまだ見つかってはいないらしい。剣呑とした声だけが薄暗い路地に響き渡った。
『あいつらに屋敷の場所を聞くのは無理そうだが、どうする人間』
「助ける」
はっきりと言い切るノアに、魔王さまは予想していたばかりに落ち着いた声で息をついた。
『だがクローディアから問題は起こすなと言われていたはずだが』
「ここで見捨てたら自分を許せなくなる。……だめかな?」
『はぁ、――ならばせいぜい誰にやられたのかわからぬようにするといい』
様子を見ていた彼らに動きがあった。
少年の言い分を聞いていた大人たちの表情に徐々に苛立ちが募っていくのがわかる。
抵抗する少年を大人たちがどこかへ連れて行こうとしているのだ。
お互い何かを言い合っているが、ノアにはそれが何なのかはっきりとは聞き取れない。
ただ少年の方が必死に嫌がっているのが見て取れた。
タイミングを見計らって腰を落とすノアは、苛立ちげに何かを言いかけた男が拳を振り上げたところで、曲がり角から飛びだした。
駆けだすと同時に音もなく飛び上がり、男たちの背後にある建物に飛び移る。
重力に逆らう動きで斜め上に飛び出したノアは、身体を入れ替えてパルクールの要領で壁を足場代わりにした。
音と衝撃を殺すように深く身体を壁に沈めて、両腿に力を貯める。そして素早く力を開放すると、男めがけて壁を蹴り上げた。
この程度動き、最果ての森で何度も練習済みだ。創生獣を仕留めるわけではないのでゆるく握った拳で男の後頭部を打ち据えた。
トン、という肉を打つ音が鳴る。
小さく漏れた呼吸音に白目を剥く男。
何事かと背後を見やる三人組は慌てたように懐に手を伸ばし、通り過ぎたノアを見ることさえできなかった。
その僅かな隙を逃さず、ノアは少年の背後から木々の隙間を縫い付けるように身体を滑り込ませると、男たちの鳩尾に一発ずつ拳を沈めていった。
この間、わずか二秒も満たない時間。
ドサドサと音を立てて倒れる連なるようにして四つなり、ノアは大きく息をついた。
これで少なくとも誰がやったかは分からないはずだ。
あとは――
「えっと、なんだか危ない雰囲気だったからやっちゃったけど、大丈夫?」
とぼけたような声で振り返ると、ポカンとこちらを見つめる少年と目があった。
少年の目には男たちが急に倒れたような風景しか捉えられなかっただろう。
それでもそのまなざしは驚きの色が強く、瞳は大きく見開かれてあった。
戸惑う声が暗がりの通路に響く。
「な、なあ、あんた何したんだよ」
「ん? ちょっと後ろから不意打ちを」
「不意打ちって、あんたこいつらが誰だかわかって言ってるのか?」
「知らない、それより大丈夫? 乱暴とかはされてない?」
持ち物をあさるようなことをせず、ツンツンと気絶している男たちを見下ろし、とりあえず生きていることを確認する。
あまりにもはっきり言うものだから面を喰らった少年は、気まずそうに視線を逸らした。
頬に傷があるような気がして手を伸ばす。すると驚いたのか少年はノアの手を振り払った。
おどけたような怯えた反応がノアに向けられる。
「あ、ごめん。傷つけるつもりはないんだ。ただ心配で」
「……年下に心配されるほど、落ちぶれちゃいねぇ。ただ――助かった」
「どういたしまして。僕はノア、ノア=ウルム。君は?」
ポツリと短く呟かれる言葉に笑顔で返す。
すると、少年も渋々といった様子で自己紹介を始めた。
「ロブ。ロブ=レッドフィールドだ、その……よろしく」
突き出された右手を握り返し、上下に揺らす。どこか気恥ずかしそうに俯くロブを見つめ、ノアは不自然にならない程度に観察を始めた。
見たところ年齢は十二歳程度だろうか。ノアよりも頭一つ分高いところを見るとシオンと同じ身長かもしれない。
くすんだ赤毛はどこか汚れていて、身なり同様どこも煤だらけだ。それでも瞳だけはしっかりと輝いており、生き生きとした瞳をノアに向けてくる。
それでも年の割にはボロボロの衣服が妙に気になった。
「それでこの人たちは君の関係者?」
「知らねぇどっかの会社のやつらさ。ちょっとお前らの秘密を知ってるぞっていいふらしたら、おれがここに住んでるって知って来たんだろ」
「なんでそんな危ないこと。――両親はこのこと知っているのかい」
「はっ、そんなもんいるわけねぇだろ。みろよこのぼろクズ」
そう言って、後ろを指さすとそこには木箱のなかにいくつもの鉄材や木材が積んであった。
どこから盗んできたのか、側溝の蓋から鉄パイプ。どこかの郵便ポストなんてレトロなものまである。
「これで家つくるんだ。おやじとおふくろは見た事ねぇけど、いいんだ。おれはおれで楽しくやっていけるからよ」
何でもないように、それでいて誇らしく言い切るロブの姿に胸が痛くなる。
その瞳には確かに生き生きとしていた。
それでもどこか現実を諦めたような瞳が見え隠れしているのをノアは見逃さなかった。
『どうやら浮浪児と言うやつだな。別に珍しくもないだろう』
「だからって、こんな子供が一人で生きていくなんて――」
『お前の世界でもこういった子供らはいたはずだ。この子供一人救った所で、おそらくこの都市にはまだまだ同じような境遇の子供で溢れ返っているだろうよ』
子供を捨てる親の理屈なんて納得できない。
やはり明るいこの街並みにも闇は存在するのだ。
何もできないという立場に小さく歯噛み、拳を握る。
この体一つ、拳一つで解決できる問題ならとうの昔に解決している。いまのノアでは何もできない。
「なぁ誰と話してるんだ?」
魔王さまと話し合っていると、不思議そうな顔でロブが首をかしげている。
一人で誰かと話しているのが奇妙に思われたのか慌てて取り繕う。
どこか怪しそうに目を細めるロブだったが、気を取り直したのか木箱を担ぐ紐を肩にかけ、しきりに周囲を気にし始めた。
そして誰もいないことを確認すると、そっと顔を近づけて誰にも聞こえないような小声で耳打ちしてくる。
「なぁあんた。あんたはその、アイツらの仲間なのか?」
「あいつら? いやぼくは最近ここに来たばかりだから彼らのことなんて知らないけど」
「ああもうっ!! そうじゃなくてッ――あんた劣等種なんだろ? だったらアイツらのことなにかッ――!?」
言うなり飛び跳ねるようにロブの身体が目に見えて固くなった。
その不自然な言葉の切り方に眉を細めると、ノアはロブの視線に沿って後ろを振り返った。
逆光で顔ははっきりとは見えない。
それでも誰かが立っているのはわかる。
「君たち、そんなところで何しているんだい?」
穏やかで凪いだ海のような男の声だ。
優し気ではあるけど、どこか不審な怪しさが覗える。身長は170センチといった所だろうか。かなりデキルことだけはよくわかった。
思わず腰を落としてロブを守るように戦闘態勢に入る。すると、後ろの方でロブの気配が唐突に消えた。
振り返る前に、バタバタと走る音が遠くのほうで聞こえてくる。
『逃げたな。一目散に』
「そいつはたくましいことで」
実際ホッとした。巻き込んでしまったのはこっちだ。ここで彼に迷惑をかけてしまったら助けた意味がなくなる。
正面に視線を向ければ、男はまだ一歩も動いていない。
この四人の男たちのように不意打ちで事を収めることはもうできない。それならばやれることは一つだけだ。
「極力、死なない殺さない程度でお願いしますよ」
『それはお前次第だな人間』
小さく呟いて、四肢に力を籠める。
このまま逃げてもいいが、そうすればきっと彼はロブの方を追って行ってしまう。そんな気がしてノアは大地を蹴りだした。
勢いを殺さずこのまま逃げるか逃げられないかギリギリの速さで追いかけられるよう仕向ける、――つもりだった。
突き抜けるはずの身体は逆さづりにされ、男の右手がノアの左足を掴んでいる。
そこでノアは初めて黒髪の男と目があった。