17話 友達
地下大地とは違う正真正銘の太陽が照り付ける日の下でさわさわと木陰が小さく揺れていく。
緑の草原が広がる公園では、いまも子供たちの楽しげな声があがり、ノアとメイドさんはベンチに座っていた。
「ありがとうございました」
そう言って青い髪を揺らして、肩だしゴスロリハウスメイドさんは深々とお辞儀をした。
当然、お礼を言われるようなことは何もしていない。むしろ、こちらこそ力になれなくてごめんなさいというべきだろう。
それでもなかなか顔を上げてくれなかったので、ノアは素直にお礼を受け取ることにした。
『人の弱みに付け込むのがうまいな人間。こいつを捕まえてどうするつもりだ?』
どうもしません。ただ成り行きです!!
心のなかでそう叫びつつ、ニヤニヤする魔王さまの言葉にノアは小さくため息をついた。
どうしてこうなった。
思い返せば、十数分前に遡る。
店員さんから商品を受け取り、店の外で手渡してさようならをするはずだった。
もちろん下心などありません。
我ながらキザな真似をしてしまったと思いつつ、そのまま立ち去ろうとしたところを呼び止められたのだ。
『あの、その。一緒に食べま、せんか?」
うん正直いってあの破壊力は反則だね。生まれてこのかた萌えというものを知らなかったけど、メイドさんにそんなこと言われたらグッときちゃうよ。
しかも、上目遣いで涙をいっぱい浮かべてらっしゃる。
ここで断るのはなんかこう罪悪感があるかというか、男としてどうなのとか問われ、なんというか無下にはできなかったのである!!
回想おわり!!
『ようは魅力に負けたという事だな人間?』
全くもってその通りでございます。
そして公園に連れられ公園のベンチに座ったのはいいが、気まずい雰囲気が流れて一言も話せていない。
え、ちょっとまって。世の中の主人公ってどうやって初対面の人と仲良くなってるの。どうすればいいの!?
『見合いか。さっさと自己紹介でも始めてしまえ』
はい、そのとおりです誠にありがとうございます
「えっと、とりあえずお名前を窺ってもよろしいでございますでしょうか?」
『うん、緊張しすぎだ馬鹿者』
「――へ?」
案の定ポカンとされてしまった。
うん、なんだろうこの気持ち。死にたくなってきたんですけど。
文字通り顔を真っ赤にしていると、ノアの言葉の意味を理解したメイドさんが慌てたように飛び上がって、ペコペコとお辞儀を繰り返し始めた。
先に簡単ながらノアの自己紹介を済ますと、隣に座るメイドさんは何度もどもりながらも自己紹介を始めた。
「あああ、すみませんすみません。あの、その……トールって言います。先ほどは『クぅ~』――あぁッ!?」
「……とりあえず、食べちゃいましょうか」
「す、すみません」
隣で聞きなれないか細い音が鳴り、トールという名前のメイドさんを見やれば、顔を真っ赤にしてお腹を押さえている彼女がいた。
慌てたようにノアを見てから自分のお腹に視線を向け、恥ずかしそうに肩身を寄せ始めている。
時計はおそらく正午を差している。お腹が減っても仕方ないだろう。
真っ赤な顔して頷くメイドさん。対してお隣には立体映像ながらに恨めしそうにサンドイッチを見つめる魔王さま。
ううん、食べにくい。
そんなことをつゆ知らず、トールが茶色い紙袋から取り出したのは瑞々しい野菜が挟まれたサラダサンドだった。
シャキシャキとおいしそうに頬張る彼女を見つめ、倣うようにしてかぶりつく。
ふんわりとしたパンの触感の後に、さっぱりとしたドレッシングを和えた野菜が口のなかで瑞々しい音をはじき出す。
「うわ、おいしい」
「そうですよねおいしいですよね、あそこのお店、ぼくの行きつけなんです」
思わず漏れた声に反応して、嬉しそうに顔をほころばせる。ハッとなって照れたように笑う表情は可愛らしい。
ぼくっ娘なのかしら、なんて思いつつ。魔王さまの催促に従って二つ目のタマゴサンドに突入する。
しばらくの間モグモグタイムを繰り返し、お空を眺めてはたわいもない雑談を繰り返す。
「じゃあ今はそのお屋敷で働いているんだ」
「はい皆さんいい方々で、ぼくみたいな劣等種も受け入れてくださるんです」
「そのゴスロリ肩だしメイドスタイルも当主様の趣味?」
「え、あっ……これはその、ぼくの師匠の趣味で。その、やっぱり変ですか?」
「いやいや。似合ってるからいいと思うけど」
「そう、ですか」
ホッと胸を撫でおろすトール。どうやらかなり目立つ服装であることは理解しているらしい。
メイドの種類はよく知らないがハウスメイドで、フリルのついたチョーカーと肩だしスタイルというのはなかなか上級者向けの装備のような気がする。
「その、聞きにくいこと聞いちゃうけどいい?」
「はい」
最期のフルーツサンドを上品に口に収め飲み込み、大きく頷く。
周りの反応から聞いてはいけないようなことだと思いつつ、魔王さまからせっつかれているので聞かないわけにはいかなかった。
「そのー劣等種って、なに?」
「えっと、劣等種ですか?」
不思議そうに首をかしげるトール。やっぱりここでは劣等種という言葉は共通の言葉らしい。
自分が記憶喪失でほとんどの知識が欠けていることを説明したら、納得してくれた。
「その、劣等種っていうのは蔑称なんです。……ぼくたちみたいな先祖返りの」
「先祖返り?」
「これです」
そう言ってトールは儚げに笑うと、ゆっくりと帽子を取って見せた。
確かに右のこめかみ辺りから頭の形に添うように太い角が一本突き出している。
人間にはおおよそ存在しない部位だ。病気であってもこんな立派な角は生えたりしないだろう。
「触っていいですよ」という許可を得て恐る恐る牛のような角に触れてみると、意外とつやつやしていて肌触りがよかった。
ノアの新鮮な驚きが面白かったのか小さく微笑むトールだったが、口を開いた瞬間、トールの藍色の瞳に暗い影が差す。
「大昔に魔族が滅びたっていうのは知っていますか?」
「確か神様が世界を作り替える際に人間に滅ぼされたって聞いたけど」
「そうです。でも、その当時の状況はよくわからないんですけど、その、……一部の人のなかには魔族と交わった人間がいてですね」
「……まさか」
「はい。そのまさかです。その人たちの間に子供が生まれたんです」
だから魔族の再来なのか。
言いにくそうに言い淀むトールの言いたいことが分かった気がする。
よく見れば青というよりかは青藍色に近い髪だ。これも魔族の血が混じっているのだとすればなんだか納得できるような気がする。
「当時は今ほどではないにしろ、顕著に身体の変化が現れたりしなかったみたいなんです。だから知らないうちに交配が進むにつれて……」
そこで言葉を区切るトールは震える右手をぎゅっと抑えるのをノアは見逃さなかった。
「……たまに、ぼくみたいな先祖返りを起こす子供が出てくるんです」
それでも、何でもないように笑って見せる表情はどこか痛々しい。
まるで仕方ないと諦めたような顔だ。
木陰にいるせいなのかゆっくり伏せられる表情から感情が読み取れない。
ただ、陽だまりで遊ぶ子供たちをトールの視線がどこか羨むように子供たちに向けられている。
沈黙を吹き飛ばすように、一筋の風が二人の頬を撫でた。
「個体差はありますけど、ぼくたちもあの子たちみたいな人間と変わらないんですよ。これは現代の医学が証明していますし、なにより先祖返りを起こす人たちはほとんどが身体の一部だったりしますから」
もちろんここでは人権も保障されてますけど、と付け足されてノアは絶句した。
人であって人でない。
その評価はもはや呪いだ。
誰からも助けてもらえない。
その恐怖がどれだけの恐ろしいものかよくわかる。奇異な目にさらされて、誰もが見て見ぬふりをする。
口を開いても同じ人間と認識してもらえないのだ、
もちろん先祖返りだと隠して生きることはできるかもしれない。ただ、心のなかにある後ろめたさはいつまでも残り続ける。
これは生前、障害者であったノアだからこそわかることだ。
ノアも生前、小学生の頃ネット上で架空の友達とつながり、健常者と偽って何度かチャットで話したことがある。
初めのうちは誰かと関わるのが楽しくて、罪悪感など気にならなかった。それでも時間が経つにつれて相手を騙しているという罪悪感が楽しければ楽しいほど、日に日に大きくなり心にのしかかるのだ。
そこまで来てしまえば楽しかった関係などにはもう戻れない。
隠しても、隠さなくても待っているのは罪悪感がのしかかり周りからは奇異の目で見られる。まさしく地獄だ。
「それはつらいね」
「はい。……でも、仕方ないんです。ぼくは生まれながらにこうなる運命だと決まっていたんですから」
そんなことない。
「――えっ?」
口に出すつもりはなかった。
それでも小さく漏れた言葉に、トールの口から驚きの声が漏れ、大きく目を見開かれた藍色の瞳がノアを捕らえた。
何をそんなに慌てているのだろう。
訳が分からず首をひねっていると、頭のなかで魔王さまの声が頭に響いた。
『人間。目元を触れてみろ』
魔王さまの言う通り目元に手を当てれば、目尻から一筋の涙が零れ落ちている。それはノアの意思とは関係なく一粒一粒落ちては服に小さな染みを作っていった。
自分が泣いていることにはじめて気づいて、慌てて袖で拭い取ろうとするとノアの腕を白くて細い手がつかんだ。
エプロンのポケットから取り出したのだろう。ハンカチを使って涙を一滴一滴掬うように拭いとられる。
「ごめんなさい。……その、つらいこと思い出させてしまって」
「そうじゃないんだ。ただ、なんていうか共感しちゃって。……ありがとうもう大丈夫」
申し訳なさそうに顔を伏せるトールに、ノアは首を横に振る。
この人はノアとは違う意味で戦っているのだ。
なにも残せなかった生前のノアとは違い、自分の意志で変わろうともがいている。
この短い時間のなかで、なんとなくだがこの取り巻く世界の現状が何となくわかった気がする。
結局はどこの世界にも差別となる対象があるのだ。
貧富の差。肌の色。髪の色。些細な特徴まで。
他者を貶める存在は必ず存在する。
ならば、今後どう生きていきたいかなど決まっている。
「ノア君?」
「ああ、なんだっけ?」
「だから、その。ノア君が嫌でなければお屋敷に来ますか? 妹様に話を通せばあと一人くらいは大丈夫なはずです」
同情からくる提案ではないだろう。
ノアのことを劣等種と認識したうえで本気で心配してくれているのだ。
トールの心からの気遣いに感謝しつつ、ノアはやんわりとその提案を断った。
「そう、ですか。行く当てがあるのなら仕方ありませんね。ノア君と一緒に働いてみるのも楽しそうだったんですけど……」
「大丈夫。きっとまた会えるよ。……その時は、また食事に付き合ってくれると嬉しいかな」
「あ、それいいですね。また今度ここで食事しましょう。必ずですよッ!!」
若干照れの入った申し出に、花を飛ばすように笑顔が浮かぶ。
内気な性格だと思ったら、意外とそうでもないらしい。
興奮気味に両手を握られたと思ったら今度は激しく上下に腕を振る。身長差があるため震動は大きくノアの身体を揺さぶることになるのだがそれに気づいていないらしい。
まぁ楽しければ何でもいいか。
何かの番号が書かれたメモ帳を渡され、ノアはハンカチにくるんで大切にポケットの中にしまい込む。
「何かあったら連絡ください。仕事でいない時もあるかもですけど、いつでも大丈夫です」
「じゃあ、今度会うときは友達ということで」
「はい、じゃあまた会いましょうノア君」
「……じゃあね、トールちゃん?」
「――あっ」
挨拶を交わしただけなのにトールの表情が唐突に固まった。
気まずそうに頬を掻いては、目を泳がせて口をパクパク動かしていらっしゃる。
何か不味いことを言っただろうか。思わず首をかしげると、やがて頬を真っ赤に染めるトールが言いにくそうに口を動かした。
「その……ぼく、男なんだ」
「……………………えっ?」
か細く漏れる告白を理解するのにたっぷり十秒かかった。
その後、腹の底からとどろく驚きの声は遊んでいた子供たちが動きを止めるほど大きかった。
爆笑する魔王さまの声だけが酷く脳内に響き渡ったのは言うまでもないだろう。