16話 観光
そんなこんなでボッチである。
『端折りすぎだろ人間』
「いやこれくらいがいいですよ魔王さま、だってほら、実際にハブられたわけですし」
異世界の街並みを歩くと気付かされることがある。
地下世界の森じゃないから独り言で奇異な視線がよく刺さる。
行き交う人たちから向けられる視線がかなり痛い。
でもなんだか楽しそうに実体化していらっしゃる魔王さまはたいして気にしていないのか、立体映像のくせにあっちへフラフラこっちへフラフラと異世界の街並みを堪能していた。
そう。このまま教会に行くのかなーなんて思ったらまさかの戦力外通告である。
むしろついてきてもらっては困るという事なので、記憶の補完と周辺の地理を覚えるという名目でノアは一人異世界の街並みを歩いていた。
ある程度のお駄賃を握らされ、地図と身分証明書の代わりになる妖精の刻印の入ったペンダントを預けられ、あとはいい笑顔で送り出されてしまった。
地図が読めないわけではない。ただ完全アウェイな空間に一人頬りだされて寂しいだけなのだ。
道行く人に尋ねてしまえば一発なのだろうが、コミュ障を侮ることなかれ。そんなん無理に決まってます。
『ほぅ、やはり随分と街並みが変わっているな。私が生きていたころよりずいぶんと発展している。まるでお前のいたところとほとんど変わらぬではないか』
「いや魔王さま、いまは無事にたどり着けられるかどうかを心配しましょうよ」
『しかし見てみろこの街並みをっ!! この景色を見てお前は何とも思わないのか?」
「まぁずいぶん近未来的な都市というか、生前の日本でもここまでの技術革新はなかったよ、ほんとに」
興奮する魔王さまを宥めつつ、周囲を見渡せば、そこは異世界というよりも近未来に近い世界が広がっていた。
舗装された石畳の道路から等間隔に並んだ街路樹という見慣れた風景もあれば、中世ヨーロッパのお城のような大きな建物まで存在する。
道路に視線を投げかければ、ノアも載ってきたような荷馬車のなかにお客がいるのだろう。道路を走るのはほとんどが馬車を引く創生獣だったり、馬であったりと様々だった。
クローディアさん曰く、地上に連れてくると同時に人に慣れるように品種改良を行っているらしい。
ノアの創造する品種改良であっているのか、甚だ疑問だがそれでも医療技術も高そうだ。
きちんと信号もあり、調教された生き物たちはその赤い点滅を見ては止まり、青くなれば問題なく進んでいく。
なかには生前お世話になった車のような乗り物も存在するが、見る限りだそういった乗り物を使えるのは裕福層だけらしい。
ここまで街並みが発展しているのだ。機械の乗り物が民間に普及していてもおかしくはないのだが、いまのノアにわかるような問題じゃない。
空とぶ飛ぶ車や筒のなかを走る電車など明らかに未来らしい乗り物はないものの、ものすごい速さでかけていく荷馬車を眺めながら、ノアは感嘆の息を漏らした。
「異世界やべぇ」
『まったくもってその通りだな』
七千年の月日の流れはすさまじかった。
よく見れば電気まで通っており、建物のなかはショッピングモールは明るい。
ガラスのショーウィンドウのなかには今年の夏もののトレンド商品が並んであったり、店内で食事をしている人なんかがよく見られる。
法律もしっかりできていて、なおかつ治安がいい。
だからこそ行き交う人々はこんなにも無防備で外を歩くことができるのだろう。
これでは強盗や犯罪を冒すのも難しくなってくるだろう。……もちろんやらないけど。
道路交通もしっかりできており、周りを見ながらおっかなびっくりで道路を横断するノアに魔王さまは面白そうに笑い声をあげた。
青い空を見上げれば、天まで届きそうなほど突き出たオフィスビルに、横に立ち並ぶモダンな建築物が逆に新しく感じられる。
新旧入り交じり、なおかつ調和している街並みなどめったに見られない。
けれどそのすべてが平凡ではなく新しかった。
地図を見れば、煉瓦造りの建物や、木造の建物といった昔ながらの住宅地も存在するらしい。
何よりも、その計画的な区画整理のなかで、街の中央にそびえ立つ白亜の城壁が誇らしげにノアたちを見下ろしていた。
二重の外壁に守られた聖門都市のなかで特別、荘厳に作られた城が都市の中央に据えられている。
地図に書かれた文字を見る限り、あそこは貴族やお偉いさんが住まう特許区らしい。
秘密保持のためか中の様相は詳しく記載されてはいないが、それでもパンフレットの絵を見る限り、ここ以上に薔薇の細工や噴水などまさに貴族御用達の優美な造りになっていた。
『街の中心部から離れれば離れるほど、住宅街になっているようだな』
「商業区画、観光区画、工業区画、住居区画なんてものまであるし、よほど栄えた都市なんですね、ここは」
『しかし、この一角に設けられた空白の場所が気になるがな』
「あ、ほんとだ」
魔王さまの指が示す通り、一角だけ白く塗りつぶされた区画がある。
円を描くように外壁の外に広がる住居区画のなかで、明らかに用途のわからない。 のちの防衛用
「でも地図に載っているくらいだし重要な意味を持つんじゃないですか?」
『まぁそれは後で調べればいいか。それより今は街の探索だ』
そう言って、立体映像なのに先に突っ走ってしまった。
いやもうちょっと自粛して!? と叫んでも止まることはない魔王さま。
手元にはそこそこのお金があるので買い物には困らないが、それでも無駄遣いは避けたかった。
そんなことを考えながらとにかく走る。テンションマックスの魔王さまを一人野放しにするわけにはいかない。
でも結局、魔王さまの魂が離れたわけじゃないからあれこれ追いかけても意味ないんじゃね? と気付くのは魔王さまがとある店を眺めているのを確認した後だった。
「勝手にどっかいかないでくださいよ。迷子になったら大変じゃないですか」
『そんなものなってたまるか。それより人間あれを見てみろ』
徒労もむなしく、追いつくと何やら店先が騒がしいのに気づく。
人垣を押しのけ店の中を覗いてみると、子供が静かに泣いており、独特な帽子をかぶった一人のメイドが子供に寄り添うようにして問題となっている男を睨み上げている。
店内の空気は、和やかなBGMとは裏腹に凍り付いたように静まり返っており、多くのやじ馬は見物しているだけだった。
ノアは現場を目撃していないので思わず隣にいた恰幅のいいおっちゃんに問いかけると、ノアに気付いたおっちゃんが何でもないように小声で説明してくれた。
「ああ、どうやらあの傭兵のにぃちゃんが劣等種の子供をわざと転ばせたらしくてな。何事もなく立ち去ろうとしたところをあのメイドのねぇちゃんに引き留められているところだ」
「そこまでわかってるんならなんで誰も傭兵の男を非難しないんですか?」
「関わりたくないからに決まってんだろう? まぁ店側からしたら迷惑だろうけどな」
「それに噂に名高き、モースンさんだ。関わったら面倒なことになる」
どうやらあの男はモースンというらしい。口々に漏れる言葉を聞く限りいいうわさは聞かない。
それでも彼らが男を止めないのは、貴族お抱えの傭兵だからだという。
食べ物が床に散乱していて、鼻を鳴らすモースンは明らかに気分を害したように顔を歪ませていた。
被害者であろう少女はあまりの恐怖に怯えてか、人間にはないであろう頭から飛び出た虎の耳をぺたんと伏せて、男が叫ぶたびに小さく身体を震わせていた。
「はん、汚らわしい劣等種風情が、人であろうなどとおこがましい。人間の成り損ないが」
「この子にもちゃんと人権があるんです。そんな言い方はやめてください」
「なら何といえばいい? そこの薄汚いガキはどう見ても我々とは違うではないか」
「同じですッ!! この子だってちゃんとした人間なんです。差別しないでください」
感情を隠そうともせず喚き散らすモースンの言葉に,青い髪をしたメイドが瞳いっぱいに涙を浮かべる。
二人の間だけで話が盛り上がっていて、このままでは被害者の少女がかわいそうだ。
けれどここで部外者のノアが間に入っても余計に問題を大きくするだけだ。歯痒い思いに顔をしかめていると、メイドもそのことを理解していたのか、少女の耳元で小さくなにかを囁いた。
口の動きからおそらく「このまま逃げて」と言ったのだろう。
メイドの言葉に今まで顔を伏せていた少女が顔を上げる。そして小さく頷くと、メイドの持っていた紙包みを持って店の出口まで走っていった。
割れる人垣に、慌てて子供を追おうとするモースン。
「あの子に何をするんですか」
「うるさい黙れッ!!」
反射的に掴んだ手を振り払うようにして、男が乱暴にメイドの腕を振り払うと、その腕がメイドの帽子のつばを捕らえた。
短い悲鳴の後に帽子が宙に舞う。その時、周囲のやじ馬から動揺の声が上がった。
「――あっ」
メイドもその反応に気付いたのか、耳元から生えた角を隠すように、慌てて帽子を探して深くかぶり直した。
しかし、その反応がモースンの嗜虐心をくすぐったのか、男の目じりが鋭くなった。
「ふん、通りでお前があの劣等種を庇うわけだ。所詮は馴れ合いかぁ同族の哀れみとは醜いなぁ」
「そ、そんなこと――」
言い淀むメイドの言葉にこれ幸いと、モースンの唇が醜くゆがむ。
「答えられないだろうな? なにせ結局は自分を守るための偽善だったのだから。お前はあのガキを自分に投影していたにすぎないんだ」
羞恥心で顔を真っ赤に染めているのか、目尻に浮かぶ涙を隠すように帽子を深くかぶる。
僅かに覗く口元は引き結ばれており、その小さく細い肩が僅かに揺れていた。
その姿にある程度満足したのか、高笑いを上げるモースンは出口に向かった。
まるで群衆が道を作るのが当然と言わんばかりに堂々と闊歩してくる。周囲のどよめく人間たちも、視線を逸らしてはモースンのために道を作っていく。
その割れる人垣のなかで、ノアだけは動くことなく男を見上げた。周囲から戸惑いの声が上がるが関係ない。
「どけ、ガキが」
男もノアを一瞥してあからさまに鼻を鳴らすが、逆にモースンを押しのけるように進み出るとノアは今も項垂れた様子のメイドの方に近づいていった。
手を動かさないと感情があふれてしまうのか、メイドはぐちゃぐちゃに踏みつぶされた料理や皿を片付けている。
「手伝うよ」
「え、そんな。あっあの――」
明らかに戸惑うような声が横から聞こえてくるが関係ない。手伝いたいと思ったから手伝うのだ。
偽善だなんだと思われようが関係ない。
ノアも静かにかがんで手伝いを始めるとメイドが驚いたような表情でノアの顔を凝視した。
怯えさせないように小さく笑うと、周囲の動揺が明らかに伝わってくる。
そして視界の端で、二人の姿を憐れむように一瞥していた男が立ち去っていくのを捕らえ、そのまま作業に没頭する。
すると、今までカウンターの奥で気まずそうに引っ込んでいた二人の店員が顔を出した。
「あの、あとはこちらで片付けます。割れた食器などもありますので」
おそらく店の評判や体裁を気にして出てこれなかったんだろう。気まずそうに頬を掻く店員の声に、ノアとメイドは同時に顔を上げた。
周りのお客も問題が去ったことに安堵しているのか、興味を失くしたようにそれぞれの食事を始める。
和やかなBGMが流れるなか、か細い声が消え入るように吐き出された。
「あ、はいすみません。……その、お騒がせしてしまって」
「ちょっと待って」
ゆっくりと立ち上がり申し訳なさそうな表情で立ち去ろうとする『彼女』をノアは慌てて呼び止めた。
不思議そうに振り返るメイド。その表情はすぐにでも消え去りたいという感情がありありと浮かんでいる。
それでもここで帰ってしまっては本当に逃げ帰るみたいじゃないか。
それはそれで悔しいので、おせっかいだとわかった上でノアは店員を呼び止め、
「この人が頼んだものを二ついただけませんか。ひとつはこの人にお願いします」
サンドイッチセットを二つ注文した。




