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15話 はじめての地上

 揺りかごにでも乗せられているような小さな震動で、ノアは静かに目を覚ました。


 緩やかな機械音が子守歌のように耳に届き、温かく柔らかい感触が後頭部から伝わってくる。

 どこか安心するような温もりは、気の張っていたノアの心をやさしく解きほぐし、桜のような温かな香りが心を満たしていく。


「ん、目を覚ましたか」


 魔王さまの声ではない。けれどもどこか安心する声だ。

 囁かれる銀のような凛とした声と共に、ノアの額を撫でるような柔らかい手のひらが髪をかき分けていく。

 その指先があまりにも心地よくてノアは思わず小さく身じろいで、重い目蓋をゆっくりと持ち上げた。


 視界が開けるにつれて、光が差し込んでくる。

 強烈な光に目を細めて焦点の合わない視点が徐々にぼやけていた輪郭を鮮明に映し出す。


 見慣れない天井。強烈な人工的な灯り。そして――


「……ここは」

「地上へ続く昇降機のなかさ。無事、君を地下大地から連れ出すことができたよ」


 なんとなく呟いた声に、小さく笑みを浮かべるクローディアをはっきりと捉えて、ノアはハッと目を見張った。


 思い出した。

 地下大地でメイド長とクローディアの二人の探索者と出会い、地下大地から連れ出してもらったのだ。

 かといってここは森じゃない。機械音に混ざって人の話し声が聞こえてくる。

 ホロはどうなったとか、そこからの記憶がないことに困惑していると、わかりやすく小さく押し殺した声が頭上から漏れた。


 視界いっぱいに広がるきめ細かい肌と、柔らかな口元。年の頃は二十代くらいで金色に輝く瞳はどこか楽しげにノアを見つめ、細い指先がノアの頬に触れた。

 その距離があまりにも近いと思ったら、後頭部で僅かに動く気配がある。

 そこでノアは初めて、自分が膝枕されていることに気が付いた。


「どうだい私の膝の上は。よく眠れたみたいだけど」

「え、あっあのすみません、いま起きます――」

「こらこら冗談だよ。……安静にしたまえ。焦らなくてももうすぐ着く。せっかくだからもう少しゆっくりしてなさい」


 ノアの動揺を悟ってか、慌てて起き上がろうとするノアの額を指先で抑えてどこか楽しそうに笑うクローディア。

 よく見れば、ごつごつした騎士のような鎧姿ではなく、柔らかい布地をまとった私服姿だった。

 淡い紺色の薄いカーディガンの下に、白いワイシャツ。首筋から感じられる生地から察するにレギンスを履いているらしい。

 何か香水でも使っているのか、女性特有の柔らかさを後頭部で感じながら花の香りがノアのウブな心を刺激する。

 

 生前でもこんな出来事は体験したことがなかった。暴れる心臓が肋骨辺りを縦横無尽に飛び回っているような気がして、ノアは自分の頬が急に熱くなっていくを感じる。


「そう緊張しなくてもいい。君は子供だ、あの過酷な環境にいて随分と気の張った生活を送ってきただろう。いまくらいリラックスしてもいいんだぞ? なんならこれでも食べるか?」

「あいえ、そんなお構いなく」

「遠慮する必要なんてない。君もわたしの大事な社員の一人なんだ。正式な契約はあとにするとして、いまはただ言われた通りにすればいい」


 そう言って、クローディアはテーブルの上にある小さな菓子をノアの口元に運ばれる。

 なんだか急に気恥ずかしい思いに囚われて、抵抗しようにも口元に添えられたお菓子が動く気配はない。

 何かを期待するようにノアを見つめる彼女の瞳が、どこかいたずらっぽく笑っているのが見えて、ノアは諦めるように小さな口を開いた。


 するとクローディアが満足そうに頷き、口の中に綿菓子のようなものを押し込んできた。

 舌の上に転がした綿菓子をゆっくりと咀嚼する。

 口のなかで柔らかい甘さが広がり、噛めば噛むほど果物とは違う甘みに懐かしい思いに駆られた。

 まるで、綿あめのような甘みに自然と唇が上がると、それを見て取ったクローディアか同意の声が上がった。


「やっぱりおいしいなこの綿菓子。地上では結構人気なんだこれ」

「そうなんでふゅか?」

「ああ栽培部門の企業が品種改良に成功してね。これも君のいたような地下大地から持ってきた『遺物』の一つさ」


 クローディアの言っていることがよくわからず首をかしげていると、クローディアは気にする様子もなく次々とノアの口に運んでは、自分もおいしそうに綿菓子を頬張っていく。

 地下大地では鎧姿ゆえに、あまりはっきりとわからなかったが、細い体格の割には長身で健康的な体だ。

 照明に反射する月光のような淡い髪を小さく揺らし、クローディアは身を乗り出すようにテーブルから別のお菓子を口に運んでは、嬉しそうな声を上げる。


 控えめだけれど確かに存在を主張する胸が一瞬、ノアの鼻先をかすりそうになりノアの身体が緊張で硬くなった。


「ふふ、そっか、君も男の子なんだよな」


 否定するのが悔しくて、思わず頬を膨らませると、その狼狽ぶりを愉しむような声が上がり、少し気まずくなってノアは首を動かした。

 それは昇降機と呼ぶにはあまりにも広すぎる空間が広がっていた。

 クローディアが座っているところを見るとここはソファーらしい。

 メイド長は相変わらずあたりを警戒しているのか立ったままだが、見ればほとんどの者は用意されたソファーやいすの上に腰かけている。


 そこには探索者がいつも背負っている無骨な武器はなく、鎧姿の者もいれば私服姿のものまでさまざまいた。

 それでも教室二つぶんほどの広さの室内には十分なスペースがあり、豪華な調度品のほかに幾つかのグループに分れて探索者たちが何かを話し合ったり、こちらを興味深げに見ていたりしていた。


「彼らは今回の調査で教会に雇われた探索者たちさ。おおかた私たちが森の原因を見つけたことを訝っかているのだろう。まぁ君が気にすることもない」

「でもこの体勢をみられるのはかなり恥ずかしいような」

「君は子供だ。何の問題もない、むしろ誇らしげにしていればいい。なんたって私の膝の上で寝れるなんてそうそうないからな」

「確かにクローディアさんは美人ですけど、そんなに堂々と言っちゃうんですね」

「おっ、君は嬉しいことを言ってくれるね。さっそくポイント稼ぎかい? これはちょっと初給料は弾んでやらなきゃね」


 あまりにも自慢げに胸を張るので、本音が漏れてしまった。

 少し目を見張るクローディアは、どこかくすぐったそうに小さく微笑むと、クシャクシャにノアの髪を掻き乱した。

 そして、ノアの髪質をいたく気に入って気のすむまで撫でさせるころ少し、満足そうにノアの髪を梳いたクローディアが上機嫌な鼻歌を歌い終えた頃、探索者が唐突に立ち上がった。

 小さく昇降機が揺れて、木琴を鳴らすような軽快な音が響いた。


「さぁわたしたちもいこうかノア。今日からやることがいっぱいだ」


 差し出された手を取って昇降口をでる。


 カツカツと鳴る足音に合わせて、手を引かれるノアの心臓は不自然に踊りだしていた。

 念願の地上。それはノアの願いだけでなく魔王さまの願いでもある。

 二人分のドキドキが胸の内で暴れまわり、ノアは無意識に胸の前で手を握っていた。


 廊下を超えた先に天から差し込む陽光に目を細めて、ノアは肺いっぱいに空気を吸い込む。

 地下とは違う、生き物が営む生活の匂い。


「さぁ着いたぞ。ようこそ聖門都市へ」


 クローディアの声に眩む目蓋をゆっくりと持ち上げる。目の前の光景にノア=ウルムは歓喜の声を上げて世界を見渡した。

 そこはまさしく異世界の街並みだった。



 生前で言うところのタクシーみたいな乗り物に乗せられ、ノアとクローディア、メイド長の三人は教会本部に向かっていた。

 揺れる道中のなか、時間もあるという事でこの世界に関する情報を簡単ながらにクローディアから教えてもらった。


「――つまり、この世界は神も持ち物というわけだ」


 興味深い話だった。


 この世界に王はおらず、この世界は神の所有物。

 それがこの世界で生きる人々の共通の認識らしい。


 魔王と勇者が存在した時代。

 魔物と人間との戦争が激化した世界は一度魔物の力で壊れ、大地が割れて、ほとんどの生命が死滅した。

 人々が希望を見出せなくなった頃、神がこの世界を作り直し、新たな生命が『地下』で生まれるようになった。


 残された人類は神から与えられた恵みを受け取り、いつしか神を信仰しはじめる。

 それを良く思った神は人類に多くの恩恵を授け、いつしか、世界滅亡の原因を作った魔族たちは根絶やしにされた。


 そして、世界を統べるにふさわしい王の声を聴くため、神に選ばれし残された子孫たちが神の代弁者として、地上に君臨するようになった。


 それがいまでは教会で信仰される『地底信仰』に結び付き、いまでは神の奇跡の名残として地下大地は神聖なる場所とされている。


 この信仰は世界の理であり、この世界の掟らしい。


「――そして、その地下大地が存在するここが聖門都市ヘカテリア。それがこの都市の名前いうわけ」


 熱心に目を輝かせては興奮するノアに、クローディアは小さく苦笑を浮かべていた。

 揺れる乗用車に身をゆだね、ふかふかのソファーから身を乗り出すノアは、向かいに座るクローディアの話に聞き入っていた。


「本当に王様はいないんですか?」

「ああ、土地を統べる王はいない。けど、唯一神の代弁者たる『神の子』が仮初の王座に座っている」

「統治者がいないのに、よく国が荒れませんね」

「教会の話じゃあ、神様は君臨すれども統治せずって形であくまで我々人間に地上を預けているってスタンスなのさ。だから、王ではなく王侯貴族が周囲の土地を預かってまとめてるってことになっている」


 そう言って、クローディアはメイド長の用意した紅茶に口をつけると、満足そうに息をついた。

 外に視線を向けてやれば、確かにこの国には秩序が存在する。


 法的設備があり、公共のルールがあり、そして人はそれに従っている。


 地下世界に繋がる門から出て、三十分は経過しただろうか。

 窓の外を眺めるノアは異世界という中世の幻想を目の前で打ち壊された。


 建ち並ぶ建設物はどれも中世というよりかは近未来的な建物が多く、それでいてどこか中世のヨーロッパの遺伝子をしっかりと受け継いだうえで進化させたような雰囲気だ。

 行き交う人々の服装も十人十色だが、そこまで奇抜なものはなく、けれどもそれぞれの個性が出ている。


 異世界という固定概念を真っ向から破壊されたノアと魔王さまは、それこそ目を輝かせて行き交う新しいものに目を向けていた。


「太古の昔には王が民を支配し、そして領土を取り合っていたって話だ。それこそ魔物と人間の戦いなんてのも日常茶飯事。相当ひどかったって聞くよ」

「やっぱり魔族って存在したんですね」

「ああ、それも八千年位前の話だって聞いているけどね」

「八千年――」


 驚いて、身を引くとその反応を愉しむように紅茶を啜るクローディアがお茶菓子を進めてきた。


 魔王さまがいたくお気に召したようなので、用意されたお茶菓子のなかからクッキーを二、三個ほど取って口の中に放り込んだ。

 サクサクと口のなかで解ける生地と、アーモンドのような香ばしい風味が鼻に突き抜けていく。


「おいしいかい?」

「はい。上品な甘さでいて、地下では食べれなかった味です」

「ふふそうだろう。ほら、もっと食べていいよ」


 勧められるままお茶菓子を口に運び、ノアは物思いにふけっていた。


 魔王さまの話では転生体の劣化具合から七百年と予想していたが、おおよそ十倍くらいの月日が経っていることになる。

 魔王さまもあくまで予想という形で出した答えだったが、クローディアの言葉には少なからず驚かされたらしい。


 いたく感心したような声を上げる魔王さまだったが、それでもノアは魔王さまのことが心配だった。


 七千年の年月は少なからず、魔族の滅亡という真実を突き付けている。

 自分の民だった者たちが全員いなくなったという事実は魔物の王様だった魔王さまからしてみればやっぱり辛いものではないのだろうか。


 そんなことを考えていると、全てを悟ったような声が頭の中に響いてくる。


『心配するな人間。どのみち、人類が滅ぶか魔族が滅ぶかのどちらかだったんだ。私の代が原因なのかは定かではないが、少なくともお前が私を気遣う必要はない』


 それはきっと魔王さまの本心なのだろう。

 それでも胸の内から零れる、悲しみにも似た感情は隠しきれない。


「聞いてみてもいいですか?」

『好きにしろ』


 そう言ってぶっきらぼうな返事が返ってきた。

 不思議そうに首をかしげてノアをのぞき込むクローディアと目が合って、ノアは一度ためらってから、一つの疑問を問いかけた。


「クローディアさん一つお聞きしたいんですけどいいですか?」

「ん? なにかな。私に答えられるようなことだったら答えるけど」

「魔族って今では生き残ってたりしないんですか?」

「――まぁ、そうなるかな。いたとしたらそれこそ大変だ。なにせ世界を滅ぼした種族だから」

「……クローディアさん?」


 持っていたティーカップが小さく揺れ、クローディアの雰囲気が僅かに変わったのをノアは見逃さなかった。

 僅かにブレる瞳が大きく見開かれ、その金色の瞳の奥に物憂げな色が宿る。

 その姿は今まで見てきた彼女のどの姿にも似つかわしくないくらいどこか陰のある寂しい雰囲気を放っていた。


「ま、それも大昔の話だし、いまの私たちには何ら関係ないんだけどね」


 そう言ってクローディアは苦笑気味に微笑むと紅茶をテーブルの上に置いた。

 すると、脇に控えていたメイド長が食器やお茶菓子をてきぱきと片づけ始める。

 何事かと首をかしげていると、窓際に教会のような大きな建物が見えた。


 到着の時間が近づいていることを知りノアも慌てて紅茶を飲み干すと、丁寧にメイド長に手渡して短くお礼を言う。

 するとメイド長の表情が少しだけ動いて、すぐに片づけを再開し始めた。

 なにか変なことでもやってしまっただろうかと首をかしげていると、口元を隠すように笑うクローディアと目があった。


 どこかおかしかったのかクローディアは小さく息をついて、感心したような声でソファに座り直した。


「君は幼く見えて本当に気遣いができるんだな。驚いたよ」

「ちょっとした癖です。もしかしたら身体に染みついているのかもしれません」

「ふーんそれにしても記憶喪失ねぇ。ま、覚えてないんじゃしかたがないかもしれないけど」


 何でもないように言われて、ノアの心臓が大きく高鳴った。

 この記憶喪失というのは魔王さまが発案した情報を効率よく聞き出すための方便だ。


 実際、この世界のことを何も知らない魔王とノアにとって、この世界の常識を知らないのはあまりにも危険だ。

 ここで彼女たちに怪しまれるわけにもいかないし、地下大地で生活していたのに地上のことを何も知らないままでいるわけにもいかない。


 だからこそ、地下世界にいて記憶喪失になったという設定はいまのノア=ウルムを演じるにはある種現実味があり、簡単に受け入れてもらえた。


 クローディアが静かに呟いた途端、乗用車が僅かに揺れた。

 車内で軽快な音が鳴ったかと思うと、蒸気が抜けるような間抜けな音がした後メイド長の立つ扉が開錠される音が響く。


「お、到着したみたいだ」


 そう言って、メイド長の支えるドアを潜ってクローディアは軽快に大地に降り立った。

 大きく伸びをして、小さな吐息を唇から漏らす。

 尻尾のように伸びた一房の金髪が背中で揺れ、それは窮屈な車両のなかから解放された喜びのようにも感じられた。


 ノアも後に続いて、乗用車から降りると小さく息をつく。

 あれ以上追及されるといつボロを出すかわからない。

 そんなことで見捨てるような人たちではないのはわかっていたが、ノアたちの事情をできるだけ伏せておきたい。

 もしノアたちの事情が原因で問題になったとしても、彼女たちには迷惑をかけないようにするためだ。


 地下大地とは比べ物にならないくらい高い青空を見上げ、大きく息を吸うと前方で牛の鳴くようなくぐもった声が聞こえた。

 見れば、クローディアが車両を引いていた生き物の頭を撫でているところだった。


「ありがとう。また頼むとするよ」

「ンモヴぉう」


 足が五本ついた牛のようでもあり、芋虫のようでもある生き物が大きく鳴いた。

 ゆったりと進むように見えて、車両を引いていた生き物はそこそこのスピードでだんだん小さくなっていく。

 その姿をある程度まで見送ると、ノアは眼前に広がる大きな建物を見据え、小さくつばを飲み込んだ。


 中世の教会をそのまま大きくしたような神殿が、ノアを飲み込むように大口を開けていた。

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