14話 雇用契約
気を抜いたら一瞬で持っていかれる。
そんな直感が首筋に走り、ノアは迫りくるロングソードを首をひねって半身で躱した。
ロングソードを片手で振り回したかと思えば、両手できっちり構えて力任せに降りぬく。
型も何もあったものではない。一見隙だらけに見える戦い方だがその表情はどこか楽しげで、余裕に満ちている。
実際、防戦に追い込まれているのはノアの方だった。
突き出されたロングソードを、打ち流し、躱し、側面を弾く。
それでもクローディアはそのすべてを立て直し、修正して、大胆にそれこそ計算されたような動きで武器を自分の腕のように扱った。
視線が一瞬足元に落ちたかと思えば、ノアの目前に横殴りに切っ先が迫りくる。
鈍く煌めく刃。空気を切り裂く軽快の音は意識せずともノアの耳に入ってきた。
慌てて仰け反り、反射的に飛び退くようにして宙を舞い、距離を取る。
大地を踏みしめる感覚が足裏に伝わり、力の調節ミスしたのかひび割れた大地に足を取られてバランスを崩した。
慌ててたたらを踏み体勢を整えるが、妙なことにクローディアからの追撃はなかった。
ざわつく心を一瞬でフラットにして、ノアはゆっくりと息をついた。
心の奥にあったざわつきが、静かに凪いでいくのがわかる。思考はノアの気持ちに従ってクリアになっていき、自然と体にも適切な力が入る。
『分断されてしまったな。どうする人間、逃げるか?』
「拠点が知られて、なおかつメイド長さんがしっかり退路を塞いでる。逃げるとしても崖下しかなさそうだけど」
『その隙すら与えてくれんだろうな。――来るぞッ』
魔王さまの声に反応するように、その場から飛び出すクローディアの攻撃が素早く肉薄し、一閃二閃と身体を掠める。
思考を巡らせる暇もない怒涛の攻めに、ノアは苦し紛れの蹴りや拳を放つが、どれも事前に見透かされロングソードで綺麗に受け流される。
飛び退くようにして距離を置き、両刃のロングソードを構えなおすクローディア。
その先で行われているホロとメイド長の激しい激闘を視界で捉え、ノアは小さく息をついた。
『……ホロと分断されたのが痛いな』
ノアの心を代弁するように呟く魔王さまの声に、ノアは大きく頷いた。
ホロは、賢く強い。
あの黒狼の群れで一人孤独に生き、この最果ての森で唯一の強者だったと言ってもいい。
持ち前のスピードで敵を掻き乱し、正確に急所を突いて攻撃してくる知能はどこまでも聡い。
はじめて戦った時はかなりの苦戦を強いられた。
「ホロちゃんが気になるのかい? まぁ無理もない、相手がメイド長だからなぁ」
現実に引き戻されて慌てて拳を構える。
ぼーッとしている暇はないのに、彼女らの攻防に思わず目を奪われてしまった。
ノアの表情を見て愉しむようにクローディアは小さく笑みを浮かべた。
「心配しなくても大丈夫さ。私がとりあえず殺すなって言っておいたから」
「……その言い方だと、うちのホロが負けるみたいに聞こえるんですけど」
「その通りさ。あの子がメイド長に勝つなんてことは絶対にありえない」
戦闘中にもかかわらず気軽に話しかけてくるクローディアに対して、ノアはできるだけ意識を彼女から逸らさないように努める。
ロングソードを地面に突き刺し、堂々とノアから視線を逸らす様子は明らかに挑発されているのがわかった。
それでも飛び出さないのは、重心が僅かに前に傾いているからだ。
不用意に飛び出せば手痛いカウンターが飛んでくる。これも魔王さまの特訓でみっちり学習済みだ。
ノアの考えを察してか、今まで隙を見せていたクローディアがあからさまに大きくため息を吐き出した。
「ふー、なかなか誘いに乗ってこないね君は。すごく慎重で、すごく臆病だ。……でも、子供なのにここまで隙を見せて我慢できる子はそういない」
「ここに住んでいれば嫌でも慎重さなんて身に付きますよ」
「……君はあれだね。身体は子供なのに、考え方はまるで大人みたいだ」
ロングソードを地面から抜き放ち、堂々と構えて見せる。
喜んでいいのか、それとも悲しめばいいのかわからず微妙な顔を浮かべていると、クローディアは唇の端が唐突に持ち上げった。
「もっと喜んだっていいんだよ? どうせ今から負けることになるんだから」
「まるで普段なら余裕であしらえるみたいに聞こえるんですけど」
「わたしもメイド長もいまは『奈落の恩恵』を受けられないの身の上だ。不便で不便で仕方ない。――が、決着にはそう時間はかからない。――ほら」
視線が後ろの方に持ち上がり、ホロの身体にメイド長の拳が深くめり込むのが見えた。
――瞬間、怒号にも似た魔王さまの声が頭を叩いた。
『おい馬鹿、戦闘中だぞッ!!』
「えっ――?」
認識したころには、衝撃があった。
初めてまともに喰らう太刀筋。内臓を潰すような圧迫感と痛みが脳髄を駆け巡り、勢い良く地面に飛ばされる。
土ぼこりを舞い上げ、転がる身体。二階三階とバウンドし、内側から焼けつくようにのたうち回る痛みに、ノアは小さく顔をしかめた。
肉も皮膚も避けてはいない。それでも油断した。
「痛ッ――!?」
相変わらず丈夫すぎる身体だ。
普通なら骨の一つでも折れていて不思議ではない衝撃だった。それでもまさか、太刀筋をもろに受けて傷一つつかないとは思わなかった。
胸を押さえて激しくせき込むノアだったが、真っ先に声を上げたのはノアではなくクローディアの方だった。
「……驚いた。何だそのマントは、断ち切るどころかこっちの刃が欠けたてしまった」
肉眼でもわかるほど大きく刃こぼれしたロングソードを眺め、クローディアが目を丸くするのを視界の端で捉えた。
全身に走る同調外傷に喘ぎながらも、ゆっくり立ち上がるノアは、傷一つついていないマントを一瞥して小さく笑みを浮かべた。
「――特注品なんでね。それよりやめませんかこんな戦い。あまりにも意味がない」
「君は生きるか死ぬかの瀬戸際で敵にそんなことを言うのかい? わたしが言うのもなんだがもう少し危機感を持った方がいい」
『まったくだ』
頭のなかで大きく頷く魔王さまに苦笑して、クローディアを見据える。
確かに彼女相手に油断したのはまずかった。これでは殺されても文句は言えないし、魔王さまに何を言われるかわからない。
それでもただ負傷したわけではないし、なによりやられっぱなしにだけはしたくなかった。
「それは貴方にも言えることですよクローディアさん」
「……なに?」
僅かに眉を顰めると、クローディアは何かに気付いてロングソードを軽く振るう。
ひゅんと風が切れる音がなり、ロングソードは中央の刃こぼれを境に真ん中で折れた。
深々と地面に突き刺さる先端を眺め、目を丸くすると彼女の表情に獰猛な笑みが浮かぶ。
「接触する間際に一撃で仕留めて見せたか。見事だ」
「とっさのことだったんで力加減に苦労しましたが、――さぁ降伏を受け入れるのは貴女ですクローディアさん」
「これでも最高品質の素材で作った名刀だったんだがな。こうも容易く折られるとは」
クックックッと楽しそうに肩を揺らしクローディアは、何の未練もなく折れたロングソードをその場に投げ捨てた。
小さく鳴る金属音がまるで一つの決意のように小さく鳴り、いまだに鳴りやまない一人と一匹の戦闘音がやけに大きく聞こえる。
風が二人の髪を掬い上げ、額に張り付いた汗がやけに冷たい。
フラフラと頼りなく揺れるクローディアは額に手をやると、いまだに収まらない笑みを噛み殺し、大きく呼吸を整えてノアを見つめた。
「さすが噂にたがわぬ剛力、それになんて硬い皮膚の硬度だ。シオンの言っていたことは本当だったんだな。もとの種族は何だ? これはぜひとも欲しくなった」
「種族? 一体何の話ですかそれより武器は折れましたもうやめましょう」
「まだ私を気遣う余裕があるか。……優しいな、君は」
柔らかい笑みを浮かべ、先ほどよりも幾分か落ち着いた声が温かく柔らかい唇から吐き出される。
その言葉は警戒していたノアの心に一瞬で入り込み、やがて激情とも呼べる勢いがノアを襲った。
「――ッ!!」
一瞬で肉薄され、驚いて目を見張る間にクローディアの拳がノアの身体を叩いた。
痛みはない。それでもくの字に折り曲がる身体はノアの意思とは関係なく反射的に動いた。
人体の仕組みをよく理解した一撃。一瞬だけずれた重心を見逃さず、クローディアは掬いあげるようにノアの足を刈り取った。
回る視界。次に背中からの衝撃。
か細く漏れる吐息をあとに、地面に転がされたと認識したころにはノアの身体はうつぶせに変わり、素早くかつ完璧に組み伏せられていた。
右の肩関節をガッチリと決めて、動きを封じられる。
「そのやさしさがここでは命とりだよ」
そう柔らかく諭され、ノアは小さく身じろいだ。
動けない。
いや、これ以上は、動かせない。
『やられたな人間』
むしろ感心するような口調の声がノアの頭の中に響いた。
『人体の反射を利用した戦闘技術か、それにお前がお人よしであることも想定して組み伏せているぞ人間』
そう、もちろんこんな拘束などこの身体であれば難なく解ける。
魔王さまの転生体にはそれを実行するだけの力がある。
しかしこれ以上力を籠めれば、振りほどく力は容易にクローディアを巻き込んで怪我をさせてしまう。
彼女はノアが拘束を振りほどけないとわかっていてあえて組技に使ったのだ。
『相手の性格を読んだうえで、自分が優位に働くよう行動する。勉強になったな人間』
ため息交じりに首を振る魔王さま。
小さく呻いていると、頭上から魔王さまと同じようなお説教が飛んできた。
「君の動きは直線的すぎる。もうちょっとずる賢く鳴らなくちゃ」
そう言って小さく息をつくクローディアが顔を上げると、向こうの戦いも終わりを迎えたらしい。
ホロの短い悲鳴が上がったかと思うと、何かが地面に落ちる音がした。
首を動かそうにも背後にいるため状況が理解できない。サクサクと草を踏みしめる音が聞こえたのち、メイド長の機械にも似た静かな息づかいが聞こえてきた。
「おぉ、そっちも終わったか」
「つつがなく。それであれは始末しますかお嬢様」
「やめろッ!?」
どうなっているのか見えない。
もし怪我をしているのであれば一刻も早く手当てしたい。
そんな思いに駆られて無駄とわかりながらもできるだけ身体を動かしていると、一瞬だけ静かな沈黙が下りた。
首をずらして頭上を見上げれば、クローディアが何かを考えこむように唇を尖らせ、小さな唸り声を上げている。その声はしばらく頭上で鳴り響き、やがて眉根を寄せるように首をひねっていたクローディアの表情が唐突に明るくなった。
「こういうことを言うのは私の趣味じゃないんだが、どうだノア。君、うちで働いてみないか」
「はた、らく?」
何のことかわからず、思わず言葉を口のなかで転がしていると、クローディアは大きく頷いた。
金色の瞳と目が合う。困ったように、けれどもその瞳の奥には期待に満ちた喜びが湛えられている。
その表情は魔王さまが時折見せる、悪戯っぽい笑みと同じだ。
「そう、私はこれでも企業の社長でね。人手不足の世の中、君のような丁度いい人材を集めている最中なのさ」
「それで僕に何のメリットが?」
「そうさな、ひとつはこの危険な地下大地から掬いあげてやれる。あとは必要最低限の衣食住も与えられるし、お給金もつく」
指折りに数え上げ、自慢げに笑みを浮かべた。
どうかな、と言われて考え込む。
もともと彼女らの目的は異変の元凶の調査と排除だ。
もし、この場で見逃してもらえるのだとしたらこれ以上の提案はない。
実際、ノアたちもどうやって地上に乗り込もうかと考えていたし、リスクなしでこの場を収められるのならそれに越したことはない。
「嫌なら元凶はここで処理するしかないなくなる。もちろんそこのホロちゃんもいっしょにね」
そう言って今もなおどうなっているのかわからないホロの方に視線が向く。
きっと本気で言ってはいないだろう。けれどもこれは脅迫だ。彼女に立場がある以上、ここでノアが断ったら少なくともホロは確実に殺されてしまう。
それに、この場を収めるために彼女以上の解決策を思いつくことができなかった。
「わかった。いう通りにする。だから――」
「よし、契約成立だ」
満足そうにうなずくとすぐに解放されて、ノアは慌ててホロの下に駆け寄った。
ぐったりはしているみたいだが、致命傷らしい致命傷は見られない。
気を失っているのか、いつも元気なホロがここまで衰弱しているのを見るのは自分が傷つくよりも痛かった。
けれどノアの知識ではどこが悪くて、どこをどうすればいいかなどわからないのでノアは迷わず魔王さまに助けを求めた。
『うん致命傷は避けているが、動けないほど絶妙に手加減されている』
「治療できますか?」
『たしか、打ち身に効く果実があるがあったはずだ』
急いで寝床に飛び込むと、果実をしまっていた籠を取り出して中身をかき分ける。
そのなかで魔王さまののいう真っ赤な果実を取り出すと、ホロの様子を診ていたメイド長を押しのけて無理やり果実を口の中に突っ込む。
軽く咀嚼させて吐き出すような仕草をするホロの口を無理やり押さえて飲み下させる。
すぐに効果が表れたのか、飲み下す音が聞こえたと思ったら、ホロの呼吸がだんだんと整っていくのがわかった。
そしてやや薄く開いた目蓋の奥から生気が戻り、弱々しくながらも小さな声が上がった。
脱力するようにホロの首を抱えて、ノアはほっと息をついた。
「よかった。間に合って、ほんとうによかった」
「へー、薬効にもくわしいんだな君は。……けど、残念ながらその子は連れていけない」
「どうしてですか!? ホロはここで苦楽を共にした家族です。僕も行くならホロも――」
「それでもダメなんだ。すまないがわかってくれないか?」
振り向けば、難しそうに顔をしかめるクローディアの姿があった。
嫌悪感の対象としてホロを見ているのではない。自分の口から発せられる行為そのものが忌々しいとでもいうように整った顔が僅かに歪んだ。
「連れていけば研究対象で教会にとられる。黒狼の亜種個体はそれだけ珍しいんだ」
「じゃあ、僕は。僕はどうするんですか? この森の元凶を作った僕は教会に連れていかれて研究対象にでもなるんですか?」
「確かに君のように出自のわからない劣等種は珍しい。よくて監視付き、悪くて一生教会の管理下に置かれるだろうな」
「だったら――」
言いかけた言葉をクローディアが手を挙げて制する。何か言いたげに口を動かすノアも、彼女の真剣な表情を見て募った言葉を大人しく飲み込んだ。
その様子に満足したのか彼女は静かに頷くと遠くにある世界樹の苗木を見つめた。
「まぁこのまま連れていけばそうなるだろうな。だが、それはわたしが教会に異変の原因を伝えた場合だ」
「――えっ!? まだ上には報告して何ですか」
「ああまだ君のことはなにも報告していない。連中は何が原因で森が騒がしいのか把握できてないんだ」
そう言ってゆっくりと世界樹の根元に歩み寄り、彼女はその逞しくも洞の開いた幹を見上げる。
地下世界の太陽に照らされ、さわさわと音を立てる世界樹はどこか嬉しそうに風に揺られる。
そんなノアたちの拠点をじっと見つめ、クローディアは小さく微笑むと、手のひらで世界樹の幹を軽く叩き始めた。
「ちょうどいい手土産もあることだし、これを囮に使わせてもらう」
「そんなので誤魔化せるんですか? 仮にも教会ですよね、その、バレるんじゃあ」
「碌に現場に顔も出さない宗教家が異変の原因など知るはずもないさ。それにここは奴らの崇め奉る神の領域、地下大地だ。そこから持ち帰ったこれなら疑うようなことはしないだろう」
バシバシと樹の幹を叩いて高らかに宣言する。
「覚悟は決まったかい? ノア=ウルム。ここを離れる覚悟は」
「……はい」
小さく頷いて、いまは静かに寝息をたてているホロを見つめる。
クローディアの話では、またここに来ることもできるから永遠の別れではないみたいだ。
特にホロのような強い個体は生き残る可能性が高いという。
「じゃあホロ、元気でな。また帰ってくるから、その時はまた会おうな」
純毛のタオル地のような白い毛並みを一撫で二撫でする。
うっすらと目蓋を開けているような気がしたが、ノアは丁寧に身体を撫でてやるとスース―と安らかに眠り始めた。
「じゃあ、これからよろしくお願いします」
「よしッ!! ならメイド長、ちょっと頼む」
そう言って深々とお辞儀すると、ノアの前にメイド長が立ちはだかった。
何事かとクローディアとメイド長を見比べていると、クローディアの笑顔でサムズアップしているのが見える。
途端、ノアの口から小さく息が漏れ、意識が真っ黒に遠のいていった。
◇
「貴女が顔色を変えるなんて珍しい。そんなに強かった?、あの狼」
「それは問題ない。問題ないがただ――」
主の声が聞こえ、顔を挙げればそこには心底珍しそうな声に、首を振って応える。
彼女の背中には一人の子供がおぶさっている。
手心は加えたつもりだが相当いいところに入ったらしく、目覚める気配はない。
そうなるように拳を打ち込んだし、彼を地上に出すためには寝ていてもらわねば困る。
しかし、先の出来事が身体を震わせていたのも確かだ。
確かに意識を刈り取ったと思った。
しかし、ほんの一瞬。少年の深紅の瞳から死にも似た冷たい眼差しがあの少年から発せられたのだ。
初めて見たときの印象は、どこか甘さの残る子供だったはずだ。
だがあの一瞬だけはまるで、全ての生命を根絶やすかのような悪寒が全身を駆け巡った。
久しぶりに身体がたぎった。
厄介なことになるなと思いつつも、隣を歩く彼女はその厄介ごとが何よりもうれしいのだろう。
「貴女はいつも面倒ごとをしょい込むな」
「? まぁ大丈夫でしょ。これからもっと楽しくなる。貴方にも頑張ってもらうわメイド長さん」
「問題ないのは君が一番わかっているのだろ、おてんば娘」
森をかき分け、前へと進む。
ずるずると何かを引きずるような音が響き、二人と一人は最果ての森をあとにした。




