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01話 天変地異

 僕はたぶん、主人公にはなりえない人間だ。


 下半身に原因不明の難病を抱えて、御覧のとおり動かすこともできないこの身体。

 どんなにやりたいことがたくさんあろうと、ボクの人生は人の手を借りなければ生きてはいけない。

 トイレに行くときも。

 風呂に入るときも。

 いまこうして『当たり前』の生活を送ることさえ、ひとりでは困難なのだ。


 そんな異物を周囲は疎ましく思い、遠ざける。


 当然だ。これといって目立った才能もなく、周囲に溶け込める努力もできない。そんな人間に誰が関わりたがるだろうか。

 少なくとも、中学、高校での生活がその後の運命を物語っている。


 カラカラと車いすを押し、信号待ちの横断歩道の前で止まる。周囲を見渡せば土曜日だというのにスーツに身を包み汗をぬぐう『大人』たちの姿が。

 本来なら自分もああして、働いていなくてはいけないのだ。それなのに、僕はこの身体を理由に何もせずにいる。


 もしかしたら、社会に出てまともに働けもしない自分は、『大人』にすら成りきれないのかもしれない。


 横目で多くの社会人を見上げていると、その中の一人と目があった。

 おかしな異物を見るような視線が一瞬だけ、僕に興味を示し、そして意識の外に追いやるようにスマホに視線を落とす。


 異物が一つまぎれた途端、周囲の日常が非日常と変わるこの瞬間。毎度のことすぎて、もはや見慣れた光景だ。


 それでも、やっぱり胸が痛む。


 大きく息を吐き出して、大空を見上げる。思い起こされるのは、やはり高校時代の苦い記憶。


 胸の奥で縫い繕ったはずの痛みがぶり返すように思い起こされる。


 お情けで関わってくれる知人は何人かいたが、それでも友人は一人もできなかったあの頃。

 優しい善人はいたが、悪意を振りまくクズはもっといた。

 ゆえに、僕の学校での立場は、まさしく幽霊だった。



 見えるけど関わりたくない。



 そんな思いが暗黙の了解として教室に渦巻いていた。


 学校というのは不思議なもので、いい意味でも悪い意味でも『はみ出し者』を許さない。


 どんなに一人になりたくても上下の格差社会が存在する以上、多勢に無勢だ。

 先生が。上位グループが。お情けのように決めつけられた枠組みに無理やり押し込もうとする。


 そのせいでせっかくの修学旅行をつまらないものにしてしまったのは、本当に申し訳ない。


「……懐かしいな」


 胸を抑え小さく喘いでいると、ポケットの奥が小さく震えだした。

 固定された足を持ち上げるように軽く腰を浮かし、慣れた手つきで右ポケットからスマートフォンを取り出す。

 表示を見れば『母さん』となっており、小さく震えるスマホが母の感情を表現しているようだ。

 画面をタップし、スマホを耳にあてる。点滅する向かいの信号が青に切り替わるのを確認していると、耳元で母の怒鳴り声が聞こえてきた。


『ちょっと義幸。いまあんたどこにいるの!? もう診察呼ばれたんだけど』


 開口一番の元気な声。思わずスマホを遠ざけてやると返事の催促をねだるように「聞いてるの!?」とすさまじい声が聞こえてくる。

 こんな元気な人の腹のなかから生まれて、どうしてこんなにも正反対のネガティブ野郎が生まれてきたのか本当に謎だ。


「聞いてるよ。いま外にいる」

『外ぉ!? なんだってそんなところにいるの。『用事』が終わったら寄り道しないでこっちに来る約束だったでしょう』

「ああ、ごめん。まっすぐそっちに向かうつもりだったんだけどなんかむしゃくしゃしちゃって、病院の近くだからすぐ戻るよ」

『……ひとりじゃ危ないでしょ。あんた、心労で倒れたんだから。お母さん迎えに行くから、いまどこ?』

「もう少ししたら戻るって、それまで先生によろしく言っておいてよ」

『それはいいけど。いい? 発作が起きたら薬を飲むんだからね。約束破ったら今度こそあんたの本に落書きするからね』


 悪質な脅し文句と、しつこいほどの念押しに、「了解」と答える僕の声に満足したような返事が聞こえ、三十分後には来るように命令される。

 社会人にもなって両親がここまで心配するのはひとえに僕が『弱者』であるという証明なのだろう。


 鬱陶しいとは思わない。ただひたすら情けないとすら思う。


 信号が切り替わる。

 青は進め。その常識に従ってある者は早歩きで、ある者は友達と一緒に横断歩道を闊歩する。

 流れゆく人の群れに揉まれ、こうして『立ち止まって』いると自分の小ささがよくわかる。


 行き交う人々は一つの流れに沿って、歩みを進めていく。

 時折車いすにぶつかる視線はどこか異物を見るような奇妙な光を灯し、すぐに薄れて消えていくのだ


 けっきょく、僕はこの社会という枠組みのなかでは異物として認識されているのだろう。


 信号が赤に切り替わる。


 土曜日のスクランブル交差点はやはり、とんでもないくらいの人ごみを貯め込む。

 この中に僕のような『異常者』が何人いるだろうか。

 いや、きっといないかもしれない。


 見上げれば街灯ビジョンには障害者競技で金メダルを取った選手がインタビューを受けている。

 いつもならあまり気にも留めないニュースだが、今日ばかりは見ずにはいられない。


 ハキハキと精悍な顔つきで質問に答える青年。誇らしげに語るその笑みは、どこか誇らしげで光がある。

 過去の自分のように、何かを成し遂げようとする、意思がある。


 たいして自分はどうだ。

 卑屈になって無いものねだり、成功する人間に嫉妬し、言い訳を取り繕うことしかできないネガティブモンスター。

 それこそ『搾りかす』と言われても仕方ない。


 大きくため息をついて、膝を擦る。


 もし、健常者と同じように、みんなと同じように歩けたら。

 他人と同じように彼らの輪の中に加えてもらえるような存在になれたら、どれだけ変われるだろうか。


「それができれば苦労はしない、か」


 硬く握った拳をゆっくりとほどき、自嘲気味な笑みを浮かべる。


 もはや終わったことだ。

 気にしちゃいけない。


 顔を上げ、背もたれに深く腰かけると、聞きなれた音と共にポケットの中にしまったスマホが唸り声をあげた。


 驚いて、スマホを引き抜き、画面を見つめる。



 非通知。



 そして、見覚えのないでたらめの電話番号。訝し気に眉を顰め、電話に出る。


「もしもし三守ですけど――」


 返事はない。

 まるで黒板を引っ掻いたようなノイズが、途切れ途切れに鳴り、金切り声を響かせる。


「もしもし? 聞こえてますか」


 電波が悪いのかと思い直し、あたりを見渡すと、他の人たちも同じようなタイミングで耳元にスマホを耳にあてている。

 それも見える限り全員、反対側の横断歩道の先にいる人まで。

 不思議そうに首をかしげるサラリーマンの姿を横目で捉えていると、一つの『異変』が目に留まり、思わず目を見開いた。


「なんだ、あれ」


 横断歩道の横に起立する歩行者信号。車両用の信号機に至るまで、全ての信号機が赤黄青黄青赤と意味もなく不自然な明滅を繰り返している。


 さすがにおかしいと思ったのか、周囲の方から不安な声がにじみ出てきた。


「なにあれ? ずっとついたり消えたりしてんじゃん。交通省なにやってんの」

「機械の故障じゃねぇの? それよりまだ渡れねぇのかよ。こっちはライブの席取りで急いでるってのに」

「ねぇ知らない番号から電話かかってきたんですけどー。めっちゃウケる」

「私も私も。しかも何言ってるのかわからないし」

「あっ、あれ見て――」


 誰が口にしたかわからない声に、つらつらと多くの人が頭上にある街灯ビジョンに目を向ける。

 つられて見上げれば、先ほどまで軽快なインタビューニュースの続いていた画面が砂嵐に変わり、突如として消えた。


 あまりにも不自然な光景を目の当たりに、多くの人間が眉をひそめていると――。


「キャッ!!」


 誰かの叫びと共に、何かが破裂する音が近くで鳴った。クラッカーを鳴らすというよりガラスを割るような鋭い音。

 それが絶え間なく周囲で鳴り響き、声色の違う悲鳴を作り上げる。そして、


「うわぁ!!」


 遂に手に持っていたはずのスマホの画面が派手な音をたててひび割れた。


 内側から盛り上がるように破裂したそれは、黒い煙を上げ、皮膚を焼く。

 反射的に手を離し、膝の上に落とす。幸いにも、スマホを遠ざけていたおかげで怪我はない。


 が、それでも失われたデータを思うと頭が痛い。


「うそだろ」


 これでは母に連絡もできないし、確実に怒られる。

 モクモクと怪しい煙を上げて沈黙するスマホを眺め、多くの人が呆気にとられるなか、僕も一人頭を抱えていると不意に視界が大きくゆがんだ。


 初めは貧血かと思った。


 しかし右に、左にと揺れる視界は身体全体に伝わっていく。まるで電車に乗っているような感覚は、遂に車いすを滑らせるまでに至った。


「地震だっ!! かなりでかいぞ」


 誰かの叫び声と悲鳴が、真実を告げる。

 慌てて、車輪を掴みしっかりと固定させる。スマホが流れるように地面に落ちていくがそれを拾おうとする余裕などない。


 大きくしなる揺れは、間隔を通して徐々に短くなり激しさを増していく。

 信号機の支柱が左右にぶれる。

 車は小刻みに宙に浮き、埃のように勝手に動き出す。

 大きなビルは、鉄筋ではなくプリンでできているんじゃないかと思わせるほど、大きくしなって揺れている。


 そんな悠長なことを考えている瞬間、ピークを迎えるように人が立っていられなくなる程大きな地震が、都心部を襲った。


 ドンッ!!!!!


 それは、和太鼓を打ったような、地面ではなく地中深くを穿つ音。


「おい、みんな逃げろ!! ここは危ない!!」


 誰が言ったのかはわからない。それでも最前列にいた僕の目には確かに見えた。


 街灯ビジョンに亀裂が入っている。それは徐々に内側から押し割るように膨らみ、いまにも割れそうだ。

 事の重大さを認識した人は前の人間を押しのけるように進もうとするが、それでもあまりの人の多さに身動きがとれていない。


「――ッ!! 逃げろッ!!」


 叫んだ瞬間、向かいの横断歩道で悲鳴が鳴った。

 割れたガラスは落ち葉のように降り注ぎ、悲鳴を上げる。


 当然、それは僕の後ろの方でも鳴り、後ろを振り返ろうにも押しのける人垣で何も見えない。

 ただ一つ言えることは妙に気分が落ち着いていたことだ。普段の僕なら慌てふためいてパニックを起こしていたと思う。


 あまりに現実とかけ離れていて思考が追い付いていないだけかもしれない。そもそもここ最近の社会現象は目を見張るように起きている。こんなのサワグようなことじゃない。例え視界ガ赤く染まったトシテモ何も問題もンだイナイナイバー。ソウモーマンタイ、いやチガウコレは――。


 眼球がカッと熱くなり、視界が真っ赤に染まっていく。

 流行る心臓が胸を打ち鳴らすように暴れ、大きく息を吸い込み喘ぐように吐き出した。

 大きくせき込み、胃の中にある何かを逆流する。しかし、喉からは全く何も出ず、代わりに目尻から大量の涙が溢れ出た。


「――ッ!!」


 背中を押されて、滑る車いすは道路に躍り出る。運転席から逃げ出した誰かがパニックになって押したのだろう。慌ててブレーキをかけて、態勢を整えた。

 依然として揺れは収まることを知らず、空から降るガラスの雨は細かい雨粒となって襲い掛かる。

 慌てて顔を庇うがもう遅い、ひんやりと冷たい何かが通ったと思ったら、顔がカッと熱くなった。


 そして、もはや限界だった。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 完全にパニックになった女性の叫びが、呼び水となって周囲の不安を一気に爆発させた。


 横断歩道はもはや意味をなしていない。

 倒れそうに斜めになる信号機。その下を潜り、我先にと、額を血にぬらす男、子供を抱えて走る主婦、泣き叫びながら腕を抑える女性。

 その他全てが蜘蛛の子を散らすようにこちらまで走ってくる。

 揺れているのにもかかわらず、周囲の歩行者も、車に乗った人も関係なくまるで狂ったように逃げ出した。


 押し寄せる人の波は容易に障害者の僕を飲み込み、沈めていく。


 もはや思いやりなどという言葉はそこにはない。


 結果。そのうちの一人にぶつかり、今度こそ転倒する。


 そこからはあまり良く覚えていない。

 車いすから転がる身体。踏みつけられる痛み。遠くで聞こえる罵声と怒声。そして泣き声。

 全身を容赦なく多くの足が踏みつけていく。

 蹴られ、踏まれ、転がされる。

 痛い。

 いたい。

 イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ。   

 反射的に首と頭を守るようにして腕を回し、身体をできるだけ小さくするが まるで丸太を容赦なく踏みつける衝撃が体に響く。


 意識が遠のき、痛みで覚醒する。

 何度も何度も意識の境をさまよい、気絶することも、痛みから逃れることもできない。


 暗転する視界は黒く、ひたすら終わりのない痛みだけが体を叩く。




 そうしてどのくらい時間が経過しただろう。




 人の波が去り、上体だけを起こしてあたりを霞む視界であたりを見渡す。


 動いている人は、誰もいない。

 それでも視界の端では、真っ赤に染まった『なにか』がこっちを見ているような気がした。


 心臓を鷲掴むような寒気が、身体をこわばらせる。


「いっつ」


 反射的に、口元に手を持っていく。

 ヌルっとした生温かい粘液が、右手を真っ赤に染める。


 これが鼻血なのか、口から出た血なのかすらわからない。


 それでも、本能的にここに居続けてはいけない事だけはわかった。

 動かなくてはいけない。

 幸いにも、骨は折れていない。

 動かない下半身を引きずり、投げ倒された車いすの元まで這っていく。


 均されているはずアスファルトに段差ができている。

 亀裂の入った空洞から空気が吹き荒れる。

 何か硬いものがちぎれる音が聞こえたと思えば、揺れに耐え切れず倒れ行くビルの姿が。

 あちらこちらで続く悲鳴と、地鳴りの音。


 荒い呼吸と心臓の音が自分のものじゃないみたいだ。


 両腕で上半身を持ち上げ、投げ出された車いす持ち上げようと手を伸ばし――



 僕の身体は今度こそ『宙』を舞った。



 その時、僕は何を思って声を上げただろう。

 生きたい。それとももうおしまい? そんなのはどうでもいい。


 問題は、伸ばした右手が断崖に届かなかったことだ。


 ウソだと思いたかった。でも嘘じゃなかった。

 宙を舞う四肢は崖の壁を掴むこともできず、ただひたすら落ちていく。


 そう自覚した時には崩れた大地に飲み込まれていた。


 ――ああ、ここで終わるのか。


 空に手を伸ばし、叫ぶ。

 しかし、大口を開けた奈落は容赦なく僕の身体を飲み込んでいく。


 こうして『三守義幸』の人生はこんな形であっけなく終わった。



転生体へのアクセスを確認。


……の『転生』を確認しました。

これより、識別個体0002の認証手続きに入ります。


――魂の識別 成功しました。


――魂の定着 成功しました。


――魂の固定 成功しました。


すべての条件がそろいました。

これより転生完了の手続きに入ります。

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