12話 拒絶
「殺さずにいてくれてありがとう。彼らはわたしに危害を加えた確たる証拠になるから出来れば生け捕りにしたかったの」
倒れ伏した男たちをそつなく縛っていく少女の身体は、見た目に反して力強かった。
腕と両足を縛り、手持ちのポーチやポシェットを取り外しては完全に無力化させていく。
手慣れた動きだと思う反面、この少女の日常がもしかしたら常に命を狙われているのではないかとそう思った。
未だ目覚めない男たちをまとめて転がし、小さく疲れた息を吐き出す少女はノアの視線に気づいてか、痛々しい顔に小さく笑みを浮かべて近づいてきた。
「わたしシオン=ティタノエルっていうの、おかげで助かったわ。本当にありがとう」
小さく微笑み、腰を折って深くお辞儀する。
子供特有の若干舌足らずの声が妙に心地よく聞こえ、先ほどまで荒んでいた心に沁み込んでいく。
顔を上げ、気まずそうに表情を崩す彼女は、遠目で見たときよりも見た目の印象とは裏腹にどこか大人びた雰囲気を醸し出していた。
「あいつらは、これからどうする」
「そのことなら心配しないで。もう憲門官に連絡してるからそう時間はかからないと思うの」
憎むでも傷つけるでもない、まるで憐れむような眼差しが未だ目覚めない男たちに向けられる。
「彼らは貴族とつながっているの。よくてほかの上流貴族、悪くて私の本家から」
「……大丈夫なのか?」
「ええ、こんな嫌がらせいつものことよ。今回はかなり悪質だったけど、あなたのおかげでこうして生きることができてる」
本当にありがとう、ともう一度お礼を言われ照れくさく頬を掻いていると、シオンの色違いの瞳と目線が合う。
この身体になって誰かと目線が合うという経験はあまりない。
そもそも人と会う機会が全くなかったのと、ノアの方が若干身長が高いため見上げられるのに慣れていない。
どうも気まずい。
生まれてこのかた誰かを見下ろすなんて経験したことなかったのだ。
子犬が尻尾を振って主人の周りをまわるように興味深げな視線を投げかけられ、手のひらにじんわりと嫌な汗をかく。
「あの、僕になにか?」
「ああ、ごめんなさい。わたしったら初対面で、でもなんでかしら。あなたを見ていると懐かしい感じがして、……初対面よね?」
「そのはずだけど」
お互い不思議な感覚を得ているのは確かなようだ。首をかしげて可愛らしく唸る少女。
もしかしたら魔王さまの知り合いだったりして、と思うがノアのなかにいる魔王さまはこれといった反応を見せないのでおそらく気のせいだろう。
ノア自身もシオンの言うような懐かしい感覚に一瞬だけ捕らわれていたが、それは思い違いと思うほど短い間だった。
「ねぇあなたの名前を教えてくれないかしら? あ、別に無理やり聞き出そうとしてるわけじゃないのよ、でもやっぱり恩人の名前くらい聞いておきたいって思って」
ワタワタと両手を振り、慌てたように幼い声を上げる。
その仕草に苦笑しつつ、ノアは開けかけた口を小さく呑み込んだ。
ただでさえ魔王さまの約束を破っているうえに、未遂とはいえ人間を二人殺しかけたのだ。
人助けだったとはいえ、これ以上魔王さまの忠告を無視するわけにはいかない。
「ごめん」
「――あ、そっか」
すると、シオンの小さなうめき声が聞こえた。
その表情はどこか悲しげで、わかりやすいくらい落ち込んでいる。
「そう、よね。助けてくれたとはいえすぐには信用できないよね、うん気にしないで」
一瞬だけ見せた無理に取り繕ったような笑顔が良心に突き刺さる。
本当は今すぐにでも名乗りたいのに、それができない自分が酷く悔しい。
それでも切り替えは早いらしい。
何かを思い出したように手を打つと、二つの瞳に鋭い光が宿る。
何事かと身構えていると、シオンはおおよそ子供らしくない言葉でノアを見上げた。
「ねぇ、初対面のあなたにこんなことを聞くのは申し訳ないのだけれど、いくつか聞いてもいいかしら」
「えっと、答えられる範囲なら」
「ありがとう。それで、あなたはこの最果ての森にずっと住んでいる、であってるかしら?」
突然の質問に面を喰らう。
ずっと住んでいると言えば確かにずっと住んでいると思うが、何と答えればいいのか迷う。
なにせ、魔王さまの鑑定ではここ七百年ほど前からこの地下大地でノア=ウルムの身体は世界樹に守られてきたのだ。
目覚めたのはつい最近で、それまではずっと眠っていたんですよ、なんて言えるわけがない。
言い淀むように口を開閉させながら小さく頬を掻くと、ノアは思い切って首を横に振った。
すると、思案顔で指を顎に添えたシオンが突然ポシェットから地図を取り出してみせた。
「でも、ここ最近はこの森にいたんでしょう? 何か異変とかなかった?」
「異変?」
「ええ。わたしはここの森の調査に来たの。異変の原因を調べにね」
「地下転変のことじゃなく?」
「地下転変? ああ、あなたは『夜』のことをそう言っているのね。たしかに正確な呼称はないけどあれは探索者の間では『災禍』って呼ばれてるわ」
災禍。
口のなかで転がすように復唱する。
確かに、あの光景は傍から見れば地獄だ。『災禍』と呼ばれるにふさわしい現象かもしれない。
「そもそもこの地下世界にあるものすべてに正式な呼称はないの。でも一般的に何を差しているのか示すためにここでは教会の定めた『真名』が正式名称ってことになってるわ」、
そう補足して、広げた地図を見やすいように畳み始めたシオンは、小さくなった地図の一点を指し示した。
おそらくここから三キロほど北にあるあの街を示した地図なのだろう。ノアもつられて覗き見るとそこには様々な走り書きと線が引かれており、それはさまざまな角度から街に向かって赤線が引かれてあった。
「これは?」
「創生獣が通ってきた大まかなルートを示しているんだけど、滅多なことじゃ街に近寄らない彼らがここ最近守護の門に向かって走ってきているの」
「あの獣たちが?」
「ええ、知能が高くて狡猾。この奈落で生き延びるために適応した気高き彼らが」
大きく頷くシオンの表情から窺うに、それはとても異常なことなのだろう。
創生獣とはおそらくこの地下大地に住まう化け物たちのことだ。
ノア自身もあの黒い狼と戦った以来、様々な生き物を目にしてきた。確かにその姿は気高く。一種の神話生物のような姿のものまでいる。
身体の大きいものもいれば、過酷な環境を生き残るためにあえて身体を小さくしている生き物もいる。
それでも、例の蹂躙以降は遠目で見かけるだけで彼らが襲い掛かってくることなかった。
ノアのなかではテリトリーさえ侵入しなければ、大人しい生き物だと思っていたがシオンの話を聞く限り、よほど危険な生き物らしい。
「あの大きな街を超えるとやっぱり地上に繋がってる、だから調査を?」
「聖釘があるからその心配はないと思うけど、それでもそうならないために少しでも情報が欲しいの。何か気づいたことがあるのなら教えてくれないかしら」
「ここ最近あったって、どのくらいから」
「憲門官のはなしだと十五日くらい前よ」
ここ最近あった出来事。
……あるじゃないか、あまりにも自然に存在してたから気付かなかった盲点が。
途端に胸の奥で警告するように身体が痛む。
この痛みの意味。そしてこの痛みを発することのできる人物の意図。
全てを理解してノアは静かに喉を鳴らして、少女を見下ろす。
不思議そうに首をかしげる少女が心配そうにノアの顔をのぞき込んでいる。
「ねぇ、顔色が悪いけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫。それで、一つだけ聞いてもいい?」
「何かしら。わたしに答えられることだったらなんでも聞いて」
神妙な顔で頷く彼女と目が合う。
一つだけ心当たりがある。
でもそれは言えないのには理由がある。
喉を鳴らし、汗ばんだ手を隠すようにして真剣に見上げる少女に問いかけた。
「もしその原因が見つかったらそれはどうなるの?」
「原因が何かわからないから何とも言えないけど――それが生き物の場合は、おそらく地上に連れていかれて解剖させられる、かもしれない」
もちろん、可能性よ。と慌てて付け加えるところ見るとはそうなるとは限らないらしい。
それでも裏を返せば、何割かはそういう事例があったという事だ。
(だから、魔王さまは何があってもかかわるなって)
後悔はない。それでも少しでもその可能性に気付けなかった自分の間抜け具合を呪いたい。
そうだ、この身体は魔王さまの転生体なのだ。何の力もないなんて考えられない。むしろ強力な力を周りに放って怯えさせることくらいできるかもしれない。
ここ最近の創生獣の動きを思い出して、ノアはあまりの真実にめまいがしてよろけそうになる。
「ねぇ本当に大丈夫? もしかしてさっきのアトバンクの後遺症が!? なら大変早く治療しなきゃ!!」
慌てふためく少女は自分のポシェットから医療用具を取り出しては傷のない右手に治療を施す。
丁寧にまかれる包帯を一瞥しながら、ノアは大きくため息を吐き出した。
ここでも、他人に迷惑をかけるなんて。
それじゃあ、この子は単に『僕』のせいで危険に晒されたようなもんじゃないか。
シオンの言葉で心が冷たくなるのがわかった。
「ごめん。迷惑をかけて」
「なに言ってるの!! それは助けてもらった私の台詞なんだからあなたがそんなこと言わないで!!」
叱りつけるような声に、ノアの肩が大きく揺れる。
その瞳には大きな涙が浮かんでいて今にも零れ落ちそうだ。
けれど、そうじゃない。そうじゃないんだよ。
そう口にしようとしたところで、森の奥で聞きなれない人間の声がした。
それはシオンの耳にも届いたのか、顔をほころばせる少女は一度後ろを振り向いた。
「おそらく憲門官だわ。助けに来てくれたみたい」
その喜びの声がますますノアの心を冷たく縛っていく。
「ねぇここは危ないし、よかったらウチに来ないかしら? 地上なら完璧な治療もできるだろうしその、……いろいろとお礼もしたいの」
照れるようにして頬を掻くシオンが、右手をそっと差し伸べてきた。
彼女の言葉には悪意がない。男たちに襲われた時と同様、ノアを心から気遣っている雰囲気が伝わってくる。
いっしょに行きたい。
流されるままに手を伸ばす。この手を掴めばきっと――。
『いまその手を握っていいのか』
「――ッ!!」
横から殴りつけるような声に息を呑む。
そうだ。いまこの手を取ってはいけない。
このまま力の制御もろくにできないまま、地上に上がれば取り返しのつかないことになる。
それはきっとこの子にも迷惑をかけることになるだろう。
だから――
「ごめん」
心のなかで魔王さまにお礼を言い、彼女がもう一度後ろを向いている隙に小さく。本当に小さく言葉を残し、逃げるようにその場をあとにした。