11話 調査 ~その2~
◇
『だいたいよぅ、なんでこんなところに調査しなくちゃなんねぇんだよ。よりにもよってこの森に』
『教会様の命令なんですから、仕方ないっすよ逆らったら跡が面倒ですし、ここは我慢しましょうよ』
『だからってあのガキになんで俺らベテランがへいこらしなきゃなんねぇんだ』
『仕方ねぇでしょう。こいつがいないと仕事になんねぇって話ですし。しかし、こんなガキがねぇ』
聞こえていないと思っているのだろうか。いや、きっとそう思っているんだろう。
後方で聞こえる、大人とは思えない物言いにシオン=ティタノエルは心の内で小さくため息を吐き出した。
こうして先頭を切って森を進む役割は本来なら護衛である彼らの仕事なのだが、どうやらやる気はないらしい。
シオンが初めて彼らに会った時の印象は、傲慢な人達だった。
きらびやかに装飾された武具は確かにベテランが身に着けるような上級素材で作られている。
最新の技術に最高の素材。それらを惜しみなく使っているのだからその武具はおそらく黒狼の毛皮もたやすく切り裂くだろう。
ただ言えることは、それは技術が伴ってこそだ。
彼らの足運び、体重の欠け方、そして武器の位置を見る限り探索者としては半人前の技量しかない。
やっかいなゴロツキをあてがわれたものだ、ともう一度心のなかでため息を吐き出す。
教会の報告では、奈落から持ち出した遺物を報告せずに持ち帰ろうとしたらしい。
密猟は大罪だ。
ライセンスの剥奪から賠償金。禁固三十年だって足りないかもしれない。
それでも彼らがこうしてここにいるのは教会の恩情であり、その罰で危険な仕事を任されているというのに彼らには罪の意識はないみたいだ。
いまだに森のなかで響く声は緊張感のない愚痴ばかりで、身になるものは一つもない。
『あーあ、おれたちも子供もの御守とは、ずいぶんと落ちぶれっちまったもんだな』
『まぁまぁ、所詮は子供ですし、俺たちは大人だ。子供を守るってのもいい仕事じゃねぇですか』
大きな髭ずらの男の愚痴を、子分らしき小柄のやせ細った男がとりなす。
おおかた、子供だから何も言い返してこないと高をくくっているのだろう。
実際、彼らに忠告することは何もない。
彼らには彼らなりの任された仕事があり、シオンにはシオンにしかできない仕事がある。
ようは、ちゃんと働いてさえくれれば、探索者の人格などたいした問題ではないのだ。
それに身長、百三十にも満たないシオンは確かになめられても仕方がないのかもしれない。
それでも彼らはこの依頼の意味をわかっていないのだろう。
教会がどういう意図で、ここで護衛の仕事を任されているのか。
(……教会がいらない気を回したんでしょうけど、彼らにそれを伝えるなんてわたしにはできない、か)
ここでの護衛は、ほかの地区の『奈落』と違う意味合いを持っている。
悪い意味で言ってしまえば肉壁要員という意味だ。
死んでもいいから、護衛対象は無事に帰還できるように教会がわざわざ気を利かせたのだろう。
お姉ちゃんがこんな質の悪い探索者を認めるわけがない。
おそらく本家から直接、教会に指示したただの嫌がらせだろう。
それでも断れないの分家の辛いところだ。
本当なら助けてあげたいとは思うが、そんなことを言ってもこんな子供の身体じゃ忠告しても反発されるのは目に見えている。
そうなればプライドの高い彼らのことだ。ついて来るものもついて来なくなるだろし、ここで仲間割れしていてはシオン自身も危険に晒されることになる。
(そんな最悪の状況は絶対に避けないと)
『最果ての森』
ここは唯一、ステータスの恩恵が受けられない地上に最も近い奈落の一つだ。
いつものように奈落の恩恵にあずかれないという理由で、最も地上に近く最も危険なエリアとして有名な森だ。
教会が定めた依頼は、異変の調査。
ここ最近、発生した創生獣。普段は滅多に近づいてこない彼らが何かに怯えるように地上に続く『守護の門』に押し寄せてきたという報告があった。
憲門官の話では、まるで、何かから逃げるようにこちらに向かってきたらしい。
その時は、常駐していた探索者と総出で討伐に成功したらしいが、その次の日も、その次の日も同じように創生獣が押し寄せてくる。
いまでは教会がある程度の探索者を企業から雇って常駐させている状態だ。
教会の結界が機能している以上、滅多なことでは近づいて来ない創生獣たちだ。
それは本能で理解しているはず、それ以上の恐怖があるという事は――。
(『聖釘』をも恐れる何かがいる。いったいこの森になにが――)
それに――。
立ち止まり、あたりを探る。
今日の森はなんだかおかしい。
なにか殺気立っているようなそんな気配をシオンは敏感に感じ取っていた。
『それでぇティタノエル殿。急に立ち止まってどうされたのですか?』
振り返ればおおよそ慣れない敬語に、隠しきれない侮蔑の表情を浮かべる男が、まだかまだかとシオンを見下ろしている。
早く帰りたいという感情を隠す気もないのか、どこかいい加減だ。
『……そうですね。ではここで一度ここで周辺の調査に入るので周囲の警戒をお願いします』
拠点から離れて、約三十分は歩いただろうか。
もう、十分深いポイントまで潜ってきた。
ポーチから地図を広げれば、おおよそ現在地はキャンプから三キロの地点に立っている。
指輪の力が使えないのでアナログに頼るしかないが、おおよその距離はあっているはずだ。
開けた地形は森にしては見晴らしがよく、半径十五メートルと随分広めの空間だ。
所々不自然に倒れた樹木から見る限り、ここで創生獣が暴れたのか、最近できたであろう樹木の残骸がチラホラと見受けられる。
決して平らな大地ではないが、奈落の大地で平らにならされた土地を見つけるのはそれこそ稀だ。
ここで暴れた創生獣と『夜』がやってくる前に早く片をつけたい。
『ここで見つかるといいんだけど』
小さく呟き、立ち上がる。
ここで悩んでいてもしょうがない。
どうせ二、三日の滞在と調査は覚悟しなくてはいけないのだ。とりあえず今日はこの周辺を探るとしよう。
『それではマジュさんは西側を、ノブロスさんは東側の警戒をお願いします』
言うなり、男たちはなにか耳元を近づけて話し合った後、小さく頷いてそれぞれの持ち場についた。
なんだかあっさりとしたがってくれて拍子抜けする。
幸いにも、いまのところ創生獣が近づいてきている気配はない。
不安は残るが、いまは何事もないことを祈ろう。
ゆっくりとはいかないまでも、シオンはその小さな体躯をめいいっぱい広げて大きく息を吸うと、静かに瞼を閉じた。
精神統一。
力を行使する前はこんな悠長なことをしている暇はないのだが、それでも今日は遠距離を『視る』のだ。いつもより深く精神を集中させる。
(このままうまくいけば、よくて十キロ。いや二十キロまで感知できる)
自分の感覚がドンドン鋭くなっていく感覚に、小さくうめき声をあげていると、先ほどまであれだけ慣れない敬語を使っていたマジュが突然砕けた言葉で投げかけられた。
『なぁ嬢ちゃん。ここの調査っていうのは実際なんなんだ? 俺らは教会に雇われたっていうが実際、詳し事情は聞かされてこなかったんだ』
『ああ、それは俺の聞きたかった。結構な大人数を教会が雇ってるみたいだが、特別狩りって訳でもねぇし、ずっと疑問に思ってたんだよ』
呼応するようにノブロスも声を上げて、柏手を打つ。
集中力が乱される。
まるでわざと話しかけてくるように、続く男たちの声はどこか楽観的だ。
『風のうわさじゃあ、ここいらに重要な遺物が見つかったていうじゃねぇか。嬢ちゃん何か知ってんだろ教えてくれよ』
『……わたしが聞かされているのは、この森の異変調査です。そんな噂は聞いたことありません』
『へー、そんなことが起きてんだ。初耳だなぁ兄弟。俺らはてっきり教会が新しい遺物を見つけたのかと思ってたんだが』
『そうっすね。でなきゃ森がここまで殺気立つようなことはありませんもんね』
『ええ、ですから一刻も早く探索を終わらせて拠点に――』
『――嘘だなッ』
途端、シオンの身体が突き飛ばされるように宙に舞った。
そこまで強い勢いではない。それでも体躯の小さいシオンの身体は、例え子供の力でもたやすく吹き飛ばされてしまう。
慌てて目を開けて、迫りくる地面に受け身を取る。ゴロゴロと転がる身体は砂埃を回せて、口に鉄の味がうっすらと広がった。
明滅する視界、精神統一の途中で意識が途切れたときに起こる副作用に顔をしかめて、あたりを見渡す。
先ほどまでシオンの立っていた位置にマジュが立っており、それでも創生獣の気配はない。
そして自分が突き飛ばされたのだと遅れて認識し、シオンは腰に下げた拳銃に手を伸ばした。
『何をするの――』
撃鉄を起こして、冷静にできるだけ素早くマジュに銃口を向ける。
『――あっ!?』
しかしマジュに向けたはず銃口はあらぬ方向に弾き飛ばされ、地面に転がった。
一瞬、視界に捉えた小型のブーメランだと気付いた時には、シオンの腹部にノブロスのつま先がめり込んだあとだった。
『がっはッ!? ――うっ』
『おうおう、可愛いお顔が汚れちゃたよ』
肺に溜まった酸素が一気に吐き出されて、口からわずかながらに吐瀉物が溢れた。
せき込むように身体を丸くし痛みから身を守るが、容赦ない蹴りがもう一度シオンの腹部をえぐり、体が宙に浮く。
倦怠感にも似た気持ち悪さに頭がくらくらすると、今度は打ち下ろすように足が腰に落とされ意識が一瞬遠のいた。
何度も何度も足を振り下ろし、シオンの意識を刈り取ろうとする。
『お、まだ意識があるんだ。子供だと思って手加減しすぎたかな?』
『気絶しておけば痛い思いをしなくて済んだもののを』
ニヤニヤと下品な笑みを浮かべて、シオンの腰につるされたもう一丁の拳銃を遠くに飛ばすノブロス。
周囲を警戒して遅れてやってきたマジュもおおよそ悪意に満ちた笑みを浮かべて、こちらに近づいてくる。
遠のく意識のなかで必死に足掻こうと体をよじるが、ノブロスが両腕を抑え込んでいるので身動きが取れない。
一体どういうことだ。もうろうとする意識の中、睨みつけるように力の入らない身体を持ち上げる。
『あ、あなたたち何をしているのかわかってやってるの? わたしは――』
『あの由緒正しき至宝の四貴族。ティタノエル家の貴族様なんだろ?』
『――ッ。なら、どうしてこんなことを』
『わかってるさ。そう声を荒げるんじゃない、教会の依頼なんだろ? だが俺らの仕事はあくまで別腹なんだ。言いたいことはわかるよなぁ?』
頭上で押さえつけるノブロスの下卑た声に、マジュは高らかに声を荒げて笑った。
明らかに慣れた動き、まさかと思ったが彼らは――。
『まぁ貴族様なんかにゃあ、ちんけな『剥ぐ者』(クルセフト)の思考なんてわかるはずないもんなぁ』
脳裏に浮かんだ可能性に、思考が冷たくなんていく。
本家は、もしかしたら彼らの素性を知っていたのではないか。
そして、知ったうえでシオンに護衛をつけたとすれば考えられるのはただ一つ。
(嫌がらせの域を超えてる。これじゃあまるで本家が――)
睨みつけるシオンの考えに気付いたのか、マジュは口の端を大きく下品に吊り上った。
『あーあー、貴族様はお高くとまってていけねぇ。いま、嬢ちゃんの命運を握ってるのは俺らなんだぜ?』
『あなたたちの行為は契約違反よ、この事は教会に報告させてもらうわ』
『嬢ちゃん、それはできねぇってもんだ。死人に口なし、それがどういう意味を持つのかお気楽な貴族様でもここまで言えばわかるだろう?』
唇を噛むシオンの顔に、下卑た笑みを近づけるマジュ。
その右手がシオンの襟を掴み、まるではだけさせるように乱暴に持ち上げられた。
『おうおう、貴族様はずいぶんといいおべべを着てらっしゃる。これなら、かなり言い値で売れそうだ。なあ兄弟』
『ここが『最果ての森』でなけりゃあじっくりいたぶれたんですが』
『おまえこんなのが趣味なのか変態野郎』
『人の趣味に口出さないでくださいよ。――ッ、兄貴。こいつの目を見てくだせぇッ!?』
『あん? 目だぁ』
そう言って覗き込んだ男たちの瞳がが、獣以下のギラギラしたものに変わった。
必死に目を瞑ろうと瞼を閉じるが、マジュの太い指先で強引に開かれる。
『こいつは――、例の至宝じゃねえか』
生唾を飲み込む音ととみに、下卑た顔がより一層ひどくなる。
シオンは内心、死よりも恐ろしい想像が脳内を駆け巡った。
コンタクトで隠していたはずなのになぜ?
その問いはすぐ横に転がっていた。
(押し倒された時にッ――、まずい。この眼を奪われるわけには)
押し倒されているにもかかわらず必死になって抵抗する。
奈落に足を踏み入れた瞬間、どんな最後でも覚悟してきた。
誰かに殺されるのも。最悪、創生獣に食われるのも。
それでもこの眼を誰かに奪われるわけにはいかない。
この眼がなければ、あの子は――。
『誰か助けてッ!! この眼だけは、この眼だけは奪われるわけにはいかないの、だからだれか――』
誰も来ないとわかっていながら、一縷の望みをかけて叫ぶ。
腕を、身体をよじって伸ばされる指先を必死になって躱そうとする。
殴られようと、踏まれようとかまわない。この眼だけは守らなくちゃいけない。
痛みに顔をしかめ、それでも抵抗することはやめない。
しかし、頬に冷たい感覚が走ったかと思うと遅れて激痛がやってきてシオンは目を見張った。
『あまり手間かけさせんな。騒いだところで誰も助けなんざ来ねぇよ』
口をふさがれ、地面に押さえつけられる。
もう身体をよじることも抵抗することもできない。
両腕を押さえつけるノブロスと、人ならざる狂気の笑みを浮かべるマジュ。
手にしたナイフが怪しく光り、ゆっくりと右目に近づいてきた。
『恨むなよ嬢ちゃん。これも奈落の掟だ。――ああ、安心しな。教会には不幸にも守り切れねかったがあんたは最後まで任務を果たそうとしたって言っておいてやるから』
口元を抑えられ、それでも小さく顔を振るう。
こんなところで、死ぬわけにはいかない。
こんなところで、奪われるわけにはいかない。
自分の死の恐怖以上に、ここでもあの子に迷惑をかけることが恐ろしくて堪らなかった。
最期まであの子に負担をかけてしまう自分が情けなかった。
誰か。
誰かっ。
誰かッ!!
大粒の涙がシオンの目尻からあふれる。
(だれか、だれか助けて――)
祈りにも似た願いは誰にも届くことない。
むなしく振り下ろされる切っ先がシオンの右目に迫った、その刹那。
――白い子供と、目があった。
◇
『ごめん、魔王さま。もう無理だ』
『お前の人生だ、好きにするといい』
――そしてその瞬間、森に爆音がとどろいた。