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09話 転変 ~その2~

 それは静かな告白。

 そしてそれと同時にどこか覚悟めいた色が言葉に宿っていた。


『私の役割はな、人間。お前の身体を動かすことなんだよ。お前が動きたいと思う行動を先読みして身体を動かす、いわば神経みたいな役割をになっている』


 言い終わった後に、バチンと薪が爆ぜては火の粉を巻き上げる。

 大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 

 決して頭が混乱している訳ではない。

 おそらく魔王さまの言っていることは真実だ。

 

 それは『ノア』としてではなく『僕』自身が叩き出した直感だった。

 でもそう直感できるほど、今までの出来事が脳裏によぎり、ストンと頭の中に落ちていくのを感じる。


『人間。私はな、私の意志でこの身体を動かすことができる。――だが、実はお前が自由に動かしていると『思っている』その身体は、お前の意志で動かしている訳ではなんだ』

「それは、どういうことですか?」


 あまりにも複雑な言い方に、思わず眉を顰めると、予想していたとばかりに魔王さまはノアの右手ををやさしく取ると、瞼を閉じて説明を続けた。 


『契約前に言っただろう。いくらでも手はあると、これはお前の魂を消さずにとれた一つの手段でな』


 そう言った途端、ノアの視界がぶれた。

 わずかに走る痛みに顔をしかめていると、自分の身体中に深紅の紋様が浮かび上がった。


『これはあくまでお前が認識しやすいように見せているイメージだ』


 イメージ?


『私は、このようにお前の魂を介してこの身体を動かしていんだ』


 すると、身体中に走っていた紋様が消え去り、ノアの瞳を見つめている魔王さまがいた。


 だからあの時――。

 ノアの頭のなかで数刻前の出来事がフラッシュバックした。


 自分から崖に降りたときも。

 見えないはずの攻撃を勝手によけたときも。


 確かに今にして思えばあれら全ては、魔王さまが身体を操作した結果だった。


 『僕』自身の考えをこうして先読みできるくらいだ。

 思考を読み取って、『僕』に気付かせないように自然に身体を『動かす』ことくらい不可能ではないかもしれない。


「――じゃあ、いままで僕自身が自由に動けてたと思ったのは」

『まあ、言い方は気に入らないかもしれんが、お前の動きを先読みして操っていた、という事になるか」


 もちろん今までの行動は全てお前の意志だがな、と付け加え苦笑気味に微笑む。


 つまり、魔王さまはこう言いたいのだ。


 いままで自由に身体を動かしていたと思っていたのは勘違いで、実際に身体を動かす主導権はお前ではなくこの私にある。

 その力が私にはあると言っているのだ。


 確かに言葉通りに受け取ってしまえばこれほど恐ろしいものはない。


 魔王さまが操れるのは何も身体だけではない。五感のすべてを操作できる。

 

 いまこうして目の前に座る女性は、本来なら見えるはずのない立体映像だ。

 触ることも、ましてや口を聞くことすらできない存在。

 にも拘らずこうして会話し、触れあっている『気』になれるのは、ひとえに魔王さまが五感を操って『僕』自身に存在を誤認させているにすぎない。


 もし、『僕』自身の思考を操れるとしたら?

 もし、知らないうちに自分の望む行動を無意識に操られていたら?


 可能性なんていくらでも存在する。


 五感も全ての神経も思いのままだったら少なくともできないことはないだろう。


 それにこの行為に本当に魔力を使っていないのだとすれば、魔力さえ使えば人格や行動、果ては記憶まで思いのままと言っているようなものだ。


『……お前は、本当に鈍いんだか鋭いんだかわからない思考をしているな』


 苦笑を深くして困ったように笑う魔王さま。

 怒ればいいのか、それとも悲しめばいいのか『僕』にはわからない。


 どう反応すればいいのかわからず、思わず魔王さまを見上げると、彼女はノアの髪にそっと手を触れた。


『無理するな。黙っていたのは真実だ、お前は私を罵る権利があるのだぞ?』

「そんなことをしたら、今度こそ自分を許せなくなる」 

『……そうだった。お前はそういう人間だったな』


 そう小さく呟き、頭上を見上げると魔王さまはおもむろに立ち上がって、ノアを見下ろした。

 何事かと驚いて魔王さまを見上げる。

 深紅に輝く瞳としばらく目が合って言葉を待つと、魔王さまの唇から静かな吐息を漏れた。


『人間。お前ダンスを踊ったことは?』

「……あるわけないじゃないですか。わかって言ってるでしょう」

『ふん、なら仕方あるまい。――リードしてやる」


 どういう意図か測りかねて思わず首をかしげると、魔王さまが指を鳴らした途端に身体が勝手に動き出した。

 『僕』の意思とは関係なしに動くこの身体。

 焚火から離れるようにして勝手に動き、それでも不快な感情は湧き上がらない。


 ノアの手のひらにそっと『温かい』右手を添えられる。

 思わず自分の手のひらと魔王さまの顔を交互に見つめると、焚火から数メートル離れたところで手が離れた。

 

 ダンスも何も生まれてこの方踊ったことないノアからすれば作法などわからない。

 

 それでも王侯貴族のようにドレスの裾を持ち上げる魔王さまは、ノアの両手をやさしく握ると、ゆったりとした動きでステップを刻み始めた。


「いったい、どういう風の吹き回しですか」

『なに、お前が私を責め立てる資格がないと思ってるらしいからな。これは今まで黙っていた私からのお詫びだ。こんな美女と踊れる機会などそうそうない――そうだろ?』

「うわッすごく恥ずかしい、頭のなかを読むのはやめてくださいってば!?」


 上目づかいで魔王さまを見上げると、笑みを押し殺したような声が返ってくる。

 

 一人分のステップが響く、音楽のない舞踏会。

 それでもぎこちなく動く身体は何とかダンスについていく。


 いちにっさん。いちにっさん。


 揺れる身体はマントに空気を孕ませ、入れ替わる身体の動きに合わせて小さくたなびく。

 聞こえる音楽は魔王さまが聴覚を弄って誤認させているのか、空耳にも近いゆったりな音色が雰囲気を盛り上げる。


 もし、他の人間に魔王さまの姿が見えたら親子で楽し気にダンスを踊っている微笑ましい光景が映っただろう。

 裸足で踏みしめる草木は心地よく、風を切る頬はどこか心地よい。

 

 鼻歌を口ずさむような声が主旋律をなぞって頭のなかに響き渡る。

 すると、そこで鼻歌が途切れ思い出したように、魔王さまが声を上げた。


『ああ、そうそう人間。お前が気になっていた身体に痛みが走る現象。あれは同調外傷と言ってな。魂を同調させる際に魂が擦りあって起きる現象だ』


 頭三つ分も小さいノアを見下ろす視線がノアを捕らえる。

 ついでとばかりに最も知りたかった魔王さまの口から零れたのだ。


 相変わらずだなと思いつつも、ノアは重要な言葉を口のなかで何度も転がした。

 

 同調外傷。確か魔王さまが一番初めに行っていた言葉の気がする。


『私自身、こんな形で身体を扱うのは初めてでな。いまもかなりいっぱいいっぱいなんだ』

「その割には、ずいぶんと余裕そうだけど」

『慣れてさえくれば問題ない。だが、なにぶんお前の魂と私の魂では格が違う。ほんの些細な同調のズレでお前の魂に直にノイズが走ってしまう。それが――』


 痛みになって身体に現れると。


『そうだ。思考の先読みなど私にかかればなんてことない。身体の操作もな。――だが、私は人間の力加減を知らん。お前が想像する赤と私の想像する赤が微妙に違うように、そのズレが痛みにも繋がってしまうのだ』


 ようするに、認識のズレと言うやつだろう。

 さらりとわかりやすくチートみたいなことを言われてしまったが、確かに魔王さまならその程度を軽く捌く実力はあるので驚きはしない。


「じゃあ現状はこの痛みに耐えていくしかない、と」

『嫌そうだな人間。やはり不満か?』

「いやそうじゃなくって、……あの痺れる感覚がいまだに苦手で、ね?」

『まぁ、すぐに自由に動けるようになるだろうよ。私の主観で身体を動かしてしまえば同調外傷など走らないのだが、……弱者に合わせるとなるとなかなかに骨だな』


 いまお友達のこと弱者とか言いませんでしたかこの魔王さまは。


『事実を言ったまでだが?』


 酢で首をかしげる魔王さま。

 ええ、そうでしょうとも高貴な魔王の魂の貴女様から比べたら矮小で小物の魂でしょう!!


 拗ねたように唇を尖らせてやると、それが面白かったのか魔王さまは唇の両端を吊り上げると、音楽を無視したターンを何度も何度も繰り返した。


 視界がグルングルン回る。

 いや、本当にグルングルン回っているので感想とかない。


 フラフラに目を回して勢いが失速した頃、それでも魔王さまの元気ハツラツさは変わらなかった。

 そりゃそうだもん、だって立体映像だもん。 


『お前の世界で言う、ハデスの直行便とやらも乗ってみたいな』


 なんだと!? あの乗客九割が地獄を見たという絶叫マシンに乗りたい?

 こっちは映像だけで酔ったというのに。

 これが人間と魔王の魂の格の違いなのか!?


『まぁこれも訓練のうちだ。今後はこの身体になれるためビシビシしごいてやるから覚悟しておけ』

「いやいやいや、痛いのは。痛いのは勘弁ですよッ!!?」

『そう遠慮するな。人間をどこまで追い詰めれば死ぬのかなどとっくに勉強済みだ。それに――』


 ケラケラと笑いながらも、魔王さまの視線は突然、森の方へ伸びていく。


『――はやく慣れねば、お前が傷つくからな』


 静かに吐き出される言葉。

 焚火に照らされる深紅の瞳に薄く影が宿る。


 それは魔王さまがこの身体を乗っ取って狼の命を奪った時のことを言っているのだろうか。


 確かに、あの時は自分の何かを奪われたような喪失感に駆られた。

 それでも痛みもなく、どこか安心してゆだねることができたのはきっと、魔王さまだったからだろう。


 今にして思えば、『僕』が不安にならないように細心の注意を払ってくれていたような気がする。

 

 少なくとも魔王さまは僕を助けようとしてくれたのだ。

 そこに感謝はあっても、非難などできるはずがない。


 ゆったりと回る視界のなかで、再びステップが小気味よく踏まれる。

 緑色の舞踏会に観客はいない。


 優雅なワルツに身をゆだね、僕は頭三つも高い魔王さまを見上げる。

 あれほど感情豊かな表情に暗い影が落ちている。視線を合わせようと瞳をのぞき込むがあからさまに目を逸らされてしまった。


 だから、ノアはゆっくりと口を開いた。


「魔王さま、気になったんで一つ質問いいですか」

『いくらでもどうぞと言っているだろう人間』

「なら。……どうして魔王さまは魔王さま自身が疑われるような事をあえて僕に教えたんですか? 」


 あんな形で、しかもあえて示すように明かされた真実。

 下手すれば、『僕』から不信感を買われかねない内容だ。

 頭のいい魔王さまなら、いくらでも気付かれずに事を運ぶことなどいくらでもできたろうに。


 それなのにどうして魔王さまは、ありのままの全てを『僕』に明かしてくれたんだろう。


『それは――』


 そう言って、魔王さまは言い淀んだ。


 音楽のない舞踏会。

 パチパチと爆ぜる火の粉の音だけが暗闇の中にライトを灯し、魔王さまの表情をありありと照らした。


 一人分のステップの音が静かに森の中に響く中、魔王さまは観念したように小さくため息を吐き出すと、聞こえるか聞こえないかと思えるほど小さな声でそっと耳元に呟いた。


『友人の人生を操ってたなんて不愉快なこと、考えられたくなかっただけだ』


 思わず両目を丸くして、魔王さまをじっと見つめる。


 すると、突然どこかそっぽを向きだす魔王さま。

 何でもないように顔を逸らしているが、それでも真っ赤になる両耳は隠しきれない。

 時折、動きに合わせて覗く表情はどこか悔しそうだ。


 可愛らしいと思うと同時に新鮮な感情が胸の内にあふれてきた。

――初めて意趣返しができたかもしれない。

 そんな思いが頭を過ぎり、そしてそのことに喜んでいる自分がおかしくて、思わず小さく噴き出した。


 高性能すぎる幻覚も考え物だ。

 それではまるで魔王さまが僕のことを気遣って本心で話しているように聞こえるじゃないか。


『……それが悪いか? それともなにか。お前は敷かれたレールを歩くのが趣味だと?』

「あー、それは確かに嫌だなぁ。でも……うん、そう言って貰えるのなら大丈夫。僕は魔王さまを信じられる」

『ふん、当たり前だ。何のためにお前の友になったと思っている』


 ……だからこそ、話してくれたのだろう。


『僕』が疑心暗鬼に囚われて傷つかないように。

 自分の人生が偽物だと、思わないで済むように。


 終わりのないワルツ。

 すると、僅かに下りる沈黙に耐えられないように間延びしたような声が響く。

 次いで、大きな咳払いが唐突に闇を震わせた。


『あー、今から喋るのは独り言だが。……これはお前の人生だ。お前の好きになように生きるのも死ぬのも当然の権利だ。ただ――』


 言い淀む言葉にも照れが入っている。独り言だというのに、その声はずいぶんと優し気だ。

 それでも静かに吐き出される言葉には力があった。


『ただな、……私はお前の友だから。破滅していくお前など見たくない。もしかしたら、契約外で余計な世話を焼くかもしれんが、……まぁ関係ないか』


 最期の方はどこか投げやりに、呆れたような声で苦笑した。

 それでもその言葉は、何よりも『僕』自身の心をもう一度奮い立たせる最高の贈り物だった。


 いつでも、お前を助ける準備はできてる。


 だからあの時、魔王さまは魔王さまなりの考えで僕を助けようとしてくれたんだ。

 それが例え、他の命を奪う行動であっても。


 その言葉だけで言いたいことはもう十分に伝わった。


 足取りが軽くなる。

 これからはもう一人じゃない。そんな思いが身体を満たし、何度も刻んだステップに力が入った。


 ――だからだろう。今までそっぽを向いていた魔王さまが、何かに気付いたように声を上げたのは。


『ああ、無理に抵抗しない方がいいぞ。無理に動かそうとすれば――』

「――ッ。いったああぁぁあああああッ!!」


 ピキッと全身が吊るような肉離れとは違う焼け付く痛みが、身体中に悲鳴を上げる。

 思わず飛び上がって、崩れ落ち。背中についた火の粉でも消すように地面に転げまわった。


 唐突に終わりを告げるワルツ。

 それは何ともあっけなく、そして不格好に終わった。


『――だから、言おうとしたのに。最後の最期で締まらん奴だな、人間』

「それを早く言ってえええぇえッ!?」


 ゴロゴロと転げまわる自身と瓜二つの転生体を目の前にして、ヤレヤレと哀れみの目を向ける魔王さま。

 それでも――。

 そんな無様な姿を見ても、魔王さまは仕方なしとばかりに、けれども満足そうな笑みをその瞳に讃えてノアを立ち上がらせるのであった。


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