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吸血令嬢は安楽椅子探偵  作者: 柿原 文
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第一話:給仕娘は勉強中

 日の光が差す廊下。敷かれた真紅の絨毯はこれぞ吸血鬼の館といった雰囲気を醸し出している。

「よ……っと。」

 その絨毯の上に水の入ったバケツを置き、布に水を染み込ませる。とても冷たいけれど、あの部屋にいた時と比べれば一瞬だ。そして、差し込む陽光が一番の暖になっている。

「アレーナさん。上の方は無理をしなくていいっすからね。私が跳んでサッと拭くので。」

「い、いやぁ、今日は台を持ってきたから大丈夫ですよ? エトナさんは他の場所を……。」

「駄目です。」

 すっ、と布を絞った私の手を握るエトナさん。頭の上のネコ耳をぴくぴくさせて私を見つめている。

「怪我をしたらお嬢様に申し訳が立たないっすよ。それに、アレーナさんは妹みたいなものですから。なんでもいってくださいね?」

 彼女の後ろで尻尾が大きく揺れている。ビーシャはもっとこう、感覚の研ぎ澄まされた種族というイメージがあったけど、実際に会ってみると持っていたイメージとの違いに驚かされる。

「あ、あはは……大丈夫ですから。それに、もう少ししたら勉強しないといけないですし。」

 あ、そっか。というとエトナさんは私の手を放して寂しそうに背を曲げて去って行った。


 私がローザお嬢様に拾われてから五回月が巡った。

 この館に入ってすぐ、給仕をしているエトナさんと庭師で料理も担当しているギュンターさんに迎えられて、受け入れられた。

 私にとってはそれが何よりも意外で仕方がなかった。「人間は奴隷。」あの部屋に連れて行かれてからずっと、その言葉を耳にしてきたのだから。お嬢様からは館の外では誰もがそう考えている。今は館の外には出ないようにと言いつけられてはいるけれど、受け入れられる場所があるというだけでとても幸せだった。

 そして、第一に言われたのが勉強。

人間は奴隷である。労働をさせるにあたって最低限度の言葉と知識を教えればそれ以上は必要ない。これが一般的な考え方。だから人間は自分が労働する先での知識やそこで使う単語を覚えていれば生きていける。

「エルフもドワーフもビーシャも、一体何様のつもりなのかしらね。彼らは何故人間が生まれたのかを理解していない。まあ、私も似たようなものだけど。」

 お嬢様は私に数冊の本を下さった。

「まずは一般教養ね。私の言葉の意味が理解できないんだもの、しっかりと勉強なさい。三日に一度、私が復習の相手をしてあげる。」

 それから、私の給仕と勉強の毎日が始まったのだ。お嬢様の復習は三日に一回。一日目は自分で学び、二日目に解らないところをエトナさんやギュンターさんに教えてもらう。そして、三日目にお嬢様と確認の復習をする。

 そのサイクルをしていく中で私がこの館に受け入れられた理由もわかった。


 ビーシャのエトナさん。彼女は猫族のアインという民族だ。物心がついた時には親に捨てられ貧困街で生きていくしかなかったと教えてくれた。

「何とか生きてこられたけど、それでも貧しかった。大通りを歩く人達を見て、ずっと憧れて、妬んでいたんすよ。それで、盗みに手を出した。」

 盗むだけ。そう思って街の住人の生活を研究し、どの時間帯にどこの家が忍び込みやすいのか。そんなことをこつこつとやっていた彼女は、何度目かの盗みで不運にも住人に見つかってしまう。

「謝ろうと思ったんです。だけど、あっちは武器を振りかぶっていて……。それで、抑え込もうと飛び込んだら……。」

 不幸にも彼女は人を殺してしまった。盗み自体、生きていくために仕方がないと割り切っていた彼女でも、その重荷を背負うことはできなかった。

「落ち着いて考えたら、こんなことまでして生きる私って何なんだろうなって。それで、捕まることにしたんすよ。」

 捕らえられた彼女は死ぬことを望んでいた。この街には、最も恐ろしい刑がある。それが、この館。『吸血令嬢の館』に運ばれて、吸血鬼の食料となる事だった。実際、夜遅くに館の地下へ連れて行かれる人達を何度か見たことがある。お嬢様は決して血を吸うところを私達に見せはしないけれど、その光景を見る度に自分の仕える存在の恐ろしさを再確認してしまう。

「もう終わりだーっ。そう思っていたらお嬢様に私が捕まった理由を聞かれて。それで、ここで給仕をすることになったんすよ。」

 エトナさんと入れ替わりで先代の担当者は街に帰って行ったらしい。この話を思い出す度にお嬢様という人物がよくわからなくなる。


 そして、庭師兼料理人のギュンターさん。彼は根っからの悪人だったという。

「ん、俺? 俺は殺しを働いてなぁ。少し前のこの街じゃあ、肉屋のギュンターと聞けば誰もが震え上がったさ。」

 この館にいることと、この話をすると目が笑っていない辺り、きっと本当の事なんだろう。そんな彼も、お嬢様の目に留まりこの館で仕えることになった。

「吸血鬼って聞いていたから最初に見たときは驚いたけどな。でも、お嬢様はやっぱり吸血鬼だった。俺がビビったんだ。間違いねぇ。」

 この時も詳しくは教えてもらえないけれど表情豊かに語ってくれるので本当なのかも知れない。


 廊下の窓を一通り拭き終えた。最初の頃はこの作業が終わると腕が動かなかったけれど、今ではもうなんてことはない。

「さて、と……。」

 台から降りようとしたとき、足が滑ってしまった。

「あ──。」

 頭から落ちる。思わず目を瞑った時、背中を小さく冷たいものが支えてくれた。

「まったく。仕事を増やすことが仕事なつもり?」

 私の目の前にはお嬢様の顔があった。

「す、すみません……。それよりお嬢様、まだ夕暮れには早いですが……。」

 吸血鬼の弱点その一、日光。日の光を浴びるとその部分から灰になって行ってしまうらしい。当然お嬢様も日光を浴びることはしない。起きてこられるのはいつも夕暮れからだ。

「少し用事があったのよ。猫になれば影を歩くぐらいできるわ。あなたが日陰にならなければ見捨てていたけれどね。」

 そうか、吸血鬼は霧だけでなくて動物にも変身できるのか。いつか、どんなことができるのかお嬢様に聞いてみてもいいかも知れない。ふと、自分とお嬢様が出会ったあの夜の事を思い出した。

 後から教えてもらったことだけど、奴隷を売るという事には街の許可がいる。私が売られていた場所ではその許可が下りておらず、当然違法行為だった。

「ふふっ。」

「なに、主人にもたれかかっておいて笑っているのかしら。」

「すみません。あの日の事を思い出してしまって。私を連れ出す時……。」

 私を連れ出したあの日、お嬢様は言った。「少し荒い道になるけれど、覚悟はいいかしら?」と。これから待ち受ける困難の事かと思っていた私はすぐに面食らうことになる。お嬢様は吸血鬼の怪力で窓の鉄格子を取り除き、私のお尻を持ち上げたのだ。

「ほら、ここから抜けなさい。」

 店の人間に見つからないように脱出する手段を考えていなかった。このことを思い出すとどうしても笑ってしまう。私の世界が開けた瞬間が頭をよぎる。と同時に私の身体は窓側から正反対の壁側へと振り回されていた。

「おじょ──っ!?」

 壁に叩きつけられる前に少し引っ張ってくれたので怪我はなかった。しかし、目の前にはお嬢様の笑顔。

「あの事は忘れなさい……と言っても無理か。あなたの世界はあの時帰って来たんだものね。」

 しばらくの沈黙。まるであの時の私とお嬢様の様だった。

「あれ、こんな時間に珍しいですね。昼食はいかがなさいますか?」

 通りかかったエトナさんの声でお互いに我に返る。お嬢様は軽く咳払いをするとエトナさんに向き直った。

「適当に用意して。それと、この後アレーナを借りるけれどいいわよね?」

「前に仰っていた件ですね。承知しました。アレーナさんはお嬢様のお部屋に行ってください。」

 お嬢様は私を見るといたずらな笑みを浮かべた。

「アレーナ。もう少し面白い勉強があるのだけど、興味があるでしょ?」

 ごくり、と唾を飲む。何かいけない事をしてしまっただろうか。もしかすると、吸血鬼に血を吸われるための勉強なのか?

 お嬢様の笑顔と言葉の意味が理解できずに混乱しているとお嬢様が私の手を取る。

「いいえ、今連れて行くわ。エトナ、悪いけれどここの片づけはよろしく。」

「かしこまりました。」

 何故、お嬢様と二人きりで話すことになるのか、しかもまだ昼間だというのに。訳が分からないままにお嬢様の部屋に連れられてしまった。

「さあ、入りなさい。」

「失礼します……。」

 部屋に窓はなく、店外付きのベッドと衣類をしまう棚、そして机や椅子が置かれているだけだった。

「そこに座って。」

促されるままに椅子に座る。

「さて、五つの月が巡ったわけだけれど、ここの生活には慣れたかしら?」

「はい、皆さん良くしてくださいますし、きっと私にはもったいないと思います。」

「そう。ところで、あなたは今まで多くの事を学んできたわよね?」

「そう、ですね。お陰様で。」

「あなたが今までこの館に来た中で誰よりも知的好奇心が強くて呑み込みが早くて、それを応用する能力があったわ。やっぱり、人間なのね。」

 人間なのね。その言葉に胸が締め付けられた。お嬢様の意図も解らない。ただ、解らないという事が恐怖でしかなかった。

「怯えるのはやめなさい。私はあなたを褒めているのよ。あなたには、私の手助けをして欲しい。」

「手助け……?」

「あなたがまだまだ多くの事を知りたいように、私にも知りたいことがあるの。私の力になってくれないかしら。」

 褒められた。それだけで一気に全身の力が抜けていく。その様子を見て笑うお嬢様が恨めしい。

「今からあなたには私の秘密を全て話すわ。そして、私を助けてほしい。私があの日、あなたを買った時の様に。」

「は、はい。」

 あの日、私がお嬢様と出会ったのは偶然でしかなかった。人間は奴隷でしかない。その中でも頭しか使えなかった私は最後まで売れ残り、お嬢様と巡り合った。

 お嬢様があの場所にやって来たのは、街で流れる噂がきっかけだったという。人は、日の光の下で営みを続ける。しかし、吸血鬼は夜の闇を生きる種族。

「私にはここで謎解き遊びに興じるくらいしかできない。だけどあなたはその知的好奇心と他のどの種族よりも優れた知性でこの世界を見ることができる。」

「で、でも、私は人間です。人間は奴隷。それは変わりません。」

 そう、例えお嬢様が私の力を借りたいと言っても私はこの館から一歩出れば奴隷でしかないのだ。そして、お嬢様は私を買いかぶりすぎている。ただお嬢様に言われた通りに学び、それを身につけたに過ぎない。そんな私が力になるだなんて、ありえない。

「その心配? 話の後の方がいいと思ったけれど、あなたには先に自信を持ってもらうべきね。」

 しかし、お嬢様は笑い飛ばすかのように椅子から跳び立つと、私にエンブレムを手渡した。

「これはスプリングフィールドの家紋。これを見せればこの街の者は協力してくれるわ。多くの者がこの館で働いて、今は家庭を持って暮らしているのだもの。あなたになら渡せるわ。」

 お嬢様は館から出るなと言った。それは、この家紋を持たない私が街に出てもただの人間でしかないからだ。でも、この家紋を持つという事は。

「あなたには、私のたった一人の家族になって欲しい。私が護れるかもしれない最初で最後の人間。アレーナ・スプリングフィールド。」

 こんな事が、あっていいのだろうか。

「この街を、世界を知りなさい。あなたは日の光の下で私がもう見る事のできない物を見るの。そして私(吸血令嬢)は──。」

 でも、偶然だと思っていた全てがこれからの為に存在していたのだとしたら、私は──。

「世界の謎を解く安楽椅子探偵なのよ。」

 この、ローザ・スプリングフィールドの家族になるべくして生まれたのだろう。


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