最終章 決戦(未完)
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる
(「自衛官 服務の宣誓」より一部抜粋)
※
執行まで2日
東京都千代田区
首相公邸
朝比奈は奇妙な気配を感じ、目を開けた。いつもの寝室で、いつものベッドに横たわっている。おかしなところは見当たらない。
気のせいだと思い、再び目を閉じた。
そのとき、廊下から足音がした。ザク、ザクという音が聞こえる。明らかに秘書官のものでない足音が、朝比奈のいる寝室に向かって近づいてくる。
朝比奈は今度は起き上がった。そして寝室の扉を注視する。やがて、足音が寝室の前で止まった。
朝比奈はまるで金縛りにでも遭っているかのように、動くことができなかった。朝比奈が見つめる中、扉が開けられた。
軍服姿の男がいた。朝比奈は首相公邸に出る幽霊の噂を思い出した。五・一五事件や二・二六事件の舞台となったこの建物にはときどき、旧日本軍の軍服を着た幽霊が出るという噂だった。かの森喜朗も体験したうちの一人だという。
軍服姿の男が近づいてきた。朝比奈はベッドの上で後退った。
「だ、誰だ、貴様は」
朝比奈がようやくそれだけ口にすると、男はにやりと笑った。
「お前がこの国の宰相だな。俺は、マナグダル・コレットだ」
朝比奈は目を剥いた。コレットが続ける。「俺を捕らえられるとでも思っているのか?無理に決まっている。俺はアレクシア大陸最強の将軍だ。必ずお前の兵を返り討ちにしてやるからな」
「あ、ああ、な、なにを……」
朝比奈はついにベッドから床に転落した。コレットはベッドを乗り越え、朝比奈に近づく。
「いやむしろその前に、お前を殺してやろう。お前に殺しの魔法を見せてやる」
コレットは朝比奈の眼前に人差し指を向けた。人差し指の先が青白い光を放ち始めた。
「う、うわー!」
朝比奈は顔を手で覆った。
気づくと、朝比奈は汗だくになってベッドに横たわっていた。いつもの寝室に、いつものベッドだ。寝室の扉も閉まったままだ。どうやら夢を見ていたらしい。
そこで、朝比奈は枕元の電話が鳴っていることに気づいた。起き上がり、息を整えてから、受話器を取った。
「朝比奈だ。どうした」
「山本です」秘書官の声だった。「たった今、未確認地域方面隊から緊急連絡が入りました」
「なに?」
朝比奈は枕元の時計を見た。時刻は午前四時三十二分。日本と未確認地域との時差は二時間だから、あちらは午前二時三十二分だ。
「詳しく報告を」
「夜襲です。敵軍勢が、方面隊総監部に真っ直ぐ向かっているようです」
朝比奈はベッドから飛び起き、パジャマのボタンを外し始めた。「分かった。至急、官房長官、防衛大臣、内閣危機管理監、それに統幕長を官邸に召集してくれ。私もすぐに向かう」
受話器を置いた。ワイシャツのボタンを留め、背広とネクタイを掴んで寝室を出た。
※
マルニシティア王国ルクニーチェの丘
陸上自衛隊派遣方面隊総監部
篠崎はモニターに視線を向けた。北第五哨所からの映像では、敵軍勢を後方から捉えている。敵軍勢は未だ進行を続けていた。
「こちら北第四哨所。敵軍勢、第二防衛ライン到達まで約8分。送れ」
第三防衛ラインには普通科の装備しかなく、この規模と戦闘するのは非現実的であった。そのためその一つ内側、第二防衛ラインの第二防衛団機甲科中隊が攻撃を引き付ける。
「総監」
一尉が根津に呼び掛ける。「既に特科の射程に入っていますが」
「第一、第二特科大隊は別命あるまで待機。わざわざこちらから手の内を見せる必要はない。第二防衛ラインにて、90式戦車で対処する」
「了解しました」
「総監。本国からお電話です」
幕僚長の差し出した受話器を根津が受け取った。
「根津一佐です。……はい、……」
篠崎は指揮室内を見回した。複数のモニターに全哨所からの映像が映し出されている。王都のある北方以外では、異常は見られない。ルクニーチェのすぐ南方には、バリスタンテス連邦皇国との国境が存在するが、侵攻の様子はない。日本国政府は、マルニシティアの周辺国とは同盟済みである。
根津の通話が終わった。篠崎の方を向く。
「今、官邸で緊急の関係閣僚会議が召集されている。攻撃を受け次第、正当防衛により射撃を開始する」
篠崎は頷いた。
「公爵領に連絡します」
指揮室を出た。
携帯で上森に電話をかけた。
『上森です。三佐、そちらは大丈夫ですか?』
コール一回で繋がった。『王城警察隊から緊急連絡がありました。王国軍は総監部を堕とすつもりです』
「こちらはまだ大丈夫だ」
篠崎は現状を上森に報告した。「そっちは何か異常はないか」
『今のところありません。ラピアーノ騎士団と王城警察隊が非常態勢を敷いています』
「わかった。警戒を続けてくれ」
篠崎は指揮室に戻った。
『会敵予想時刻まで、あと3分です』
哨所から連絡が入った。根津は、指揮室に戻った篠崎を一瞥し、一尉に頷いた。
「第二防衛ライン機甲科中隊へ。攻撃態勢」
『ウィスキー1よりCP』ノイズの激しい無線が入った。第二防衛ライン機甲科中隊の90式戦車からの通信だ。
『攻撃態勢入ります。目標、敵先頭集団。対榴。中隊集中。指命!』
メインモニターの映像が北第五哨所から北第四哨所からの映像に移る。たいまつに照らされた軍勢が迫っている。
篠崎はモニターに目を凝らした。軍勢の中から、一筋の火が中空に打ち出された。火は放物線を描き、第二防衛ラインの鉄条網に至った。
『こちら第二防衛ライン。火矢です!攻撃を受けました!』
映像の中で、第二防衛ラインの雑草が炎を上げ始める。
「総監!」
一尉が根津を振り返る。根津は再び受話器を耳に当てていた。すぐに送話口を塞ぎ、口を開いた。
「攻撃開始」
「攻撃開始!」
一尉が無線に叫んだ。
篠崎は思わず唾を飲んだ。レインボーブリッジでの光景が一瞬、頭をよぎった。
『CP、こちらウィスキー1。射撃開始』
同時、無線とスピーカーからくぐもった爆音が聞こえた。数秒開いて、遠くの方から僅かに爆音が響いた。
「威力偵察展開中です」
「効果を報告せよ」
『こちら第三小隊。初弾六発全弾命中。普通科による攻撃を続行。送れ』
機甲科装備の傍で普通科の隊員が小銃による攻撃を行っている。敵の歩兵部隊に対しては、小銃による攻撃の方が有効である場合もある。
根津は頷いた。「次弾発射」
「次弾発射」
『ウィスキー1。次弾装填。同一諸元、次弾発射』
再び戦車が主砲を発射する。砲塔が火を吹き、44口径の120ミリ滑腔砲が真っ直ぐ敵に向かう。敵軍勢の中で爆発し、瓦礫やら兵士やらを吹き飛ばしていた。
篠崎は知らぬうちに眉間に皺を寄せていた。同じ敵を相手にしても、レインボーブリッジでの戦闘とはまるで風景が違っていた。現代兵器と弓レベルの兵器による野戦は、篠崎のPKO時代の記憶を甦らせた。
第二防衛ライン北第四哨所
第二防衛ラインでは粛々と戦闘を続けていた。総監部の指示を受けながら、セオリー通りに戦いを進めていた。
「中隊長」
隊員が中隊長を呼んだ。「普通科の弾薬が」
「なんだ?足りないか」
「いえ、まだ足ります。しかし敵の規模からしますと、圧倒撃滅にはやや心細いかと」
隊員からの報告に中隊長は思案した。戦車砲による攻撃と並行して普通科による攻撃も行っているが、小銃の弾薬が足りないとなれば第一防衛ラインからの応援を要請しなければならない。その間にここが突破される可能性は十分にあった。兵器の性能で言うと自衛隊は圧倒的有利であるが、敵もさすがは東京を壊滅寸前まで追い込んだだけのことはある。集団による攻撃はかなりの練度を思わせた。
中隊長は総監部に無線を繋いだ。
「こちら第二防衛ライン。普通科の装備に不足が出る可能性あり。特科による攻撃を要請する。送れ」
『こちらCP。了解した。特科が攻撃を開始する。到達予定は三分後。送れ』
「三曹」
中隊長は隊員に声をかけた。「三分後に特科の攻撃が来る。防衛ラインの外側にいる者は全て退避させろ」
「了解しました」
交通壕を何人かの隊員が駆けて戻ってくる。前線で射撃をしていた者たちだ。
『ウィスキー1、続いて撃て!』
90式戦車がなおも攻撃を続ける。小銃の射撃音も断続的に鳴り響き、敵の歩兵戦力を削いでいく。中隊長は双眼鏡を目に当て、敵の方を見た。兵士たちは各々何かを叫んでいるように見えた。
「中隊長!」
三曹が呼んだ。「特科来ます!MLRSです!」
弾着予定地点に視線を凝らす。
『弾着10秒、8、7、6』
敵歩兵が弓を構えた。つがえられた矢の先端には火が点いている。
『5、4、3』
弓を最大まで引き分ける。
『弾着、今!』
中隊長の視線の先で、地面が火を吹いた。ついさっきまで歩兵が蠢いていた地が一瞬で焦土と化した。地響きと轟音が鳴り響き、モニターの映像と通信が一瞬途切れた。
「攻撃続行!」
特科が射撃しようが、我々は攻撃を続けるのみ。敵に弾丸を浴びせ続ける。
『こちらCP。効果を報告せよ』
「こちら第二防衛ライン。初弾命中。効果あり。送れ」
『了解。再び射撃を開始する』
方面隊総監部 中央指揮室
「敵の攻撃が下火になっている模様です」
一尉が報告した。
「特科の威力に怯んだか」
「そのようです」
根津は腕を組んだ。
『こちら第一特科大隊。MLRS、次弾発射準備完了。指命』
『こちら第二防衛ライン。目標捕捉』
「総監、特科の次弾発射準備完了しました」
一尉が根津を振り返る。
「次弾発射」
「了解。次弾発射します」
『こちら第一特科大隊。距離よし。MLRS発射』
無線からの射撃手の声と同時、庁舎の南側から発射音が聞こえた。モニター上に、北へ真っ直ぐ進む閃光が映し出された。
『弾着、今!』
モニターの映像が切り替わり、爆発する野原が映った。大きな衝撃と共に大小様々な破片が飛び散り、一瞬映像が揺れた。カメラの前にある90式戦車が土に埋もれているのが見えた。
「報告を」
根津が一尉の座る椅子の背もたれを叩いた。
「お待ちを」
『こちら第二防衛ライン。敵集団はかなりの打撃を受けている模様。攻撃がほぼ止んでいます。送れ』
敵はほぼ壊滅状態にあるようだった。篠崎はモニターに映る瓦礫の山を見ながら思った。
根津が短く息を吸った。そして短く言った。
「トドメだ。同一諸元に次弾発射用意」
「了解。次弾発射します」
一尉は頷き、モニターに向かった。
篠崎の目の前で先程までと同様の過程が繰り返された。
『目標捕捉』
『MLRS発射します』
再び発射音が響き、閃光が尾を引いた。
『弾着、今!』
轟音が鳴り響き、三度目の攻撃が敵を襲った。
「報告を」
「お待ちを」
無線からノイズがしばらく聞こえ、第二防衛ラインの中隊長が報告した。
『こちら第二防衛ライン。目標沈黙。繰り返す、目標沈黙。送れ』
「おっ」
思わず小さく声を上げた。だが篠崎の他にも感嘆の声はあり、咎められることはなかった。
「一尉、現在即応可能な部隊は?」
「今晩の当直は第六偵察隊です」
一尉が手元のメモ書きを一瞥して答えた。
「では第六偵察隊を第二防衛ラインへ大至急派遣し、現状を把握するように」
「了解しました」
指揮室内は既に落ち着きを取り戻していた。無論、篠崎の心中も同様だった。演習後とさほど変わらない心持ちで時計を確認した。時計の針は午前3時過ぎを指していた。
※
マルニシティア王国
ラピアーノ公爵邸2階
南の空が仄かに赤く照らされていた。30分前までは大砲の音や爆発音が断続的に聞こえていたが、戦いはジエイタイの勝利を以て終了したようだ。
詳しいことはクレアには分からなかった。ただ、屋敷にいるジエイカンたちが慌ただしくしているのは部屋の中からでも分かった。
「シノザキ殿……」
シノザキは屋敷を出てルクニーチェに行ったっきり、戻っていなかった。部隊の指揮を執っていたから前線で戦うことはないのだろうが、クレアは落ち着かなかった。
クレアは窓際の椅子から立ち上がり、ベルを鳴らした。やってきた世話係に、ラピアーノ公爵を呼ぶよう言いつけた。
数分して、ドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
ドアが開き、軍服姿のラピアーノ公爵が入ってきた。非常時には王国幹部は軍服を着用することになっている。
「殿下、どうかなさいましたか」
ラピアーノは部屋の中ほどで立ち止まり、言った。
「ええ、コレット軍とジエイタイの戦いはどうなっているかしら。詳しいことがまるで分からないから」
ラピアーノは頷いた。
「私にも詳しいことは分かりません。しかしジエイカンたちに聞いたところによると、コレット軍はジエイタイの攻撃によってほぼ全滅したようです」
「ジエイタイ側の被害は?」
クレアは一歩前に出た。
「前線の兵が10名ほど負傷したようですが、命を落とした者はいないとのことです」
「シノザキ殿のことは何か聞いてない?」
クレアの問いにラピアーノは微笑した。「大丈夫で御座います。シノザキ殿から随時あちらの情報が入っていますから、彼は無事のはずです」
「ああ、そう……」
クレアは椅子に腰を下ろした。
沈黙が生まれた。ラピアーノも黙っている。クレアは再び窓の外に目を向け、赤く照らされた南の空を見た。
「殿下、もうお休みになられては?」
ラピアーノが腰を落として言った。
「ううん、大丈夫」クレアは首を振り、立ち上がった。「それより頼みがあるの」
「何なりと」
クレアはラピアーノに近づいた。
「ジエイタイに何か協力できないかしら。この前のドラゴンの時もジエイタイの空中部隊に助けてもらったし、こちらから出来ることはないかしら」
クレアの言葉に、ラピアーノは「うーん」と唸った。
「私にも、考えがないではないですが」
クレアは顔を上げた。「というと?」
「実は」部屋には二人しかいなかったが、ラピアーノは辺りを憚るような仕草をした。「王都内でこの頃、反乱の兆しがあるとの情報が」
「反乱?」
ラピアーノは大きく頷いた。「ええ。兵も全員がコレットに忠誠を誓っているわけではないということです。特に王都北部に顕著に見られると」
「なるほど」ここまで王国軍を率いて軍事政権を維持してきたコレット将軍だが、それも限界にきているということか。「それで?」
「彼らを焚き付け、せめて北門だけでも開けさせます」
マルニシティア王国の王都は四方を城壁に囲まれており、西と北と南に門が設けられている。今度のジエイタイの強制執行では、最初にその3つの門全てを制圧するらしい。北門だけでも無血のうちに開門できれば、他に兵力を回せる。
「出来るの?」
「少し魔法の力を借りれば」
ラピアーノはクレアの瞳を見据えた。
風が木を揺らす音が聞こえた。窓が僅かに揺れた。
「お願いするわ」
クレアの返答にラピアーノは満足げに頷き、敬礼した。
※
執行まで1日
マルニシティア王国
ラピアーノ公爵領
朝日が村を照らしていた。小川に沿った道を右にハンドルを切ると、目の前に城門があった。国王一家のいる、ラピアーノ公爵邸である。
篠崎は軽装甲機動車を下り、呼び鈴を鳴らした。
門の横の扉が開き、ヴィルトールが現れた。
「これは篠崎殿、ご無事でしたか」
篠崎の姿を見ると、ヴィルトールは顔をほころばせた。
「はい、なんとか戻りました」
「皆さん心配しております。さあどうぞ」
ヴィルトールは扉を開け放った。
「有難うございます」
篠崎は礼を言って扉をくぐった。
「ところでヴィルトールさん」
篠崎はヴィルトールを振り返った。
「何でしょう」
「王城の詳細な図面はありませんか。明日の執行に必要なのですが」
ヴィルトールは表情を険しくした。「生憎、設計図などの図面類は全て王都内の書庫に御座いますので」
「え、……あ、そうですか」
篠崎は考えを巡らせた。図面なしに執行を行うことは可能か。王城の構造を知る王城警察隊に先導を頼めば、不可能ではない。
「あ、いや……」
そこで、ヴィルトールが声を上げた。
「どうかしましたか」
篠崎が問うと、ヴィルトールは手を口に当てた。「確か15年前に王城の大規模改修をしたとき、設計士が図面を描いていました。その設計士を訪ねればあるいは……」
「おおっ」
篠崎は一歩ヴィルトールに近づいた。「その設計士は今、何処に?」
ヴィルトールは篠崎の剣幕に押され、一歩下がって言った。
「王国東部、マリタ族自治区です」
「いやあ、三佐がご無事で良かったです」
ハンドルを操作しながら宮下が言った。
「公爵領に被害はなかったわけか」
「ええ」篠崎の問いに宮下は前を見たまま頷いた。「敵は南門から出て、真っ直ぐ総監部の方へ向かいました」
「そうか」
篠崎たちは30分前に西部の公爵領を出て、東部のマリタ族自治区へ向かっていた。宮下の運転する高機動車には、篠崎の他にヴィルトール、上森、内田が乗っていた。
「ヴィルトールさん、この道を真っ直ぐでいいんですね?」
宮下がちらりと後ろを振り返って言った。
「はい。しばらく行けば検問所に着きます。知り合いの警備兵がいますから、そのまま中に入れるはずです」
約20分後、目の前に簡素な門が見えてきた。木材を組み合わせただけの門の右側に『マルニシティア王国マリタ族自治区』の文字が見えた。
警備兵が二人いた。二人とも、高機動車を不思議そうに見ていた。
「やあ、元気か?」
門の前で宮下が車を停止させると、ヴィルトールが身を乗り出して言った。
「あ、これはヴィルトールさん」
一人の警備兵が目を丸くさせて反応した。「これは、ええと、どういう……」
「ああ、彼らは味方だよ。異世界からいらっしゃったんだ」
警備兵の視線が篠崎たちに向いた。篠崎は鉄帽を脱いで会釈した。
「はあ」
警備兵は視線をヴィルトールに戻した。
「実はザクノールさんに用があってね」ヴィルトールが言った。
「そうでしたか。わかりました」警備兵はもう一人に合図した。「どうぞ、お通りください」
「有難う」
ヴィルトールはそう言って、宮下を見た。「出してください」
「はい」
門が開き、高機動車が前進した。
「有難うございます」
篠崎は警備兵に頭を下げた。
ヴィルトールの指示に従って、高機動車は自治区内を走行した。自治区内は区外同様舗装されておらず、高機動車が走ったあとには砂埃が舞った。洒落た木造建築が多く、カウボーイの出てきそうな雰囲気であった。
「そこの角を右に曲がれば、彼の事務所です」
「わかりました」
宮下は律儀にウインカーを出して右折した。
「ここです」
高機動車が停車した。
篠崎は車を降り、目の前の建物を見上げた。木造二階建てで、正面に看板が設えられていた。『ザクノール設計事務所』と読めた。
「ザクノール……」
隣に来た内田が呟いた。
「そうです」ヴィルトールは入り口に近づいた。「彼が王城の改修を担当した設計士です」
ヴィルトールはドアをノックした。
「ザクノールさん。ヴィルトールです」
しばらくしてドアが開き、40代くらいの、帽子を被った男が顔を覗かせた。
「よう、あんたがここに来るとは珍しいな……」
男の視線が篠崎たちに向いた。
ヴィルトールは篠崎たちを指し、先程と同じような紹介をした。
「ほう、異世界から。知ってるぜ、トウキョウって町なんだろ?」
「ええ、その通りです」
宮下が返した。
「トウキョウってのはアテルスより大きい町かい?」
「はい、おそらく」
「ほう!そうか!俺はアテルスより大きい町はバリスタンテスでしか見たことがねえ」
王国から山脈を越えて南にある大国、バリスタンテス連邦皇国のことだと分かった。
「こちらは設計士のウィンズドン・ザクノール氏です」
ヴィルトールが男を指して言った。
「おう、自己紹介が遅れて申し訳ねえ。ザクノールだ」
ザクノールは帽子を脱ぎ、自己紹介した。
篠崎たちも各々挨拶した。
「まあ立ち話も何だし、入りなよ。汚い事務所だけど」
ザクノールは背後を指差した。
「ではお言葉に甘えて失礼します」
「おう」
事務所内はそれほど汚くなかった。外見通り床も壁も天井も木でできていた。壁際の書棚には古い書物が多数収められていて、部屋の中央に応接セットがあった。
「まあ座ってくれ」
ヴィルトールと篠崎がソファーに腰を下ろし、宮下と内田と上森は背後を立った。
「早速本題に入りたいですが、よろしいですか」
ヴィルトールが言った。ザクノールは「どうぞ」と答えた。
篠崎は若干身を乗り出した。「王城内部の設計図をお貸し頂きたいのです」
「王城の?」
「はい」
「何のために?」
「明日、我々はコレット政権を攻撃します。そのために必要なのです」
「コレット軍に攻撃って」ザクノールは目を見開いた。「あんたら四人だけで?」
篠崎はふっと苦笑した。「まさか。我々には十分な兵と武器があります。あとは設計図さえあれば、この王国をコレット政権から解放できます」
「んー」
ザクノールは腕を組んだ。「しかし、守秘義務もあるしー」
「それは問題ありません」ヴィルトールが横から言った。「王室としては構いません」
「いやあ、でもー」
更にザクノールが渋っていると、奥から足音が聞こえた。
「ウィンズドン、貸してやれ」
嗄れた声が聞こえ、杖をついた老爺が出てきた。
「父ちゃん!」
ザクノールが驚いたように立ち上がった。
「父ちゃん……」
篠崎の背後で宮下が呟いた。
「ザクノール氏のお父様、アクチッジ・ザクノール氏です」
ヴィルトールが説明してくれた。
「なるほど」
「ウィンズドンよ、今こそ王国に恩返しをするときじゃないのかね?」
「恩返し……」
ザクノールは父の言葉を反芻し、再度ソファーに座った。
アクチッジ・ザクノールは応接セットの側まで来て、篠崎たちを見下ろした。
「この事務所はこう見えても400年続く老舗でね。古くから王国の事業を受注して、世話になってきたのだよ」
篠崎はソファーから腰を上げ、アクチッジ・ザクノールと向かい合った。
「我々が必ず、コレットから王国を解放してみせます」
アクチッジ・ザクノールは篠崎の言葉に微笑を漏らした。そして深々と頭を下げた。
「どうか、よろしく頼みたい」
頭を上げた彼は杖で床を二度突いた。すると壁際の書棚から一枚の紙が独りでに出てきて、篠崎のところまで飛んできた。
「これは……」
背後で上森が呟いた。
「恥ずかしながら儂は、数少ない魔法使いの一人でね」
アクチッジ・ザクノールはそう言って紙を篠崎に手渡した。「これが王城の設計図じゃ」
篠崎はその設計図を両手でしっかりと受け取った。
「有難うございます」
アクチッジ・ザクノールは力強く頷いた。
「さあ、公爵領に戻るぞ」
高機動車に乗り込み、篠崎は宮下に言った。
「はい」
宮下はそう言って車を出した。
来た道を戻った。やがて、門が見えてきた。
「ん?」
そこで異変に気付いた。門のところに多数の兵士の姿が見えた。
「ヴィルトールさん、あれは……」
篠崎は門を指差した。
「あれは……」
ヴィルトールは目を凝らした。
騎馬兵と歩兵が、門のところで陣を敷いていた。槍が既にこちらを向いていた。
「王国軍です!」
ヴィルトールが叫んだ。
「宮下、Uターンだ!」
「了解!」
宮下が急ハンドルを切り、高機動車は180度方向転換した。砂埃を舞い上げ、一瞬停車したのち、再び発進した。篠崎たちの尻の下でタイヤが悲鳴を上げた。
「ヴィルトールさん、あの門以外に区外へ出る道は?」
「王国側へ出る門はあれだけです。もうひとつはバリスタンテス側へ出てしまう」
「くそ!」
宮下の運転する高機動車は砂埃を上げながら町を猛スピードで走っていた。
「内田!後ろはどうだ?」
内田が後方を確認した。
「やばいです、三佐。騎馬兵が追ってきます」
「何?」
篠崎も後ろを振り返った。200メートル後方に五騎、見えた。
「上森、本部に連絡を」
「はい!」
篠崎は考えを巡らせた。王国軍に捕らえられれば命はないだろう。それに何より、王城の設計図を総監部に届けられない。
そのとき、篠崎の視界の端に黒い何かが見えた。左を見てみると、窓の向こうに鳥が飛んでいた。
「シノザキ殿!」
突然、その鳥がそう叫んだ。篠崎は驚いて一度目を擦った。
「シノザキ殿。儂だ。アクチッジ・ザクノールだ!」
「ザクノールさん?どうして?」
篠崎は窓を開けた。
「言ったじゃろ?儂は数少ない魔法使いの一人じゃ。鳥に憑依しておるのだ」
鳥は嘴をパクパク動かした。
「シノザキ殿。儂が君らを救う。よく聞け」
「は、はい」
篠崎は鉄帽を手で押さえ、車から身を乗り出した。後方の騎馬兵が更に近づいているのが分かった。
「今から君たちの前方に時空の扉を開ける。真っ直ぐその中に飛び込め」
「じ、時空の扉って……」
篠崎は目を見張った。
「三佐、右折します!」
宮下が叫んだ。
「そうじゃ、王国軍がトウキョウに出現させたものと同種のものだ。ただし、小さいものだから爆発は起きない」
鳥は右折した高機動車に動きを合わせつつ、言った。
「わ、分かりました」
篠崎は車内に身体を戻した。「宮下聞いたな。前方に『穴』が見えても、アクセルそのままだ」
「了解!」
いつの間にか、鳥はいなくなっていた。木造建築の立ち並ぶ道を高機動車は爆走していた。
前方に小さな光が見えた。やがて光は闇に変わり、その闇が急激に広がった。
「三佐!騎馬兵は70メートル後方!」
内田が叫んだ。
「三佐!突っ込みます!」
宮下がアクセルを踏み込んだ。身体が座席に押し付けられた。後ろでヴィルトールが「おおっ」と唸った。
視界が真っ暗になった。
「「うわー!」」
しかし次の瞬間には視界が開け、高機動車は闇を抜けた。タイヤが勢いよく地面に接触し、強い衝撃が加わった。ダッシュボードに置いた軍用双眼鏡が跳ねた。
宮下がハンドルを切ると同時にブレーキを踏んだ。高機動車はドリフトし、砂埃で視界が失われた。
後方から荒い息づかいが聞こえた。
「大丈夫ですか?」
篠崎は後方を見て問うた。ヴィルトールは荒い息づかいのまま頷いた。「ええ、大丈夫です」
彼は陸自の鉄帽を被っていた。内田が貸してやったようだ。
「ここは……」
宮下がハンドルに両手を載せて呟いた。
視界が開けてきた。公爵邸の立派な門があった。
「帰ってこられたのですね……」
ヴィルトールが安心したように言った。
篠崎はドアを開け、車外へ出た。門は開いていた。敷地内に、国土交通省関東地方整備局のランクルが停まっていた。
やがて次々と隊員が出てきた。篠崎は先頭にいた水沼に紙を手渡した。
「王城の設計図だ」
篠崎の言葉に水沼は目を見開いた。
「手に、入れられたんですね……」
「ああ」
篠崎は力強く頷いた。「至急電子データ化して、全部隊、全省庁に共有してくれ」
「分かりました」
水沼は設計図を手に、建物内へ消えた。入れ替わるようにクレアが現れた。
「ついに?」
クレアは上目遣いで問うてきた。
「ええ、ついにコレット軍を叩きに行きます」
クレアは篠崎の言葉に強く頷いた。その目は実にしっかりしていて、王国の歴史を語り涙を流したときの彼女とはまるで別人のようであった。
「三佐」
後方から上森が呼んだ。振り返ると、無線機を掲げていた。「総監部から、根津総監です」
篠崎は上森から無線を受け取った。
「篠崎です」
少しの沈黙ののち、低い声が言った。
『ご苦労』
※
東京都千代田区
首相官邸五階 内閣官房長官室
卓上の電話が鳴った。橘は読んでいた補正予算案に関する資料を置き、受話器を取った。
「橘だ」
相手は危機管理担当の内閣官房副長官補だった。陸自の派遣部隊が王城の設計図を手に入れたとの報告だった。
「分かった。速やかに首相会見の原稿を準備してくれ。それと、関係閣僚と各省の担当者を官邸に集めるように。10分だけ、総理レクを入れる」
同 首相会議室
橘はメンバーを確認した。一番上座に朝比奈が座り、順に橘、高宮防衛相、岩井外務相、西田防災担当大臣、そして岡峰内閣危機管理監を筆頭に各省の担当者が集まっていた。防衛省担当者が最も多く、次いで国交省、総務省、内閣府、外務省、厚労省の順であった。
「ではまず王城設計図について、防衛省の方から」
岡峰が防衛省担当者に視線を向けた。一人が立ち上がった。
「ご説明します。今回手に入れた設計図は……」
設計図の入手により強制執行の条件が揃ったため、本格的な準備を開始することが確認された。
「次に都内の被災状況について、国土交通省」
国交省の担当者が立ち上がった。
「都内の状況ですが、これまでに確認されている死者は約1300人にのぼり、被災地域は東京湾沿岸全域となっています。特に東京神奈川の境界付近では内陸までドラゴン災害による火災が広がり、火は最大で府中市にまで迫りました」
「何故、そんなに?」
岩井が訊いた。
「火災旋風です」
担当者が答えた。「関東大震災や東京大空襲でも発生したとされる火災旋風が、ドラゴンの吐いた炎を火種として世田谷区で発生し、東京湾からの風の影響もあって西へ高速で移動しました。府中市では五つの避難所が火災旋風に飲み込まれ、多くの死者が出ました」
担当者は一度言葉を切り、全体を見回した。
「今朝、都内で最後の火災が、小田急小田原線成城学園前駅付近にて鎮火され、都内の火災はすべて消火されました。こちらからは以上です」
「救助活動はどうなってる?」
西田が問うた。別の担当者が立った。
「総務省消防庁の方からご説明します。救助活動は、発災直後から東京消防庁及び警視庁並びに東京DMATが連携して行っています。発災から今日までで約5300人を救助しました。患者は都内のみならず関東圏全域の救急指定病院等へ搬送し、治療しています」
「まだ救助しなければならない人はどれくらいですか?」
朝比奈が訊いた。
「要救助者は約2200人と見られています。先程も国交省さんから報告があったように、府中市の避難所が火災旋風の被害を受け、行方不明者が多数発生しています。現在総務省消防庁では江東区と世田谷区、府中市を最重要活動地域に位置付け、一刻も早い救助に向け指揮を執っています」
「では次に通信の状況を」
岡峰の声に、また別の担当者が立ち上がった。
「総務省です。都内では一時、インターネットや電話など一切の通信が繋がらない状況でした。現在、NTT東日本により仮設の携帯電話基地局が設置され、電話は繋がるようになっています。インターネットについても、総務省及び国交省の連携の上、NTT東日本や各省委託の公社が復旧活動を急いでいます。その成果もあり、今朝の時点で都内の半分の地域でインターネットが回復しました。NTT東日本によれば、明後日昼までには都内全域での復旧が可能とのことです」
このあと、他の省からもいくつか報告があり、総理レクは散会となった。
「官房長官」
朝比奈が橘を呼んだ。
「はい、総理」
「会見が終わったら、危機管理センターにて専門家会議を開催します。準備をよろしく」
橘は朝比奈と目を合わせた。彼の目は、若手議員のころと何一つ変わっていなかった。
「分かりました」
橘は頷いた。朝比奈はカレンダーに目を向けた。執行日は明日だ。
「総理、原稿と防災服です」
首相秘書官が朝比奈に手渡した。朝比奈はそれを受けとり、橘を見た。
「橘くん」
朝比奈は若手のころの呼び方をした。「明日は我らが人生、最も長い一日になるだろう」
橘は頷いた。朝比奈も頷き返し、踵を返した。
※
マルニシティア王国
王都北門前
強い北風が吹いていた。ラピアーノは腰に手を当て、北門を見上げた。
「行くとするか」
ラピアーノは後ろを振り返り、連れてきた王室付きの魔法使いに合図した。その魔法使いはもともとは魔法省の技官だった男で、クーデターの数年前にラピアーノが引き抜いてきたのだった。
魔法使いは頷き、懐から魔法棒を取り出した。
「ではこれより石化術を施します。一分後に解除になりますので」
「うん、わかった」
ラピアーノは魔法使いの前で座った。
ラピアーノはこれから、石化術により小石に形を変える。そしてその小石を城壁の中に投げ込んでもらって、侵入を果たす。その目的は、反コレット派の兵を焚き付け、自衛隊による強制執行の際に北門を開けさせることであった。
王都北部に反コレットの動きが見られるという情報は、一週間前に軍部にいる内通者から入ってきた。王都北部は穀物がよく採れる地で、昔から独立傾向の強い地域であった。そのため、コレット政権に対しても反目の兆しが見られるようだ。そもそもコレットは、政権を掌握して以降ろくな福祉政策も実施しておらず、当初はコレットを支持した層も、この頃は不満を募らせているらしい。
「では公爵、失礼します」
魔法使いが魔法棒を振り、呪文を唱えた。その瞬間、ラピアーノの視点が地面近くまで下がった。小石になれたようだ。
魔法使いが小石になったラピアーノを拾った。そして勢いよく城壁の中に投げ入れた。
視界が目まぐるしく変化し、やがてスラム街に落下した。痛みは感じなかった。道路の真ん中だったが、周囲に人は見当たらなかった。
約一分後、ラピアーノの身体が元に戻った。
「さて」
ラピアーノは肩を回しながら歩き始めた。北部は青年時代によく遊んでいた土地だったため、勝手は知っていた。
東の方角へ向かい、ひとつ路地を入ったところに、目当ての建物はあった。ラピアーノは懐かしさから思わず口角を上げた。
その建物は古くから続くバーだった。ラピアーノは入り口の戸を開けた。
「いらっしゃい」
懐かしい声だった。マスターは数十年前と何も変わらずにカウンターの向こう側でグラスを磨いていた。彼はラピアーノを認めると、大きく目を見開いた。
「これはこれは、ラピアーノ君じゃないか」
「どうもご無沙汰してます」
ラピアーノはそう言ってカウンター席についた。マスターは最後に会ったときからだいぶ老け込んだようだが、昔の面影を十分に残していた。
マスターのラピアーノに対する印象も同じだったようだ。
「ラピアーノ君、変わりないみたいだね」
「おかげさまで」
そう言って二人は微笑みあった。
「いつものスコッチでいいかい?」
「お願いします」
マスターはラピアーノの返答に頷き、グラスを出した。
ラピアーノは店内を見渡した。店の奥のテーブル席に軍人らしきグループがいた。5人組だった。ラピアーノが若い頃と変わらず、このバーは若い軍人の溜まり場になっているようだ。
「はい、いつもの」
そう言ってマスターがスコッチをカウンターに置いた。「味が変わってなければいいけれど」
ラピアーノはグラスを持ち、スコッチを一口飲んだ。最後に飲んだときと変わらぬ味だった。昔の思い出が脳裏を駆け巡った。
それからしばらく、マスターと昔話に花を咲かせた。ラピアーノの士官学校時代のこと、軍人時代のことなどを語り合った。
ラピアーノがスコッチを飲み終えた頃、マスターが声を潜めて言った。
「今日来たのはやはり、コレット政権打倒のためかい?」
ラピアーノは頷いた。そして店の奥にいるグループに目を向けた。
「私は席を外しておこうか」
マスターが言った。
「お願いします」
ラピアーノがそう答えると、マスターは黙って厨房へ消えた。
ラピアーノは席を立ち、グループに近づいた。5人全員がラピアーノに目を向けた。
「諸君は王国軍だね?」
ラピアーノは問うた。5人は黙ったままだ。
「私はラピアーノ公爵だ。王女の命を受けここへ来た」
「王女の?」
5人の中で一番年上らしき軍人が問い返した。
「そうだ。諸君にはコレット将軍に対する反乱の意思があるな?」
5人がギクリとした顔をした。ラピアーノは畳み掛けた。
「我々に協力したまえ。将軍のもとでは給与も少ないそうじゃないか」
下を向いていた年上の軍人が顔を上げた。
「だから?」
「我々に協力すれば、コレット政権崩壊後には給与の引き上げを約束しよう」
ラピアーノは一人一人の顔を見据えていった。「諸君にも養わなければならない家族がいるだろう。もっと楽をさせてやらないか?」
「あなたを信用する根拠は?」
年上の軍人の言葉にラピアーノは右の口角を上げた。そして懐からひとつの印を取り出し、テーブルにあった紙ナプキンに押し当てた。
「!」
紙ナプキンには焼き印が押されていた。これも魔法の力だった。そしてその焼き印は王室の紋章であった。
「これは太古の昔から我が王国の王室に伝わる紋章だ。この紋章の前には、将軍や貴族、国王さえも、逆らうことはできない」
5人はしばらく紋章に見入っていたが、やがて目で合図を送り合った。
年上の軍人がラピアーノを見据えた。
「何をすればよろしいですか」
ラピアーノは満足げに頷き、口を開いた。
「諸君には、明日の正午に北門を開いてほしい。基地の者たちも巻き込むのだ」
「北門を?」
「そうだ。そうすれば近いうちにコレット政権は終わる」
軍人たちは再び顔を見合わせた。そして年上の軍人が頷いた。
「承知しました」
「よろしい」
ラピアーノはそう言い、踵を返した。
一歩進んだところで立ち止まり、軍人たちを振り返った。
「これは余談だが」
ラピアーノが言うと、5人は顔を向け、続きを待った。
「私の魔法は他にもあってね、『遠隔の魔法』などはよく使う魔法のひとつだ」
『遠隔の魔法』は、離れた場所にある任意の対象を監視することができる魔法だ。
軍人たちの表情が若干強張った。
「私の言いたいことは、分かるね?」
5人がばらばらに頷いた。
ただし、魔法の話ははったりであった。ラピアーノは魔法使いではないから魔法は使えないからだ。今までに見せた魔法は全て、今日のために魔法省から貸与されたものだった。
「では、よろしく」
ラピアーノはそう言い、今度こそテーブル席を離れた。
「マスター」
呼ぶと、奥からマスターが出てきた。
「用事は終わりました。ありがとうございました」
マスターは頷いた。「また、いつでもいらっしゃい」
「はい、きっと参ります」
ラピアーノは笑顔で頷き、マスターに一礼して、バーを後にした。
※
執行当日
神奈川県川崎市
多摩川河口付近上空
意識は朦朧としていた。視界は霞んでいた。クライム情報官の脳裏には、この数日間に起こったことが蘇っていた。
さつきとの買い物から帰ったとき、自宅の爆発に巻き込まれた。気づいたときには自衛隊中央病院の病室に寝かされていた。医官からさつきが助からなかったことを聞かされた。
医官が去ってしばらくしたとき、病室に黒い背広姿の男が三人入ってきた。クライムに銃口を向け、ついてくるよう命じられた。男たちはCIAの工作員だった。車に乗せられ、麻酔で眠らされた。目が覚めると窓のない部屋に閉じ込められていた。ドアの内側にはドアノブがなく、クライムにはどうすることもできなかった。
さつきのことを考えていた。クライムがガスの匂いにもう少し早く気づけていれば、と思った。考えても仕方のないことだが、考えずにはいられなかった。
数時間後、男が一人現れ、部屋から出された。そのまま車に乗せられ、移動した。途中、コンビニに入り、レジの店員を買収して裏口から出て、車を乗り換えた。その間ずっと、クライムの背中には銃口が突き付けられていた。
果たして到着したのは米軍厚木基地だった。そしてそこで軍のヘリに乗せられた。
朦朧とした意識の中、頭上からローターの音が響いているのに気づいた。クライムはまだヘリに乗せられたままだった。手を後ろで拘束され、座らされていた。
「おい」
クライムは目の前にいる男に声をかけた。男は無言でクライムを見た。
「これから何処に行くんだ?」
クライムの問いに、男は表情を動かすことなく答えた。
「本国だ」
男は窓の外を一瞥し、続けた。「成田空港で軍のジェット機が待機している。それに乗って、ケネディ国際空港へ向かう」
「そこからは?」
クライムは更に問うたが、男はそれ以上は何も答えなかった。
クライムはアメリカ政府の意図を理解した。マルニシティア王国に関する情報を、否、アメリカ政府が一世紀近く王国の存在を隠蔽していた事実をこれ以上流出させないために、クライムを拉致したのだろう。最終的な行き先は、アメリカ政府がシリアに極秘に建設した強制収容所と思われた。
クライムが考えを巡らせていたそのとき、コックピットから声が聞こえた。
「捜査官!警報です!」
捜査官と呼ばれた、クライムの目の前の男はコックピットを振り返った。
「何?」
「ミサイルロックされています!」
パイロットが叫ぶ。クライムは即座に窓の外を見た。東京の夜景が広がっていた。赤く輝く東京タワーが見えた。何処から狙われているのか。
「ここは日本だぞ、ミサイル攻撃などあり得るはずは!」
男はそう叫び、席を立った。
「しかし、警報が鳴っています!」
そのとき、ひとつのビルの屋上に閃光が見えた。
「発射されました!ジャベリンです!」
パイロットの叫び声と同時、ヘリが大きく傾いた。ローターが頭上で悲鳴を上げる。
閃光が目の前まで迫った。
クライムは目を閉じた。瞼の裏で、さつきが微笑んでいた。
※
東京都品川区
区立大崎中学校前
石垣は欠伸を噛み殺しながら腕時計を見た。午前2時。隣で覆面パトカーを運転している田村を見た。
「眠い」
「眠いっすね」
石垣たちは二日前から一睡もしていなかった。コンビニでマル対に巻かれた石垣たちは、その後神奈川県内を捜索したが、結局見つけることはできなかった。警視庁に戻り、Nシステムや防犯カメラ映像をチェックしたが、やはり見つけられなかった。
約一時間前、厚木基地から発進した米軍のヘリが東京湾に墜落したとの連絡が入った。地上から撃墜された可能性があるとのことで、石垣たちは警視庁管内を回っていた。
『警視庁から各局。不審車両・不審人物等を発見した場合、速やかに本部に報告の上指示を待て。また、海上保安庁より報告。墜落機に巻き込まれた船舶等は確認されないとのこと。以上警視庁』
「ヘリには情報官が乗っていたんでしょうかね」
田村がハンドルを切りながら言った。
「多分そうだろうな。大方、情報官を捕らえられなかったロシアが、ヘリごと情報官を消したってところだろ」
石垣は窓の外を見ながら言った。
「何故そこまでして、アメリカもロシアも情報官を狙うんでしょう」
「さあな。俺ら警視庁公安部にすら情報が下りてこないんだ、相当やばいってことだろ。ま、未確認地域絡みなのは確かだな。約10時間後には強制執行も始まることだし」
「我々としても……」
田村が言いかけたそのとき、石垣の尻の下でパン!という音が響いた。
「うわ!」
田村が叫んだ。ハンドルが思い通りに動かない。
「停車だ!」
田村がブレーキを踏んだ。車は停車した。
「石垣さん!前方を!」
田村の指差す方を見ると、約100メートル先に装甲車が見えた。銃声が連続して聞こえる。何人もの兵士が石垣たちに背を向け、路上で発砲していた。
「至急至急!06から警視庁!」
石垣は無線を手に取り叫んだ。
『06どうぞ』
「百反通り大崎三郵便局前にて銃撃戦!詳細は不明!」
『警視庁了解。安全を確保し待機。指示を待て。以上警視庁』
石垣と田村は車内でしゃがんだ。銃声はまだ続いていた。
「この銃声って……」
田村が言った。石垣は頷いた。
「M-16だな」
M-16は米軍が制式採用しているアサルトライフルだ。
「相手は何処の部隊でしょう」
石垣は答えなかった。が、予想はついていた。
『警視庁から06。大崎署及び各PBから応援が向かう。それまで待機されたい。以上警視庁』
「06了解」
約10分後、銃声が止んだ。石垣たちは恐る恐る頭を上げた。銃撃戦は終わっていた。
石垣はドアを開けて外へ出た。覆面パトカーのクラウンは四発被弾していて、うち一発は右前方のタイヤを直撃していた。石垣はひとつため息を吐き、装甲車の方向へ歩いていった。
「石垣さん」
田村が後ろから咎めるように言った。
「ちょっとだけさ」
石垣は振り返らず、手を振ってそう言った。
近づいていくと、やがて兵士の一人が石垣に気づいた。その瞬間、4人の兵士が全員石垣に銃口を向けた。
石垣は両手を上げた。
「I'm a Japanese police officer.(警察の者だ)」
「Show me the certificate.(手帳を見せろ)」
兵士の一人が言った。石垣は右手を懐に入れ、警察手帳を取り出し、兵士たちに提示した。
手帳を確認した兵士が頷くと、兵士たちは銃を下ろした。
「What happened?(何があった?)」
石垣は尋ねた。
「We have no obligation to say that.(言う義務はない)」
予想した通りの返答だった。石垣は兵士たちの向こう側を見た。黒のバンが一台止まっていた。銃弾の跡が無数に確認できた。更にバンの周辺には死体が三体転がっていた。
「Russia?(ロシアか?)」
石垣の言葉に、誰も答えなかった。
「You were sent to kill the Russians who shot down the helicopter. And you did your mission safely.Right?(あなた方はヘリを撃墜したロシア人を消すためにやってきた。そしてその任務を無事に遂行した。そうだろ?)」
やはり兵士たちは何も言わなかった。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。応援が来たようだ。兵士の一人が言った。
「We will withdraw.(我々は撤退する)」
4人の兵士はすぐさま装甲車に乗り込んだ。そして発進し、瞬く間に遠くへ消えた。
石垣は車に戻った。田村が不安げに石垣を見た。
おそらくこの事実は隠蔽されるだろう、と思った。国内で通告なしに米軍が展開し、武力行使を行うという事態に至っても、緊急事態という盾を使って揉み消される。隠蔽など公安部からすれば日常茶飯事だが、こうもアメリカの言いなりだとさすがに憤りを感じた。明治時代、条約改正の見返りに大審院の外国人判事採用を認めた大隈重信に憤慨した民衆の気持ちがわかったような気がした。
やがて、大崎署のパトカーが到着した。眠気はとっくに覚めていた。
※
東京都千代田区
中央合同庁舎8号館1階 講堂
緊急対処事態等諮問委員会
橘は壁の時計を見た。午前6時30分。予定の時間だ。秘書官が後ろから近づき、「お時間です」と言った。
橘は頷き、マイクを手に取った。
「皆様、本日は朝早くからお集まり頂き感謝申し上げます。本日で、マルニシティア臨時政府への戒告書に定められる期日となります。そこで本日は、マルニシティア臨時政府に対する直接強制による強制執行について諮問させて頂きます。どうかよろしくお願いいたします」
諮問委員会は、ドラゴン災害を免れた中央合同庁舎8号館で行われていた。構成員は、事件発生直後に防衛省が主導して招集した専門家たちだった。弁護士や軍事・外交の専門家は勿論のこと、SFやファンタジー作品を手掛ける作家や編集者なども集められていた。
コレット将軍は戒告書に一切の反応を示していなかった。特措法の定めによれば、今日の正午より、自衛隊による強制執行が始まることになる。将軍の身柄確保や賠償の確保、王室への政権返還が目的だ。そのため、午前11時30分までに特措法に定める手続きを済ませる必要がある。
講堂から報道陣が去っていった。本格的に諮問委員会が始まった。
同
国会 衆議院議院運営委員会
委員長が室内を見回した。構成員は全員揃っていた。橘は閣僚席に座って、委員会室の時計を見た。午前9時。
委員長が口を開いた。
「これより、会議を開きます。この際、マルニシティア臨時政府に対する強制執行について、内閣総理大臣から事前報告を聴取いたします。内閣総理大臣・朝比奈芳継君」
橘の隣に座っていた朝比奈が答弁に立った。
「まず冒頭、各党の皆様におかれましては……」
その後、強制執行は衆参両院の議院運営委員会で可決された。
同
首相官邸4階 閣議室
統合対策本部会議
橘は閣議室の時計を見た。午前11時。秘書官が近づき、「お時間です」と言った。
橘はマイクを取った。
「皆様おはようございます。これより対策本部会議を開催いたします。本日はこれまでに、諮問委員会及び衆参両院の議院運営委員会において、強制執行について承認を頂いております。今からこの会議において、正式に強制執行が決定となります。それではよろしくお願いいたします」
約30分後、マルニシティア臨時政府に対する強制執行が、全会一致で承認され、正式に決定された。
※
北海道千歳市
新千歳空港国内線ターミナル2階 出発ロビー
電光掲示板を見上げた。『羽田 運行停止』と出ていた。
男はため息を一つ吐き、ロビーの椅子に腰かけた。男は空調設備メーカーの営業部に勤める会社員で、3日前に東京本社から札幌に出張に来ていた。今日の夜に東京の取引先との会食があり、どうしても今日の夜までに東京に戻らなければならなかった。
テレビは未確認地域への強制執行に関する特別番組を流していた。
『お伝えしていますように、本日正午よりマルニシティア臨時政府への強制執行が行われます。諮問委員会、衆参両院の議院運営委員会で承認され、ただいま開催されている政府対策本部で正式に決定される予定です』
「もっと早くに言ってくれよな」
男は独り言を呟いた。
政府が未確認地域への強制執行について発表したのは3日前、ちょうど彼が東京を出発した日だった。もうそのときには帰りの羽田行きの飛行機のチケットを購入していた。しかし、強制執行の影響で『穴』周辺は民間航空機の飛行が制限され、羽田空港は発着便のすべてが終日運行停止となってしまった。なんとか成田行きのチケットを購入できたため事なきを得たが、政府の発表の遅さに苛立っていた。
ペットボトルの水を一口飲み、再びテレビに目を向けた。
『「穴」周辺は立ち入りが規制されており、羽田空港発着便は終日運行停止となっています。また東京湾は終日、民間船舶の進入は禁止されています。橘官房長官は今朝の会見で、次のように述べました。……』
千葉県木更津市
木更津金田IC入口料金所前
一般道から高速道路に入る入口は、バリケードと県警のパトカー数台によって完全に封鎖されていた。警官はパトカーの前に立ち、一般道を入る車を眺めていた。
この警官は、千葉県警高速道路交通警察隊木更津分駐隊の所属だった。自衛隊による未確認地域への強制執行に伴う『穴』周辺の立ち入り制限に駆り出され、東京湾アクアラインの千葉県側の入口であるこの料金所の封鎖を担っていた。
『千葉本部から、木更津署及び高速隊木更津分駐隊所属の各局へ。約30分後に自衛隊による強制執行開始の予定。交通規制を徹底されたい。また、警視庁から報告。東京湾アクアラインの東京側の入り口は封鎖完了とのこと。千葉側入り口の封鎖担当の局は報告されたい。どうぞ』
警官は外からパトカーの車内に手を突っ込み、無線を手に取った。
「高速隊02から千葉本部」
『02どうぞ』
「木更津金田の料金所は封鎖完了。どうぞ」
『千葉本部了解。以上千葉本部』
無線を車内に戻し、腕時計を見た。午前11時30分。そろそろ政府対策本部会議が終わるころだ。
『千葉本部から各局。さきほど政府対策本部会議が終了。本日正午からの強制執行が正式に決定されたとのこと。以上千葉本部』
そのとき、白のワゴン車が警官の前で止まった。運転手は50代くらいの男だった。
「どうかされましたか?」
運転手が窓を下した。「通れないの?」
「東京方面ですか?」
「そう」
「すみません」警官は軽く頭を下げた。「今日は終日、アクアラインは通行止めになってまして。木更津方面なら通れるんですが」
「あ、そうなの」
運転手は頭を搔いた。「困ったな。午後までに東京に行かなきゃならないのに」
「申し訳ありません」
「もう、船橋のほうから回るしかない?」
「そうなります」
「そっか」
運転手は腕を組み、2、3回頷いた。「わかった。ありがとう」
車は走り去っていった。
強制執行の発表は3日前だったため、市民への周知が徹底されていないようだった。今日は今までにも、アクアラインを通るつもりでやってきた車が数台あった。
警官が書類を取りにパトカーに戻ろうとしたとき、南の方角から轟音が聞こえてきた。見上げると、陸上自衛隊のヘリコプターが飛んできていた。木更津駐屯地から発進したのだろう。ヘリはそのまま警官の頭上を通って東京湾へ抜けていった。
いよいよ始まるらしい。無線が鳴った。
『千葉本部から高速隊02。これより陸自の車両群がアクアラインを通り東京に入る。一時封鎖解除し、陸自車両のみを通すように。どうぞ』
「こちら高速隊02。了解」
『以上千葉本部』
南西の方角に目を向けると、道路の彼方から陸上自衛隊の車両が近づいてくるのが分かった。
「さて」
警官はバリケードを開ける準備を開始した。
※
東京都千代田区
首相官邸地下一階 危機管理センター
統合対策本部
閣僚会議が終了し、橘たちは危機管理センターに入った。閣僚ら構成員が円卓の所定の位置に座る。正面のモニターには関係する機関の映像が入っていた。防衛省、東京都庁、国土交通省などである。最も大きなモニターは未確認地域の現地部隊と繋がっている。
「防衛省に中央指揮本部設置完了しました」
官僚からメモを受け取った高宮防衛大臣が報告した。
『国土交通省です。対策本部設置しました』
『総務省消防庁、対策本部設置完了です』
橘は室内を見回した。円卓の周りを官僚たちが駆け、各閣僚に報告して回る。閣僚も例外なく皆が緊張した面持ちで正面モニターを見つめている。今までに経験したことのない緊迫感がセンター内を支配していた。
「自衛隊の現在の状況について報告を」
朝比奈が稲見統幕長を見た。
「はい」
稲見が発言する。「派遣隊の戦闘部隊は現地の総監部庁舎で待機中。特殊作戦群、第1空挺団も既に現地入りし待機中です。航空自衛隊第3航空団所属のF‐2戦闘機2機編隊も現地入りし、ルクニーチェの丘上空の空自専用空域で待機中です。全部隊、出撃準備完了しています」
朝比奈は稲見の報告に頷いた。
橘は自分の心臓の鼓動が聞こえるようだった。まさか自分の政治家人生の中でこんなことが起きるとは思っていなかった。隣の朝比奈を横目で見た。そして壁に掛けられた時計を見る。
11時57分。
時間が進むのが遅く感じられた。橘は堪らず、ポケットから携帯電話を取り出し、ニュースサイトを開いた。『自衛隊強制執行まもなく』『正午より強制執行 首謀者逮捕へ』様々な見出しが躍っていた。
「執行開始まで1分です」
官邸職員が全体に言った。橘は携帯電話をしまい、時計を見た。
11時59分。
そして室内の全員が見つめる中、秒針が「12」を指した。
12時00分。
朝比奈が小さく深呼吸をし、口を開いた。
「これより、マルニシティア臨時政府に対して強制執行を開始します。作戦に参加する自衛隊全部隊に対して、無制限武器使用許可を発令します」
東京都新宿区
防衛省A棟 中央指揮所
薄暗い中央指揮所内は緊張感に満ち溢れていた。陸海空幕僚監部の局長級の幹部が円卓を囲み、官邸からの指示を待っていた。
陸上幕僚長の沢村陸将は深呼吸をして、時計を見た。ちょうど12時00分になるところだった。
そのとき、スピーカーから稲見統幕長の声がした。
『無制限武器使用許可発令。強制執行開始』
一瞬、沢村は海空の幕僚長と目を見合わせた。そしてマイクに口を近づけた。未確認地域の現地部隊に通じる通信だ。
「無制限武器使用許可発令。強制執行開始」
マルニシティア王国ルクニーチェの丘
陸上自衛隊派遣方面隊総監部庁舎
中央指揮室の壁には二つの時計があった。未確認地域の時刻を表す時計と、日本時間を表す時計だ。日本時間が12時00分を指した瞬間から、指揮室内の隊員の視線はスピーカーに注がれていた。
『無制限武器使用許可発令。強制執行開始』
防衛省庁舎にいる沢村陸幕長の声だった。根津はその声を復唱する。
「無制限武器使用許可発令。強制執行開始」
そして航空自衛隊の担当者に合図する。
「了解。作戦開始」
担当者はそう言い、管制室に指示を出した。
「作戦フェーズ1を開始」
※
マルニシティア王国ルクニーチェの丘上空
航空自衛隊専用空域
航空自衛隊三沢基地所属の有村一尉は、その愛機であるFー2戦闘機に乗ってルクニーチェの丘上空を飛行していた。隣にはもう一機、森一尉が操縦するFー2が飛行していた。
現地総監部庁舎内にある管制室から通信が入った。
『Viper, This is Wizard. Start first phase in operation. You are under my control.(バイパー、こちらウィザード。作戦フェーズ1を開始。これより誘導する)』
「This is Viper01.Roger.(こちらバイパー01、了解)」
『This is Wizard. Turn left heading 349.Descend and maintain 10 thousand.(こちらウィザード。方位349へ左旋回、10000フィートまで降下し、高度を維持せよ)』
「Roger.(了解)」
操縦桿を倒し、機首を王都の方角へ向けた。
作戦のフェーズ1は、敵の航空戦力を破壊することであった。具体的には、王都内北東にあるドラゴン居住区の破壊であった。陸上自衛隊の地上部隊が隣国のチェミリア帝国領にある山の頂上からドラゴン居住区をロックしており、それに従って空中から誘導弾で破壊する計画だ。
前方に王都、そしてドラゴン居住区が見えてきた。
「This is Viper. Perceive target. Request order.(こちらバイパー。目標を視認。指示を求める)」
『This is Wizard. Cleared fire. Attack target following instruction. I say again. Attack target. (こちらウィザード。攻撃を許可する。誘導に従い、標的を攻撃せよ。繰り返す、攻撃せよ)』
「Roger.(了解)」