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時空の扉  作者: 加賀洋介
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第3章 王国



マルニシティア王国郊外

 目を覚ますと、目の前には大理石で出来た天井があった。視線を少し傾けると、僅かに開いたカーテンの隙間から朝の陽光が差し込んでいた。すべて、見慣れた光景だ。

 ベッドから這い起き、スリッパを履いた。そのまま歩いて寝室の扉を開けると、外にはまたいつものように執事が立っていた。

 「お早うございます、国王陛下」

 「お早う」

 二人並んで廊下を進んだ。暫くすると、朝食の香りが漂ってきた。

 「お早うございます、陛下」

 食堂の扉を開けると、中にいた四人の世話係がこちらに敬礼を送る。

 「お早う」

 席につき、コック長に視線を向けた。「今朝も美味そうだ」

 「有難うございます」

 コック長が深く頭を下げた。

 「さて、頂くとするか」

 テーブル上のスプーンを手に取り、スープをすくった。日替わりで味が変わるこのスープはコック長の自慢の一品らしい。

 「お食事中、失礼します」

 そこへ、秘書官が扉を開けて入ってきた。

 「どうした?」

 訊くと、秘書官は室内の世話係に目配せした。世話係たちが退室していった。

 「先ほど参謀部内の協力者から報告がありまして」

 秘書官は控えめの声で言った。「コレット将軍の遠征軍が壊滅したようです」

 秘書官の言葉に一瞬動きが止まり、そしてスプーンをテーブルに置いた。「ほう」

 「軍部は今、混乱の極みとのことです」

 ナプキンで口を拭った。

 「そうか、失敗したか」

 「王城警察隊とラピアーノ公爵の騎士団に警戒体制を敷きました」

 「うん、構わん」

 東向きに設けられた大きな窓に視線を向けた。いつものように、朝日が昇っている。

 「これから忙しくなりそうだ」


     ※


東京都江東区-未確認地域間 特別隧道(すいどう)

陸上自衛隊大型輸送回転翼機 CH-47JA

 『(ホール)』内に進入してから二分が経過していた。篠崎たちの乗るCH-47JAをはじめ、派遣団の編隊は『特別隧道』を進んでいた。この名称は先ほど閣議決定されたらしい。

 機内は誰もが無言だった。いつも何か話している上森や内田も、今このときは口を閉じている。頭上から聞こえるローターの爆音だけが響いていた。

 『全機、こちらコブラ01』

 先頭のヘリからだ。『前方に微かに光を視認。隧道出口の可能性あり。送れ』

 『コブラ01へ。了解。総員、戦闘準備』

 根津一佐が答え、指示を出す。『89式小銃(ハチキュウ)は単発に設定。発砲は隊本部の指示を仰ぐように。送れ』

 『こちら第二中隊、了解』

 『こちら第三中隊、了解』

 「こちら第一中隊、了解」

 『こちらコブラ01。まもなく隧道出口』

 前方を見ると、確かに光が見えた。もう近くだ。いよいよだ、と思い、密かに息を吐いた。

 「いよいよですね」

 横で佐々木副長官が言った。

 「ええ、いよいよです」

 もう一度前方を見ると、もう光が視界いっぱいに広がっていた。

 『隧道出ます』

 一気に視界が開けた。暗い空間から明るい空間にいきなり出たために、数秒間、視界が真っ白になる。しかしすぐに、周りが見えてきた。

 「おお……」

 最初に感嘆の声をあげたのは、篠崎の隣の水沼だった。それにつられるように、他の隊員や官僚たちも窓から外を見下ろす。

 出口の先には、豊かな草原が広がっていた。綺麗な緑色が地面を覆い、ヘリの吹き下ろしの強風により波紋が広がっていくように草花が揺れている。空は雲ひとつない快晴で、日の光が燦々と降り注いでいた。

 『こちらコブラ01。着陸最適ポイント確認。これより着陸態勢に入る。送れ』

 通信が終わると同時に、高度が下がった。

 『これより着陸しますので、衝撃にお気をつけ下さい』

 関機長がインカムを通して言った。

 みるみるうちに高度は下がり、やがて草花の形が判別できるほどに地面に接近した。そして下から突き上げるような衝撃とともに、着陸した。

 「よし、全員出るぞ。小銃用意」

 篠崎の声で隊員たちが一斉に立ち上がる。関機長が機体後方のハッチを開けた。

 「副長官たちは少し機内でお待ちください」篠崎は佐々木たちに言った。「我々が外の状況を確認しますので」

 「分かりました」

 佐々木が首肯した。

 外は風が吹いていた。ヘリの吹き下ろしの風と、そよ風だ。草原が波打っていた。

 「こりゃあ、すげえ……」

 上森が感嘆の声を上げた。

 篠崎も、言葉を失っていた。

 草原の向こうには、都市が広がっていた。レンガ造りの家々が立ち並び、町の中心には荘厳な趣の城郭が聳えていた。

 篠崎たちのヘリが着陸した場所は小高い丘になっていて、その丘をおりてしばらくのところに、煉瓦でできた壁があった。町はその壁に取り囲まれているらしい。

 「ん?」

 そこで篠崎は違和感を感じた。隣で内田も少し怪訝そうな顔をしていた。

 「内田、お前も同じことを考えてるか?」

 「ええ、おそらく三佐と同じことを」

 内田は頷いた。

 「全然人がいませんねえ」

 上森が鉄帽の庇をあげながら言った。

 「それに、建物の様子も変だ」

 そう。その町には人の生活する気配が感じられなかった。石畳の街道には猫の子一匹おらず、数羽の鳥が飛び交っているだけだった。それに加えて、煉瓦造りの家々は所々崩壊し、瓦礫の散乱している箇所もあった。

 「内戦でもあったんでしょうか」

 「それか、自然災害の類いかもしれない」

 『全隊へ。これより前線指揮所の設営を行う。C地点に集合されたし。送れ』

 無線の声に篠崎は編隊のほうを振り返る。

 「あとで偵察にうちが駆り出されるだろうし、一旦指揮所に戻るぞ」

 「了解です」

 三人は小銃を構え直した。


     ※


マルニシティア王国

王都アテルス郊外 ルクニーチェの丘

 小川を泳ぐ魚を眺めていると、いつの間にか太陽が真上に来ていた。眺め始めたときには、まだ東の山から半分顔を出していただけだった。

 クレアは顔を上げ、腰を上げた。数時間同じ体勢でいたはずだが、不思議と疲れはない。この丘の生き物たちを眺めることはそれほどまでに彼女にとっては幸せなことだった。

 ワンピースの汚れを手で払い、クレアは丘の頂上へと歩き始めた。丘の頂上から見る王都アテルスの光景は絶景だった。今も十分絶景だが、4年前のほうがずっと綺麗だった。あの頃はまだ母もシリルもいた。

 ふと違和感を感じクレアは足を止めた。そして、頂上に視線を向けた。

 丘の頂上には見慣れぬ巨大な物体がいくつもあった。深緑色をしたそれは、太い丸太を横たえたようだった。だが、丸太と違うのは、その物体の上に馬車の車輪のようなものが二つ付いているところだった。

 その物体の周りを、これまた深緑色の服を着た男たちが行き来していた。何やら大きな布を広げ、小屋のようなものを作っていた。王国軍でもなければ、何処かの貴族の騎士団でもないようだ。

 「何処の軍隊かしら……」

 クレアがそう呟いたとき、背後で何かが動いた。

 恐る恐る振り返ると、小川の畔に灰色の身体をした生き物が三匹いた。ガルルと声を上げている。濁った瞳とクレアの目が合ってしまった。

 ゴブリンだ、と瞬間的に認識した。

 クレアは一歩後ろに下がった。こういうときは、急な動きをしてはならないと物心ついたときから教えられてきた。ゆっくり、一歩ずつ、ゴブリンから離れて行く。

 三歩ほど下がったところで、ゴブリンが動いた。クレアの動きに合わせるように歩を進めてくる。

 クレアは後ろ歩きで丘の頂上を目指した。ゴブリンも一歩ずつ追ってくる。クレアは丘の頂上にいる男たちが敵でないことを祈った。彼らが敵であったなら、この状況は最悪だ。挟み撃ちにされている。

 先頭の一匹が口を開けて威嚇してきた。黄色い歯を剥き出しにした。

 クレアの身体は大きく震えていた。足許も覚束なくなっていた。

 ゴブリンが持っていた木の棒を地面に叩きつけた。

 限界だった。クレアは身体を反転させ、頂上に向かって走り出した。

 「たすけてー!」

 全力で駆けながら無我夢中で叫んだ。背後からゴブリンたちが追ってきているのが分かった。クレアは叫び続けた。

 頂上の男たちがこちらに気付いたようだ。人が集まってくる。リーダー格のような人物に何人かが相談しているのが見えた。

 「たすけてー!」

 クレアは力一杯叫んだ。『翻訳の魔法(マクトランス)』は大陸にいれば必ず効いている筈だ。だからアレクシア語で言っても通じる。

 頂上で、数人の男たちが杖のようなものをこちらに向けた。リーダー格らしき男が手を大きく振る。よけろ、ということらしい。

 クレアは身体を右側に傾けた。

 次の瞬間、男たちの持つ杖の先端から火花が散った。続いてパン、と何かが破裂するような音が連続して鳴った。

 クレアは走り続けた。やがて音は止んだが、それでも恐怖がクレアを走らせていた。

 草花に紛れて小さな岩があった。クレアの足がそれに引っ掛かり、草原にうつ伏せに倒れた。

 クレアは慌てて起き上がり、背後を振り向いた。だが、もうゴブリンは追ってきてはいなかった。代わりに、深緑色の服を着た男たちが人だかりを作っていた。何かを数人で囲んでいる。

 クレアは立ち上がり、そこまで歩いていった。

 男たちの一人がクレアに気が付いた。

 「怪我はありませんか」

 その男が言った。

 「ええ」クレアは笑顔で頷いた。「助けてくださって有難う」

 「いえ、仕事ですから」

 「仕事?」

 クレアが首を傾げたとき、男たちの取り囲んでいるものが見えた。

 三匹のゴブリンの死体だった。

 「ひゃっ」

 クレアは思わず小さく叫び、口許を手で覆った。

 ゴブリンの死体はいづれも、胸のところに小さな穴が開いていた。まるで釘をトンカチで刺された痕のようだった。その穴からはゴブリンの茶色い血液が流れ出ていた。

 「少し刺激が強いかな」

 男たちの中からあのリーダー格の男が出てきた。

 「あの……えっと……」

 クレアはゴブリンの死体から目を反らした。リーダー格の男の胸元には文字が刺繍されていた。おそらくは名前だろう。『ネヅ』と読めた。

 「お嬢さん」

 ネヅが言った。「こちらもこの土地の情報を全く持ち合わせていないのです。まず、こいつの正体を教えて貰っても?」

 ネヅはゴブリンの死体を指差していた。

 「ええ」

 クレアは頷いた。「これは、ゴブリンです」

 「ゴ、ゴブリン?」

 「ゴブリンってあのゴブリンか?」

 クレアの言葉に男たちが顔を見合わせる。

 「続けて」

 ネヅがクレアを促した。

 「ゴブリンという種族は何万年も前からこの大陸に生息していました。ところが私たちヒト種が文明を発展させ始めると、彼らはその容姿から駆除の対象となりました。そこで彼らは生息地を地下に移したのです」

 クレアは一旦言葉を切った。男たちの反応を確かめてから続けた。

 「このルクニーチェの丘も彼らの生息地の一つで、地底にゴブリンの巣があります。普段は地下で生活しているので私たちに害はないけれど、衝撃を感じたりすると地上に姿を現すのです」

 「衝撃……」

 男たちが再び顔を見合わせる。

 「着陸の衝撃かな?」

 「そうかも」

 何やら話していた。

 「あの」

 クレアは思いきって少し前のめりに言った。「あなた方は何処の軍隊?」

 クレアの問いにネヅは、一瞬躊躇うような仕草を見せた。だがすぐに口を開いた。

 「我々は、ジエイタイです」

 「ジ、ジエイタイ?」

 「はい」ネヅは小さく頷いた。「『穴』の向こうから来ました」

 「え!」

 ネヅの言葉にクレアは目を見開き、思わず大きな声を出した。

 「『穴』って、あの?」

 クレアは西の方角を指差した。その先では、暗闇が大きな口を開けている。

 「ええ、そうです」

 ネヅが言った。「それで、我々はこの土地のことをよく知る必要があるのです」

 クレアはそこではっと気が付いた。

 「あなた方は王国に報復に来たってこと?」

 ネヅはぽかんとした表情を浮かべ、次の瞬間には頬を緩ませていた。

 「いや、我々は軍隊ではなく、自国を守るための組織ですから。他国への攻撃は許されてません。『ジエイタイ』の『ジエイ』は『自らを護る』という意味です」

 「じゃあ、何のために」

 クレアの問いにネヅは少し目を細くした。

 「我が国への攻撃を首謀した者の逮捕、及び賠償の交渉、並びに現地の実態調査です」

 「じったいちょうさ……」

 クレアはネヅの言ったことを反芻した。

 「それなら」

 少ししてクレアは言った。「私がこの国を案内します」


     ※


未確認地域前線指揮所

陸上自衛隊未確認地域特別派遣隊

 「これより現地調査を開始する」

 隊員たちの前に立った根津がそう宣言した。「出発するのは一普連のみ。中即連は戦闘要員としてここに残る。案内はこのクレアさんにお任せすることになった」

 根津の紹介で白いワンピースを着た女性が前に出た。歳の頃は10代後半といったところか。「お願いします」と言ってペコリと頭を下げた。

 クレアが下がったあと、根津が再びマイクを持った。

 「各分隊に一人ずつ、ヘルメットに装着する小型カメラを配布してあるから、それで必ず状況を記録するように。その映像はリアルタイムでここに送られ、副長官方にご覧いただく。加えて、今後の防衛監察や公聴会、更には国会でも証拠として用いられる見込みであるから心得ておくように」

 カメラは既に篠崎が受け取っていた。後で水沼にでも渡しておくつもりだった。

 「えー、それと念のため言っておくが」

 根津が全体を見回した。「これより先、この土地で得られる全ての情報は、特定秘密保護法の規定に基づく特定秘密に指定される。諸君も既に同法に基づく適正評価を受けていると思うが、再度確認して欲しい」

 隊員達を見据えたあと、根津は佐々木と視線を交わし、再び正面を見た。

 「では、出発」


 水沼が小型カメラを鉄帽に装着したのを確認し、篠崎はクレアに向き直った。

 「じゃあ、お願いします」

 「はい」

 クレアは明るく頷いた。「わかりました」

 「総員、戦闘用意。89式小銃(ハチキュウ)は単発に設定。ゴブリンや敵対勢力に遭遇した場合は前線指揮所の指示の後、攻撃する」

 篠崎は小銃を構え直す。その隣で上森と内田、それに宮下も小銃を確認した。その他の隊員も準備万端だ。

 「それじゃあ行きますよお」

 クレアがそう言って歩き出した。

 前線指揮所のあった丘を下り、草原を歩いていく。太陽は頭上で燃え、足元では草花が風に吹かれ揺れていた。

 一行が歩いていく先には煉瓦造りの塀が見え、その更に先に城が見えた。その周りには住宅と瓦礫が見えた。

 「クレアさん」

 篠崎は一行の先頭を行くクレアの隣に並んだ。隣を歩くと風に吹かれたクレアの髪から仄かにいい香りがした。肩口をくすぐる、綺麗な黒髪だった。

 「なんです?」

 クレアは微笑しながら篠崎の方を見た。

 篠崎は頬が熱くなるのを自覚しつつ、口を開いた。

 「この国について、色々教えてもらっていいかな。情報が全くなくてね」

 「いいですよ」

 そう言ってクレアは少し考える仕草をした。「どこから話しましょうか」

 「お好きなところから」

 クレアは暫く「んー」と悩んでいたが、やがて「よし」と言って篠崎に向き直った。

 「これは学校の歴史の授業で習うことですけどお」

 そう前置きして話し始めた。

 「初代国王ネイサム・マルニシティアが市民たちの声に応えて即位したのが1万5千年前、王国の暦はここから始まります。最初は小国でしたが、徐々に勢力を広げ、今の領土の広さになったのは3千500年前です。それからは大きな災害や戦争もなく、比較的平和な時代に入ります」

 クレアはそこで一旦言葉を切り、進行方向に見える町並みに目を向けた。篠崎は黙って続きを待った。

 「でも、3年前に突然ある事件が起きます」

 「事件?」

 「ええ」

 クレアは頷いた。「王国議会元老院議長一家が爆殺されました」

 「穏やかでないですね」

 宮下が言う。

 「普通はそういう大事件があると、憲法の規定で王国軍が捜査を担当します。でも、この時はそうならなかった。王国軍は事件の二日後、兵を首都アテルスを進め、議事堂を破壊。その後王城を奇襲し、国王夫人を殺害したのち、王国の統治権を完全に掌握したのです」

 淡々とクレアは語った。だが、クレアの目に涙が浮かんでいるのを篠崎は見逃さなかった。

 「それはつまり、クーデターということか」

 篠崎の言葉にクレアはあふれでた涙を指で拭い、頷いた。

 「国王とその娘は郊外に逃げました。元老院で親国王派だったラピアーノ公爵の別荘で暮らしています」

 クレアの涙で一行の雰囲気は沈んでいた。上森や内田の軽口もさすがに聞こえない。他の者も口をつぐんだままだ。

 塀が近づいてきた。クレアは左折した。

 「町は軍の支配下にあります。町は避けて、郊外のモンタナという村まで行きましょう」

 篠崎は時計を確認した。

 「水沼、前線指揮所へ報告。首都には向かわない。郊外のモンタナという村まで行く。あとヘリで向かうときは塀へはあまり近づかないように」

 「了解」

 水沼が無線を操作する。その隣で宮下が何かに気づいたような顔をした。

 「あの」

 「どうした?」

 「王国の統治権は軍が握ってる。そうですね」

 宮下の確認にクレアは頷いた。

 「ということは、東京攻撃を主導したのは国王ではなく、軍の司令官ということですか」

 「あ……」

 上森の声が漏れた。

 「確かに」

 篠崎も思わず言った。「つまり、我々が拘束しなければならないのは国王ではない」

 「三佐」

 そこに水沼が無線機を差し出した。「前線指揮所から根津一佐です」

 篠崎は無線機を受け取った。

 「こちら第一偵察隊篠崎です。送れ」

 『R01、FCP。根津だ。送れ』

 「FCP、R01。感明よしです。送れ」

 『R01、FCP。その娘の言うことは信用できるのか。送れ』

 「は?」篠崎はクレアを一瞥した。「どういう意味です?」

 『もし、彼女が王国の工作員だとすると、我々は本当の敵の許にノコノコついていくことになる。送れ』

 「しかし……」

 篠崎の脳裏にクレアの涙がよぎった。「そうは思いたくありません」

 『三佐、貴官は任務に感情を持ち込むような人間ではないはずだ』

 根津の声に篠崎は言葉に詰まった。

 『まあ、こちらも彼女が敵である可能性を積極的に支持している訳ではない。それに仮に敵であっても、敵本部に潜入するのはデメリットだけではない』

 「つまりどうすると?」

 『念のため、中即連の部隊を近くに配置しておく。そちらも油断しないように』

 「了解しました」

 通信を終えた篠崎をクレアが見ていた。

 「何か問題でも?」

 「いや」篠崎は首を振った。「それで、東京攻撃を主導したのはその軍部の司令官なのか」

 「はい」

 クレアはしっかりと頷いた。「軍が時空の扉を開き、異世界侵略を決行したことは聞いています」

 「時空の扉、か」

 「ええ。魔法により開きます」

 左折した篠崎たちは、煉瓦で岸を固められた小川を左に見ながら進んでいた。城壁の方を見ると、塀の上に人影が見えた。おそらくは軍の警備兵だろう。

 「じゃあ、今度はその魔法とやらについて教えてもらおうか」

 篠崎はクレアにそう言って、水沼に「ちゃんと記録しておけ」と合図した。


     ※


東京都文京区

白山通り

 クライムはハンドルを切って、車を右折させた。しばらく走るとマンションが見えた。

 「あなたと買い物なんて久しぶりね」

 車を駐車場に止めたとき、助手席のさつきが言った。

 「そうだな」

 クライムはトランクから買い物袋を取り出しながら微笑んだ。「事件前から何かと忙しかったしな」

 東京湾岸攻撃事件に際して日本政府に特別顧問として協力していたクライムだったが、事態の沈静化に伴い一時的に自宅へ帰ることが出来ていたのだ。勿論、不測の事態に備え、統合対策本部とはいつでも連絡が取れるようにしてある。

 久しぶりの休暇だったので、今日はさつきに買い物に誘われたのだった。都内でも被害のなかった練馬区まで足を伸ばし、食料品や日用品を購入した。

 「ええ、ほんとに」

 さつきはそう言って両手を叩いた。「さあ、すぐに夕食にしましょう。今晩はパエリアでも作ろうかな」

 「君の料理はどれもほんとに美味しいからな。期待してるよ」

 そんな会話を交わしながら、二人はエレベーターで24階まで上がり、自室に到着した。外はもう暗くなっていた。

 「ええと、鍵は……」

 さつきがバックの中を探した。

 「あ、あった」

 鍵を発見したさつきはそのまま鍵穴に鍵を差し込み、回した。かちゃと音がして解錠した。

 さつきに続いてクライムは買い物袋を提げて室内に入った。

 「もうこんなに暗いわ」

 さつきはそう言って電気のスイッチを入れようとした。

 その瞬間、クライムの鼻腔が反応した。一瞬のうちに3度確認する。間違いなかった。微かにガスの臭いがした。

 「だめだ!さつき!」

 クライムは買い物袋を放り出し、さつきに向かって叫んだ。

 「え?」

 だが、クライムが叫んだときにはもうさつきの手はスイッチを押していた。

 部屋の奥で火花が見えた。そして次の瞬間には炎がリビングから玄関ホールに押し寄せてきた。

 「あなた……」

 目を見開いてこちらを振り返ったさつきを、背後から炎が襲った。

 「さつきー!」

 クライムは反射的にさつきに向かっていった。が、クライムの手が届くより前に、さつきの姿は炎の中に消えた。

 そして、クライムの意識は強烈な熱風を感じたあと、途切れた。意識の途切れる直前のクライムの脳裏には、炎に包まれたときの、諦観の浮かんださつきの瞳が焼き付いていた。


     ※


マルニシティア王国ミリトネア州

モンタナ村

 「つまり、今魔法を使える者は殆どいない?」

 「『殆どいない』とまでは言えませんが、数は限られています」

 篠崎の質問にクレアははっきりした口調で言った。

 篠崎たち一行は首都アテレスを離れ、モンタナという農村に入っていた。道の両側には古びた煉瓦造りの家々が並び、農作業していた住民たちが好奇の目線を篠崎たちに向けてくる。

 篠崎はクレアからこの国の魔法について教わったところだった。それによると、この国では古くから魔法が広く使われてきたが、近年は衰退傾向にあり、特にクーデター後の軍事政権誕生後は魔法省により魔法が厳しく統制されているらしい。

 「ところで君は何処へ向かっているんだ?」

 道端の老婆の視線を受け流し、篠崎はクレアに問うた。

 「国王のところです」

 クレアは真っ直ぐ前を見据えたまま言った。

 「国王というと……」

 「政権を軍部に奪われた、ラサール・ヴァン・マルニシティアです」

 「彼の邸宅がこの先に?」

 「ええ」クレアが頷いた。「元老院で親国王派だったラピアーノ公爵領でかくまわれています」

 「どうして」

 そこで背後から宮下が声を上げた。

 「どうしてそれをあなたが知っているの?国王とどういう関係?」

 篠崎はクレアを見た。クレアは立ち止まり、地面の一点を見つめていた。

 「何か話せない事情でもあるのか?」

 あまりに長いクレアの沈黙に、篠崎は尋ねた。

 篠崎の問いにクレアは表情を明るくして顔を上げた。

 「そのうちに分かります。そのうちすぐに」


 その後歩いていくこと約10分、一行はある豪邸の前に辿り着いた。赤レンガで造られた城郭を思わせる壁。五階ほどある、これまた煉瓦で造られた建物。屋上からには旗が掲げられていた。白地に黄色の横線が二本入り、その二本の線にまたがるように、竜のような紋章が描かれていた。

 「我が国の国旗です」

 クレアが説明した。

 「ここが?」

 「はい」篠崎の確認にクレアは頷いた。「ここがラピアーノ公爵の邸宅で今はマルニシティア国王が生活しています」

 クレアが言うのを聞いて、篠崎が再び建物を見上げたとき、正面の大きな扉が開き始めた。

 篠崎を含め隊員全員が警戒して扉のほうを見ていた。ゆっくりと時間をかけて開いた扉の内側から、一人の男が現れた。

 「殿下、この方々は?」

 執事の格好をした初老のその男がクレアに向かって言った。それと同時、壁の上にいくつもの人影が現れ、頭上から弓矢で狙われる格好になった。

 「爺や、武器を下ろすように言って」

 「しかし、殿下……」

 クレアとその男が言葉を交わす。

 「ちょ、ちょっと待った」

 篠崎は背後からクレアに話しかけた。

 「殿下とは?」

 篠崎の問いに一瞬クレアはぽかんとした顔をしたが、すぐににやりと笑った。そして、執事らしきその男に向き直った。

 「爺や、この方たちは味方よ。だからこの方に私が誰か、教えて差し上げて」

 クレアの言葉を受け、その男が篠崎たちに向いた。

 「こちらは、マルニシティア王国第一王女、クレア・マルニシティア殿下であらせられます」

 「えっ」

 篠崎と内田が同時に声を上げた。

 クレアは微笑んだ。

 「そう、国王は私の実父にあたります」

 いつのまにか、篠崎の手から力が抜けていた。


     ※


東京都世田谷区

都道420号線下馬一丁目交差点

 『国会前では昨日から、市民団体の抗議デモが行われており、「(ホール)」に関して政府に真摯な対応を求めています……』

 情報本部の木村二尉は車のハンドルを操作しながらカーラジオを切った。

 東京湾岸攻撃事件発生時から、『穴』を封鎖すべきという意見は世論としてあった。そして、『穴』内に自衛隊を派遣した政府に対する批判もあった。だがそれは僅かに燻っている程度だった。

 市民の声が爆発したのは昨日のことだ。昨日午前、衆議院で開かれた関係省庁に対する野党合同ヒアリングの場において、外務省担当者が政府の自衛隊派遣決定について「藪から棒であり、はっきり言って迷惑だ」と発言したのだった。これが報道されるやいなや、各市民団体が抗議の声明を発表したのだった。

 木村はハンドルを切り、車を自衛隊中央病院の敷地へと滑り込ませた。

 自衛隊中央病院。東京世田谷区の陸上自衛隊三宿駐屯地内にある病院で、三自衛隊の共同機関だ。防衛大臣の指揮監督の下で、傷病者の治療や診療放射線技師の養成、防衛医科大と連携した医師臨床研修などを行う。地上10階地下2階建てで屋上にはヘリポートが設けられている。

 車を駐車場に停め、木村は院内に入った。受付で身分証を見せ、クライムの病室の場所を尋ねた。

 昨日夜、文京区のクライムの自宅で爆発事故が発生した。クライムと彼の妻、さつきが巻き込まれ、病院に搬送された。さつきは死亡、クライムは重体で、未明に自衛隊中央病院に転院したのだった。木村は上司の指示を受け、クライムの見舞いにやってきたのだ。

 受付で教えられた通り、4階の病棟まで来た。クライムがいるという個室は廊下の一番端にあった。ドアをノックし、返事を待たず引き開けた。

 「情報官、失礼し……」

 木村は室内を見て言葉を切った。

 三人の男がこちらに視線を向けていた。全員が黒のコートを着ていて、顔立ちはロシアのそれだった。コンマ数秒、木村と男たちは見つめあった。

 男の一人が懐に手を入れるのと、木村が身を壁に隠すのはほぼ同時だった。身体を壁に押し付けたとき、室内から銃弾が飛び出てきた。そしてすぐにけたたましい銃声が次々に響き渡った。

 「くそ!」

 木村は腰のホルダーから9ミリ拳銃を取り出し、考えを巡らせた。木村の9ミリ拳銃の装弾数は9発。銃撃戦は想定していなかったため替えの弾倉は持ってきていなかった。一方相手は、銃声やロシアの人間であることなどからおそらくグラッチ自動拳銃だろう。グラッチの装弾数は18発で木村の倍だ。更に人数も圧倒的不利であり、替えの弾倉も用意しているはずだった。状況は絶望的であった。

 銃声が鳴り響き、壁に弾痕が次々できているなか、木村は視線を右に向けた。そこには消火器が置かれていた。

 木村はその消火器を持ち、深呼吸をした。そして、自らに掛け声をかけ、敵の前に立ちはだかった。

 頬を銃弾が掠めた。木村は姿勢を低くし、消火器を敵の方向へと放り投げた。先頭の男の足許に消火器が到達したところを、木村は拳銃を向け、躊躇わず引き金を引いた。

 凄まじい爆音と何かが弾き飛ばされる音。ガラスが割れる音とロシア語の怒声。室内は一瞬にして真っ白になり、視界はほぼゼロ。しかし、木村の計算は合っていた。

 窓が男たちの背後にあるため、陽光が彼らの影を映した。がむしゃらに発砲してくる敵に木村は銃口を向ける。左腕に強い痛みを感じた。木村はいつの間にか二つになっていた影に拳銃を発射した。

 二つの影が倒れ、次第に視界が晴れてきた。ベッド脇に男が二人倒れていた。一人は胸部と頸部に銃弾をうけ既に絶命していた。もう一人は腹から血を流し、仰向けに倒れ喘いでいた。

 木村はその男に顔を近付けた。

 「А вы кто(お前は何者だ)」

 男は力なく首を振った。

 木村は立ち上がり、銃弾を男の額に撃ち込んだ。

 窓の外をのぞきこむと、消火器の爆発で吹き飛ばされたのだろう、地面に血まみれの男の死体が転がっていた。

 室内に視線を戻し、そこで気がついた。

 ベッドの上は、無人だった。


     ※


マルニシティア王国ミリトネア州

ラピアーノ公爵領

 「そうですか、『穴』の向こうから」

 執事のヴィルトールは篠崎の話に深く頷いた。

 邸宅の敷地内に入り、彼に事情を説明していた。ヴィルトールは物腰の柔らかな温厚な紳士であった。

 「そういうことであれば、国王陛下もお会いになるでしょう」

 そう言ってヴィルトールは立ち上がり、金時計を確認した。「今陛下は趣味の読書を楽しんでおられます。重要なお客様がお越しになられたとお伝えして参ります」

 「よろしくお願いします」

 篠崎は鉄帽を脱ぎ、頭を下げた。

 ヴィルトールが建物の中に消えたあと、上森が横に来た。

 「CPへの連絡はどうします?」

 「そうだな」

 篠崎は背後のクレアに一瞬視線を投げ、上森に戻した。「人員を寄越してもらおう」

 「わかりました」

 上森は無線を操作しながら立ち去った。

 「あなたが指揮官ですか」

 突然横から声を掛けられた。多少驚いて視線を向けると、一人の騎士が立っていた。

 「この隊では本官が指揮を執っていますが」

 篠崎の答えに騎士は頷いた。

 「私は公爵領の防衛を担当するラピアーノ騎士団の団長でジノアールと申します。『穴』の向こうから兵がいらっしゃったと聞き、ご挨拶に」

 「なるほど」

 篠崎はジノアールを観察した。甲冑の上からでも分かる引き締まった肉体に、顔面まで鍛え上げられた筋肉。本物の軍人だった。篠崎は米軍との共同訓練を思い出していた。

 「『穴』の向こうには……」

 ジノアールが口を開いたとき、頭上から鐘の音がした。まるで除夜の鐘のように繰り返し鳴り響いた。

 「敵襲!敵襲!」

 見上げると、建物の屋上で兵士が鐘を打ち鳴らし、声を張り上げていた。おそらくはラピアーノ騎士団だろう。

 「敵襲です」

 ジノアールは言った。

 「というと?」

 自衛官たちが小銃を構えた。

 「おそらくはあなた方がここに来たのが王国軍に知られたのでしょう。もうじきドラゴンがやってきます」

 建物の中から兵士が幾人も外へ出てきた。

 「騎士団が対処します」

 篠崎はジノアールから視線をはずし、背後を振り返った。

 「上森!本部は?」

 上森は無線に耳を傾け、そして言った。

 「無制限武器使用許可は出ていないため、早急に官邸と市ヶ谷が協議します」

 篠崎は思わず顔をひきつらせたが抑えた。

 「了解。総員、待機維持」

 ジノアールに視線を戻した。

 「団長、会敵まではどれくらい?」

 「すぐだ」

 ジノアールは即答した。「君たちは戦えないのか」

 責める響きではなかった。

 「申し訳ない。こちらは少し法律が複雑で、安易な武器の使用ができない」

 ジノアールは頷いた。

 「理解した。君たちは建物の中に待避していてくれ」

 ジノアールの言葉に篠崎は少し躊躇したが、首を縦に振った。

 「分かった。こちらも要件が整い次第、交戦する」

 「ああ、頼んだ」

 篠崎たち自衛官は、クレアを援護し、建物の中に待避した。

 煉瓦造りの壁に身を預けていると、遠くから獣の咆哮が聞こえた。

 「来ましたね」

 宮下が言った。

 「ドラゴンというと、東京に出たものと同じかな」

 「もしそうならかなりやばいですよ」

 水沼が首肯した。

 「中央特殊武器防護隊の報告では、不明飛行生物の表皮はAPC並みの強度だそうです」

 「確かにコブラの20ミリは効かなかったと聞いている」

 「ラピアーノ騎士団の戦力がどれくらいか、ということですね」

 咆哮が近くなっていた。建物の外から声が聞こえた。

 「ドラゴン確認!」

 「砲撃用意!」 

 頭上で大砲の発射音が響いた。屋上に設置されたものらしい。立て続けに五発発射された。

 「三発命中!」

 「次弾装填!」

 屋外を覗き見ると、庭で兵士たちが弓を引いて応戦しているのが見えた。見たところ普通の弓矢のようだ。

 「クレアさん」

 篠崎は壁際で唇を噛んでいたクレアに尋ねた。「ここの騎士団は魔法は?」

 「もってない。王国軍側でも魔法を使えるのは僅か」

 「三佐」

 上森が呼んだ。「本部からです。有害鳥獣駆除を目的とする武器使用を許可するとのことです。攻撃の客体はドラゴンのみに限定」

 「了解した」

 篠崎は銃倉を確認した。

 「みんな聞いたな。これより敵勢力への攻撃を開始する。89式小銃は単発に設定。騎士団との連携を忘れるな」

 「了解」

 篠崎はクレアに視線を向けた。するといつの間にか彼女の隣にヴィルトールが立っていた。

 「クレア殿下は私が」

 ヴィルトールの言葉に頷き、屋外へ向かった。

 「三佐」

 上森が背後から言った。「本部から。対戦ヘリ1機を送るそうです」

 「了解した」

 外との出入り口で一度立ち止まる。咆哮はすぐ頭上でしている。弓で応戦するジノアールと目が合った。彼は篠崎に頷いてみせた。

 「では出るぞ。5、4、3、2、1(ヒト)、今!」

 篠崎は右足から素早く外へ出た。兵士たちが弓を向けている先に、同じように小銃を向ける。

 そこに飛んでいたのは朱色のドラゴンだった。サイズは東京のものよりかなり小さかった。咆哮をあげてはいるが、炎は出していなかった。

 「状況は?」

 ジノアールに尋ねた。

 「良くはない。弓矢では歯が立たない。想定内ではあるがな」

 確かに、矢は届いているが、全く損傷を与えられていなかった。自衛官が89式小銃による攻撃を開始しているが、これも効果があるかどうか。

 「団長」

 篠崎はジノアールに言った。

 「もうすぐ、我々の強力な援軍が来る」


未確認地域前線指揮所

 「コブラ01。CP離陸1626。ETAは1630。送れ」

 福井一尉はAH-1Sの操縦桿を握りしめ、離陸させた。この機にはペイロードいっぱいに兵装が積まれている。

 有害鳥獣駆除を目的とする武器使用許可を受け、福井一尉に出動命令が下りた。任務は、ドラゴンの駆除。そして、篠崎三佐たち第一偵察隊の援護だ。

 『こちらA03。コブラ01。送れ』

 篠崎三佐からの通信だった。

 「こちらコブラ01。送れ」

 『コブラ01。航空支援を要請する。目標は飛行生物。体長約20メートル。送れ』

 「コブラ01。了解。現着予定時刻は1630。送れ」

 そこから福井は管制官の指示を受けながら、針路を西にとった。

 「こちらコブラ01。針路(トラッキング)287。送れ」

 しばらくすると、前方に飛行物体を目視した。あれがドラゴンのようだ。

 「こちらコブラ01。目標視認。ホールディングエリアにて待機。送れ」

 『こちらCP。地上班は攻撃続行中。攻撃開始。送れ』

 「こちらコブラ01。了解。AP1進入。送れ」

 福井は操縦桿を傾け、ヘリを前進させた。地上では建物の上から大砲による砲撃や弓矢での攻撃が行われていた。自衛隊の小銃による攻撃も行われていたが、いづれも効果は認められなかった。

 「こちらコブラ01。目標に接近。距離約950。誘導弾発射準備完了。最終確認を求める。送れ」

 『コブラ01。攻撃を許可する。送れ』

 「了解。目標、不明飛行生物頸部。距離950。誘導弾発射」

 福井は発射ボタンを押した。

 AH-1SからAIM-9サイドワインダーが発射された。白い軌跡を描きながら、真っ直ぐにドラゴンに向かう。

 ドラゴンの頸部に直撃した。爆発音と咆哮が聞こえ、ドラゴンは黄色い体液を傷口から垂らしながら、高度を下げていった。

 「こちらコブラ01。誘導弾命中。なお、目標は高度を落とし、近隣の耕作地に墜落の模様。送れ」

 ドラゴンは見る見るうちに高度を下げ、第一偵察隊のいる建物から少し離れた畑に墜落した。凄まじい量の土煙が舞い、衝撃で樹木が大きく揺れた。

 建物に視線を戻すと、騎士たちが歓喜の舞を踊っていた。ヘリの音で聞こえないが、歓声を上げているのが分かった。

 ドラゴンはもうピクリとも動いていなかった。自衛官たちがドラゴンの死体を確認しに行くのが見えた。

 「こちらコブラ01。目標沈黙。RTB」

 福井は操縦桿を傾け、針路を前線指揮所へとった。


     ※


東京都千代田区

首相官邸5階 総理執務室

 橘は室内のメンバーを確認した。朝比奈、橘、高宮防衛相、岩井外務相、防衛省から稲見統合幕僚長、岡田情報本部長、大臣官房審議官、統合幕僚監部総括官、外務省から総合外交政策局長代理、欧州局長、警察庁からは警備局長が出席していた。そして一番下座には、陸上自衛隊の制服を着て、左腕を三角巾で吊った木村二等陸尉が座っていた。

 「本日は大変重要なお話があり、お集まりいただきました」

 岡田が立ち上がり、全体に言った。

 「『穴』内で不明飛行生物と交戦したことか?」

 岩井外務大臣が両手を組み、言った。

 「いえ、本日は別件です」

 橘は朝比奈と顔を見合わせた。

 「詳しい話はそこの木村が説明します」

 岡田に指名された木村は立ち上がり、閣僚、官僚を見据えた。

 「昨夜、クライム情報官の自宅で爆発事故があったのは既にご存知のことと思います」

 その報告は未明に受けていた。木村は続けた。

 「今朝、本官は自衛隊中央病院へクライム氏の見舞いに向かいました。そこで、ロシア工作員の襲撃を受けました」

 数人がざわめいた。

 「どういうことだ」

 高宮が身を乗り出した。

 「工作員三人は全員殺害しました。調べたところ、病室の便所内から警備担当の自衛官の射殺体が発見されました。サプレッサー付きの拳銃で、脳幹を一発で撃ち抜かれていたようです。クライム氏は行方不明です」

 「どういうことだ」

 高宮が繰り返した。

 「情報本部の見立てはこうです。何者かがクライム氏を拉致し、その後ロシア工作員がやってきた。おそらく彼らの狙いもクライム氏の身柄だったのでしょう。しかし、何者かに先を越された」

 「その『何者か』とは?」

 橘は木村を見据えた。

 「それについてはこちらから」

 岡田の隣に座っていた警察庁警備局長が発言した。

 「警視庁が周辺のNシステムや防犯カメラを解析したところ、ロシア工作員の襲撃の約4分前に、自衛隊中央病院から発進する不審車両が確認されました。各警察本部と協力し、その車両の追跡を行っておりまして、つい先程神奈川県警から報告がありました」

 橘は黙って警備局長を見つめ、先を促した。

 「その車両は座間市内の米軍関連施設に入りました」

 「米軍……」

 橘の隣で朝比奈が呟いた。

 「そ、それは事実か?」

 岩井がテーブルに手をついた。

 「そのように報告がありました」

 警備局長は冷静に言った。

 「もしも」

 岡田が発言した。「クライム氏を拉致したのが本当に米国なら、爆発事故の件も、米国が関与している可能性が極めて高くなります」

 「しかし、何故米国が?クライム氏はペンタゴンの人間だろ」

 岩井が疑問を呈した。

 「それに関しては仮説が」

 そう言ったのは外務省総合外交政策局長代理だった。

 「マルニシティア王国のことはかの国にとっても隠したい情報です。非常事態だったとは言え、その情報を公にしたクライム氏を野放しにしておくことは危険だと考えたのではないでしょうか。実際、ロシアの工作員がクライム氏の病室を訪れていることからも、このことが推測できます」

 何名かが頷いた。

 「それで我が国としてはどうすべきだろうか」

 朝比奈がそこで初めて発言した。重い口調だった。

 「それは分かりません」

 岡田が答えた。「ただ現時点で申し上げることができるのは、米露という二大大国間の巨大な秘密に、日本という小国が思わぬ形で巻き込まれてしまったということです。『穴』の出現はそれだけで世界のパワーバランスを変えうるものです。事実、米露だけでなく中国やEUの動きも気になります。また、国連がここ数日静かなのも不気味です。世界が急速に変わるなか、日本がその中心となってしまった。この未曾有の国難をどう乗り切るか。それは朝比奈総理、あなたにかかっています」


     ※


マルニシティア王国ミリトネア州

ラピアーノ公爵領

 夕日に照らされながら飛び去るCH-47ヘリを、篠崎は宮下と二人で並んで見ていた。隣で宮下が振っていた手を下ろし、フッと息を吐いた。

 耕作地に墜落していたドラゴンの死体は、CH-47でやってきた中央特殊武器防護隊によって回収された。本国に戻り、理化学研究所にて解析に回される。

 「三佐」

 背後から近づいていた上森が呼んだ。

 「今、副長官らがこちらに陸路で向かっているそうです。着き次第、会談と実務者協議が行われます」

 「分かった。ETAは?」

 「10分後です」

 約10分後、二両の軽装甲機動車が邸宅の敷地内に入った。篠崎がそちらに足を向けたとき、邸宅の扉が開き、中からヴィルトールと一人の老人が姿を見せた。

 先頭の軽装甲機動車のドアが開き、佐々木副長官が現れた。ヴィルトールと老人は篠崎たちの横を通り過ぎ、佐々木に近づいた。

 ヴィルトールが老人を掌で示した。

 「こちら、ラサール・ヴァン・マルニシティア国王陛下です」

 ヴィルトールの紹介に、ラサールは胸に手を当てた。

 「ラサール・ヴァン・マルニシティアです」

 胸に手を当てるのはこちらの挨拶の慣習らしい。

 「日本国政府を代表して参りました、内閣官房副長官の佐々木です」

 佐々木もそう自己紹介し、掌を差し出した。

 ラサールはその掌を不思議そうに見ていたため、篠崎はヴィルトールに近づき、囁いた。

 「手を握り合うのが我々の慣習です。手を握ってください」

 ヴィルトールは頷き、ラサールに耳打ちした。ラサールは戸惑いながら佐々木の手を握った。

 篠崎は一歩離れ、ラサールを観察した。

 年のころは70代といったところか。口のまわりには白髭を生やし、髪も真っ白だ。篠崎のイメージに反して王冠の類いは被っていなかった。着ている服も派手なものではなく、地味な意匠が施されている。

 「ではこちらへ。貴賓室へご案内します」

 ヴィルトールの案内でラサールや佐々木らは邸宅内へ入っていった。

 続いて王国側の外務大臣秘書官なる人物が現れ、残りの官僚を連れ、邸宅内へ入った。

 庭には篠崎たちと軽装甲機動車、そして前線指揮所の何人かの隊員が残された。

 「シノザキさん」

 背後から呼ばれた。向くとジノアールが親指で邸宅を指し示していた。

 

 部屋の中は駐屯地内の食堂を思わせた。長方形の部屋に長机が二列で置かれている。既に幾人もの騎士がいた。

 「顔合わせをしようと思ってね。手の空いている者に来てもらったんだ」

 ジノアールに促され、篠崎たちは着席した。

 「親睦を深めたいんだ。あまり固くならないでくれ」

 ジノアールはそう言うと部屋の奥に向かって合図をした。すると、三人の男が隣室からやってきた。三人とも盆を持っていた。

 「もう食事の時間だ。食いながらいろいろ話そう」

 「食事?」

 篠崎は腕時計を見た。マルニシティア標準時で19時半だった。

 「根津一佐たちはいいんですかね」

 内田が篠崎の耳元で囁いた。

 「うーん、いいんじゃない?これから協力しなきゃいけないし」

 「まあそうですね」

 「上森」

 篠崎は上森を見た。「根津一佐たちに連絡しておいてくれ。文化交流だ」

 「了解しました」

 上森が無線で通信を始めると、ジノアールは満足そうに頷いた。

 当然のことながら、料理は見たことのないものばかりだった。サルソーという騎士に、まず茶を勧められた。

 「リトリスムエといってな、リトリスという樹の皮を煎じているんだ」

 青っぽい陶器に入れられたリトリスムエは赤茶色をしていた。漂う湯気からはほうじ茶のような香りがしていた。

 「おっ」

 飲んでみると、味もまさにほうじ茶だった。幼少の頃、祖母の家で飲んだほうじ茶を思いだし、懐かしい気分になった。

 「さあ、どんどん食ってくれ」

 次にマルムーチェと呼ばれるスープが出された。サルソーによれば、肉や魚、野菜などをトマトソースで煮込み、ほんのりニンニクを効かせた、マルニシティア王国の伝統料理だという。

 「おおっ」

 スプーンで掬って口に入れると、様々な味が口内に広がった。香ばしい香りや肉のしっかりした食感まで感じられ、あまりの美味さに思わず笑みがこぼれた。

 料理を媒介とし、篠崎たち自衛隊とラピアーノ騎士団は一気に打ち解け、互いに自国の文化や歴史を教えあった。酒も振る舞われ、気が付いたときには、マルニシティア標準時で午前2時を過ぎていた。


     ※


神奈川県座間市

立野台3丁目

 煙草を灰皿に押し付けて消し、ビニール袋からサンドイッチを取り出した。

 『警視庁本部から各局。現在銀座一丁目にて……』

 警視庁公安部外事一課の警部補、石垣は手を伸ばして無線を切った。

 今、石垣は覆面パトカーのクラウン車内で目の前の建物を注視していた。4階建て鉄筋コンクリート製の雑居ビルである。一見何の変哲もない雑居ビルだが、実はビル全体が米軍施設であった。

 世田谷区の自衛隊中央病院から、政府特別顧問のクライム情報官が拉致され、彼を乗せたと思われる不審車両がここの雑居ビルに入ったことが分かり、警視庁公安部と神奈川県警警備部による合同捜査本部が設置された。

 ビルを監視するのは全部で3つの班だ。石垣は車内から直接ビルを監視する班で、すこし離れたところのアパートの一室に前線本部があり、近くの駐車場では神奈川県警の捜査員が追跡班として待機している。

 サンドイッチを一つ食べ終えた頃、石垣の座る助手席の反対側、運転席側のドアが開いた。

 「レジの店員が研修中のバイトで、時間かかっちゃいましたよ」

 コンビニのレジ袋を提げた、同僚の田村が乗り込んできた。

 「本部から何か連絡は?」

 「ああ、ありましたよ」

 田村は袋からおにぎりを取り出して言った。「防衛省が資料の一部を開示しました。あの建物の大まかな構造はそれで分かるかと」

 「了解した」

 石垣が返すと同時、ポケットの中で携帯電話が鳴った。警視庁本部から画像が届いていた。

 「これだな」

 送られてきた画像は目の前の建物の設計図らしきものだった。

 「この感じだと、車両収容能力は一台ですね」

 「だが、地下施設の存在は否定できない」

 「僕もそう思いますね」

 石垣は目の前の建物を見た。一階部分は車庫になっていて、不審車両もそこに入っていったらしい。今はシャッターが閉まっている。


     ※


マルニシティア王国ルクニーチェの丘

陸上自衛隊未確認地域特別派遣方面隊総監部庁舎二階

 新築の匂いを嗅ぎながら廊下を歩くと、突き当たりに目的の部屋があった。

 ここは、未確認地域特別派遣方面隊総監部だ。昨日陸上自衛隊内に新設された組織である。施設も整備が進み、プレハブの仮設庁舎の建設に加え、江東区からこちらへの道路の建設も急ピッチで進められている。完成すれば大型の車両も王国に持ち込むことが可能となる。風の便りによると、旧式の90式戦車や74式戦車、ドラゴン対策として87式自走高射機関砲など陸上兵器の投入を本省は検討しているらしい。特に多連装ロケットシステム(MLRS)は、一両約九億三千万円で九十九両をアメリカから購入したにもかかわらず、クラスター爆弾禁止条約締結などにより使い道がなかっただけに、背広組としてはようやく用途が見つかった形だ。

 篠崎は現地調査の中間報告をするために前線指揮所改め総監部庁舎を訪れていた。哨所と総務課に顔を出した後、総監室に向かっていた。

 篠崎がドアをノックするとすぐに「どうぞ」と声が聞こえた。

 「失礼します」

 室内のデスクのところで根津が立っていた。一等陸佐にもかかわらず、派遣隊司令から方面総監となった男だ。

 「ご苦労様。どうぞ」

 篠崎は根津とともに応接セットに腰を下ろした。

 「現地民との交流はどんな感じだ」

 根津は脚を組んで訊いた。

 「今のところ順調です。国王周辺とも友好な関係を築けています」

 篠崎の報告に根津は頷いた。

 「佐々木副長官も会談は成功に終わったようだ。実務者協議でも大きな隔たりはなかったらしい」

 「それは良かったです」

 副長官や官僚たちは既にこの庁舎に戻っていた。

 篠崎は手に持っていた茶封筒から書類を取り出した。

 「こちらが『マルニシティア王国に関する現地調査中間報告』です」

 テーブルの上に報告書の束を、根津のほうへ向けて置いた。

 「どうも」

 根津は報告書をちらとめくった。

 「マルニシティア王国の歴史と現在の国内情勢についてまとめています」

 篠崎は胸ポケットから手帳を取り出した。「今から補足も含めて説明致します」


 そもそもマルニシティア王国はアレクシア大陸という大陸の東側に位置する国だ。人口は八千五百万人ほどで、メリアスロ族が大半を占め、少数民族のマリタ族は王国東端の自治区で生活している。海には面していないが、古くから大陸有数の穀物の生産地として知られ、国民の半数以上を農家が占めている。

 約三万六千年前、テニシカ・タイナーン帝という伝説の皇帝を初代皇帝とするアレクシア帝国が大陸に建国され、その後約二万年帝国は続いた。

 しかし一万五千年前内戦により帝国は分裂し、メリアスロ地域で初代マルニシティア国王・ネイサムが即位した。当初マルニシティア王国は山脈麓の小国であったが徐々に勢力を広げ、約八千年前に『メリアスロの合戦』でバリスタンテス連邦皇国を破り、最大版図となった。ちなみにこのときの英雄はネル・ラピアーノでその子孫である現在のラピアーノ公爵は元老院の重鎮で大きな発言力を持つ。

 その後他民族の侵略等を経て現在の領土となった。三千五百年前にミナト・マルニシティア国王の『ミナト改革』で憲法が制定されて以降は、戦争や大きな災害も殆どなく平和な時代が続いていた。


 篠崎が一旦顔を上げると、根津は苦笑した。

 「まるで世界史の講義を受けているようだ」

 「私もそう思います」

 「高校時代、世界史は苦手科目だった」

 「同じです」

 篠崎は手帳の頁をめくった。

 「続けます」


     ※


マルニシティア王国ラピアーノ公爵領 

 クレアは自室でベッドに横になり、天井を見上げていた。窓の外からはヘリコプターと呼ばれるジエイタイの乗り物の音が聞こえていた。

 寝返りを打ち、今度は壁を見つめた。そしてクーデターの起こったあの日を思い起こした。


 もともと軍部は、ラサール・マルニシティアに対して不満を募らせていた。その最大の理由は彼の対外政策だ。長年対立関係にあったバリスタンテス連邦皇国との融和路線は即位当初から目玉政策であった。しかし五年前、国境警備緩和と貿易自由化を主旨とする『国境解放条約』を皇国と締結すると、国内の国王への脅威は四倍に跳ね上がった。

 そして三年前、兵器の輸出入も可能とする『改定国境解放条約』の批准をきっかけに軍部がクーデターを起こした。元老院議長一家を爆殺し議事堂を破壊したのち、軍は王城を襲撃した。

 その日、クレアは王城の自室でシリル・ラピアーノとポーカーに興じていた。シリルはラピアーノ公爵の実子でクレアの恋人であった。

 ポーカーが一段落したころ、非常態勢を敷いていた王城警察隊の隊員が走り込んできて避難を促した。王国軍が議事堂を破壊したと知らされた。議事堂は王城のすぐ近くであったために警察隊は即応態勢に入っていた。

 隊員に従って部屋を出ようとしたその時、大きな衝撃とともに部屋の外壁が突然爆発し崩れた。軍の砲撃だった。クレアはすぐに隊員の介抱で立ち上がったがシリルの姿が見えなかった。散乱する大量の瓦礫の間に、シリルの靴を見つけた。クレアはシリルの捜索を隊員に要請したが、隊員はクレアの避難を優先し、彼女を連れ部屋を出た。クレアは何度も部屋に戻ろうとしたが、屈強な隊員に掴まれた腕を降り離すことはできなかった。

 その後、何とか首都アテルスを脱出したクレアは、ラピアーノ公爵領の屋敷でラサールと再開した。しかし母は軍の銃撃に倒れ、死亡していた。シリルも行方不明のままであった。

 一方、国王を首都から追放した軍部は完全に政権を掌握していた。王国軍統帥でありクーデターの首謀者のマナグダル・コレット将軍は、国王に代わる統治者として大総統を新設し自ら就任、行政権を握った。

 これを受けアレクシア大陸平和維持委員会は緊急声明を発表し、コレット軍事政権に対し可及的速やかに政権を国王に奉還することを要求したが、コレット将軍はこれを無視した。委員会は臨時総会でマルニシティア王国への経済制裁を可決し、王国の輸出入はほぼ完全に停止した。


 クレアの脳裏にはシリルが写し出されていた。ラピアーノ家と王室は長年交流があり、その関係で彼と知り合い、恋に落ちた。彼との交際は両家とも認めていたし、結婚も当然視野に入っていた。まさか彼を突然失うことになるとは、夢にも思っていなかった。

 知らぬ間に涙がこぼれ、シーツを濡らしていた。三年経ってようやく最近、涙を流せるようになった。

 そのとき、部屋のドアがノックされた。

 「クレア殿下。ヴィルトールでございます」

 クレアは起き上がり、涙を手で拭った。

 「どうぞ入って」

 「失礼します」

 ヴィルトールが顔を覗かせた。

 「どうしたの?爺や」

 クレアは立ち上がった。

 「国王陛下がお呼びです。これより臨時の王室会議を開かれるようです」


 ヴィルトールに連れられて入った一等会合堂には、既に出席者が揃っていた。最奥の玉座には国王ラサールが鎮座し、円形の壁に沿うように、枢密院議長ルピルタ伯爵、元老院副議長デカント侯爵、最高裁判所長官チェデーロ公爵、そしてラピアーノ公爵が座っていた。クレアの席はラサールのすぐ横の、王位継承順位第一位の席だ。

 クレアが着席し、王室会議の出席者は全て揃った。ラサールがクレアを一瞥し、口を開いた。

 「今日諸君に集まってもらったのは他でもない、王室の存続にも関わるある議題について議論するためだ」

 出席者は皆、黙ってラサールの次の言葉を待っていた。

 「今日の議題はただひとつ、ジエイタイの協力を受けるか否かだ」

 場内は静まり返っていた。皆、互いに仏頂面を突き合わせていた。

 「どうだろう」

 ラサールの声に、チェデーロ公爵が最初に口を開いた。

 「ジエイタイの戦力は如何程なのでしょう。彼らの軍隊としての練度によって、判断も変わってきましょうぞ」

 これに対し、ラピアーノ公爵が発言した。

 「彼らは高度な軍事訓練を受けていると見られ、相当高い練度であります」

 チェデーロが腕を組んだ。ラピアーノは少し声を大きくして続けた。

 「更に、ジエイタイの兵器は我が国の技術力を遥かに凌駕しております。魔法を殆ど使えなくなってしまった我々にとり、彼らは政権奪還の希望です」

 ラピアーノの意見に、チェデーロは何度か頷いた。

 「他の者は?」

 ラサールが場内を見渡した。ルピルタ伯爵が発言を求めた。

 「彼らの国、ニホンとはどういった国なのでしょうか。民主的な国家であればよろしいのですが、万一軍国主義の国家ですと、王室が政権を奪還した後、平和維持委員会の支持を得られない可能性もございます」

 学識経験者である、伯爵らしい意見だった。

 「卿の心配は無用だ」

 だがラサールは静かに首を振った。「昨日ニホン政府の代表者と会談した。非常に民主的な国のようだ。彼が嘘を言っているようには見えなかったぞ」

 再び場内は静寂に包まれた。

 「クレアよ」

 ラサールがこちらを向いた。クレアは突然の指名に驚き、体を揺らした。

 「はい」

 「お前はどう思う。ジエイタイは、ニホンという国は信頼できるか?」

 出席者全員の視線がクレアに集まった。おそらくクレアの意見で、この会議の結論は決まる。クレアが王位継承順位第一位だからだ。その上で、ラサールはクレアに意見を求めている。

 「私は、ジエイタイは信頼できると思います」

 クレアは出席者を見据えた。「私にはまだ難しい政治のことはよく分かりませんが、彼らはゴブリンに襲われていた私を助けて下さいました。そして今、我らが王国を助けて下さろうとしています。彼ら自身も攻撃を受けているにもかかわらずです。そんな人たちに『帰れ』と申し上げることは、私にはできません」

 出席者は皆、視線を下に下げていた。

 ラサールは息をひとつ吐き、声を場内に響かせた。

 「諸君、決まりでいいかな」

 異論を唱える者はいなかった。

 クレアが天井近くの窓を見上げると、もう夕日が山に隠れようとしていた。


     ※


神奈川県座間市

立野台三丁目

 石垣は腕時計を見た。時刻は午前三時。欠伸をひとつして、今日四杯目の缶コーヒーを飲み干した。

 「交代まであと二時間ですね」

 田村が石垣と同様に腕時計を見て言った。

 「ああ」

 石垣たちは神奈川県警と交代し、例のビルの近くにある駐車場で追跡班として待機していた。

 ビルに動きはなかった。誰の出入りもなく、十二時間以上が経過していた。

 「石垣さん。年末の予定って、決まってます?」

 田村がエナジードリンクを飲んで、訊いた。

 「いや、決まってないな。まあどうせ、家で紅白観るくらいだろうな」

 石垣は煙草を取りだし、火を付けた。

 「僕もそんな感じですよ」

 「田村は彼女いないんだっけ」

 煙を吐いて言った。

 「いや、僕は……」

 そのとき、無線が鳴った。

 『こちら監視班。ビル一階から車両が出ます』

 石垣と田村は同時に身体を起こした。

 『車両は黒塗りのシボレーSUV。ビルを出て、バイパス方面に向かっています』

 石垣は無線を取った。同時に田村に車を出すよう合図した。

 「こちら追跡班石垣。東方向でいいか?どうぞ」

 『そうです』

 田村の運転で石垣たちの乗る車は東に向かった。

 『こちら前線本部。全捜査員へ。大和厚木バイパスを注視』

 「あれだ!」

 およそ百メートル先に、街灯で照らされ、黒のシボレーが見えた。バイパスに出て左折、東に向かった。

 「見失うなよ」

 石垣たちのクラウンもシボレーを追ってバイパスを左折した。

 午前三時だけあって車は少なかった。クラウンとシボレーの間には、白のライトバンが一台走っているだけだった。

 「こちら石垣。マル対はそのままバイパスを東に移動中」

 その後しばらく、シボレーは走行を続けた。

 「何処へ行く気なんでしょう」

 ハンドルを握る田村が言った。

 「向こうには……」

 石垣は脳内で地図を広げた。東方面で目ぼしい施設を探した。

 「……厚木だ」

 「あ、米軍厚木基地」

 田村も合点がいったように復唱した。

 シボレーが右折のウィンカーを出した。

 「マル対が右折します」

 「こちら石垣。マル対、東原五丁目交差点を右折し南下します」

 田村も同様にウィンカーを出し、ハンドルを右へ切った。ライトバンはそのまま直進していった。

 田村は車間を十分に開け、シボレーを追っていた。シボレーが再びウィンカーを出した。交差点の前で左折した。

 「こちら石垣。マル対はコンビニ敷地内に入った」

 田村はコンビニの手前にあった公園の路地にクラウンを停めた。

 石垣はコンビニの方を注視した。コンビニの駐車場には軽トラが一台停まっているほかはシボレーしかなかった。そのシボレーから男が二人降りてきた。そしてそのまま店内に入った。

 「こちら石垣。男が二人、店内に入りました」

 店内の様子は見えなかった。五分ほど待ったが、何の動きもなかった。

 そのとき、コンビニの裏手でエンジンをかける音がした。

 「まさか!」

 石垣はクラウンを飛び出し、路地を走ってコンビニの裏手に出た。そこは住宅地になっていて、白のスポーツカーが住宅の間を走り去っていった。

 「くそ!やられた!」

 石垣は地面を蹴った。

 急いでクラウンに戻り、無線を取った。

 「こちら石垣。マル対は車両を白のスポーツカーに乗り換え、更に東へ逃走」

 『こちら前線本部。周辺巡回中の警察官は白のスポーツカーに注意せよ』

 田村も車から降りた。

 「でもどうやって店内から裏手に?」

 二人でコンビニへ向かった。駐車中のシボレーの横を通りすぎ、店内に入った。

 レジには大学生くらいの青年が店の制服を着て一人で立っていた。石垣は警察手帳を提示した。

 「警察です。さっき男が二人入ってきましたよね」

 青年は僅かに後退りし、口を開いた。

 「え、ええ。お手洗いに行かれましたよ」

 石垣は青年を凝視した。凝視された青年は目を泳がせた。

 石垣の視線が青年の背後に移った。電子レンジの横に四号の茶封筒が置かれていた。

 石垣は息を吐いた。大した音でもなかったが、青年は身体を震わせた。

 「いくら貰ったんだ」

 石垣の問いに青年は項垂れ、茶封筒を差し出した。中には一万円札が数十枚入っていた。

 田村と顔を見合わせ青年に視線を戻した。

 そのとき、突然駐車場で爆発が起こった。昼間のような明るさになり、爆音と同時にコンビニのガラスが粉々に割れた。

 「うわ!」

 地面にしゃがみ、衝撃を避けた。足元までガラスの破片が散乱した。

 「くそ!」

 石垣は立ち上がり、駐車場に目を向けた。シボレーが内側から破裂したように壊れ、炎を上げていた。

 「田村、119番」

 「はい!」

 田村が携帯電話を取り出した。

 石垣が店外に出たとき、北の方角からサイレンの音が聞こえてきた。


     ※


東京都千代田区

首相官邸四階 大会議室

未確認地域に関する関係閣僚会議

 橘を始め、閣僚たちの前には報告書が並べられていた。表題は『マルニシティア王国に関する現地調査中間報告』とあった。

 「では、ご説明します」

 高宮防衛大臣が口を開いた。現地自衛官からの報告をここで説明する。

 「まず未確認地域、現地名マルニシティア王国の現在の状況についてですが……」

 マルニシティア王国はもともと、憲法の下に国王と議会が統治していたこと、しかし現在はクーデターにより軍部が王室を王都から追放し、軍事政権を樹立していることなどが説明されていく。更に王国や王国のあるアレクシア大陸の歴史などの講義が続く。橘は目の端で、田部国土交通大臣が船を漕ぎ始めているのを捉えた。橘もまるで、世界史の講義を受けているような気分になっていた。

 「……え、以上です」

 高宮が説明を終えた。

 今日の閣僚会議では、日本国政府とマルニシティア臨時政府の双方にとって、非常に重要な事項を決定する予定だ。そのためこの会議には閣僚の他に、与党公民党の三役である幹事長、政調会長、総務会長が出席していた。更に各閣僚の後ろには、各省庁の局長級・事務次官級の官僚が控えていた。

 「では早速、行政執行についてその法的根拠や手順をご説明します」

 法務大臣の坂下が発言した。「未確認地域自衛隊派遣特別措置法第十五条第一項は自衛隊派遣の目的として、攻撃事件に対する賠償獲得と首謀者の身柄の拘束を挙げています。また同条第二項では、現地政府がそれらを拒否した場合には、直接強制による行政執行を行うことができ、その手順については行政代執行法を準用するとあります」

 坂下は一旦言葉を切り、全体を見回した。そして続ける。

 「まず、直接強制についてですが」資料をめくる。「現行法では行政目的の実現を確保する手段として、『行政強制』と『行政罰』とが認められています。今回の措置は『行政強制』にあたり、その中でも『行政上の強制執行』のうちの『直接強制』という分類になります」

 『行政上の強制執行』には他に『代執行』、『執行罰』、『強制徴収』がある。それぞれ主に、行政代執行法、砂防法、出入国管理・難民認定法、国税通則法などに定めがある。この中で今回のケースに当てはまり得るのは『代執行』と『直接強制』だ。しかし『代執行』が認められるのは、他人が代わりに行うことができる行為に関して、義務者が履行しない場合に限られる。今回日本政府が臨時政府に求める行為は①攻撃事件に対する賠償、②首謀者の身柄拘束、そして③王室への政権返還だ。これらは『代執行』の要件を満たさない。よって、直接強制による行政執行を行うことになる。

 「『直接強制』とは、直接義務者に実力を加えることで、義務が履行されたと同一の状態を実現する作用のことを言います。お分かりのように、このような行為は日本国憲法が定める基本的人権の尊重の観点から問題があると言えます。ですので現行法では、『出入国管理及び難民認定法』や『感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律』などを除き、特別法で規定しない限り認められておりません。今回は未確認地域自衛隊派遣特別措置法を根拠にすることが可能です」 

 坂下は水を飲み、資料をめくった。

 「特措法規定の通り、行政代執行法記載の執行手順をご説明します。まず行政庁は義務者に対し、履行期間等を文書にて戒告しなければなりません。その上で義務者が指定の期間までに履行しない場合、当該行政庁は義務者に執行令書を以て、執行の時期、執行責任者の氏名、執行に要する費用の見積額を通知し、執行となります。執行に要した費用は義務者に納付義務が発生し、滞納すると国税滞納処分の例によって徴収されることになります」

 坂下が発言を終えた。

 次に再び高宮が発言した。

 「執行は主に自衛隊の部隊が担います。敵の……いえ、臨時政府の抵抗勢力を陸空自衛隊が圧倒撃滅し、王城を含む王都を制圧します。その後、財務省が資産を差し押さえ、検察が首謀者・コレット将軍を逮捕するという流れです」

 「自衛隊の部隊の編成と現在の状況は?」

 橘の隣で、朝比奈が質問した。

 「執行の主軸は、現地の陸自未確認地域方面隊が担います。それに加えて、第32普通科連隊、第一空挺団、特殊作戦群、そして、航空自衛隊第三航空団第三飛行隊が出動する予定です。使用兵器は、戦車、装甲車、自走砲、ヘリ、戦闘機などを予定しており、具体的な作戦は現在、市ヶ谷にて作成中とのことです」

 高宮が後ろからメモを受けとる。

 「各部隊の現在の状況ですが、現地部隊は今日隧道内の道路が完成したため、特科車両の搬入を開始し、戦闘の準備を整えています。第32普通科連隊はさいたま市の大宮駐屯地で待機中、第一空挺団と特殊作戦群も習志野駐屯地にて待機中でいつでも出動可能とのことです。空自のほうも、爆装し発進準備完了とのことです」

 高宮の報告に朝比奈は納得したように頷いた。

 「財務省では理財局で特別にチームを編成し、差し押さえの準備を進めています」

 財務大臣が報告した。続いて再び法務大臣が報告する。

 「東京地検公安部でも担当検事の選定を進めています」

 「各国の反応は?」

 橘が問うた。

 岩井外務大臣が発言した。「米国政府は未確認地域内の利権獲得を狙い、主に通称代表部が中心となり工作を進めている模様です。ロシアは表向きは静観ですが、空軍に動きが見られます。中国は、未確認地域を国際的な枠組みの中で管理すべきだと主張しています。EUからは先程経済協力の申し出がありました。北朝鮮は動きなし。韓国大統領は昨日会見で、韓国軍と自衛隊の協力を示唆する発言をしましたが、今のところ目立った動きはありません。国連は攻撃事件終息後は一貫して、我が国への協力を表明しています」

 すべての報告が終わった。朝比奈が口を開く。

 「では、問題がないようなら、臨時政府への戒告を決定しますが、よろしいですか」

 異議は出なかった。

 これにより、日本国政府はマルニシティア臨時政府に対し、賠償と首謀者の身柄引渡し、そして政権の返還を求める戒告を出した。三日以内に受諾しない場合、令書による通知の上、強制執行が始まることになる。決戦が始まろうとしていた。


     ※


マルニシティア臨時政府殿

内閣総理大臣 朝比奈芳継

   戒告書

 日本国政府は、平成29年10月13日発生の東京湾岸攻撃事件(以下、「事件」という。)の賠償として貴国に対し、相応の資産と事件首謀者の身柄の引き渡しを請求し、同時にアレクシア大陸の平和維持のため、マルニシティア王室に政権を返還することを要求します。

 貴国においては日本国政府の要求について平成29年10月31日正午までに受諾の旨通知されるよう、未確認地域自衛隊派遣特別措置法第16条(行政代執行法第3条第1項)の規定により戒告します。

 なお上記期限までに受諾の通知をされないときは、未確認地域自衛隊派遣特別措置法第17条(行政代執行法第2条)の規定により強制執行を実施し、これに要した費用は貴国から徴収します。

   記

1 賠償  別紙目録の通り

2 首謀者身柄  貴国大総統マナグダル・コレット

3 マルニシティア王室への政権返還


 この処分に不服がある場合は、この戒告書を受け取った日から起算して2日以内に内閣総理大臣に対して異議申し立てをすることができます。

 なお、この処分のあった日から起算して1年を経過すると原則として訴を提起することができなくなります。


     ※


東京都千代田区

中央合同庁舎八号館 内閣府

 東京地方検察庁公安部の検事・北野は、『東京湾岸攻撃事件及び未確認地域対策本部』が設置されている会議室を出た。廊下を歩いて目的の部屋へと向かった。

 本来東京地検は中央合同庁舎六号館に入居しているが、ドラゴンにより破壊されたため、中央合同庁舎六号館の内閣府の一画を借りている状況だ。ドラゴン災害では霞が関の半分以上が壊滅していた。難を逃れたのは、文部科学省、特許庁、国土交通省、内閣府だ。永田町の国会議事堂、首相官邸も無事である。しかし地検や法務省を始め多くの省庁は移管を余儀なくされていた。

 東京湾岸攻撃事件の捜査・被疑者取り調べなどを担う、東京地検の対策本部の副本部長である北野は、庁内電話で検事正に呼び出されていた。

 目的の部屋に到着した。若干嫌な予感を抱えながら、ドアをノックした。すぐに返答があった。

 「どうぞ」

 「失礼します」

 部屋に入ると、室内には三人の男がいた。東京地検のトップである検事正の林田、東京地検公安部長の立野、そして東京高検トップの鎌倉検事長だ。全員が起立してこちらに顔を向けていた。

 北野は嫌な予感が的中したのを確信した。

 「北野検事」

 林田検事正が口を開いた。「まあ座って」

 そういって林田は自らも応接セットのソファーに座った。

 「では失礼します」

 北野も林田の向かいに座った。立野部長は北野の背後に立ち、鎌倉検事長は窓際で腕を組んで立っていた。

 「本題を簡潔に伝える」林田は眼鏡を指で押し上げた。「未確認地域に行ってもらいたい」

 北野の思った通りだった。「決定ですか」

 「非常に危険が伴う仕事だ。君には拒否する権利がある」

 林田が静かに行った。

 「私一人ですか」

 「検察からは検事一名と事務官二名が派遣される」

 「高林くんですか」

 北野は自身の担当事務官の名前を出した。

 「いや、彼は娘さんが生まれたばかりだから除外した。こちらでベテラン事務官を選定した」

 北野は息を吐き出し、背もたれに身体を預けた。

 林田も立野も鎌倉も沈黙し、室内は静寂が支配した。何処かで救急車が走っているのが聞こえた。

 「行きます」

 北野は身を乗り出した。「行かせてください」

 林田は満足げに頷いた。

 「では、簡単に説明する。あとで顔合わせするから、そのときにも説明するが」

 「はい」

 「まず、君たちの任務は攻撃事件首謀者の逮捕だ。日本政府の出した戒告に向こうが反応しなければ、三日後に未確認地域へ赴く」

 そこで林田は言葉を切り、鎌倉のほうを見た。鎌倉は組んでいた腕を解き、ソファーに近づいて林田の隣に座った。

 「首謀者の氏名は、マナグダル・コレット」鎌倉はそう言って写真を一枚、テーブルに置いた。軍服姿の男が写っている。「王国軍統帥であり、クーデターの首謀者であり、攻撃事件の首謀者だ。既に逮捕状は出ている」

 北野は写真を手に取り、じっくりと観察した。顔の輪郭は四角く、鼻の下に髭を生やしていた。視線は険しく、眉間に皺を寄せていた。

 「この男が?」

 鎌倉は頷いた。「マナグダル・コレット将軍だ」

 北野が再度観察していると、鎌倉は脚を組んで言った。

 「自衛隊が彼を生け捕りにするから、君たちで身柄を受けとる。そのまま帰国し、取り調べて起訴。公判検事に引き継ぎをすれば、君の仕事は終了だ」

 「罪名は内乱罪ですか」

 「そうだ」鎌倉は言った。「内乱罪の共謀共同正犯で逮捕する。生き残りの兵士も内乱罪で再逮捕したからな」

 北野は頷いた。攻撃事件直後、東京湾で確保された敵の生き残りは殺人罪で既に送検され、昨日内乱罪で再逮捕されていた。

 「最後に」

 鎌倉は声を低くして言った。「外野から横槍が入るかもしれないが、そういうことは上層部で対応するから気にするな」

 「自衛隊ですか」

 敵の生き残りの逮捕時も、自衛隊情報本部が何かと検察に絡んできた。

 「それもそうだが、もっと厄介なのは国外だ」

 「アメリカ、ロシア、中国」

 林田が国名を挙げた。

 鎌倉が頷いた。「このところ、ペンタゴンの情報官がらみできな臭いことになっている。電車に乗るときは、ホームの端には立つな」

 思わず北野は鎌倉の顔を見た。冗談でないか確認するためだ。当然、鎌倉の顔は冗談を言っているようには見えなかった。

 部屋を退出した北野は、廊下で携帯電話を取り出した。立ち止まったまま、妻の番号を画面に呼び出した。


     ※


マルニシティア王国ルクニーチェの丘

派遣方面隊総監部庁舎

 「これが、マルニシティア臨時政府に対する義務履行の戒告書だ」

 根津がテーブルの上に一枚の書面を置いた。宛先は『マルニシティア臨時政府殿』、送り主は『内閣総理大臣朝比奈芳継』となっていた。

 窓の外は夜闇に包まれていた。篠崎たちのいる中央指揮室の時計は午前2時を指し、壁のモニターには各哨所の監視カメラの映像が映し出されていた。

 昨日昼に、戒告書がマルニシティア軍事政権に対して送付された。これより三日の間に返答がなかったり、拒否する場合は、自衛隊による強制執行が行われる。篠崎たちは執行の打ち合わせのため、中央指揮室に集まっていた。出席者は篠崎と根津のほかに、第一空挺団の笹岡団長、特殊作戦群の林群長、三田中隊長、第32普通科連隊の山下連隊長、空自から第3飛行隊の東海林司令だった。

 「強制執行に備え、部隊を編成する。一普連と中即連、特戦群の部隊は第一から第四戦闘団に、空自第3飛行隊と第一空挺団それぞれ第一、第二空中機動団に編成する。早速当日の動きだが……」

 根津がテーブル上の図面を示しながら説明した。敵の航空、対空戦力を削いだ上で、陸自の部隊が王城に突入しコレット将軍を拘束するという流れだ。

 「次に近隣国についてだが」根津が手帳を開いた。「まず北部のチェミリア帝国には作戦上、我々が領土・領空内に侵入する必要がある。チェミリア帝国皇帝宛に書簡でその旨伝えたところ、概ねの同意を得た。明日、同国の使者が総監部を訪れ、詳細を打ち合わせる。他のバリスタンテス連邦皇国、デレーナ共和国には執行の許可を得た。王国の東部を占めるマリタ族自治区については明日、こちらから人員を派遣し、行政長官と面談する」

 根津がページを繰った。「アレクシア大陸平和維持委員会からは既に書簡が届き、全面的に支持するとともに国境警備強化のため平和維持軍を派遣するとのことだ」

 もともとコレットの軍事政権は大陸で孤立していた。委員会もコレット政権への経済制裁を発動しており、周辺各国も今回の執行はコレットを潰すチャンスと捉えているようだ。

 「最後に」

 根津が言った。「この強制執行を成功させるには、王城内の詳細な図面が必要だ。そこで篠崎三佐」

 「はい」

 篠崎は顔を上げた。

 「明日、公爵領に戻り、王城の図面を何とか取り寄せてほしい」

 「了解しました」

 王室関係者に聞き込みをすれば見つかるのでは、と考えた。「しかし総監、手に入らない場合は?」

 篠崎の問いに根津は一瞬沈黙し、

 「そんな場合はない」

 と言った。どのようにしようとも手に入れろということらしい。

 執行日などの確認が再度行われ、散会となった。各位立ち上がり、指揮室を出ていった。

 あと二日で執行準備を済ませなければならない。篠崎は廊下を歩きながら携帯電話を取り出した。王国の約半分の領域で携帯電話が使用可能となっていた。

 『内田です』

 「篠崎だ。今会議が終了した。執行に向け、銃器の調整や現地治安部隊との連携強化に努めるように」

 『了解です。三佐はどうされるので?』

 「明日朝そっちに戻る。王城の詳細な図面が必要だから、ヴィルトールさんにでも訊いてみよう」

 『わかりました』

 篠崎は電話を切り、階段を下りて一階の売店へ向かった。さすがに売店は開いていないが、自動販売機で缶コーヒーを購入し、ベンチに腰かけた。

 無糖のコーヒーを啜る篠崎の目の前には、照明の消えた廊下があった。制服姿の隊員が一人、書類を手に歩いていった。篠崎も残ったデスクワークをしようと思い、腰を上げた。

 そのとき、突然警報が鳴り響いた。庁舎内のスピーカーから発せられている。

 篠崎は空き缶をゴミ箱に放り投げ、指揮室へ急いだ。そのうちに警報が鳴り止み、隊員の報告の声が鳴った。

 『北第五哨所より緊急連絡。軍勢が王都アテルスを出発したのを確認。第三防衛ライン突破まで、約八分』

 「そういう感じか!」

 篠崎は階段を二段飛ばしに上がりながら、腕時計を確認した。午前二時三十分。夜襲に適した時刻だ。

 途中、何人もの隊員と合流しながら、指揮室に辿り着いた。

 「状況はどうなっていますか」

 腕を組み、モニターを注視する根津に尋ねた。

 「ここから21キロ先に敵軍勢だ」

 根津はモニターに視線を向けたまま言った。

 『こちら北第五哨所。軍勢は総監部方向へ南下しています』

 「一尉」

 根津が特科隊の隊員を呼んだ。「特科は即応可能か」

 「第二防衛ラインで90式戦車が待機中です。自走砲、榴弾砲、高射砲は現在、攻撃準備中です」

 「幕僚長」

 根津は一尉の報告に頷いて、今度は総監部幕僚長を呼んだ。「至急本国へ連絡。そして第一から第三防衛団と第一、第二特科大隊に出動命令。第三空中機動団に出動待機命令」

 「了解しました」

 「篠崎三佐」

 根津の視線が篠崎に向く。「公爵領へ連絡し、現地の状況を報告。王室関係者の身の安全を守るように」

 「わかりました」

 「北第五哨所からの映像入ります!」

 モニターを操作する隊員が言った。連絡を取ろうとしていた篠崎を始め、室内の視線が全てモニターに集中した。

 暗視装置をかけた映像だった。一瞬無数の球体が蠢いているように見えた。しかしそれは無数の兵の頭部だった。兵は規則的に整列したまま行進を続け、何列かに一人の割合でたいまつを持っていた。人数は見える範囲だけでも二万はいるようだった。

 「第一から第三防衛団戦車中隊、攻撃準備完了です」

 「第一、第二特科大隊、攻撃準備よし」

 隊員の視線がモニターから根津へ移った。根津の口が僅かに開いた。小さく深呼吸をしたらしい。

 「敵方からの攻撃を確認次第、反撃する」

 根津の目が篠崎を捉えた。「……前哨戦だ」

 篠崎は根津の言葉に頷いた。


 <最終章へ続く>

筆者は大学受験のため、更新を休止します。2021年度から再開したいと考えていますので、お待ち頂ければ幸いです。

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