第1章 事件
拙文ではありますが、ご容赦ください。
楽しんでいただければ幸いです。
振り返ればそこには祖国があった。もとは美しい町並みだったが、今は戦禍の爪跡が残っている。
視線をもとに戻すと穴がある。ただの穴ではない。時空に空いた穴だ。その先には未知の世界が広がっている。その世界に足を踏み入れた途端、戦いが始まるだろう。
握り持つ剣に魔力を纏わせ、従えた兵士たちと共に、時空の穴に足を踏み入れた。
※
東京都江東区
東京港臨海道路 東京ゲートブリッジ
ラジオから流れる曲が変わり、ローリングストーンズの『アフターマス』が聞こえてきた。
山西はトラックのハンドルを握ったまま、時刻を確認した。トラックのデジタル時計は午前9時40分を表示していた。
ニュースを聞こうと、ラジオに手を伸ばしたとき、山西は奇妙な感覚を感じた。空気が揺れるような感覚。強風ではない。空間全体がたわんだような感覚だった。
その感覚に首をかしげながらも、若州海浜公園を左手に見ながら山西はハンドルを切る。目の前に東京ゲートブリッジの橋梁が見えてきた。
橋にさしかかり、『アフターマス』がサビに入ったとき、山西の目の前が光に包まれた。
「うわ!」
山西は一瞬、熱を感じた。
だが次の瞬間には、山西のトラックは光と熱に包まれ、橋もろとも蒸発した。
※
東京都千代田区
首相官邸地下1階 危機管理センター
官邸地下、危機管理センター内の廊下を小走りで走る。駆ける革靴の足音は上質な絨毯のおかげで目立たない。
「他の皆さんは?」
「皆さん、お集まりです」
内閣官房長官の橘秀昭は秘書官の言葉に頷く。更に速度を上げ、危機管理センター内の閣議室の扉に辿り着く。
橘は深呼吸を一つしてから、木目調の扉を開けた。
閣議室内には秘書官の言う通り、橘以外の全員が集まっていた。皆一様に仏頂面で円卓を囲み、黒革の椅子に座っている。円卓の正面にはメインモニターが一つとサブモニターが五つ、壁に嵌め込まれている。第一サブモニターには、東京都知事の北条幹夫が防災服姿で映っている。テレビ電話で会議に参加するようだ。
橘は自分の席に近づいて行った。
「遅れて申し訳ありません」
橘の左に座る、白髪の男に謝罪した。彼は険しい表情のまま橘に向かって頷いた。いつもなら柔和な表情でもって「やあ」と手を上げるであろう彼も、今は眉間に皺を寄せている。
橘は彼――内閣総理大臣、朝比奈芳継の隣に腰を下ろした。
「皆さん、お揃いですか」
朝比奈の問いに室内の全員が沈黙をもって肯定を示す。朝比奈はそれに頷くと彼の左に座る男に目配せした。
「ではこれより緊急閣僚会議を始めたいと思います」
そう言って、整った顔立ちをしたその男が立ち上がる。
「内閣危機管理監の岡峰です。現在発生している事態について御説明致します」
岡峰がそう言うと、それまで桐紋章を映し出していたメインモニターの映像が切り替わった。
室内が騒然とする。
メインモニターには、橋梁が落ち、炎と黒煙を上げる東京ゲートブリッジの姿が映し出されていた。
「本日午前9時42分、東京都江東区内の東京港臨海道路、東京ゲートブリッジにて、大規模な爆発が発生しました。この衝撃によりマグニチュード4,2の地震が発生。都内最大震度は4。津波は確認されていません」
岡峰は反応を確かめるように室内を見回し、続けた。
「爆発事故が発生した時点で警視庁湾岸署と東京消防庁により、東京港臨海道路は全面封鎖。東京消防庁航空消防救助機動部隊及び警視庁機動救助隊が出動し、救助活動を行っています。今のところ確認されている死者は12名。負傷者は少なくとも60名となっています」
メインモニターの映像が切り替わる。高速道路上で救助活動を行う救助隊の姿が映った。
「これを受け、消防庁、都庁、江東区役所にそれぞれ災害対策本部を設置。内閣府でも官邸連絡室を設置し、緊参チームに参集指示を出しました。オペレーションルームにて情報を精査中です」
緊参チームとは緊急参集チームのことで、緊急事態に際し、内閣危機管理監が官邸に参集する、関係各省庁の局長級の担当者のことだ。今回は、内閣府政策統括官(防災担当)、国土交通省水管理・国土保全局長、警察庁警備局長、気象庁次長、消防庁次長、海上保安庁海上保安監、厚生労働省技術総括審議官、防衛省運用企画局長の8名が参集されている。
「都知事」
朝比奈が第一サブモニターに顔を向ける。「自衛隊への災害派遣要請は?」
『現場の状況を見ながら検討中です』
朝比奈は北条の言葉に頷き、今度は円卓の向こう側に視線を向けた。「自衛隊の現状は?」
「はい」高宮防衛大臣が発言した。「陸上自衛隊練馬駐屯地の第1普通科連隊はいつでも出動できます」
「分かりました。引き続き、待機を続けるように」
朝比奈は頷き、岡峰に続きを促す。
今が、政権にとって大事な時期だった。3週間後に参議院議員選挙を控え、支持率が思うように伸びないのだ。この災害に対する対応で支持率を伸ばしたいところだった。
「住民の避難については、国土交通大臣から」
岡峰が視線を向けると、田部国土交通大臣がうしろに控える官僚にメモをもらい、発言した。
「既に江東区から現場周辺に避難勧告が出ています。事前にハザードマップで示されている地震災害時用の避難所へ、避難が進んでいます。避難率は現在、32.4%です」
田部が再びうしろからメモを受け取る。
「羽田空港は全ての離発着便を欠航し、本日中の…」
そこへ、閣議室内に職員が飛び込んできた。
「失礼します!」
その職員は茂呂原子力規制庁長官の許に駆け寄った。
メモを受け取った茂呂の顔が強張っていく。
「茂呂さん、どうしました?」
そう尋ねた朝比奈に、茂呂がその強張った顔を向ける。
「羽田空港の放射線量モニタリング測定値が上昇しています」
「どういうことですか」
橘は思わず身を乗り出して訊いた。
「原子力規制委員会が都内五ヶ所に設置している測量計のうち、爆発事故現場に最も近い、羽田空港での測定値が上昇しています」
「それは、ええと…」
朝比奈が鼻の下に指を添える。困惑したときの彼の癖だ。
「つまり」
橘の右隣に座る男が口を開いた。防災担当大臣兼国家公安委員長の西田だ。「核爆発の可能性がある、ということですね」
西田はメタルフレームの眼鏡の奥の細い目を茂呂に向けた。
「なっ」
橘と朝比奈は同時に絶句した。
橘は目だけを動かし室内を観察する。他の閣僚も似たような反応だ。無理もない。日本国内で核爆発。原子力施設でもないのに、だ。
だが、朝比奈の対応は速かった。
「茂呂長官、核燃料の運搬が行われていたということはありませんか」
「私のところに報告はありませんでした。それに、核燃料の運搬は通常深夜に行われます」
朝比奈は茂呂の報告に頷き、別の人物に視線を向けた。
「初野長官も報告は受けていませんか」
警察庁長官の初野は手元の資料を一度確認し、頷いた。
「受けておりません」
朝比奈の視線が岡峰に移る。
「核爆発だった場合の原因と対応は?」
朝比奈の問いに岡峰は一瞬考えをまとめるような間を取ったあと、口を開いた。
「原因として考えられるのは、事故、自然災害、そして他国からの攻撃です。対応は、事故、自然災害のいずれかだった場合は、災害対策基本法に基づき、非常災害対策本部または、緊急災害対策本部を設置。場合によっては、原子力災害対策特別措置法に基づき、原子力災害対策本部を設置、内閣総理大臣と経済産業大臣を中心に対応を進めることになります」
岡峰はそこで一旦言葉を切った。
「それで、他国からの攻撃の場合は?」
橘が言うと、岡峰は一度こちらに視線を向けた。そのまま全体に視線を移し、言葉を続けた。
「他国からの攻撃の場合は、直ちに国家安全保障会議を開き、国民保護法や事態対処法など関係法に基づき対応を進めます。攻撃の確証を得た場合には、事態対処法第18条の規定に基づき、国連安保理への報告も必要です」
室内が静まり返った。戦後、日本が直面したことのない事態だった。もし、他国からの攻撃だった場合、整備を進めてきた有事関連法制が生きることとなる。法整備はしてきたが、運用するような事態が来ないことを望んでいた法律だ。
橘が机上に視線を落としたそのとき、電話の鳴る音がした。この音は円卓にそれぞれ備え付けてある電話のものだ。警察庁や消防庁、海上保安庁など危機管理に関係する省庁と繋がっている。
円卓を見回すと、着信を示す赤いランプが点灯しているのは高宮防衛大臣の席だ。
高宮が受話器を取った。
「高宮だ」
高宮は数秒、相手の話を聞いた後、送話口を押さえて職員に声をかけた。
「テレビをつけてくれ」
メインモニターの映像が、NHKの放送に切り替わる。災害時用の青い帯があり、『爆発事故警戒情報』と示されていた。アナウンサーが話していた。
『ご覧いただいている映像は、現在の東京ゲートブリッジの様子です。爆発箇所に……何でしょう、あれは。空間に、暗い……そう、ブラックホールのようなものが……』
映像にはまさに、ブラックホールがあった。橋梁が落ちた東京ゲートブリッジの20メートルほど上空に、暗い漆黒の闇を抱えた穴があった。直径80メートルほどの穴だ。
「な、何だ、あれは」
朝比奈が狼狽した声を出す。他の閣僚も口が利けなくなっているかのようだった。
橘は映像に目を凝らす。するとやがて、その穴からなにかが出現した。
何名かの閣僚が身を乗り出した。
『あ、何でしょう。穴の中から、……人?人です。何名もの人たちが出てきます』
「人だ……」
橘は思わず呟いた。
そう、穴の中から人が現れ、残っている橋梁に降り立ったのだ。
映像がアップになる。彼らの姿が大きく映る。
「え?」
室内の何名かが間の抜けた声を上げる。橘もその一人だった。
何故なら、現れた人々の身に着けているものが、まるでゲームにでも出てくるかのような、騎士の姿だったからだ。
※
東京都江東区
東京ゲートブリッジ付近上空
「機長、どうします?」
第三管区海上保安本部羽田航空基地所属の真田三等海上保安正は、穴から突然現れた集団を見下ろした。
「とりあえず呼び掛けをして、退去させて。地上の警察官にも連絡して、彼らを保護するように」
真田を含めた乗組員四人を乗せた海上保安庁のヘリ、MH-805わかわし2号を操る、山根機長が答える。
「了解しました」
真田は拡声器のスイッチを入れた。
「こちらは、海上保安庁第三管区海上保安本部である。ここは危険です。直ちに退去してください」
マイクをもとに戻してから、真田は改めて彼らを見下ろした。彼らの格好はまるで、西洋の騎士のようだ。銀色に光る鎧が特にそれを印象づける。何処か『カリオストロの城』を彷彿とさせる格好だ。
「真田君、どうだい?」
山根機長が尋ねてくる。
「はい」真田は地上を確認した。「反応はありません。そのまま進み続けています」
「了解した。もう少し接近する」
山根機長はそう言って操縦桿を左に傾ける。わかわし2号は彼らの進行方向、東京港臨海道路上空へ移動した。機体の左側が彼らと対する位置関係となった。
「もう一度、呼びかけ」
「了解」
真田は再度、マイクを手に取った。「繰り返す。こちらは、海上保安庁第三管区……」
だが、真田は途中で言葉を止めた。
「どうした?」
真田は眼下の集団の先頭の人物を指差した。「機長、あれを……」
真田が指差す方向にいた人物は、腰から銀色に光る剣を抜いた。するとその剣が次第に光の粒子を纏っていった。
「なんだあれ」
山根機長が素っ頓狂な声を上げる。他の乗組員も目を見開いていた。
真田たちの視線の先で、剣はどんどん光を帯びていく。やがて剣全体が光を放つようになった。
「……おい、羽田に連絡。状況を伝えろ」
山根機長が我に返ったように指示を出した。
「……了解」乗組員がインカムを操作する。
真田は光を放つ剣を見た。その剣を持った人物はこちらに顔を向け、剣先を向けてきた。
「機長、嫌な予感がします」
「ん?」
地上を覗き込んだ山根機長の目が見開かれた。「これはやばいぞ」
山根機長が操縦桿を一気に傾ける。真田の頭上でローターが悲鳴を上げる。甲高い駆動音を響かせながら、わかわし2号は右に急旋回する。
「真田君!」
山根機長の声に真田が地上を見ると、こちらを向いた剣が青白い光を纏い始める。そして、剣先から青白い光が伸びてくる。
「うわあああ!」
真田は悲鳴を上げた。
光が目の前まで迫った。
わかわし2号は、まるで風船が割れるように、爆裂した。
※
東京都江東区
東京港臨海道路 若洲橋
警視庁機動隊第六機動隊銃器対策部隊所属の赤城巡査部長は、道路上に乗り捨てられた白のミラージュを盾に、東京ゲートブリッジの方角を覗き見た。大勢の人影が見えた。
「あれですか?敵は」
赤城は隣の上杉警部補に尋ねた。
上杉はバイザーを下ろして赤城と同じ方向を見た。「そうだ」
第三管区海上保安本部のヘリ、わかわし2号が謎の兵器によって撃墜されたのを受け、警視庁機動隊に出動命令が下った。今赤城たちがいる若洲橋では、東京消防庁と警視庁の部隊が救助活動を行っていたが、機動隊出動に伴い一時撤退した。
『これより第一小隊前進する』
無線から報告が聞こえてきた。赤城たちは第二小隊だ。後ろには第三、第四小隊が待機している。
前方で、第一小隊の隊員たちが前進していくのが見えた。全員、手にはMP5短機関銃を持っている。赤城も自らのMP5を構えなおす。
頭上を、警視庁のヘリ、A109Eはやぶさ4号が横切っていく。
『こちらはやぶさ4。全隊へ。マルタイは東京ゲートブリッジから東京港臨海道路を北上中』
『こちら第一小隊。了解』
敵は若洲風力発電所の横を抜け、北へ進行中だった。一方の第一小隊は若洲ゴルフリンクス練習場を左に見る位置だ。両者の距離は約500メートルといったところだ。
『こちら第一小隊。マルタイに反応。光が見える』
「まずい」
隣で上杉が呟いた。「殺られるぞ」
「え?」
赤城は上杉を見た。上杉は敵のほうを見たまま続けた。
「海保のヘリが撃墜された時も、剣が光を帯びたそうだ」
「そんな、まるでファンタジーじゃないですか」
赤城の言葉に、上杉は自嘲するように微笑した。「そうだよな。俺も聞いた時は半信半疑だった。でも……」
「でも?」
「でも、早速テレビでやってたんだ。撃墜されたヘリから撮った映像」
赤城は返事に窮した。まさか、と思ったからだ。
そんな馬鹿な、と言おうとしたその時、無線から声が聞こえた。
『こちら第一小隊。青白い光が……ああああああ!』
悲鳴が聞こえたと同時、後方で耳をつんざくような爆発音が聞こえた。
「なんだ?くそ!」
振り向くと、今まで第一小隊がいた場所で炎が上がっていた。道路や周りの公園も滅茶苦茶に破壊されていた。
『こちらはやぶさ4。第一小隊全滅。繰り返す。第一小隊全滅!』
「上杉さん!」
赤城が上杉を見ると、彼の強張った顔があった。「やつらの放つ光はあらゆるものを破壊するんだ……」
『こちら前線指揮所。第二小隊。前進せよ』
赤城は上杉と顔を見合わせた。上杉は諦観の滲んだ表情で首を軽く振った。
『こちら第二小隊長。前進するぞ』
小隊長の声に、上杉が答える。「こちらP03。了解。上杉と赤城、前進します」
そして、上杉が赤城を見る。「行くぞ」
「……はい」
『こちら前線指揮所。警視総監から発砲許可が出た。繰り返す。発砲を許可する』
赤城はMP5の安全装置を解除した。もう一度上杉を見た後、匍匐前進でミラージュの陰から出た。
地面を這って移動する。焦げたような臭いとともに燃料のような臭いがした。赤城は呼吸を整えるようにゆっくり息をしながら前進した。
しばらく行くと、シルバーのベンツがあった。一旦その陰に隠れる。上杉も合流した。
車体の下から敵のほうを見ると、案外近づいていた。
やがて、敵の先頭の兵士が剣先をこちらに向けた。光を帯び始める。
「やばい……」
『こちらはやぶさ4。攻撃の前兆が見える。回避せよ』
「回避だ!赤城!」
上杉が匍匐前進で歩道に出たその時、青白い光が発射された。
光は赤城の50メートルほど先に着地した。
吹き飛ばされるトラックがバイザー越しに赤城の目に映った。
次の瞬間、赤城の身体は蒸発した。
※
東京都千代田区
首相官邸地下1階 危機管理センター
官邸対策室
「総理」
初野警察庁長官が朝比奈を見据えた。「自衛隊の出動を願います」
「機動隊は残っていないのですか」
朝比奈の問いに、初野は一旦俯き、また顔を上げた。
「残ってはいます。しかし、銃器対策部隊の全小隊及び第一、第二機動隊が殆ど戦うことなく全滅しています。これ以上、無駄な殉職者を出すことはできません」
海上保安庁のヘリが撃墜され、警視庁機動隊に出動命令が下ったが、全くと言っていいほど、歯が立たなかったのだ。これを受け、官邸連絡室から官邸対策室に改組された。
初野の言葉に、朝比奈は一層表情を険しくして目を閉じた。
「総理、警察力ではもう限界と思われます」
岡峰内閣危機管理監が諭すように言った。
橘も同感だった。警官が敵の攻撃によって殉職していくのをヘリからの映像ですべて見ていた。機動隊出動を最終的に判断したのは、この官邸対策室だ。橘たちが遺族に詫びに行っても、できるのは弔辞を述べることくらいしかない。
「自衛隊の現状は?」
朝比奈が目をつぶったまま言った。
「はい」高宮防衛大臣の隣に座る男が口を開いた。官邸対策室への改組に伴い招集された、統合幕僚長の稲見陸将だ。「陸上自衛隊第一師団は朝霞駐屯地で待機中。第一普通科連隊は練馬駐屯地で第一種防衛態勢をとっています。木更津駐屯地でも、第四対戦車ヘリコプター隊が即応体制に入っています」
「いつでも出動できると」
「はい」
稲見の答えに朝比奈は頷き、目を開けた。「自衛隊出動の場合の法的根拠は?」
「はい、お答えします」稲見の隣の男が発言した。防衛省大臣官房審議官の宮地だ。「ご存じのとおり、自衛隊の出動は3つに大別されます。防衛出動、治安出動、災害派遣です。今回は、前者二つの防衛出動か治安出動になりますが、いずれもこれまで下令されたことはありません」
「防衛出動がよろしいかと」
高宮防衛大臣が言った。
「何故?」
朝比奈は腕を組んだ。
「現行法では防衛出動が一番、自衛隊の権限が強いものです。首都東京が攻撃を受けた今、一刻も早く敵を排除しなければなりません」
「待ってください」
高宮が言い終わると同時に、そんな声がした。声の主は橘の隣、西田だ。
「どうぞ、西田さん」
朝比奈が促すと、西田は朝比奈に目礼した後、口を開いた。
「防衛出動について定めた、自衛隊法第76条第1項にはその要件として、『我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態』とあります。しかし今回は、外部からの武力攻撃かどうか判断できません。テロ攻撃の可能性も少なくない。そうなると、治安出動の必要性すら疑わしい」
言い終えて西田は高宮を見た。高宮はその視線を真っ向から受け止めた。
「確かに西田大臣の仰ることも一理ある。しかしながら大臣、その第76条第1項には、『我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態』とあります」
「いや」そこで岩井外務大臣が発言した。「わたしも西田大臣に賛成だな」
「何故ですか」
与党公民党の清原派で岩井の後輩にあたる高宮は敬語を使う。岩井は高宮に敬語を使わない。
「もし、防衛出動となれば、日本国内で軍事行動を起こすことになる。そうするとだ。地政学的に近い位置にある中国やロシアを刺激することになる。下手したら北朝鮮をもだ」
室内が沈黙した。皆が自分の考えをまとめているようだ。橘も自分の知識を総動員して考えを巡らせていた。防衛出動すれば、高宮の言うように自衛隊が最大限の権限でもって敵を殲滅することができる。一方治安出動では、『警察比例の原則』というものがある。自衛隊法第89条の規定により、治安出動時の隊員の行動は警察官職務執行法に準ずるのだ。これは、正当防衛以外では武器の使用ができないことを意味する。
しかし、西田の言うことももっともだ。法的な見地に立てば、自衛隊出動のための要件を十分に満たしているとはいえないかもしれない。
「ちょっといいですか」
橘が思案にふけっていると、そんな声が聞こえた。朝比奈だ。
「私の意見を述べてもいいかな」
誰も口を開かない。朝比奈の視線がこちらを向いた。代表するように橘は頷いた。「どうぞ」
朝比奈は軽く咳払いをした。「相手の正体は不明です。いずれの国家による攻撃とも断定はできません。しかし、あれほど広範囲を一瞬で破壊するような極めて強力な兵器を持っている。おそらく一つだけではなく、複数持っているでしょう」
朝比奈はそこで一度反応を確かめるように言葉を切った。誰も咳一つしない。朝比奈は続けた。「このことから計画的、そして組織的攻撃とみなすことができます」
橘は朝比奈の言わんとすることを理解した。小さく頷くと、それを目ざとく捉えた朝比奈がこちらに視線を向けた。
「つまり」橘は朝比奈を見ながら言った。「防衛出動が妥当だと」
朝比奈は微笑し頷いた。
そのとき、電話の鳴る音がした。着信を示すランプが点灯しているのは、稲見統幕長の席だ。稲見が受話器を取る。「稲見だ」
室内の全員が沈黙して稲見に視線を向ける。その視線の先で、稲見の目が見開かれる。
「何!本当か!」
「どうしました?」
朝比奈が訊くと、稲見は送話口を押さえ、僅かに震える声で言った。
「敵が例の光を発射しました。現場の若洲周辺の建物は殆ど全壊したとのことです」
「そんな」
橘は思わずそう呟いた。
「映像は?」
朝比奈の声に稲見が「お待ちを」と言った。「東京臨海広域防災公園からの映像が入ります」
メインモニターの映像が切り替わった。
東京ゲートブリッジの北、若洲から新木場にかけて、炎と黒煙が立ち上っている。燃え上がる炎で空がほのかに赤く染まっている。よく見ると、ビルの残骸と思われる瓦礫が無数に転がっている。
室内が騒然とするなか、橘の向かいに座る財務大臣が財務省理財局の職員を呼んだ。
「被災者救済のための補償を公金からどれくらい出せるか検討を始めてくれ」
橘も内閣法制局の担当者を呼んだ。
「内閣法制局で、被災者救済のための特別法律案の草案を作成しておいてくれ」
「分かりました」
職員が小走りで閣議室を出ていく。
「総理」岡峰が朝比奈を見る。「事態対処法の定めるところにより、緊急対処事態対処方針を定める必要があると思われます」
朝比奈が岡峰を凝視する。「内閣危機管理監、それはつまりこの事案を『緊急対処事態』と認定するということですか」
岡峰は頷いた。
緊急対処事態とは、『武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律』、通称、事態対処法第24条に定められたもので、第25条では、政府はその緊急対処事態に際して緊急対処事態対処方針を定め、閣議での決定を求めなければならないとされている。
「私も、内閣危機管理監に賛成です」
橘の言葉に、朝比奈は考えを巡らせるような仕草をしたあと、決心したように息を吐いた。「分かりました。緊急対処事態認定及び緊急対処事態対処方針作成、並びに緊急対処事態対策本部設置に関して、閣議を開きます」
朝比奈の言葉を聞き、橘は立ち上がった。「では、閣僚方は4階閣議室へ移動を。同時に自衛隊の出動についても協議したいと考えますが、ご異議ありませんか」
「構いません」
代表するように、高宮が答えた。
※
東京都江東区
明治通り
城東消防署の救命救急士、川本は高規格救急車で江東病院に向かっていた。
「川本さん、患者の容態をお願いします」
受話器を持った隊員が言った。川本は受話器を受け取った。相手は江東病院だ。
「城東消防署の川本です。患者は30代男性。容態は意識レベルJCS30。約20%のⅢ度熱傷。右上肢は一部炭化。右下肢に裂傷」
相手は電話口で少し沈黙した後、『分かりました。受け入れます』と言った。
「感謝します」
川本は受話器を隊員に返した。江東病院が受け入れてくれたが、電話口からは医師の怒号や、患者の叫び声などが聞こえた。あちらも手一杯なのではないか。
謎の武装集団による攻撃で、若洲から新木場にかけて破壊された。川本たちはその現場に行った。といっても端の方だ。中にまでは入らせてもらえなかった。そこで、この患者を見つけたのだ。
川本は患者を見た。意識レベルJCS30。刺激を与えないと覚醒しない。話すことは困難で、身元はまだ分からない。体表の約20%がⅢ度熱傷で、皮下組織にまで達している。上半身はひどく焼けただれ、右腕は一部が炭化している。
「まもなく、到着」
運転する隊員の言葉に、川本は身構える。やがて救急車が停車する。停車すると同時に外側から後方ドアが開けられる。開けたのは江東病院のスタッフだ。
けたたましいサイレンが止まる。
「患者は?」
血で白衣が真っ赤になっている医師が訊く。
「30代男性。Ⅲ度熱傷。右下肢に裂傷です」
「分かりました」
搬入口から救急外来に入る。
川本は思わず眉根を寄せた。
中には、数え切れないほどの患者がいた。場所がなく、床に敷いた毛布の上に横たわる患者もいた。その間を医師や看護師が駆け抜ける。床に広がった血液や体液で転んだ看護師を医師が起こし、「しっかりするんだ!」と肩をたたく。立っている患者が一人いたが、彼は能面のような表情で自分の千切れた腕を持っていた。よく見ると彼は警官の制服を着ていた。
院内は戦場と化していた。
「川本!行くぞ!」
運転手の声で我に返った川本は医師に「お願いします」と言って、外へ向かった。
川本が救急車に乗り込もうとしたとき、もう一台救急車がサイレンを鳴らしてやってきた。
「もうこっちは手一杯なんだよ!」
医師の叫び声が聞こえた。
※
東京都千代田区
首相官邸地下1階 危機管理センター
緊急対処事態対策本部
橘たちは4階の閣議室から戻っていた。閣僚会議の後、全員が防災服に着替え、朝比奈は記者会見に臨むため1階の記者会見場へ向かった。
それぞれが席に着いた頃、メインモニターの映像が切り替わり、NHKの放送が流れ始めた。
「総理の会見が始まります」
橘は全体に言った。
『えー、謎の武装集団は、なおも北へ進行中です。避難区域に指定されている地域の方は、速やかに、自治体の指定する避難所へ避難してください。え、また、そのほかの地域の方も、テレビやラジオで最新の情報を入手してください。防災袋の中身を今一度、確認するといいでしょう』
男性のアナウンサーが話していた。そこへ、横から紙が渡される。
『えー、まもなく、朝比奈総理大臣による記者会見が開かれる模様です。首相官邸から中継です』
画面が切り替わり、官邸の記者会見場が映った。橘がいつも定例会見をしている場所だ。壇上の左側には日の丸が掲げられ、背後には紺色の幕がかけられている。
司会者のくぐもった声が聞こえた。
『只今より、総理から今回の事態に対する政府の方針をお伝えいただきます。総理、お願いします』
壇上の右から防災服を着た朝比奈が現れた。壇上に一礼し、台の前まで進む。同時に左側から手話担当の女性が現れる。朝比奈が口を開く。
『内閣総理大臣の朝比奈芳継です。えー、現在、東京湾岸で発生しています事態について、ご説明します』
朝比奈は唇を舐めた。『えー、本日午前9時42分、江東区の東京ゲートブリッジにて原因不明の爆発が発生しました。その約1時間後、爆発現場に30名ほどの集団が現れました。海上保安庁のヘリコプターから呼びかけを行ったところ、当該ヘリコプターが謎の兵器によって撃墜をされました。これを受け、警視庁機動隊が出動いたしましたが、第六機動隊銃器対策部隊及び第一、第二機動隊が全滅。政府としては、警察力による当該集団の排除は困難とみて、自衛隊の出動を決定いたしました』
朝比奈の言葉に、会見場がわずかにざわめく。
『陸上自衛隊第一師団及び東部方面航空隊並びに中央即応集団に対し、自衛隊法第76条第1項に基づく、防衛出動命令を下令いたしました。また、そのほかの部隊には、防衛出動待機命令を下令しました。え、緊急の案件と判断し、国会での承認は事後に回すと決定しました』
再びざわめきが起こったが、朝比奈は気にせず続ける。『同時に、今回の案件を緊急対処事態に認定、事態対処法に基づき、緊急対処事態対処方針を閣議決定。内閣には臨時に、えー、「平成29年東京湾岸攻撃事件に対する緊急対処事態対策本部」を設置しました』
朝比奈は資料をめくった。
『次に住民の避難についてですが、既に江東区から発令されていた避難勧告に加えて、国民保護法第44条に基づいた警報を発令。同法第52条に基づき、都に対して住民の避難措置について指示いたしました。えー、また、江東区、江戸川区、中央区、港区、品川区、大田区、千葉県浦安市に対してJアラートを発動し、緊急避難命令を発令しました』
画面の中で朝比奈が資料に目を落としたとき、橘たちのいる閣議室のドアが開き、各省庁の防災服を着た男たちが入室してきた。
「失礼します」
一同を代表するようにそう言ったのは、防衛省の大崎防衛事務次官だ。
彼に続いて入ってきたのは、防衛省から月島運用政策統括官、佐田大臣官房長、自衛隊情報本部長の岡田空将、厚生労働省から社会・援護局長、外務省から総合外交政策局長、北米局長、そして内閣情報調査室の井上室長、内閣法制局の米津長官、緊急参集チームから警察庁の小林警備局長、防衛省の吉崎運用企画局長、佐々木副長官を筆頭に三人の内閣官房副長官だった。官邸対策室から緊急対処事態対策本部に改組されたことを受け、官邸に召集されたメンバーだ。
彼らがそれぞれの席に着く。
朝比奈の会見が終わりに差し掛かる。
『えー、国民の皆さんはどうか落ち着いて、緊急の事態に備えてください。また、避難指示を受けた地域の方は、直ちに避難するようにしてください。え、以上です』
朝比奈が言い終わると同時に、記者たちが一斉に手を上げる。
『時間がありませんので、質問は3つまでとします』
司会者が言った。『はい、では1番前の赤の眼鏡の方』
指名された人物が立ち上がる。
『朝日新聞の横井です。自衛隊の出動を決定されるにあたり、憲法や法律と照らし合わせ、きちんとした協議はなされたのでしょうか』
横井記者の質問に朝比奈は鼻の横を掻いた。『えー、自衛隊法第76条第1項に定める通り、出動の要件については情報を精査したうえで協議しました。また、憲法第9条との整合性についてですが、これも交戦権の行使ではなく、自衛権の行使であると考えています』
橘は横井記者の質問に違和感を覚えた。確かに憲法や法律を遵守することは、日本が法治国家である以上重要なことではある。しかし、この時間のない時に、本当なら質疑応答の時間は省きたいところだ。それでも3つに限ってだが質疑応答の時間を確保した。そんなときに、もっと訊くべき重要なことがあるはずだった。
『え、では次の方に移ります。えー、3列目のストライプのジャケットの方』
ストライプのジャケットを着た人物が立ち上がる。
『TBSの田中です。現在の詳しい被害状況は?』
『はい』朝比奈が手元の資料を確認する。『えー、現在までで確認されている民間人の死者は31名ですが、若洲から新木場にかけての攻撃があってから、現場には救助隊が入れない状況となっていますので、今後さらに増えると思われます。負傷者は近隣の救急指定病院や都が指定している災害指定病院に分散して搬送、治療しております』
『では次で最後の質問とします。そこの赤ペンを持っていらっしゃる方、どうぞ』
『産経新聞の山本です。相手の武装集団の正体について、何か情報をつかんだりはしていませんか』
『はい、それについても情報を精査中ではありますが、今のところ有力な情報は入っていません。こちらが訊きたいくらいです』
朝比奈が言い終えると、再び多くの手が上がる。
『北朝鮮の特殊部隊だという情報もありますが!』
『アメリカ政府は何と言っているんですか!』
記者たちは口々に質問するが、もう質疑応答の時間は終わりだ。
『会見は以上になります』
朝比奈が壇上から立ち去る。
先ほどの閣僚会議では、自衛隊の防衛出動に伴い、在日米軍への協力要請を出すか否かの議論もされた。結論は、否だ。今回のことは日本で起こったことで、日本が個別に対応するべきと判断したからだが、岩井外務大臣の「中国やロシアを刺激するべきではない」という意見も、少なからず影響した。
橘は円卓上に置かれたペットボトルを手に取った。水色の蓋を開け、水を口に含む。ふと横を見ると、西田防災担当大臣も同じように水を飲んでいた。
「私は防衛出動すべきではないと思いますが」
西田が言った。
「はあ」
橘は曖昧な返事をした。
「あとで議事録が公開されたら、野党から叩かれるのは必至です。勿論、矢面に立つのは総理でしょうが、防災担当大臣の私も無関係ではいられないのです」
「総理は」橘はペットボトルを元に戻して言った。「自分の立場よりも、国民のことを第一に考える方です」
あれは橘がまだ若手議員だった時だ。公民党のある懇談会で、橘と同じく若手議員だった朝比奈と出会った。
席が隣だったため、少し話をしたところ、同い年だということが判明した。さらに橘の選挙区は奈良1区、朝比奈の選挙区は京都4区で、同じ関西だったのだ。二人は意気投合し、連絡を取り合うようになった。ときには二人で酒を飲みながら朝まで議論したこともあった。
ある夜、朝比奈が言った。この国は間違っている。国民のためになっていない、と。
そのとき朝比奈は酒を飲んでいたが、その言葉は真剣だった。居酒屋の喧騒の中でもはっきりと聞こえた。
その日も朝まで議論した。日本の社会保障について、だ。
次の日、公民党で社会保障に関する勉強会があった。そこにも朝比奈はいた。その時の彼の表情を見て、橘は昨夜朝比奈があんなことを言ったのはこれがあることを知っていたからだ、と分かった。
その勉強会で、上座に座っていた当時の政調会長から若手に意見が求められた。何人かが当たり障りのない意見を言っていく中、朝比奈が手を上げた。
「今の社会保障制度は抜本的に見直すべきです」
朝比奈のこの発言には、当時の重鎮たちは少なからず驚いたようだ。その後、朝比奈の選挙区で同じ公民党の候補が立候補し、朝比奈は落選した。
だが、その次の選挙で無事勝利し、議員に復帰した。当選確実の報道があってすぐ、彼は橘の自宅にやってきた。
「俺は自分の政治をやりたい」
朝比奈はそう言った。そのとき、橘は直感的に思った。こいつはいつか天下を取る男だ、と。
「実際、朝比奈さんは総理になりました」
橘は西田を見た。西田は少しばつが悪そうに眼鏡を押し上げた。
「まあ、私も決定したのであれば、それに従いますが」
西田がペットボトルを円卓上に戻したとき、閣議室のドアが開き、防災服姿の朝比奈が戻ってきた。あとから補佐官たちも入ってくる。
橘は起立した。「お疲れさまでした」
橘に倣い、全員が起立する。
朝比奈は制するように片手を上げた。「まだ何も終わっていません。これからです、疲れるのは」
※
千葉県木更津市
陸上自衛隊木更津駐屯地
陸上自衛隊第4対戦車ヘリコプター隊所属の村中一等陸尉は、愛機のAH-1S、通称コブラのエンジンを起動し、管制官からの離陸許可を待っていた。村中のコブラの隣にはあと3機のコブラが並んでいる。
『コブラ01、こちらCP。送れ』
管制官から無線が入った。
「CP、こちらコブラ01。送れ」
『コブラ01、CP。全機、離陸を許可する。送れ』
「CP、コブラ01。了解。送れ」
村中は一旦無線通信を終え、ローターを起動した。
「コブラ全機へ。こちらSIX。離陸する。目標は東京へリポート上空。現着予定時刻、1310。送れ」
全機からの了解を聞き、村中は操縦桿を上げ、離陸した。
『CP、コブラ01。木更津離陸、1303。送れ」
木更津を離陸したコブラ編隊は進路を西方向に向け、東京都江東区へと向かっていった。後ろからは観測ヘリOH‐1が一機、ついてくる。映像を記録するようだ。リアルタイムで、官邸や都庁災害対策本部に状況を伝えることもできる。
政府から防衛出動命令が下令されたことを受け、既に防衛省で作成されていた作戦要綱に従い、村中たち第4対戦車ヘリ隊に出動命令が出た。現在新木場付近で進行中の敵を殲滅するため、機関砲と誘導弾を使用した作戦が実施される。
東京湾を横切り、やがて東京ゲートブリッジが見えてきた。橋梁が落ち、未だ黒煙が上がっている。そしてその上空には、正体不明の『穴』が開いている。
東京ゲートブリッジの北方向に広がるのは焼け野原だ。若洲海浜公園の緑は焼き尽くされ、東京へリポート周辺の建物も崩れ落ちている。
そして、その崩れ落ちた建物の間を縫うように進軍するは、謎の武装集団。銀色の鎧が炎に照らされ赤く輝いている。彼らはまだこちらに気づいていないようだ。
「CP、コブラ01。ホールディングエリアに到着。送れ」
『コブラ01、CP。了解。指示を待て。送れ』
村中は息を吐き出した。今村中が操縦桿を握るAH‐1Sには、ペイロードいっぱいの兵器が積み込まれている。誘導弾の発射は、村中も富士総合火力演習で行ったことはあるが、実戦で、それも市街地で発射するのは勿論、初めてだった。
『コブラ01、CP。総理からGOサインが出た。コブラ全機、攻撃を許可する。繰り返す、攻撃を許可』
「CP、コブラ01。了解。全機、前進」
村中の声で、コブラ編隊がさらに前進する。ローターの吹き下ろしの風で風力発電所の炎が激しく揺れる。
「CP、コブラ01。最終確認を求める。送れ」
『コブラ01、CP。攻撃を許可する。攻撃せよ。送れ』
管制官の声に、村中は息を詰めた。戦後初の自衛隊による実力行使が行われようとしていた。村中は一度深呼吸し、声を発した。
「全機、20ミリチェーンガン用意。目標、未確認武装集団。距離、200。発射用意」
村中は指示を出しながら自らのチェーンガンも用意する。照準を合わせ、トリガーのカバーを外す。横目で他3機を確認し、口を開く。
「発射」
村中の指示と同時に、4機の対戦車ヘリが一斉に20ミリの弾丸を発射した。バリバリバリという発射音が辺りに響く。
集団の後方にいた2人が倒れる。他の全員が振り向いた。盾を広げ、攻撃を避けようとする。
「全機、誘導弾に切り替え。TOW対戦車誘導弾を用意」
村中は発射ボタンに手をかけた。
発射、と言おうとしたその時、集団の中の1人が剣先を空中に向けた。先にあるのは3番機。
「03、攻撃を受ける。回避行動を取れ!」
『こちら03、回避する』
3番機が右に舵を切る。機首を少し上げながら右旋回していく。
剣先から青白い光が発射される。
「全機、誘導弾発射!」
村中は叫び、ボタンを押した。
ミサイルポットから誘導弾が発射される。白い軌跡を描いて集団に向かっていく。
敵の発射した光が3番機に到達した。
『メーデー、メーデー!ああああああ!……』
3番機が爆裂した。2枚のローターが弾け飛び、ヒュンヒュンと空気を切りながら舞っていく。
下方で爆発音がした。見やると驚きの光景が広がっていた。
村中の発射した誘導弾は、集団に直撃することなく、空中で爆発していた。
「どうなってるんだ、これ」
2番機が誘導弾を発射した。だが、それも空中で爆発した。
『中隊長、防がれています!』
2番機パイロットがそう言ったとき、敵が再び空中に光を放った。そのまま剣先を村中たちのいるほうへ移動させて来る。
「やられるぞ、全機、回避しろ!」
村中が叫んだときには、光の奔流がすぐそこまで迫っていた。
※
東京都千代田区
首相官邸地下1階 危機管理センター
緊急対処事態対策本部
画面の中で、陸上自衛隊の対戦車ヘリコプター、AH‐1Sが3機続けて撃墜された。3機は折り重なるように地上の炎の中に墜ちた。一層激しい炎が上がる。
対策本部内は水を打ったように静まり返った。
橘も唖然としていた。
おそらく全員が楽観視していたのだ。自衛隊なら彼らに太刀打ちできるだろう、と。
重い沈黙の中、視界の端で誰かが動いた。統合幕僚長の隣に座る、岡田情報本部長だ。
部下を呼び、何事かを耳打ちする。それを聞いた部下は、一瞬目を見張って岡田を見たが、すぐに一礼し、室内を後にしようとする。
「待ちたまえ」
ドアに手をかけた岡田の部下に、西田が声をかける。「何処へ行く気だ?」
静まり返っていた対策本部内で、西田の声はよく響いた。全員の視線が集まる中、声をかけられた彼はうかがうように岡田を見た。
全員の視線が岡田に移る。
「情報本部長、彼に何を頼んだのですか」
西田が岡田に問う。
岡田は少しの間沈黙した後、口を開いた。「今、申し上げなければなりませんか」
「当たり前だ」西田の細い目が険しくなる。「文民統制を何と心得るか」
西田の言葉に諦めたようなため息を吐き、岡田は口を開いた。
「あの未確認武装集団の情報を持っている可能性のある人物にコンタクトを取ります」
「何だって?」
橘は思わず声を上げる。「それは誰ですか」
「申し訳ありませんが、ここではお教えできません」
「さっきから何を言っている?」西田が声を荒げる。「さっさと情報を上げろ。何のための自衛隊だ。何のために毎年市ヶ谷に予算を出してると思ってるんだ!」
「西田大臣」
そこで朝比奈がたしなめるように言った。
朝比奈の声に西田は不承不承といった様子で口を閉じた。
「しかし、情報本部長」
橘は岡田を見据える。「西田大臣の仰ることも一理あります。情報は上げてほしい」
岡田は頷いた。「その人物にコンタクトが取れ、確実な情報を入手できた際には、総理にご報告します」
「いや」橘は掌を出した。「総理への報告の前に、私に報告してください。本当に総理に報告する価値のある情報か、内閣官房長官の私が判断します」
え、と言って岡田は朝比奈を見た。朝比奈は頷いた。「そうしましょう」
「わ、分かりました」
岡田はそう言って、ドア前で立ったままの部下に目配せした。部下が出ていく。
室内が再び沈黙に包まれた時、電話が鳴った。ランプが付いているのは円卓上の電話ではなく、朝比奈の後ろに控える総理大臣補佐官の席のものだ。
「総理」
電話を取った補佐官が幾分か強張った表情で朝比奈を呼んだ。「ホワイトハウスからです」
「なに?つまり……」
驚いて振り返った朝比奈に補佐官は頷いた。
「はい、合衆国大統領からお電話です」
※
東京都文京区
とあるマンション 2403号室
テレビはどのチャンネルも特別報道番組をやっていた。女性アナウンサーが神妙な顔で話している。
『お伝えしていますように、先程、陸上自衛隊の対戦車ヘリコプター4機が撃墜されました。戦後初の防衛出動命令を下した政府ですが、早くも犠牲者を出してしまいました。スタジオにお客様をお呼びしています。海上自衛隊自衛艦隊の元司令官の……』
クライムはリモコンでテレビを消した。するとその直後に、家の電話が鳴った。妻のさつきが応対する声が聞こえた。
やがて「あなた」と呼ぶ声がした。クライムは電話が置いてある廊下へと出た。
「自衛隊の方から」
クライムは頷き、さつきから受話器を受け取った。「もしもし」
『君のいとこは今、何処に?』
「スコットランドだ」
クライムが合言葉を言うと、相手が声の調子を変えた。『木村です。クライム情報官ですね』
「ああ、そうだ。久しぶりだね、木村三尉。いや、それとも昇格したかな」
クライムが言うと、木村は『ええ』と言った。
『おかげさまで、二等陸尉です』
「おお、そうか。それは良かった」
『有難うございます』そう言ってから、木村は咳払いをした。『本題に入っても?』
「ああ、今起こっていることかな」
『はい、その通りです』
木村の言葉に、クライムは息を吐き出した。「今から官邸に来い、ということか」
『さすが情報官、よくお分かりで』
「ははっ」クライムは笑った。乾いた笑いだ。「まだ、老いぼれていない」
『安心しました。ーーそちらに車を回しています。それに乗ってください』
「分かった」
電話を切り、リビングに戻った。窓から下をのぞくと、黒塗りのセダン車が停まっていた。確か、トヨタのクラウンだ。
「さて」
クライムはカーテンを閉じた。「行くとするか」
※
東京都練馬区
陸上自衛隊練馬駐屯地
喫煙所の扉を開けると、煙草の匂いが漂ってきた。だが、中には誰もいなかった。
陸上自衛隊第1普通科連隊の篠崎正彦三等陸佐は戦闘服のポケットから携帯電話を取り出した。そして、電話帳から『真知子』と名前の付いた番号を選択する。
繋がってくれ、と祈りながら携帯電話を耳に当てた。コールが3回なったところで、妻の真知子が電話に出た。
『はーい。なにー?』
相変わらず緊張感のない声だ。いついかなる時もほんわかしているのは高校の時から変わらない。だが、決して頭が悪いわけではない。
「あー、俺だ。今から出動だから」
篠崎も真知子に合わせるように軽い調子で言う。さらりと「出動」と言ったが、それは戦後初の防衛出動だ。生きて帰れるかわからない。しかし真知子の口調は変わらない。
『オッケー。帰りはいつになる?』
「帰りって、いや」篠崎は携帯電話を持ち替えた。「真知子、今避難所だろ」
『そうだけど』
「できれば避難所には帰りたくねえな」
電話口で真知子がケラケラと笑った。昔からよく笑う女だ。『じゃあさっさと敵を倒してくださいよ、三等陸佐』
「了解」
篠崎は頬を緩めてそう返したが、すぐ真剣な表情に戻った。「気を付けてな」
篠崎の言葉に真知子は数秒沈黙してから「うん、有難う」と言った。いつものおどけた口調は消えていた。
「じゃあ」
篠崎が言うと、真知子はいつもの調子に戻った。
『うん、君も頑張れよ、篠崎三佐』
「階級で呼ぶの気に入ったのか」
『ちょっとカッコよくない?』
「とうとう軍オタの入り口に立っちまったな」
『へへへ』真知子が笑う。『さあ、はよ行け』
「分かった。じゃあな」
『うん』
篠崎は電話を切り、携帯電話をポケットに戻した。いつも妻との電話に助けられている、と思った。災害派遣で出動するときもこうやって電話をした。何も特別なことは話さないが、真知子と話すだけで勇気づけられた。阪神淡路大震災のときや東日本大震災のときも、被災地から電話をかけた。壊れそうになる精神を、なんとかそれで癒すことができた。
喫煙所のガラスがノックされた。見ると、部下の水沼一曹だ。「三佐!」
篠崎は扉を開けた。「なんだ?」
水沼は喫煙所の匂いに一瞬顔をしかめてから、「なんだ、じゃないですよ」と言った。
「もう出動です」
水沼の言葉で我に返った。真知子の呪縛にとらわれていたようだ。
「ああ、すまん。行こうか」
篠崎は足を踏み出した。途中、隊舎で荷物を取り、外に出た。外ではもう出動の準備が整いつつあった。73式大型トラックに隊員が次々乗り込み、LAVの準備も進んでいる。
篠崎と水沼も駐屯地司令の指示に従ってトラックに乗り込んだ。そこには既に、篠崎が指揮を執る第3普通科中隊の隊員がそろっていた。
「三佐、また奥さんと電話ですか」
上森三尉がニヤニヤしながら言ってきた。この男は何かと篠崎をからかってくるのだ。だが、篠崎は上森がそんなに嫌いではなかった。
「ああ、そうだ。お前はどうなんだ。彼女とは」
そういうと上森の表情が沈んだ。するとそれを面白がるように宮下亜矢陸曹長が言った。
「三尉は先週日曜日にフラれたそうです」
「おい、宮下」上森が顔を上げる。「なんでお前それ知ってんだ?」
「一昨日、酔って嘆いてたじゃないですか」
そのとき、篠崎の無線に連絡が入った。出動せよ、とのことだ。
「よしみんな、もう出動だ。気を引き締めて行くぞ」
篠崎の声に上森達が話をやめる。そして「了解」と全員が声を合わせた。
「田村一尉、出動だ」
先導する高機動車を運転する隊員に無線で合図した。
『了解です』
田村の声がして、車列が動き始めた。
篠崎達、第1から第5中隊は敵が蹂躙する新木場へ向け、練馬駐屯地を出発した。
※
東京都千代田区
首相官邸地下1階 危機管理センター
緊急対処事態対策本部
朝比奈が受話器を置いた。ため息を一つ吐く。
「ウィンター大統領は何と?」
橘が訊くと、朝比奈は顔を上げ、口を開いた。
「米軍へ協力要請を出さないことについては理解を示してくれました。ただ、合衆国の安全保障上必要と認めるときは、要請の有無にかかわらず攻撃することがあると」
閣僚数人がため息を吐く。
「攻撃の際には、日本政府にその旨を知らせることを要請しました」
橘は頷いた。米国はとりあえず納得してくれた。問題は、中国やロシアだ。今のところ表立った動きは報告されていないが、何も反応しないということは考えられなかった。
そのとき、電話が鳴った。岡田情報本部長の席だ。岡田は受話器を取り二言三言話した後、橘に視線を向けてきた。
「官房長官、情報提供者が官邸に到着しました」
対策本部内の視線が橘に向く。橘は頷いた。「先に長官室にお通ししておいてください」
「了解しました」
岡田は更に何事かを電話口に話した後、受話器を置いた。
「では、官房長官。参りましょう」
岡田が席を立つ。橘も秘書官に「ここにいて」と言って立ち上がり、ドアへと向かう。岡田が開けてくれたドアから危機管理センターの廊下に出る。岡田が木目調のドアを閉めた。
二人並んで、無言で進んだ。エレベーターに到着し岡田がボタンを押す。すぐに扉が開いて、中に入る。鏡に映った自分の顔は、朝より幾分老けて見えた。
岡田が『5』のボタンを押した。
「その情報提供者は」橘は口を開いた。「自衛隊内部の人間ですか」
岡田は橘を振り返った。「自衛官ではありませんが関係者ではあります。もっとも、その関係は秘匿にされていますが」
やがてエレベーターが5階に到着した。
石庭の横を通り過ぎ、廊下を歩く。三つ並ぶ内閣官房副長官室の向こうが、内閣官房長官室だ。その奥には首相執務室がある。
内閣官房長官室の前に制服を着た自衛官がいた。岡田に指示され対策本部を出ようとし、西田に見とがめられたあの男だ。
「木村二尉です」岡田が彼を示して言った。「今、中にいる人物と自衛隊とのパイプ役をしています」
岡田の紹介に木村は一礼した。そして、扉に手をかける。「よろしいですか」
橘が頷くと、木村は扉をゆっくり開けた。橘を中へ促す。
中央の応接セットに一人の男がいた。黒いコートを着込んだ60代くらいの男だ。白い髭を蓄えたその顔は、日本人の顔には見えなかった。
後ろから岡田と木村が入ってきて、扉が閉まった。
「ご紹介します」木村が白い髭の男の隣に立った。「アメリカ国防情報局の情報官、スコット・クライム氏です」
クライムが立ち上がった。「クライムです」
「内閣官房長官の橘です。日本語は大丈夫ですか」
クライムは頷いた。「妻が日本人でして、多少は話せます」
そう言ったクライムの言葉はとても流暢だった。
「クライム情報官は長年、極東の情報を担当しておられます」
木村が言うと、クライムが頷いた。
「なるほど」
橘はクライムにソファーを示し、自らも座った。「早速本題に入りましょう。未確認武装集団の正体をご存じだとか」
「ええ」クライムは首肯した。「国防総省の最重要機密でもありますが、ここへ来るまでの車中で本省に確認しました。お教えします」
クライムは岡田と木村を見た。二人は目を見合わせ、部屋から出て行った。
室内に残ったのは、橘とクライムの二人だ。
「ツングースカの大爆発をご存知ですか」
唐突にクライムが言った。
「名前くらいは。確か、ロシアでしたね」
橘が言うと、クライムは頷いた。
「はい、1908年6月30日7時2分、当時のロシア帝国領中央シベリアで起こった大爆発です。強烈な空振が発生し、半径30から50キロにわたり森林が炎上、2150平方キロメートルの範囲の木々が薙ぎ倒されました。爆発から数夜にわたってアジアやヨーロッパは夜でも空は明るく輝き、ロンドンでは深夜に明かりを付けなくても新聞が読めた、という話もあります」
「途轍もない爆発だったわけですね。しかしそれと今回の事件、何の関係が?」
橘の疑問にクライムは話を続ける。
「爆発発生から約13年間、調査は行われていないことになっています。理由はロシア国内が混乱していたから、と」
「その仰り方だと、何か裏があると?」
橘は少し身を乗り出した。
「ええ」クライムは微笑した。「実はロシア帝国は爆発の直後に調査を行っていたんです。その記録はソ連が成立してからも、政府高官の重要な申し送り事項、そして最重要機密だったようです。ソ連解体後ロシア連邦に変わっても、それは変わりませんでした」
「何故それを米国が知っているのですか」
答えは大体想像がついたが一応尋ねた。だが予想通りだった。
「米ソ冷戦の時代に我が国がソ連に送った諜報員からの情報です」
橘は小さくため息を吐いてクライムを見た。「まだ話が見えません」
「ロシア帝国が行ったその調査の時、爆発現場で銀色の鎧を着た謎の兵士が多数目撃されているのです」
「え!」橘は目を見張った。「それは今東京を攻撃している彼らですか」
「おそらくは」クライムは頷いた。
「その調査団の中にも我が国の諜報員がいました。ロシアが新型兵器の実験を行ったのではないかと疑ったわけです。その諜報員が、兵士の一人を拘束し、聴取を行っています。このことはロシアも知りません」
橘は黙ってクライムの話を聞いた。
「その記録によると、彼らの正体はマルニシティア王国軍でした」
「マ、マルニシティア王国?」
聞いたことのない国だった。「何ですか、それは?」
「私たちが生きているこの宇宙とは別の次元に存在する王国です」
「ちょっと待ってください」
橘は掌を出した。「別次元ってどういうことですか」
「言葉のとおりです。我々とは違う宇宙があって、そこに存在しているのが、マルニシティア王国です」
橘は頭を振った。いきなり突拍子もないことを聞いて、少し頭痛がした。「とりあえず、先に進んでください」
「彼らの世界では魔法が生きています。時空を飛び越えたり、剣から魔力砲を放ったり」
「剣から魔力砲……」
危機管理センターのモニターで見た映像が蘇った。剣から放たれた光で、警視庁機動隊や自衛隊ヘリがやられた。
「かれらは109年の時を経て、この世界に再び現れました。ツングースカの大爆発は僻地でしたが、今回は工業先進国、日本の首都に現れた。事態は深刻です。通常の武力攻撃とはわけが違います」
クライムが前かがみになった。
「信用していただけますか」
橘は息を吐き出した。まだ頭の中が混乱していた。
少し考えさせてほしい、と言おうとしたその時、扉が勢いよく開いた。
「長官!」
血相を変えて入ってきたのは岡田情報本部長だ。ただ事ではないようだ。
「どうしました?」
岡田は荒くなった息を整えてから口を開いた。
「ヘリからの映像で……正体不明の飛行生物が現れました」
「飛行生物?」
橘は眉をひそめた。クライムは余裕の表情だ。
「はい。まるで……」
岡田は唇を舌で舐めた。「まるで、ドラゴンのようです」
「はあ?」
予想外の単語に、橘は思わず大きな声を出した。
<第2章へつづく>