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生きるとはなんだろうか。

息をする、動く、水を飲む、ご飯を食べる、疲れる、寝る、起きる…

これらを何度も繰り返すだけで、それは「生きている」と言うのだろうか。

もしそれらを行わない命を持たぬ者、即ち幽霊が「自分は何のために生きているのか」と言うことを心にしっかり定義しているとしたら。

それは私のような生きているのか生きていないのかよく分からない人間よりも、「生きている」と言えるのではなかろうか。

実晴は幽霊だった。

口から心臓が出てきそうなほど驚いたし、何度も目を疑い、自分の頭がおかしくなったのではないかとも思った。

そして何よりも怖かった。

その恐怖は彼女自身に対してではなく、それをいとも簡単に受け入れてしまったことにより、自分にとっての「普通」の定義が変わってしまったことに対してだ。

しかしそんなもの私が変化を怖がっているだけだ。端的に纏めると、実晴は幽霊だった。それだけである。

実晴に触れることができた。

実晴の手を握ることもできた。

ならば、彼女は「死んでいる」だけで、「生きていない」とは言えないのではないだろうか。

一方私は「死んでいない」だけであり、胸を張って「生きている」と言える気はしない。

だから彼女に近くに居て欲しいと思った。

彼女の隣に居ればいつか「生きている」と胸を張って言える日が来る気がして。

まぁ、そんなわけで私は幽霊と同居することになった。

「お… お邪魔、します…」

実晴がかしこまった口調で言った。

玄関を抜け、階段を登り、今居るのは私の部屋だ。

今日から幽霊屋敷になるのだが。

「あ、やべっ」

幽霊屋敷で私は一つ重要なことを思い出した。

私は棚の上にある御札をシュレッターに掛け、さらにハサミで粉々に刻んだ。

「幽霊さん的にはこれぐらいで大丈夫っすか」

私は塵と化したその紙をぴらぴらといじりながら言う。

「お祓い… されそうになったことないから… 」

実晴は「分からない」と言う代わりに首をかしげた。

「…とりあえず明日ゴミステーション持ってくまでゴミ箱触らないどいて。」

と言っても、幽霊は鼻水など出ないのだろうから触る機会は無さそうだが。

…幽霊って便利だな。

そう考えると人間を続けることは非常に面倒臭いことなのかもしれない。

鼻水は出るし、汗も出る。たまに鼻毛も出る。

しかし鼻水が詰まったままだと息ができなくなるし、鼻毛が無ければ菌が入るのを防ぐことができなくなり、病気になりやすくなるだろう。

得とか損とか言ってるが、結局プラスマイナスゼロで、極論を言えばただ息をしているだけなのだ。

どれだけ徳を積んでもいつかは死ぬし、どれだけ苦しんでもやっぱり死ぬ。

人間死んでしまえば終わりなのだ。

幽霊である実晴も同じだ。

彼女は死を迎えて尚、この世に存在している。

死によって鼻水や鼻くそから解放されたが、鼻が爆発することもない。

私が1-1=0だとすると彼女は0-0=0で、両方0なのに変わりはないのである。

そう考えると人間も幽霊も変わらないと思えてくる。

いや、実際そうなのだろう。

だって私には彼女の声が聞こえるのだから。

私はふと実晴を見る。

実晴は周りを見回しながらそわそわしている。

「どうした?蛾でも入ってきた?」

私が問うと、実晴はガラス玉のように透き通る目をこちらに向けて口を開いた。

「いや… 家って久しぶりで… ずっと、あの木に居たから…」

実晴は微かに微笑んだ。

「公園から出ようとは思わなかったの?」

「私、地縛霊なので…」

実晴は頬をポリポリと掻きながら答えた。

「じゃああんたなんで私の部屋に来れたのよ。」

地縛霊は確か、ある決まった場所から出ることが出来ない霊のことだったはずだ。

しかし、彼女はこうして今私の部屋に居る。

これはどういうことだろうか。

「それが、私も分からないんです… 私はあの木の周辺にずっと縛られてて…」

実晴はか細い声で言うと、何かを迷うように目を泳がせた。

「なんかあった?」

私が問いかけると、実晴は餌を拝む金魚のように口をぱくぱくさせた。

数秒置いて、実晴は見上げるように私を見つめながら口を開く。

「一つ… 教えてくれます、か…?」

「体重とか以外なら」

実晴は小さく深呼吸をした。

「あの時… どうして、声を… かけてくれたんです、か…?」

彼女の目の焦点が私の口元に集まる。

あの時とは私が実晴を見付けた時のことだろう。

私は思い返してみる。

そういえばどうして私は彼女に声を掛けたのか。

別に誰が風邪を引こうと私の知ったことではないはずだ。

しかし、私は声を掛けた。

いや、掛けなければならないと思った。

引力と重力で足が地面に着くのと同じように。

まるで見えない何かに引っ張られているようだった。

必然と言っても良いだろう。

しかしそんな哲学じみたことを唐突に言い出す勇気など私にはなかった。

「ごめん、覚えてない。」

「…そっか。」

そのやり取りを合図に、しばらく沈黙が続いた。

しかしその沈黙は、不思議と辛いものではなかった。

そんなこんなでいつの間にか時計の針は夜を指していた。

「失礼ですが… 親御さんは、帰ってこないんです、か…?」

実晴が弱々しい声で尋ねてきた。

「…お父さんは単身赴任。お母さんは…」

私は一瞬言葉を詰まらせたが、続ける。

「お母さんは、死んだ。」

また沈黙が発生した。

今度は嫌な沈黙だ。

「いや、死んでいる人にその反応されても困るんだけど」

実晴が目線を床に下す。

「すいません… 私無神経でした…」

いやそもそも死んでるから神経通ってないだろう。

「いいって。それにさ…」

言おうか迷うが、やはり言うべきだと思い口を開く。

「今日から一人じゃないし。」

実晴はその言葉を耳にすると、それが私の口から発されたものだと確認するように私の口元を見た。

「いいんですか…? 私を「一人」と数えて… いいんです、か…?」

私は頭を掻いた。

「そこはどうでもいいわよ。うん、どうでもいい。」

「そこは」と「どうでもいい」の間に本当は「隣にあんたがいてくれるだけで」が入るのだが、それはやっぱり言わないでおいた。

「ありがとう… ございます… 日菜、さん…!」

実晴が大きく微笑んだ。

「だからそんな反応されても困るって」

私は頬の熱を俯くことで隠しながら呟いた。

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