心
私は最近生きている実感が無い。
ただ寝て、起きて、ご飯を食べて、勉強して、食べて、動いて、食べて、寝て…
ただただその繰り返しをする日々を憂鬱に感じるようになっていた。
太陽はたったの一度とも燃え尽きることも無く、何千憶年と地球を照らし続けているというのに。
私は今をやり過ごすことだけに一生懸命となり、大切な何かを見失っていった。
そしてその「大切な何か」も何なのか一向に思い出せないままである。
せめて私の心に灯が欲しい。
私の心が誰かを照らす篝火になる日を待ち続けていたのだ。
そしてさっき私はその少女に出会った。
顔は雪のように白く、それと対になるように真っ黒でさらさらな肩下まで延びた髪を後ろでツインテールに結んだ少女に。
彼女はこんな雨の日に半袖の制服を着て木陰につっ立っていた。
その透き通るような横顔に、私はなぜか心臓が跳ね上がりそうになった。
別に誰が風邪を引こうと関係が無い。
私は普段ならそう見て見ぬふりをして通りすぎるはずだ。
しかし、秋風が私の背中を押した。
実に馬鹿らしいと思ったが、まるで見えない誰かに「行け」と言われている気がした。
「こんなところでなにしてるの?風邪引きたいの?」
私は思いきって声を掛けてみた。
しかし少女は仏頂面でたそがれている。
「ねえ、聞いてる?ねえってば。」
私はもう一度声を掛けた。
少女は一瞬私を見て表情を変えたが、すぐにもとの顔へ戻った。
「おーい、生きてますかー?」
私はこれでもかと少女の顔の前で手を振ってみる。
すると少女はなぜか後方に振り返り、またこちらを見ると、目を泳がせ表情に困惑が滲み出だしていた。
何を考えているのだろうかと考察にふけていると、いきなり高くか細いが重みを感じさせる声が発せられた。
「あの… 私、死んでるんですけど…」
今まで口を頑なに閉ざしていた少女がいきなり訳のわからないことを言い出し、私は不意を着かれた。
「うわぁ…!?ビックリした!!いきなり話し出さないでよ…」
私は思わず声を裏返した。
すると少女はまた口を開いた。
「あなた、もしかして… 私に話しかけてたり…?」
この子は何を言っているのだろうか。
この公園には私と彼女しか居ない上に、ここまで話しかけて置いて違う人なわけがないだろう。
もしかしてこの少女、ちょっと頭おかしい子なのではなかろうか。
「それ以外誰が居るのよ。アンタもしかしてイタい子?…んなことより傘とか上着とか持ってないの?ほんとに風邪ひくよ?」
「いえ… 私は、風邪引かないので…」
「いやどういう自信よ。」
確かに小学生の頃冬も半袖短パンなのに皆勤賞とるヤツクラスに一人居たけど。
顔の白さから察するにそういう人ではないだろう。
「あーしょうがないな。」
私は羽織っていたレインコートを脱ぎ、少女に突き出した。
少女は小さく戸惑った。
「これでは… あなたが風邪を引いてしまいます…」
「私は長袖のパーカー着てるから大丈夫。」
「いえ… 私は本当に…」
「いいから着なさい!」
私は強引にレインコートを渡した。
少女は押し負け、そのレインコートを着た。
しかし、やはり寒い。
それにこの公園はなんだか嫌な空気が漂っている。
「なんかここジメジメするから別のとこ行こう。」
私は彼女の手を取る。
その手は雪のように冷たくて白くて、見とれそうなほど綺麗だ。
小声で何か呟いたが、気にせず私は彼女の手を引っ張った。
紅葉がひらりと二枚舞い落ちると同時に、木陰から彼女の足がはみ出る。
たった、そんなささいな瞬間。
その1秒間が、なぜかスローモーションのようにゆっくりと過ぎた。
彼女は私の顔を見ると、微かに、噛み締めるように微笑んだ。
その笑顔はまるで太陽の光のように私を照らし。
いつしかモノクロになった私の心を七色に色づけた。
「…どう、したんですか?」
彼女のその問いかけに我に返る。
ずいぶんと長い時間見惚れていたらしい。
「い、いや!自己紹介まだったなって…。」
私は裏返った声のまま溜息をつき、口を開く。
「私は霞坂日菜。アンタは?」
彼女はひらりと舞う紅葉を見つめてから私に視線を真っすぐ向け、今度は大きく微笑んだ。
「葉月… 葉月実晴です…!」
いつの間にか雨が止んでいたことにも気が付かず、私達はしばらく無言で向き合っていた。
胸に手を当てる。
真夜中に響く時計の針が進む音のように、ドク、ドク、ドクと振動しているのがわかった。
自分の心臓の音を聞いたのはいつぶりだろう。
「私」の中心に刻まれた生きる証拠。
その証を耳にしても、ただただ茫然と立ち尽くすだけで。
「生きる」とはどういうことなのかを理解することはできない。
でも、今確かに色づいた。
意味も理由も知らずに埃を被った私の心が、そのカーテンの隙間から除く朝日のように微かな光に、今確かに照らされた。