第一章 (6)
波動には自身を強化したりする無属性と、術式に属性を付加させる八属性がある。読んで字のごとく八属性とは八つの属性を指している。『炎』『水』『氷』『風』『雷』『土』『光』『闇』とがあり、それらは総称として属性波動と言われていた。
属性波動を扱った術式は構築が難しく、原因は不明だが本人だけでは失敗する場合が多数だ。その補助として宛がわれたのが『属性石』という金属だ。これは特定の属性に反応して、術式を効率よくスムーズに構築することができたのだ。
さらに言えば属性石は元々、武器の形状を記憶させた金属で、普段はサイズが縮小されている。復元するためのワードを唱え適正な属性波動を注げば、たちまち本来の姿を取り戻すのだ。
天剣や地杖もその一つだ。
しかしこれらには決定的な違いがある。
勇者として選ばれた俺と真宵後輩だけしか復元できなかったのだ。
逆説的に言ってしまえば、天剣と地杖さえ扱えていれば誰でも勇者と呼ばれていたし、誰でも魔王を斃せる唯一の存在になっていたということだ。
「貴方の力、見せてもらいましょうか!」
「身体強化Ⅱッ!」
魔術師を名乗った男の巨体が大地を蹴って猛然と加速する。一瞬で肉薄され、降り下ろされたハルバートが恐ろしい勢いで眼前に迫っていた。
俺は恐怖からとっさにブーストして身体能力を底上げし、バックステップで紙一重ですり抜ける。その際に刃がブレザーの一部に触れたらしく、地面に引き摺り倒されそうになるが、強引に力を外側に逃がして転倒は逃れる。
「くそ……! 復元させる暇くらい……」
「先輩!」
「寄越せよ!」
体を起こして背中をしならせれば、俺の頭があった位置にハルバートが降り下ろされたのは直後だった。アスファルトが衝撃に耐えきれずに粉砕され、その破片が肩や太股に突き刺さり、くぐもった苦悶が口から漏れた。
素早く動きの阻害となる要因を取り除き、ハルバートを降り下ろして隙だらけになった脇に回り込んで回し蹴りを見舞う。
だが魔術師は腕に装着した手甲で受け止めていた。踵にある感触に手応えはない。ブースト状態でも元の筋力値が並みの高校生であるため、二段階の強化を施しても屈強な男の巨体を微動だにさせられなかったのだ。
跳ね返そうとすれば即座に跳ね返せるだろう。
鍔迫り合いにもなっていない拮抗を先に破ったのは、果たしてディクトリアだった。
「その程度かね少年ッ!」
振り抜いた足を巻き込みながら、豪腕による裏拳が襲う。 立ち位置が大きく下がり、骨格が軋む。幸いなことに軸足はブレなかったが体格の差がありすぎて踏ん張りきれず、身体が勢いで後退するだけで損害がなかった。
それも束の間、足元から伸びた影が不自然に大きくなっていく。バッと顔を上げれば、ハルバートを構えたディクトリアが頭上から落下の真っ最中だった。
「ぬうううううん!!」
魔術師の咆哮に本能が素直に萎縮した。
速度を抱えたままハルバートが一直線に振るわれる。
「――エレメントルーツ!」
復元言語を叫ぶ。
拳の中で光が膨張し、剣の形となって手中に収まった。
束から鍔、刀身までが金色にあしらわれた西洋剣。しかし属性石が濁っていたように復元された剣も錆び付いていた。だが刃がまとう触れるだけで分解される雰囲気は健在のようだ。
ずしっとした重みに懐かしさを感じつつ、しかしその余韻に浸る暇もなく、腰脇から跳ね上げるようにして天剣を上段に振り上げハルバートを受け止める。
「ぐぅっ……!」
さすがに片手では無理があったらしく、手首から肩にかけての関節が過負荷に耐えきれず炎症を引き起こした。痛みを強引に振り切るとすぐさま両手で柄を支え、ハルバートを弾き返す。
巨体からは想像もつかない俊敏さで後方に飛び退き、
「ほう! 我が一撃を凌ぐとは面白い!」
呼吸を置いて再度、地鳴りを起こして接近してきた。後方に旋風を巻き起こしながら胴体を両断せんと放たれたハルバートを、剣を斜めに構えて衝撃を外に受け流す。表面が擦れあい、連続して散る火花がお互いの顔を照らした。
力を利用して体を回転させると、さっきのお返しに剣を横に凪ぐ。魔術師は己の攻撃が完璧に往なされたことに驚愕の相を浮かべるも対応に遅滞はない。剛腕ががら空きになっていた腹部を打とうとするのを真下に捉え、足を踏み変えて体重を移動させて回避する。
魔術師は感嘆の声を上げた。
一周して帰ってきたハルバートはさらに威力を増しており、容易に対処させてくれそうにない。飛び退いて半身に構えれば、回避位置を予測していたような的確な回し蹴りがこめかみに放たれていた。
屈強な体躯に見合った恐ろしい威力の蹴りに、ガードに回した腕ごと弾き飛ばされ地面を転がる。内出血がひどく青く腫れ上がっているも骨に異常はなさそうだった。
腕力だけで跳ね起き、一足では埋められない距離を保つ。格闘戦は明らかに部が悪い。
「面白い! 面白いぞ少年!」
演技じみた口調と動作で両手を広げる。
「そりゃあどうも!」
爆発するようにディクトリアに突進。十メートルの距離をゼロにする踏み込みと同時に斬撃を神速で振るう。俺がディクトリアを上回ることができるのはたった一つ速度だけだろう。袈裟懸けに振るった一撃は、しかしあっさりと防御される。
予想通りだ。一発で通らないなら何度でもやるまでだ。
ハルバートは攻撃範囲が拾い反面、自分の周囲のごくわずかな間合いが死角となっている。至近距離から嵐のような連撃を放てば、魔術師は防戦一方になった。
しかしあわやと言うところで斬撃を避け続けられ、一筋の傷跡さえ刻めずにいた。ハルバートによって動きが鈍くなっているが、実際は飛び退いたときのよう、もっと早く動くことができるのだろう。俺の動きに感嘆するだけの余裕があるのがその証拠だ。
苛立ちに奥歯を鳴らしてやったその時、不意に刀身を細い糸のようなものが絡めとった。ぎょっとして剣を振り回すも、それがかえって余計に糸を巻き込み強い引張性を発生させる。剣が一瞬出遅れ、その隙を魔術師は見逃さなかった。
打ち上げられた掌底が胸にめり込み、肺から空気が押し出されて息が詰まり視界が眩む。これしきの衝撃にさえ耐えられない脆弱な肉体に嫌気が差した。
「どうしたのですか少年! チェックと宣言するには早計すぎたのではないですか!?」
「ちっ……!」
弾き飛ばされたまま片目を開ければ、ハルバートをたずさえた神父は真横にぴったりとくっついて並走していた。
黒い外套に覆われた腕に浮かぶ大縄のような筋肉が脈動し、二メートルの巨漢を越える獲物が鎌首をもたげる。空気を切る唸声を闇夜に木霊させながら、ハルバートが上段より振り落とされた。
俺は体を捻って剣を握る右腕に力を集中する。筋肉が断裂し関節の節々が炎症を悪化するのも気に留めず、アスファルトに切っ先を突き刺して勢いを殺す。俺の視界から流れるように外れていった魔術師は忌々しそうに表情を歪め、重さゆえに寸止めが利かずにハルバートは地面を打った。
爆撃されたように小規模のクレーターが完成するも、俺はそのまま剣を軸にしてぐるりと回転してハルバートの一撃が空ぶって体勢を崩した背中に飛びかかる。
全身のバネを駆動させて掬い上げる一閃を放つ。ディクトリアはわずかに首を振り、あろうことか靴の裏で刀身を受け止めた。体格の差は筋力の差を如実に示している。加えられた脚力に抵抗する間もなく、剣は地面に縫い付けられた。
ディクトリアは上体を大きく逸らすと、次の瞬間には眼球のなかで火花が光った。額が熱を帯び、ズキズキと痛む。突っ張った違和感から、頭突きを食らわされたのだと直感した。だが立ち止まってはいられない。
剣を引き抜くと気配だけで敵の居場所を割り出し、目に焼き付けたヤツの骨格からもっとも弱点とする箇所を導き出し、風の乱れや空間の歪みから魔術師の行動パターンを演算すると、骨の隙間を穿つように一撃を叩き込む。
「ぬおぉ……っ!!」
しかし手応えは薄い。回復した視界でまず見たのは、遠くで腕から血を流すディクトリアの姿だった。あれだけの攻防の応酬を繰り広げておきながらヤツは汗を一切かいていない。
俺は頬を伝って顎から滴る汗を拭う。
「まさか、この私が一太刀もらうことになるとは思ってもみませんでしたよ。さすがは極東の島国と言うべきか。偶然ここを通りかかっただけの少年にしては、予想以上に面白い。――少年、汝の名を訊いておこうか?」
「元勇者だとだけ言っておこうか。さて魔術師サンよ、とっとと続きを始めようぜ? ウォーミングアップはもう十分だ」
「いいだろう。ならば構えるがいい、元勇者を名乗る少年よ!」
間合いの計り合いもあったものでなく、ディクトリアは脇目も振らずに突貫してくる。
しかしウォーミングアップは十分だと宣告した。もう後手には回らない。
俺は剣を地面すれすれに構えて疾走する。
その直後だった。
ハルバートによる爆発のような一撃でなく正真正銘、本物の爆発の灼熱が皮膚を焦がした。
「あっつ……!」
反射的に剣で熱風を凪ぎ払い、焦げてところどころに穴が開いたブレザーを脱ぎ捨てる。
なにしやがった、こいつ――!
「驚くにはまだ早いぞ! はあああああっ!!」
「――るあぁっ!!」
気合い一閃。口をついた雄叫びを轟かせながらハルバートを跳ね上げ、体当たりぎみにディクトリアの懐に潜り込む。爆発の正体が不明である以上、一撃離脱の戦法ではすぐに尻尾を掴まれるだろう。ならばハルバートの一撃が及ばない間合いで有利に事を進めるのが賢明だ。
今の俺にそれは何か検証して打ち破るだけの余裕はない。口ではどれだけ虚勢を張っても、技量だけで押しきれるほど、この体は強くないのだ。
「浅はかなり少年! 貴様がそうすることなど読めていたぞ!!」
「わかってんよ!」
地面を削りながら剣を振り上げる。
「ぐっ……!?」
砂埃を喰らい反射的に目を閉じたディクトリアの右肩に、事前に拾っていた尖端が鋭利に尖った角材の木っ端を突き刺す。苦悶を溢した敵の顎を爪先で蹴り上げれば、何本かの歯が血の糸を引きながら口から溺れ落ちた。かすかに覗いた両眼が憤怒に燃えており、俺はそれを蹴散らさんと垂直に伸びきった足を鎌に見立て、必殺の踵落としを顔面に振り落とす。
魔術師は避けきれないと直感したらしい。左手の籠手で防御されるが、構わず振り抜く。巨体が傾き、顔面から地面に叩きつけられた。
利き手で防がなかったのは木っ端を右肩に突き刺した感触からして、筋肉を貫通して骨に達しているからだろう。もしかしたら神経も巻き込めたかもしれない。
チェックメイトか? ――否である。
些かの逡巡もなく、錆びた黄金の剣を振り下ろす。
打ち上がってきた鋼と激突して、お互いの武器が何度目かの火花を噴いた。
「カッ――あまりにも生温い斬撃だぞ少年!」
「く、っ――!!」
腕が千切られたと錯覚する衝撃に握力が消失した。
これはマズイ。背筋をゾッとするほど冷たい手が確かに撫でていった。この感覚は記憶に新しい。死の予兆である。
右手にあったはずの剣は遥か後方の彼方に追いやられ、自身を回転させながら落ちていく。
「――終わりだ」
「どっちがだ」
剣がなくては戦えないか? ――これも否だ。たとえ伝説の剣だろうが黄金の輝きだろうが、剣なんて敵を斬るだけの道具に過ぎない。旧き時代、刃など高等なものがなくとも、人間はより巨大な生物と戦ってきたのだ。剣がなくとも戦闘を放棄する理由たりえない。
手が使えなければ足を動かせ。何より早く、喉元に食らいつけ。
いつの間にか俺の意識は獣のそれに切り替わっていた。
勇者として召喚されて間もない頃、頻繁に生命を脅かす存在と対峙していたゆえに出来上がっていた泥を啜ってでも生き残る意識。
視界は急激に狭まり、しかし視野は徐々に広がっていく。
魔術師が振り下ろすハルバートが時を緩やかに流れているかのように、ゆっくりと迫る。
指を折り曲げて掌打の構え。
全身の血管が広がり、猛烈な速度で血液が循環する。――これなら、いける。
「身体強化Ⅲッ!!」
「ぐぬ、ぐおおおお……ッ」
掌打は魔術師の胸骨に突き刺さり、粉砕した感触を手のひらに伝えてきた。
靴跡を残して後退したディクトリアはわずかに呻くと、
「ククク、クハハハハハハ! どこまで私を楽しませてくれるんですか少年! 貴方が名を教えてくれないことがひどく残念です!!」
血の泡を吐き出しながら両手を翼のように広げ、薄気味悪い笑い声を高らかに響かせた。
「もっと貴方との戦いを楽しみたかったのですが、どうやらそういうわけにもいかないみたいでしてね。私はここで一旦退かせていただきましょう。――眠り姫にも、よろしく伝えておいてください」
「…………」
確実な致命傷を与えたはずなのに魔術師・ディクトリア=レグルドは一瞬前の苦痛など忘却したようにハルバートを軽々と持ち上げ、背後の教会に跳躍する。およそ人間離れした脚力で屋根に登った男は振り返って一礼し、すでにそこにいた何者かと闇に姿を消した。
剣戟が飛び交いけたたましい騒音を奏でた戦場から一転、風の音だけが鳴る静けさが漂った。
勝利したのか不明瞭なまま戦火の余韻に浸りつつ、土壇場になって第三段階まで解禁されたブーストを解除する。
その瞬間、操者を失ったマリオネットのように膝から崩れ落ちた。受け身の行動に移ろうとするも指一本と機能せず、また痛覚も仕事を放棄したらしく直前までの痛みが嘘だったように消え失せていた。
これなら固い地面に顔面からダイブしても大丈夫だろうと他人事に考えていると、濃い影が覆い被さってきた。
「危機一髪でしたね、先輩」
「……だと思うなら加勢してくんねぇかな? お前も俺のステータスの莫迦みたいな低さわかってんだろうが」
俺を抱き込んだ少女を見上げながら文句を呟く。
真宵後輩は気分を害した様子もなくそれを受け流すと、おもむろに広げたハンカチの上に腰を降ろし膝に俺の頭を乗せた。いわゆる膝枕である。
「もちろんわかっています。けれど私が加勢したところで、戦況がさほど大きく変わったとは思えません。それなら遠くから見守っていた方が、敵の正体を見抜けていいではないですか」
確かに真宵後輩の観察眼があれば謎の爆発も、剣を絡めとった糸も、魔術師と名乗った男のほんとうの正体も看破することができるだろう。
しかし戦闘があまり長引かなかったせいで、そのどれも見抜けなかったようだった。――が、まずそんなのはどうでもいい。
「あの……真宵後輩? なんで膝枕?」
「せめて少しでも回復できるようにです。女の子の膝枕は男の子の憧れなのでしょう?」
「否定はしねぇけどさ。それだったら治療してくれよ」
俺の言葉に真宵後輩が沈黙する。それは何を意味するのか、わからないほど愚かではない。
「すみません。まだ初級しか解放されてないので、ここまでの大怪我は……いえ、多少無理をしてでも治してみせます」
「莫迦か。わざわざ我慢してやることじゃねぇよ。そんな気にすんな」
俯いた真宵後輩の申し訳なさそうな表情にいたたまれない気持ちになる。
今の俺はブーストもまともに使えず、組める術式もないに等しい。そのなかでも治癒術式は初級から高難度を誇っている。複雑さは中級クラスと同等だ。
やれと言えばやってくれるだろうが、前線で斬られて穿たれて抉られて、刻まれて千切られて磨り潰されたこともある俺でも我慢しきれない激痛を可愛い後輩に強いるなどできなかった。
「にしても、なんだったんだ、ありゃあ」
「さあ」
命の奪い合いをしていたと言っても信じられない口調で言い合う。
未知との遭遇に、しかし心が踊っていた。