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Re:氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
02〈スカーレット・レイン〉編
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終章〈少女と共に〉


「――朝ですよ。いい加減起きてください」

「んあ……?」


 頭上から降ってきた声に釣り上げられ、意識が浮上してきた。薄く開けた目は寝起きのせいか視界がはっきりせず、誰かがいるなと漠然と捉えていた。……まあ、真宵後輩だってわかってるんだけど。

 目元をぐしぐしとこすり欠伸を噛み殺しながら起き上がる。


「おはようございます、旦那様(、、、)

「…………」


 俺は寝癖でぼさぼさになった頭を掻き、小さく唸る。


「どうしたんですか旦那様? もしかしてまだ眠いんですか旦那様? 昨日夜遅くまで起きてたんでしょう? だめじゃないですか。しっかり寝てください旦那様」

「お前わかってて言ってんだろ?」

「なんのことですか?」


 後ろ手に組みながら真宵後輩はいたずらっぽく笑う。

 あれから数日が経った。白波先輩たちの一件にもようやく片がつき、すっかり平和な日常となっていた。白波先輩とは学校内ですれ違っても多少会話はすれど、そこまで親しくはしていない。

 もともと俺たちは利用し、されるだけの関係だった。用がなくなった以上はそこまで深く関わるつもりはなかった。

 翔無先輩と火鷹は監視任務のためにしばらく家にいたが、その期間も終了し、晴れて俺は『組織』に危険なしと認められることとなった。加えてニーナたちの安全も保証してもらえることになり、そこだけが今回の収穫である。とはいえ、俺は『組織』自体を信頼しているわけではない。

 壊してしまったテーマパークについては、『組織』の能力者がなんとかしてくれたらしい。なんでも物体を修復させる能力者がいるらしく、そいつを駆り出してテーマパークを修復させたとか。仕事とはいえ悪いことをしたなと思ったり、思わなかったり。


 ――まあ、ここまではただのついでである。


「その呼び方はやめてくれ。……さすがに恥ずい」


 あれから晴れて恋人の関係になったのだが、どういうわけか真宵後輩は俺を『旦那様』と呼ぶようになったのだ。


「いいではないですか。旦那様は気にしすぎです」

「…………」


 真宵後輩は気にしなさすぎなんだよ。

 さすがに学校では呼ばないが、以前より真宵後輩といる時間が多くなり、多方面から睨まれているのだ。

 もっとも離れるつもりは微塵も、欠片ほどもないのでそのたびに撃退しているわけだが。


「そういやニーナはどうしたんだ? 一緒に寝てたはずなんだけど」

「……先にリビングに行かせました」


 ぷくっと真宵後輩は頬を膨らませた。


「あ? どうしたんだ?」

「別に旦那様が私以外の女と一緒に寝てたのを気にしてるわけじゃありません。勘違いしないでください!」


 俺はおもわず顔を引き攣らせる。ニーナはまだ子供だぞ。嫉妬するにしたって範囲が広すぎではないだろうか。

 ベッドから降りて制服に着替えると、真宵後輩を伴ってリビングに入る。


「おにい、さん……!」


 すると笑顔を満開にさせたニーナが勢いよく抱きついてきた。

 これが普通の子供ならよろけもしないが、ニーナは『機械人形』だ。踏ん張り、しっかりと受け止めてやる。


「おはよう、ございます……!」

「ああ、おはようニーナ」


 脇に手を入れて体を持ち上げると、ニーナの席に座らせてやる。

 俺も自分の席に座り、その隣は真宵後輩が当然のように陣取った。いまさらだが、真宵後輩が冬道家にすっかり馴染んでしまっていた。


「やっと起きたのか冬道。遅い――」

「アウルさん。私に許可なく旦那様に話しかけないでください」


 真宵後輩に一蹴され、朝からアウル涙目である。


「こらこら、みんな朝から喧嘩しないでよー」


 エプロンをつけたつみれが、朝食の乗った皿をテーブルに置きながら言う。

 その表情には呆れが濃く表れている。それもそうだろう。このやりとり、すでに何回やられたかわからないのだから仕方がない。


「兄ちゃんもお嫁さんの暴言はしっかり止めないと」

「んー……おう。すまねぇな」


 真宵後輩に旦那様って呼ぶなとは言ったけど、お嫁さんって言われるのは悪い気分じゃない。


「兄ちゃん嬉しそうな顔しすぎ。……まったく。くっついてくれたのはいいけど、毎日いちゃいちゃするの見せつけないでよね」


 つみれの切実な言葉に俺はなにも言えなくなる。

 こちらとしては言われるほどいちゃいちゃしてるつもりはないのだが、妹にすれば十分そのように見えるのだろう。


「わたしも、おにい……さん、大好きです……!」

「ん。ありがとな、ニーナ。俺もお前のこと――」

「浮気ですか旦那様?」


 身の毛もよだつ地獄の底から響いてきたような声が俺の背筋を這った。

 ギギギッ、と軋むような音を立てながらそちらに顔を向ければ、目から完全に光をなくした真宵後輩がお互いの吐息がかかるほどの距離にいた。


「私言いましたよね? 浮気は絶対に許しませんって。それなのに私の前で、私のほかの女を好きって言うんですか? しかもニーナみたいな幼い女の子に。あれですか。ロリコンなんですか? 気持ち悪いです気持ち悪いです気持ち悪いです。そんな旦那様を矯正するのは、妻である私の役目だと思うのですが――どうしますか、旦那様?」

「は、ははは……」


 苦笑いするしかない。恋人関係になってから真宵後輩の束縛とかいろいろとパワーアップしているのは、俺の勘違いではあるまい。

 俺のことを想ってくれているとしても、いくらなんでも限度を超えすぎだろ。

 つみれもアウルも気の毒そうに俺を見ている。


「おねえ、ちゃん……怖い……」


 俺はニーナの言葉に同意するしかなかった。


     ***


 学校に到着すると、校門に一人の男が寄りかかっていた。

 そいつは俺に気がつくと、ついてくるようにジェスチャーを送ってくる。


「お前らは先に行っててくれ」


 真宵後輩とアウルにそれだけを言い、ヤツの背中を追いかけようとするが、真宵後輩に制服の裾を掴まれ後ろに転びそうになる。


「だん……先輩、一人で大丈夫なんですか?」

「問題ねぇよ。心配すんな。いざとなったら助け呼ぶから、そのときは頼むぞ」


 そう言って真宵後輩の髪を撫でる。


「……そんなふうに言われたら、引き下がるしかないじゃないですか」


 真宵後輩は頬を弛緩させ、指をもじもじとさせている。可愛い。


「冬道、なにかあれば私も――」

「懲りない人ですね。だん……先輩に私の許可なく話しかけないでくださいと何度言えばわかるんですか? 学習しない人ですね。脳の代わりに餡子でも詰まってるんですか?」


 アウルのあまりの不憫さになにも言えなくなり、見なかったことにしてさっさとその場を離れた。


     ***


 やってきたのは屋上だった。朝の時間帯ということで、俺たちのほかに誰もいない。もっとも誰もいないとわかっていたからこそ、二人きりで話すのにここを選んだのだろう。


「久しぶりですね、雪平先輩」

「…………」


 俺を呼び出したのは、本日付で復学した雪平先輩だった。

 実はあの一件のあと雪平先輩は体内に残された悪性の感情を取り除くため、『組織』の本部に行っていたのだ。能力が不安定のときに押し付けてしまったせいで、愛璃ではどうしようもなくなってしまったらしい。

 感情に関係する能力者は別段珍しいものではないため、『組織』本部にも何人かいるとのことで治療に行ったと聞かされた。

 雪平先輩が八年前の事件についてなにも感じていないように振舞っていたのは、少しでも黒い感情を抱くと、理性を忘れて暴れてしまうからだったらしい。


「それでなんの用ですか? まさか、続きをしようってじゃないですよね?」


 もしそうなのだとしたら、今度こそ情け容赦なしに斬らなければならないが――幸いに雪平先輩は首を左右に振ってくれた。


「今日はお前に謝りたくてな。――すまなかった」


 そう言って雪平先輩は深々と頭を下げた。

 まさか謝られるとはおもわず、とっさに言葉が出てこなかった


「……急になんなんですか。またなんかやろうとしてるんですか?」

「いいや。そんなつもりはない」


 雪平先輩は頭を上げ、俺をまっすぐに見つめてくる。

 そこにかつてのようなどす黒いものは渦巻いていない。気まずそうにはしているものの、俺に対して敵意は抱いていないようだった。


「少し、聞いてもらってもいいか?」

「……まあ、少しだけなら。ホームルームには間に合うようにしてくださよ」


 憎まれ口を叩いて落下防止のフェンスに体重を預ける。

 雪平先輩は目尻を下げ、人のいい笑みを作る。……ほんとうに変わったな、この人。問答無用で俺を殺そうとしていたとは思えない。


「おれがお前や華憐ちゃんを襲ったのは、お前を殺すためだってのは話したよな? だけどそのあと、華憐ちゃんをさらってお前をおびき出したことについて話してないと思って」


 言われてみればそうだ。

 俺を殺すだけなら、白波先輩を誘拐する必要はない。俺を呼び出すためだとしても、白波先輩を守ろうとする雪平先輩が、彼女を危険にさらす真似を好んで選ぶわけがない。


「ほんとうはさ、お前にはおれを殺してもらいたかったんだ」

「あ?」


 雪平先輩の発言に語気が荒くなった。


「おれのなかにあった黒いものは、日に日に抑えられなくなっていってた。少しでも感情を乱そうものなら即座に悪意に呑み込まれて、自我を保てなくなってたはずだ。だから極力なにも考えないようにダラダラしてたんだが……」

「ほんとうにくだらねぇことで爆発させやがったな」

「お前にはそっちの口調のほうが似合ってるよ」


 うるせぇ。なんでお前にそんなこと言われにゃならんのだ。


「テーマパークでお前を襲ったときまでは、おれはお前を殺そうとしてた。だけど、そこで戦って気が変わった。――お前なら、華憐ちゃんを守れるんじゃないかって」

「…………」

「客観的に見て、雪音ちゃんや鏡ちゃんはおれより強くない。でもそんなときお前が現れたんだ。お前なら、きっと華憐ちゃんを守れる。だからお前を試したんだ」

「ふざけてんじゃねぇぞ。俺はあんたの尻拭いをするつもりも、白波先輩のお守りもするつもりはねぇ」


 目の前の男の勝手な言い分に俺のなかで怒りがふつふつと煮え立った。


「わかってる。今日はそれも含めて謝りたかったんだ」

「……ったく」


 いざこざの真っ只中に言ってくれれば怒りもぶつけられたのに、そんなふうに後ろめたそうな顔をされながら謝られたら、他人に容赦しない俺でも躊躇ってしまう。

 俺は乱暴に髪をかき混ぜて荒く息を吐き出す。

 そのときだった。屋上のドアが派手に開け放たれた。


「ここね双獅!」


 髪を逆立て、明らかにお怒りの様子の白波先輩が登場した。

 きょろきょろと辺りを見渡し雪平先輩を見つけると、勢いでスカートが翻るのも構わず、大股で詰め寄っていく。


「こんなところでなにをしているの双獅?」

「や、やあ華憐ちゃん。ちょ、ちょこっと冬道に話があって……」

「それで人気のない屋上に呼び出すの? あなたには前科があるのだから、信頼の回復には時間が必要だって、何回言えばわかるのかしら?」


 こめかみに青筋を刻む白波先輩の顔は、彼女を女神とたたえている信者たちには到底見せられない般若のごとき形相となっている。若干関係のある俺にいつ飛び火が飛んでくるか戦々恐々としてしまう。


「かしぎくんもかしぎくんよ。少しは警戒しなさい!」


 思ってるそばから飛び火してきた。もう帰りてぇ。


「華憐は心配しすぎだよ。かっしーはそれを理解した上で来てるんだろうからさ」


 いつの間にか俺の真上に出現していた翔無先輩が、フェンスの上に立っていた。声につられて顔を上げると、そこには絶景が広がっていた。


「先輩、その位置だと丸見えですよ」

「ふっふっふ、かっしー。残念ながらその手には――」

「……雪音さん、水玉が丸見えですよ」


 空間転移してきたのかとおもわず言いたくなる火鷹の出現。そしてそんな彼女の一言により、翔無先輩はフェンスから降り膝を抱えて蹲ることになった。


「だから見えてるって言ったのに」

「……どうでしたか? ムラムラしましたか?」

「するわけねぇだろ」


 ここぞとばかりに下ネタぶっ込んでくんじゃねぇよ。


「つうかどっから湧いて出てきやがった。なんで生徒会が全員集合してんだっての」

「……生徒会長さんに雪平さんの捜索に駆り出されて、ここに行き着きました。といっても生徒会長さんがこっちにいるからとついてきただけですが」


 俺はため息をついて白波先輩に追い詰められる雪平先輩を見る。


 ――あんたの心配は、最初っから杞憂だったんだよ。


 白波先輩は、雪平先輩が八年前のことについてなにも抱いていないと言った。けれどそんなわけがないのだ。奪った側とはいえ実質的には被害者で、彼も家族を失っている。さらに白波先輩の家族を奪ってしまった罪も背負っている。

 むしろ雪平先輩は白波先輩以上にさまざまな感情を抱えているだろう。

 だからこそあの人は唯一の家族を守るため、いつ自我を失ってもおかしくない状態で八年間も戦ってきたのだ。

 家族を奪われることに、雪平先輩はなによりも恐怖する。

 俺が白波先輩と時間を共にすることが多くなって、雪平先輩は俺が彼女の『なにか』になると恐れた。その結果が、今回の騒動の原因だ。


「そんなわけねぇってのによ」


 今の白波先輩を見ていれば一目瞭然だ。彼女は雪平先輩をなによりも大事に思っている。雪平先輩を置き去りにして、どこにも行ったりしない。彼らの間に、何者かが入り込む余地などありはしない。


「……今回の一件は、彼の嫉妬が起こした悲劇だったのでした」

「やめろ。それ言われると巻き込まれた俺がバカバカしくなる」


 その一言がすべてを物語っているのだ。あえて考えないようにしてたのに言いやがって。

 ただ、俺たちの関係を見直すいいきっかけにはなったと思う。内側に溜め込んでいた不満を吐き出せた。それで恋人同士になれたのだから――まあ、総合的にみればよかったのかもしれない。


「嫌な臭いがすると思って来てみれば――浮気ですか?」

「うわっ!?」


 驚きのあまり尻餅をつけば、真宵後輩が俺を見下ろす形になった。


「ど、どっから出てきやがった」

「そんなことはどうでもいいでしょう」

「よくねぇよ!?」


 ちょっと待て怖すぎだろ。翔無先輩と火鷹はわかってたけど、真宵後輩に至っては気配もなにも感じてないんだぞ。

 俺が戦慄していると、真宵後輩は無表情を一転させて微笑する。


「冗談です。先輩のこと、信じてますから」

「……勝てねぇな」


 ちょっと――訂正。がっちがちに束縛の強い真宵後輩だが、いざというときほど俺を信頼してくれる。そんな彼女の近くは、どこよりも居心地がいい。

 俺は精一杯の感謝を込めて、真宵後輩の頭を撫でる。

 彼女はびっくりしたように可愛らしい声を上げたが、やがて柔らかな温もりが、俺に寄りかかってきた。



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