第四章 (4)
雪平先輩を守るように両手を広げ白波先輩の前に立つ愛璃という構図を横目で見ながら、靴底を鳴らしながら隣にやってきた少女を見つめる。
家を出る前、真宵後輩は泣いてくずおれていた。あんな彼女の弱々しい姿は異世界にいたころも見たことがなかったため、立ち直れるか不安に思っていた。
それがまさか短時間で復活しているとは。
「私をじっと見つめたりしてどうしたんですか?」
「……いや、なんでもねぇよ」
「そうですか?」
真宵後輩はきょとんとする。そんな彼女に俺は場違いの安堵を覚えていた。
「私のことはいいですから、あちらをどうにかするのが先決ではないですか?」
言われて振り向けば、愛璃が泣きながら雪平先輩を守ろうとし、事情を説明しろと突っかかる白波先輩を押さえる翔無先輩と火鷹の姿があった。
「あれだと話にもなりませんよ?」
俺は後頭部を掻き毟り、両陣営の間に割って入る。
「お前らいい加減にしろ。白波先輩はもう一回頭冷やしやがれ」
「……っ!!」
白波先輩は二人の拘束を強引に振りほどくと、深呼吸して気持ちを鎮静させていた。
やっと重要人物が全員揃ったのだ。これでようやく話ができる。
「お前がここに来たってことは、話があるってことでいいんだよな?」
怯えて体を震わせる愛璃を少しでも安心させられればと目線を合わせ、なるべく優しく言葉をかける。
愛璃は表情を和らげると「ありがとうっす」と涙を拭い取った。
「みなさんに、聞いて欲しい話があるっす」
白波先輩の射殺すような視線に萎縮した愛璃だったが、今度は臆さず真っ向から受け止める。しかし白波先輩の威圧感は愛璃にとって尋常ではなかったらしく、ちょこんと俺の服の裾を掴んでた。
それを目敏く捕捉した真宵後輩の背筋が凍える眼差しには気づかないようにする。決して気づいてないのだ。
「愛璃……」
「にぃは黙っててくださいっす」
雪平先輩は眉間に皺を寄せ、観念したとばかりに顔を俯かせた。
「八年前のことっす。うちとにぃは、ある屋敷で使用人として働いてたっす」
「そんなこと知っているわ」
白波先輩の厳しい返事に愛璃は一歩後じさりする。
「だけどうちはまだ小さくて、使用人としては働けなくて……そんなうちのことを、にぃが面倒を見てくれてたっす」
八年前というと愛璃は七歳前後くらいだろう。そのときのパーティーは大勢の大富豪を招待しての催しと聞いた。いくら使用人として育成する家系でも、まだ自分の世話でさえ難しい年頃の子供を借り出したりしない。
雪平先輩も十歳くらいの年齢のはずだが、話を聞く限りでは昔は優秀だったと聞く。それくらいなら問題なくやれていたのだろう。
「邪魔にならないように屋敷の奥の部屋で遊んでたっすけど――そんなとき、だったっす。お金目当てで侵入してきた強盗と、鉢合わせしたっす」
「え……?」
「最初は隠れてやり過ごそうとしたんすけど、まだ小さかったうちらは簡単に見つかって、身代金要求のための人質にされそうになりました」
愛璃の口から語られる話に、白波先輩は唖然としていた。
白波先輩は知らなかったのだ。二人にそんなことがあったなんて。
翔無先輩たちも初耳なのだろう。腕を組み、口を閉ざしている。
おそらくこれは雪平兄妹だけが知る事実。そして、今回の事件の発端となった出来事なのだろう。
「だけどその頃には、もう超能力が使えるようになってたっす。相手は銃を持ってたんですけど、うちはともかく、にぃは強盗を圧倒してたっす」
でも――と愛璃は表情を暗くする。
「うちは強盗に捕まって……」
俺は愛理の肩を叩いて続きは言わなくてもいいと伝える。
超能力に関わっていなくとも、その先の展開を想像するのは難しくない。
異様な力を使い大人を圧倒した子供に抱く感情など恐怖しかない。愛璃を人質にとった強盗は、雪平先輩に暴力を振るったのだろう。
「そのときに、強盗の感情がうちに流れ込んできたっす」
「感情が?」
「はい。うちの能力は、他人の感情を受信・発信することができるっす」
そういえばテーマパークで会ったとき、そんなことを言っていた。
愛璃はあのとき俺の心を読み、八年前の件について追っているのを知ったのだ。だから急に怯え、俺から逃げていったのだろう。
「欲にまみれた、どす黒い感情が、うちをどんどん溺れさせていった。苦しくて、辛くて、もう頭がぐちゃぐちゃになって、うちの心は壊れそうになったっす」
「それから、どうなったの……?」
「うちは受信した感情を発信することもできるっす。――だからうちは、流れ込んできたどす黒い感情を、にぃに押し付けてしまったんです」
それを聞いた白波先輩は、言葉を失っていた。
愛璃は辛そうに下唇を噛み、さらに続きを話そうとして、
「そっからは、おれに話させてくれ」
沈黙していた雪平先輩が愛璃の言葉を遮った。
「にぃ、でも……」
「いいんだ。妹を守るのは、兄の役目だ」
雪平先輩は気に入らないが、その意見にだけは賛成だった。
愛璃から視線を外して俺を睨めると、雪平先輩は言葉を引き継いで続きを紡ぐ。
「愛璃の能力は感情の受信・発信だけじゃなく、増幅させることも可能だった。当時まだ能力をコントロールできてなかった愛璃は、強盗どもから受信したどす黒い感情を増幅させて、おれに流してしまったんだ。――その結果、おれは自我を失った」
「まさか……!」
白波先輩は口元を押さえて顔を青ざめさせた。
いまの話の流れから、八年前の事件のすべてが見えたような気がした。一本の筋道ができあがり、それは俺の想像でしかないのだが、しかしおそらくは間違いない。
「自我を失ったおれは愛璃を人質にした強盗を殺し、そのまま暴走した。ヤツらから奪った銃を使って、手当たり次第に人を殺して回った。おれが意識を取り戻したのは、華憐ちゃんを撃とうとした直前だったんだ」
白波先輩は口元を手で覆い、その場にくずおれた。彼女は家族を殺した相手に復讐するためだけに、八年間のすべてをつぎ込んできた。無能力者でありながら『組織』の存在を突き止め、危険を省みず行動してきた。
だが真実の蓋を開けてみればどうだ。ようやく復讐する相手を見つけたかと思えばその人物は身内で、しかもそいつも被害者だったのだ。
いや、雪平先輩が多くの人間を殺した事実は消えない。彼が白波先輩の家族を殺したのも紛れもない事実だ。
しかし白波先輩は、雪平先輩を責めたりしまい。
八年前の事件の真実が、ようやく語られた。
だが白波先輩にしてみれば、この事実はいままでのすべてを否定されたようなものだ。
行き場を失った復讐心と新たに現れた喪失感。いまの白波先輩には、そんな両極端の感情がごちゃまぜになり、渦巻いているのだろう。
――だが。
「だったらなんで俺や白波先輩を襲ったりしやがったんだ」
いま語られた話からは、雪平先輩が俺たちを襲う理由は見当たらない。
俺が問いかければ、雪平先輩が凄まじい剣幕で睨みあげてきた。
「華憐ちゃんたちを守るためだッ」
腹の底から吐き出された言葉に、白波先輩と愛璃が彼を見た。
「白波先輩たちを守るためだと?」
「ああそうだ! おれのせいで華憐ちゃんや愛璃の家族はいなくなっちまったんだッ。だったらおれが守るしかないだろッ。ありとあらゆる悪意から、おれがッ!!」
腕を縛る縄を強引にちぎった雪平先輩は遅滞なく銃を抜き取り、銃口を俺の眉間に向けてきた。
限界まで見開かれた片方の目が、黒に充血していく。じわじわと水が染み込んでいくように白目が黒を侵食していく。
突然の雪平先輩の変化に、全員に緊張感が駆ける。
「冬道、お前を華憐ちゃんと愛璃の近くにいさせるわけにはいかない。お前を、ここで殺してやる……っ!!」
銃爪が絞られ、銃口炎が弾ける。回転式弾倉が激しく火花を散らせ、撃ち出された弾丸が闇を切り裂き、俺を貫かんと閃光のごとき速度で迫ってきた。
頭で考えるより体が先に反応していた。右手が勢いよく跳ね上がり、握られた天剣が弾丸を中心から真っ二つに両断した。
二つに分裂した弾丸が足元に転がり、硝煙があたりが立ち込める。
そこで白波先輩たちが我に返った。
「双獅! あなた何をやっているのっ!?」
「決まってるだろ。華憐ちゃんを泣かせるこいつを、排除するんだッ」
言葉と共に吐き出された第二射。俺は身を屈ませることでやりすごすと、次の一撃が来る前に部屋から飛び出す。さすがにあの狭い部屋で被害を出さずに立ち回るのは無理だ。
「先輩」
「おわっ!? ま、真宵後輩!?」
平然と横を併走していた真宵後輩に気づかず、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「あの人、急に様子がおかしくなりましたが、気づいてますか?」
「見くびんじゃねぇぞ。それくらいすぐにわかったっての」
真宵後輩に返しつつ、皮肉を含んだ言葉に内心で妙な安心感を抱いていた。ずいぶん真宵後輩に毒されてんだな、と他人事のように思いながら半分だけ振り返り、遅れて部屋から飛び出してきた雪平先輩を見る。
なぜ俺たちを襲ったのかを訊いてから、雪平先輩の様子は急におかしくなった。傍から見れば些細な変化でしかなかっただろうが、ヤツが目を覚ましてからずっと睨まれていた俺にはそれがはっきりとわかった。
真宵後輩は単純に空気が変化したのを感じ取ったのだろう。
「どうするつもりですか、先輩。あの男は先輩を狙っているようですが」
「お前は下がっててくれ。俺がどうにかする」
「お断りします。ここまで来て黙って見いているつもりはありません」
にべもなく即答される。やや被せ気味だったほどだ。
「私言いましたよね? 先輩には傷ついてほしくないと」
「だったら俺も言っただろ。お前に傷ついてほしくねぇって」
真宵後輩は俺が自分を蔑ろにしすぎると言った。たしかにこれまでを振り返ればそうなのだろう。いらない責任を背負い、そのすべてを解決しようと身を削ってきた。
けれど、それは真宵後輩にも言えることだった。
真宵後輩は俺のためならばと地獄の果てまでついてきて、俺を助けてくれた。俺のわがままに否と言うことなくついてきてくれたのだ。
そのたびに傷ついて――それなのに俺を優先して治療してくれた。自分だって苦しいはずなのに平気だの一点張り。
真宵後輩は以前に俺が自分を蔑ろにするところが嫌いと言っていた。
そんなの同族嫌悪だろ。俺だって、真宵後輩が自分を蔑ろにするところは大嫌いだった。
「――だったら先輩が私のことを守ってください」
穏やかな口調で真宵後輩は言う。
「先輩のことは、私が守りますから」
俺はなにも言えなくなって、距離を置くのも忘れて足を止めていた。
「もう一度言います。私は先輩が好きです」
「……ッ!? お、おう」
赤面しているのが手に取るようにわかる。こいつ、不意打ちにもほどがあるだろ。
「だから先輩には、ほかの女のために傷ついてほしくないんです。私も一緒に戦います」
「だめだ。俺もお前には傷ついてほしくない。ここは俺に任せろ」
「嫌です。ですから、私が先輩を守ります。先輩は――」
「お前を守る。――そうだったな、俺たちはこういう関係だったじゃねぇか」
冬道かしぎと藍霧真宵は二人で勇者だ。どちらかが欠けては勇者たりえない。
お互いがお互いを補って初めて、俺たちは戦えた。
俺は天剣を右手に踵を返す。二丁拳銃に構えてこちらに向かってくる雪平先輩の両目はすでに黒に侵食され、明らかに精神に異常をきたしていた。歪められた口角からは猛禽類のように大量の唾液がこぼれ、俺を殺そうとする意思がありありと伝わってくる。
「じゃあ行こうか真宵後輩。さっさと終わらせようぜ」
「はい!」
真宵後輩の手に銀色の杖が復元される。
地杖。異世界より与えられた勇者である証。
月光を受けて幻想的に輝く杖は、地面に触れると鈴を転がしたような心地よい音色が広がった。




