第三章 (6)
真宵後輩に治療を受けていると、げっそりとした翔無先輩が俺の部屋に現れた。
「あ、かっしー起きたんだねぇ。あんまり心配かけないでおくれよ」
腰に手を当てて嘆息する翔無先輩に「すみません」と一言謝っておく。
「ボクに謝るくらいなら真宵ちゃんと、ここにはいないキョウちゃんと華憐にお礼を言いなよ。気を失った君を三人が運んでくれたんだからさ」
翔無先輩が言うとおりここに火鷹と白波先輩はいない。さっきの騒ぎを『組織』に隠蔽してもらう申請を行うため学校に行ったらしい。あの生徒会室は『組織』と連絡を取るための基地扱いなのだそうだ。
「そうですね。……それで、仮面男はどうなりましたか?」
翔無先輩は両手を上げて降参のポーズで頭を振る。
「お手上げだったよ。人通りの多いところを逃げられて能力が使えなかったんだ。やっと使えそうな場所に出たときは、もう見失ってた。ごめんね、かっしーが大怪我を負ってまで追い詰めたのに」
「……ほんとうですよ。何をやっているのですか、この無能は」
真宵後輩の殺気混じりの言葉に、さすがの翔無先輩もふざける余裕はなく、冷や汗を流しながら壁際まで後じさった。
ガクガクと震えて涙目になる翔無先輩にいたたまれなくなる。
「ですが、これで敵がはっきりしましたね」
助け舟というには歪だが、とりあえず本題に戻しておく。
「そうだねぇ。敵は何か言ってなかったかい?」
ほっとして翔無先輩は訊いてくる。
真宵後輩も俺が意図して戻した話の腰を折るつもりはないようで、つまらなそうに鼻を鳴らして治療を再開した。
「残念ながら何も。いきなり襲われてこのありさまですよ。白波先輩を渡せとは言ってましたから、先輩が目的なんでしょうけど」
「まあそれはある程度予想がついていたことだからねぇ」
「でもなんで白波先輩なんですかね。八年前の事件の関係者を狙ってるんだったら雪平兄妹だって標的になるはずだろ」
途中から翔無先輩に向けてではなく、自分に言い聞かせるよう言葉にする。
どうして仮面男は白波先輩を、しかも今ごろになって狙ってきたのだろう。あの場には愛璃もいた。それに人の目につきにくい点で言えば雪平先輩の方が手っ取り早く狙えたはずだ。
それなのに俺と一緒にいた白波先輩をターゲットにした。何か理由があるのだろうか。雪平兄妹ではなく彼女を標的とする理由――。
「……一つ訊いてもいいですか?」
「ボクに答えられることなら一つと言わずいくらでもどうぞ」
じゃあお言葉に甘えさせてもらおう。
「八年前、仮面男に襲撃された会場にいた人間は白波先輩と雪平兄妹を除いて全員が殺されたんですよね? 調理師も、執事もメイドも全員」
翔無先輩はわずかに嫌悪感を表に出す。俺が平然と人の死を語るのが癇に触ったというところだろう。
人の死なんてとうの昔に見慣れた。いちいち振り返っていては前には進めない環境に俺たちはいたのだ。
一〇〇の屍の弔いよりも、一の生者を救うほうが俺にとっては大事なことだ。
「うん、そうだねぇ。それで間違いないよ。生き残りはたった三人だ」
「つうことは雪平兄妹の親族も殺されたってことですよね?」
「……そうだけど、それがどうかしたのかい? 答えられることなら何でもとは言ったけど、そういうのはあんまり言いふらすような真似はしたくないんだけどねぇ」
あからさまに翔無先輩は気分を悪くしていた。
「すみませんね、こんなこと訊いて」
頬杖をついて翔無先輩は「ホントだよ」とジト目で睨んでくる。
「じゃあなんで、雪平先輩はあんなに平気そうにしてるんだ――?」
白波先輩と雪平先輩は同じ場所で同じときに、同じだけ大切な存在を奪われながらまるで気にした様子がない。
ただ単に俺たちの前で見せていないだけなのかもしれないが、同居している白波先輩が雪平先輩は当時のことを覚えていないと言っていた。あの怒りようからして思い出せないだとか、ショックで記憶が欠落しているとかではないだろう。
つまり雪平先輩は、家族を奪われても何も感じていない。時間の経過で忘れてしまう程度の出来事としか思っていないのだ。
しかしそれにしては、白波先輩や愛璃を過剰に守ろうとしていた。残された家族を失うまいと必死になっていた。
そしてもう一つ気になることがある。
どうして生き残ったのが、あの三人だったのかだ。能力者だからといって当時の彼らは子供だ。大人たちを一方的に虐殺し、超能力に加えて銃まで所持していた仮面男から逃れるすべはないように思える。
もし命を脅かされる逃走劇を繰り広げた末に生き残ったのなら、雪平先輩が忘れるのはおかしい。
……どうも何かが引っかかる。あと一手何かが足りない。
そのときポケットに入った携帯電話のバイブレーションが震えた。
「誰だ、こんなときに」
言いながらポケットをまさぐる。携帯電話を取り出すと、真宵後輩が回収してくれていた天剣の属性石が床に落ちた。拾いながらフリップを開き、ディスプレイの表示に目を細めた。
真宵後輩と翔無先輩も俺の異変に気づき、携帯電話を覗き込んでくる。
「こんなときに非通知の電話って、どう考えても怪しさ満点だねぇ」
「……そもそも俺のアドレス知ってんのなんて限られてんだよ」
真宵後輩と柊とつみれの三人だけ。誰も非通知なんて回りくどいことはしない。
俺は二人に目配せする。通話ボタンを押し、受話器に耳を当てる。
『――ご機嫌いかがかな、冬道かしぎ』
予想通りすぎて新鮮さも驚きもなかった。
撃ち抜かれた太股や肩が疼く。
「さっきはやってくれたな。……何の用だ。それにお前は何者だ」
『質問が多い男だな』
仮面男は受話器の向こうで喉を鳴らして嘲笑する。
『だが答えてやろう。――白波華憐は預からせてもらった』
「なにッ?」
叫んで、携帯電話を砕かんばかりに握り締める。
「てめぇ火鷹をどうしたッ。一緒にいた女の子をどうした!!」
俺の怒声に翔無先輩は交わされた会話の内容を悟ったらしい。震える唇を手で覆い目を大きく見開いていた。
仮面男が白波先輩の前に現れたのならば火鷹と交戦したはずだ。それなのに白波先輩を拉致したということは、火鷹はヤツに敗北して――。
『おまえが気にするべきはどちらだ。火鷹鏡か? 白波華憐か?』
神経を逆なでする言い方に、逆の手で拳を作り壁を殴りつける。仮面男は俺がどちらか一方だけを選べないのを見越して楽しんでいるのだろう。再びヤツは喉を鳴らした。
『貴様にチャンスをくれてやろう』
「チャンスだとッ?」
『今から地図を送る。そこに白波華憐と火鷹鏡の両名を監禁してある。だから、どちらか一方だけを助けさせてやる。もう一人は、見殺しにしろ。いいか? おまえ一人でどちらか一方を選べ』
仮面男は一方的に言い放つと、ブツリと電話が切れる。
「おいてめぇ!! ざけんじゃねぇぞッ」
そう叫ぶも、受話器から聞こえてくるのは不通音だけ。
唇を噛み締め「くそッ」と叫び散らして携帯電話を床に叩きつけた。
フタが外れ、なかから飛び出した正方形の電池が部屋を跳ね回り、ドアに当たって床に落ちる。
「か、かっしー落ち着きなよ。壊れたらどうするんだい?」
「……チッ。すみません」
翔無先輩は俺の携帯電話を拾って電池をセットし電源を入れる。
ディスプレイには見知らぬアドレスからの着信が一件表示されていた。メールに添付されていたURLを開くと、赤い点が二つある地図が画面に広がった。
どうやらこの町の地図らしい。点があるのは以前に魔術師と戦った廃墟街と、仮面男と遭遇したテーマパークの二箇所だ。どちらに誰がいるかまでは書かれていない。だが、ここにいる全員が誰がどちらにいるのかわかっていた。
「翔無先輩は火鷹の方に行ってください。俺は白波先輩んとこに行きます」
言うと同時に全身を包んでいた水の膜が弾け飛び、真宵後輩の治療が終わる。
腕をぐるりと回したり、屈伸したりして調子を確認して。
「――ぶっ殺してやる」
わけのわかんねぇことに巻き込まれんのはもううんざりだ。
「では私は先輩についていきます」
地杖を属性石に戻した真宵後輩に俺は首を左右に振る。
真宵後輩は面食らっていた。
「どうしてですかッ?」
責めるような眼差しの彼女を宥めるように頭を撫でる。
「お前にはニーナたちの傍にいてもらいたいんだ」
「……ッ。そんなのアウルさんに任せればいいでしょう。先輩はまだ本調子ではないんですよ? 万が一あの男に隙を突かれたら先輩は――!!」
手をかざして真宵後輩を制する。
「たしかにヤバイかもしんねぇな。だけどこいつは俺が決めたことだ。お前が一緒に来ることはねぇよ」
「私たちは二人で一人の勇者です。先輩が戦うのでしたら私も行きます」
そうだ。俺たちは二人で勇者の歪な関係だ。いつどんなときも俺たちは二人で戦ってきた。二人で戦えば、俺たちは無敗だった。
だけど俺は――。
真宵後輩の肩を押す。
「だめだ。俺はお前に傷ついてほしくない」
俺が言うと真宵後輩は唇をきつく噛み締めて俯いた。
わかってくれたのだろうと勝手に思い込んで部屋を出ようとすると、心臓が食い破られるような濃厚な殺気に凍りついた。
「……それは私だって一緒なんですよ」
静かな呟きであったが、それには動きを停止させる強制力があった。
錆びれた歯車のようにぎこちない動作でなんとか振り返る。
「先輩はどうしてそうやっていつも、いつもいつもいつも、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも――――いつも自分を蔑ろにして私を優先するんですかッ!!」
激昂した真宵後輩が瞳孔の縦割れた目で睨みあげてくる。
瞳は碧色に染まり、足元からはおびただしい量の波動が噴き出して暴れまわる。気圧されて一歩下がれば、真宵後輩は一歩前に出てくる。
「どうして自分を大切にできないんですか。どうして先輩が傷つくことで悲しむ人がいるのだと理解できないんですかッ!!」
壁際まで追い詰められ、歪められた端整な顔が迫ってくる。
「ま、真宵ちゃん。今は言い争っている場合じゃ……」
「黙れッ!!」
肩に手をかけた翔無先輩を膨大な波動の一部が襲いかかる。不意の攻撃に反応しきれずもろに喰らった翔無先輩は、横凪ぎに壁に叩きつけられ、うめき声を漏らして倒れ込んだ。
息を飲んで真宵後輩を見るが、翔無先輩など眼中に入れていないどころか、攻撃したことにさえ気づいていない。
ただ目障りな存在が消えたとしか認識していなかった。
「私はいつも、先輩がいなくなってしまうのではないかと不安なんです。だって先輩が無傷で帰ってくることなんてないじゃないですか。異世界でも、こっちに帰ってきてからも戦うたびにボロボロになって。治療するたびにどうして先輩は私に頼ってくれないんだと、ずっと思ってたんです」
口調穏やかに、真宵後輩は言う。
「――先輩、どうして私を頼ってくれないんですか? どうして私に負担をわけてくれないんですか? どうして先輩は……」
真宵後輩が言い淀んだ。
俺は絶句する。
感情が欠落しているのではと思わせるほど起伏の乏しい真宵後輩が、大粒の涙をいくつも流し、顔をぐしゃぐしゃにしていたのだ。
「私、先輩が好きです」
「なぁ――ッ!?」
全身の血が顔に集中していくのがはっきりと感じ取れた。
自分でもわかるほど赤面して動揺した俺は、もう真宵後輩を直視できなかった。
真宵後輩が、俺を好きだって――?
頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
「だから、先輩にほかの女のために傷ついてもらいたくないんです」
「…………」
「行かないで、ください。先輩が命をかけてまで戦うことはないではないですかッ」
俺を真っ直ぐ見つめてくれる女の子は、震えていた。
彼女は俺が死にかけるような怪我を負うたびに、どんな思いで治療してくれていたのだろう。どんなときだって文句一つ言うことなく、彼女は俺を助けてくれた。
いつだって俺の傍にいてくれた、俺が好きになった女の子。
俺は天井を仰いでしばし瞑目する。
真宵後輩の言うとおり、俺が命をかけてまで会ってたった数日の関係でしかない彼女たちを助ける必要はないのだろう。ただ都合よく俺がいたというだけで、条件に見合いさえすればきっと誰だって良かったはずだ。
けれど。
「今ここであの人たちを助けられんのは、俺以外、誰もいねぇんだ。――だったらやるっきゃねぇだろ」
「先輩……」
真宵後輩はたたらを踏むように俺から離れると、力なくくずおれた。
頬を伝う涙が床に落ち、染みを作る。波動の暴走はすでに収まっていた。
「行きましょう翔無先輩」
「こ、このまま置いていっていいのかい?」
心配そうに真宵後輩を見る翔無先輩に言ってやる。
「俺が好きになった女の子が、こんなことでどうにかなるかよ」




