第三章 (3)
家族連れ、同性同士、カップル――右を見ても左を見ても人だらけ。ぞろぞろ大行進するごった返した人垣に到着早々、踵を返して帰りたい衝動に駆られていた。
しかし白波先輩はそうではないのか、目を輝かせて早く行こうとせがんでいた。
「えー、先輩。マジで行くんですか?」
「行くに決まってるじゃない。当たり前なことを聞かないで」
……くそー、やっぱりですよね先輩。俺は行きたくないですよクソったれ。
大勢の人波を遠巻きから見ている分には良かったけど、あんなところに突攻していけというのはどんな罰ゲームだ。
まったくもって気乗りしない。というか、こんなに人が多かったらストーカー野郎も白波先輩を見失ってしまうだろう。偽デートに休日で人が多い、加えて本日開園のテーマパークを選んだのは間違いだったのではなかろうか。
そこで再びノイズ音を鼓膜が拾う。
白波先輩は慌てて俺に背を向ける。
「……な、なによいきなり! え? て、ててて手!? ちょ、なに言ってるのよ……!?」
なにやら白波先輩が慌てた様子だが、周りの雑音がひどすぎるせいで何を言っているのかまでは聞こえない。
はてさて。いったいどこから見てる誰と話しているのやら。
驚いたり恥ずかしがったり怒ったりと、ころころと変化していく白波先輩の表情を見てこみ上げてくる笑いを噛み殺す。
しばらく向こう側と喧嘩していた白波先輩は、やがて意を決したように眦を吊り上げて俺を睨んで手を差し出してきた。
「は?」
わけがわからず聞き返すと、わかりやすく苛立ちを見せた。
「だ、だから……んっ!」
頼むから俺が理解できるように話してくれよ。顔を真っ赤にして手を差し出されても何をしたいか察せるほど親しくないんだから。
白波先輩は手を差し出したままじっと俺を見つめている。
「なんですか。手に何かあるんですか? 何もないですけど」
腰を曲げて白波先輩と目線の高さを合わせて言う。
するととうとう堪えきれなくなった白波先輩が、
「わ、わかりなさいよばか! て、手を、繋ごうって言ってるのよっ!」
「だったらそう言ってくれなきゃわからんでしょうが」
俺がそう言えば「うるさいわね!」と凄まじい剣幕で怒鳴られた。
「か、勘違いしないことね。人混みが激しいから、その……はぐれないようにってだけだけよ。そ、それに、こうしたほうが恋人っぽく見えるでしょ!?」
逆ギレの勢いで白波先輩がずんずん詰め寄ってくる。よほど恥ずかしいらしく矢継ぎ早に言葉を浴びせかけてくるが、ほとんど聞き取れなかった。
たしかに理にかなっている。この人混みでは相手がいつこちらを見ているかわからないのだ。
「なにか、言いなさいよ」
「あー、えっと」
「い、嫌なら、嫌って言えばいいじゃない……」
白波先輩はしゅんとして手を引っ込めようとする。なんで恋人のフリをするだけの間柄なのに、手を繋ぐか答えないだけで落ち込んでるんだ。
俺がそんなことを思っている、そのときだった。
――ぞわり、と。
背筋に言い知れない悪寒が走り、弾かれるように振り返った。誰かの憎悪を孕んだ視線が俺を貫いていったのだ。だが、見た先には俺たちに見向きしない人波が流れていくだけで、それらしい人物は見当たらない。
大粒の汗が一滴、頬を伝って地面に落ちる。
いるぞ。ヤツがここにいる。
だけどどっちだ? 白波先輩のストーカーか。それとも――。
「なに? どうしたの?」
「先輩。楽しむのはほどほどにして、少しは警戒しててください」
「え?」
疑問を浮かべる白波先輩の手を握る。
「いるかもしれませんよ。先輩の復讐したい相手が」
白波先輩が息を飲んで周囲を見渡す。鬼気迫る彼女の表情に一瞬にして和やかなムードが砕け散った。手を握る力が強まって、殺気が膨れ上がっていく。
「あいつが、いる――ッ」
牙を剥いた白波先輩は修羅のそれだ。
だけど俺は気づいていた。
彼女の手が震えていることに、気づいていた。
***
入場料を払ってテーマパーク内に入ったころにはすでに数あるアトラクションのほとんどに長蛇の列が出来上がっており、マスコットの着ぐるみを着たスタッフ一同が忙しなく動き回っていた。
見る限り、どれも数十分は待たされるだろう。
なかでも目玉のアトラクションなど、一度並んだらいったい何時間待たされることになるかわかったものではない。
やはりこんな場所を偽デートに選ぶのではなかったと後悔した。
とりあえず立ち止まっていると次々にぶつかられてほんとうにはぐれかねないので、邪魔にならない隅っこに移動する。
「どうします? このままだと大して乗れませんけど」
「うん、そうね」
あれからどこか上の空の白波先輩。繋いだ手も俺が握っているからそうなっているだけで、こちらが離せば彼女の腕はそのまま下に落ちるだろう。そうしたら復讐対象を探し出してしまうかもしれない。
白波先輩は無能力者だ。仮に見つけ出せたとしても、どうにかできる相手ではない。
だが俺も迂闊だった。白波先輩がどれだけ恨んでいるか、大切な人を殺されて復讐したくなる気持ちをわかっていたはずなのに、その対象がここにいるかもしれないなどと口走ってしまった。
さてどうしようかと唸っていると、白波先輩が突然、耳を押さえて背中を丸めた。
「い、いきなり叫ばないでよ! いったいなんなのよ!」
言ってからはっとした白波先輩は、俺に引き攣った笑みを作って見せる。
「な、なによあんたたち。え? ……い、いや、私だって……」
小声でぶつぶつ呟く白波先輩はしきりに俺を気にするようにこちらを見る。
……電話でもしてると思い込めばいいのかよ。
肩を上下させて大きく息を吐き出すと、身振り手振りで気にすんなと伝えておく。
これだけ人が多いとどこから見ているのか探すのはかなり難しい。俺たちを常に見ていられる場所にいるとは思うが、さてどこにいるのか。かくれんぼの得意そうなあの人を見つけるのは骨が折れる。
「は、はぁ!? そんなことできるわけないでしょ!?」
「……先輩、さっきからどうしたんです?」
「えっ!? な、なんでもないわよ! 気にしないで!」
白波先輩が強引に押し切ろうとしてくるので、仕方なく折れる。まだバレてないと思っているのだろう。
あっちに何人いるのかは不明だが、一人くらい感づいてもおかしくないと思う。
「悩んでてももったいないんで、とりあえずあれくらいは乗っておきませんか?」
「な、ちょ、ちょっと……!」
白波先輩の腕を引いてこちらを向かせたあと、俺の背後にそびえるそれを指差す。
その瞬間、白波先輩の表情が盛大に崩れた。
「あ、あれに乗るの? ほ、ほんとうに?」
「とりあえず乗っときません? あれがここの目玉の一つらしいですし」
俺が指したのは急降下に急下降、おまけに全長は二五〇〇メートルを誇り、極めつけはほぼ垂直に落下する絶叫ジェットコースターの『ヘルゲート』だ。
『この世であの世にご招待』が売り文句で、強烈なGに三半規管がズタボロにされるとパンフレットに書いてあった。
ベンチで屍のようにぐったりしているのは、すでにヘルゲートを経験してきた人たちだろう。まさに売り文句に嘘はないようで、完全にやられていた。
「え、えっと……」
「もしかして苦手でしたか?」
言い淀む白波先輩に訊ねる。こくり、と控えめに頷いた。
「実はああいう乗り物はあまり得意ではなくて」
「それなら仕方ないですよ。俺も無理強いするつもりはありませんから」
俺も本心から乗りたいと思ったわけではない。お金まで払ったのだからせめて元を取っておこうかと提案しただけだ。
「じゃあ、ほかのとこに行きましょうか。どれだって待ち時間は――」
「……ま、待って」
「はい?」
次のアトラクションに行こうとして手を引っ張られた。
「や、やっぱり乗りましょう。せ、せっかくだから」
「苦手なんじゃないですか? 別に無理しなくてもいいんですけど」
「む、無理なんてしてないわよ! ふ、ふん。私を見くびらないことねッ」
ビシッと人差し指を突きつけられ思わず仰け反る。
いったい何を指示されたんだ。
目を泳がせて明らかにやせ我慢する白波先輩に一抹の不安を覚えた。
***
そして案の定というべきか。
「うぅ……」
ヘルゲートにやられた白波先輩は顔を真っ青にして、ベンチに沈むようにもたれかかってぐったりしていた。
列が進むごとに白波先輩の表情が曇っていく様を見せつけられ、俺は何度もやめようかと言ったのに「大丈夫、私ならやれるわ」の一点張りだった。何を言われたのか知らないが、辛いならやめればよかったのに。
その結果がこれなのだからぜんぜんやれてないだろと言ってやりたかった。もちろん今の白波先輩には言えないが。
「水でも飲みますか?」
「……う、ううん。いら、ないわ」
俺は苛立って舌打ちする。
「へんに強がらなくていいですから。無理だけはしないでください」
さっき買った水を白波先輩の手元に置いて、こっそり彼女に耳を澄ませる。
『……雪音さん、生徒会長さんが完全にノックアウトですけど』
『い、いやキョウちゃん、そんな責めるように見ないでよ。ボクだってあそこまですごいジェットコースターだって思ってなかったんだって』
聞こえてきた声はやはり翔無先輩と火鷹のものだった。
おかしな間があったり急に真逆のことを言ったりしたのは、彼女たちに行動の指示を出されていたからだ。髪から覗く耳には小型のインカムが装着されている。これで会話を行っていたらしい。
『これじゃあかっしーを酔わせて膝枕作戦が台無しだねぇ』
どんな作戦だよ。
『……生徒会長さんはできないと言っていたのに強行した雪音さんが悪いんじゃないですか』
『そもそも先輩はそんなことで酔ったりしませんし膝枕なんてさせません』
……………え?
い、いやいやいやいや。ちょっと待てよ。なんか絶対に聞き間違えない自信のある声が聞こえてきたんだけど。
『させないって、それは真宵ちゃんの事情じゃない。かっしーは華憐の魅力にやられてころっと……』
『ころっと殺しますよ』
ま、間違いねぇ! 真宵後輩もいるじゃねぇか!
心臓が口から飛び出しそうになるほど大きく高鳴る。
『ひいいぃぃっ!? だ、だからこの子目がマジなんだって! キョウちゃん助けてくれませんねぇどっか見てるねぇ!』
『……雪音さん、もしかしてかっしーさん気づいてませんか?』
『え、マジでって危ないよ真宵ちゃん!? 死んじゃうよ!』
『殺すつもりですから』
『なんでこの二人は揃ってボクのことをぎゃああああああぁぁぁぁッ』
翔無先輩の悲鳴が聞こえたところで屍と化していた白波先輩が猛然と起立。インカムを外すと全力で地面に向けて投球。バラバラになったそれを気合いの雄叫びを上げながら踏み潰した。
「さっきから耳元でうるさいのよばかッ!」
ぜえぜえ息を切らせて叫んだ白波先輩は、げっそりした表情で俺を睨んでくる。
「かしぎくん、今のは気にしないでちょうだい。いいわね?」
有無を言わせない白波先輩の気迫に無意識に首を縦に動かしていた。
それに安心したらしい白波先輩はほっと胸をなでおろすと、へたれこむようにベンチにくずおれた。
それにしても真宵後輩までいるとは予想外もいいところだ。白波先輩と偽デートをすると言った以降、いつもどおり接してはくれていたが、どこか冷たくされていたのだ。
翔無先輩と火鷹だけならどこにいようが構いやしなかったが、真宵後輩がいるのなら話は別だ。もしかしたら気づいたことを気づかれたかもしれないが、こうなれば是が非でも見つけ出してやる。




