第二章 (6)
「嫌なこと、聞いちまったな……」
昨日と同じようにリビングで川の字になって布団にもぐる俺は、ぼんやりと天井を見上げて呟いた。
白波先輩の境遇よりも、どちらかといえば翔無先輩の頼みが堪えた。
遠くないうちに翔無先輩は白波先輩の追っているという能力者と相対することになるのだろう。そうしなければ白波先輩が絶対に勝機のない戦いを挑み、無駄に命を散らすことになるからだ。
もしもはありえない。そんな甘い思惑は入り込む余地はない。命の奪い合いとは力の上下関係により成り立っているのであり、白波先輩のは、言ってしまえばただの自殺だ。
翔無先輩はそうさせないために、より可能性のある自分が戦おうとしている。
だが、彼女もまた自分では勝てないと思っている。
だからこそ、翔無先輩が死したあと暴走するであろう白波先輩を引き止める役割を、俺に託したのだ。
その能力者がどれほどの実力者かわからない以上、たとえディクトリア=レグルドを下したといえど安請け合いすることはできない。
俺の力がこっちでどれほど通用するのか。魔術師と対峙したときも、俺は何度も劣勢に追い込まれた。最後には真宵後輩が精霊代行という離れ業を披露したことでようやく退かせられた。
おそらく実力的には、大きく見積もって上位に入るかどうか。低く見積もれば、よほどの手練になればまったく通用しないだろう。
能力者は総じて身体能力が高い。
たとえばアウル=ウィリアムズ。彼女は助走なしで何メートルもの距離を飛翔する。
たとえばニーナ。彼女は常人ならば耐え切れない『機械人形』の手術を齢十歳ながらも成功させ、その力を十二分に発揮している。まともに戦うことになれば、勝敗はニーナに傾くかもしれない。
おそらく超能力が強力であればあるほど、それを制御するために体が強くあろうとするのだろう。
ある程度ならまだいい。俺にも身体強化の術がある。だが、そうしてもいつかは追いつけなくなる。
ブーストはあくまでも、現段階における身体能力の強化。つまり元々のスペックが低ければ強化後のステータスもそこまで高くはならないのだ。加えて第三段階までしか強化を施せない今、ディクトリアより強い能力者とやり合うことになれば、高確率で俺は殺されるだろう。
それは避けなくてはならない最悪な結末だ。
今や俺は多くの命を背負っている。
二七人の子供の命。
俺だけの命ではないのだ。俺がその能力者に敗北したとき、子供たちはきっと立ち直れなくなるだろう。たかが復讐譚に付きやっていられない。
けれど、ほっとくことができないというのも、俺の感情だった。
白波先輩や翔無先輩とは出会ってからほとんど経っていない。しかしあの人たちが自殺に近い行為をしていて、俺ならあるいは代わってやれるのではと考えてしまうのだ。
だが、異世界にいたころとは違う。大きな後ろ盾があるわけでもないのに派手に暴れて目をつけられれば、俺の手には負えなくなる。
彼女たちの言うとおり『組織』に属するというのも悪くはない手段だ。
しかしやはりこれにみ同じことが言える。ただでさえ『組織』をよく思わない能力者がいるのだ。報復対象となって子供たちや家族を巻き込まないとは言えない。
俺が特別だったというわけではない。
たまたまそこに都合のいい人間がいたというだけの話なのだ。
のるかそるかは俺次第。会ったばかりの彼女たちのためにリスクだけを背負うのは馬鹿げてる。宣言したとおり過ごせばいい。
でも、俺はそれでいいのか?
もしかしたら助けられたかもしれない彼女たちの伸ばした救いの手を弾いて、のうのうと過ごしていけるのか。
後悔しないと、はたして言い切れるのか。
「くそッ」
荒く息を吐いて起き上がる。物音を立てないよう移動して、水を一杯煽る。唇の端から垂れてきた水を袖で振り払うように拭う。
「言えねぇよ」
彼女たちを見捨てたとしたら、俺は絶対に後悔するだろう。
これは俺のエゴイズム――単なる偽善だ。偽りの善だ。
さりとて善には違いない。
でもそれは、子供たちを危険にさらす可能性も含んでいる。『機械人形』を所持していた科学者が消えたことで、今まさに同じように研究する科学者どもが血眼になってニーナたちを探しているだろう。
あるいは『組織』に保護され、俺の傍にいる情報を掴んでいるかもしれない。
もし動けば、そいつらが来たときにニーナたちを守れなくなる。
「ままならねぇなチクショウ」
吐き捨て、虚空を睨める。
動けば子供たちが、動かざれば白波先輩が犠牲になる。
どうするのが最善なのか。
俺は自問する。――答えは、返ってこない。
「ごちゃごちゃ考えすぎではありませんか?」
「……真宵後輩」
俺のパーカーを羽織った真宵後輩が呆れたように言葉を投げかけてきた。
「悪い。起こしたか?」
「いいえ。最初から深く眠ってなかっただけです。あっちにいたころの癖は、なかなか抜けないものですね」
「そうかもしれねぇな」
こうやって夜になるとあれこれ悩んでしまうのを遠回しに指摘され、おもわず苦笑いがこぼれた。
「あの人たちのことで悩んでるんですか?」
真宵後輩にはさっきの会話のことを話している。話せと凄まれたわけではないが、真宵後輩にも知っておいてもらいたかったのだ。
温かい飲み物の準備の片手間に「まあな」と答えておく。
真宵後輩には虚勢を張る必要もない。今さら情けないところを見せたところでどうということはなかった。
湯気の立ち込めるマグカップを真宵後輩に渡し、ソファに座る。
息を吹きかけて熱を冷ましたあと、真宵後輩は静かに一口嚥下した。
「どうすりゃあいいんだろうな」
「どうとは?」
「動くか動かないか。正直、あの人たちに手を貸す理由はねぇよ。だけどほっとけないんだ。ここで動かなかったとしたら、きっと俺は後悔する」
「…………」
真宵後輩が口を閉ざした。マグカップを両手で包み、膝の上に置く。
「先輩が気にかけているのは子供たちやつみれのことですか? ――それとも、私のことですか?」
「…………」
今後は俺が口を閉ざす番だった。その通りだったからだ。
たとえ子供たちが狙われるようなことがあっても、真宵後輩がいてくれればどうにかなるだろう。
しかし、それでは真宵後輩が命を落とす可能性を生み出すことに繋がる。
今の俺たちは『勇者』の絶対的な力を失っている。ほんの少しのミスが致命的なのだ。
それでもしも真宵後輩が死ぬようなことになれば、俺は――。
ようは自分のためなのだ。誰かの助けになりたいと思いながらも、真宵後輩にもしもがあってはならないという俺の我侭なのだ。
かつて一度、愛しい人を失ったあの喪失感を、もう二度と味わいたくない。
「先輩」
真宵後輩が俺の手を握る。
震えていた俺の手を包み込んでくれる。
「私や、ニーナたちを重荷と思わないでください」
「……そんなつもりはなかったんだけどな」
「わかってますよ。先輩は純粋に私たちが心配だったのでしょう? ですが先輩はなんでも一人で抱え込み過ぎなんです」
前にも言ったじゃないですか、と真宵後輩は微笑んだ。
「私たちは二人で勇者です。私にも、あなたの背負うものをわけてください。私に、あなたを感じさせてください」
「え、お、おい、真宵後輩……?」
肩に寄り添ってきた真宵後輩に、心臓が大きく跳ねた。
「私は、先輩のことが……」
「俺のことが……?」
「…………」
「……真宵後輩?」
高鳴る鼓動を抑えながら真宵後輩の顔を覗き込むと、すやすやと寝息を立てて眠っていた。
「ははは……そりゃあねぇよ」
続きが気になって眠れねぇじゃねぇか。
だけどまあ――、
「ありがとな」




