第二章 (3)
がらりと教室のドアが開け放たれる。
机に突っ伏していた俺はまたかと辟易しながら、せめて少しでも現実逃避ができないものかと窓の外でさえずる小鳥を眺めた。
クラスメートの反応は慣れたものだった。休み時間になるたびに生徒会の人間が訪れるのだ。嫌でも慣れてしまうだろう。
喧嘩別れっぽくなったというのに翔無先輩は構うことなく俺のもとに訪れ、他愛のないことを話していく。交代で火鷹もやってくるのだが、抑揚のない声で「……だーれだ」と後ろから目を隠されてもまったくドキドキできなかった。
なんでもつきっきりで監視しなければならないとのことらしい。相槌もぶっきらぼうにしているのに、何故か彼女たちは楽しそうだった。しかし俺にすればいい迷惑だ。
今度はどっちが来たのだろう。それなりに時間もあるし二人かもしれない。
だが、クラスメートの反応が妙だった。ざわざわと騒がしいのだ。
何をやらかす気だとくすぶる憤りを堪えながらそちらを見て、なるほどと納得いった。
「かしぎくん、お昼、一緒にどうかしら?」
俺の席の前に立った白波先輩がお弁当を持ち上げてみせる。
「雪音たちがずいぶん迷惑かけちゃったみたいだし、そのお詫びもかねて……どう?」
こちらの様子を窺うような仕草に俺は手で目元を覆う。
思えば元凶はこの人だ。白波先輩に関わってからろくな試しがない。
「なによ。そこまで嫌なの?」
「……いいですよ、別に」
立ち上がると携帯電話をポケットから取り出し、真宵後輩に連絡を入れようとする。
「彼女は呼ばないで。あなたと二人きりで話がしたいの」
白波先輩はそう言ってフリップを開こうとする俺の手を掴む。訝しげに顔を横に振れば、白波先輩が真摯な面持ちで真っ直ぐに見上げていた。
「真宵後輩くらい同席しても構わないでしょう。どうせ、そっちは生徒会メンバー勢揃いなんでしょう?」
「いいえ。文字通り二人きりよ。雪音も鏡も、もちろん双獅もいないわ」
「そこまでして何を話したいんですか」
「ここでは話せないわ。ひとまず生徒会室に移動しましょう」
白波先輩は俺の肩ごしに教室を見渡してからそう耳打ちする。彼女は類い稀な容姿とカリスマ性で全校生徒に憧れの的だ。俺みたいなのと会話していること自体が興味を惹かれるらしく視線が集まっているのをひしひしと感じる。
たしかに、こんなところでは無理か。
先導して歩き出した白波先輩の背中を追いつつ、彼女に悟られないように真宵後輩に昼は一緒にいられない旨をメールで送る。
返信は五秒としないうちに返ってきた。確認する。一言だけ「ご苦労様です」と打たれたメールに脱力した。
***
購買でやきそばパンにカレーパンなど腹に溜まりそうなパンをいくつかと飲み物を買って生徒会室にやってきた。
白波先輩に先に入るよう言われて部屋に踏み入れば、がちゃりと鍵を閉める音が聞こえた。顎を上げて半分だけ振り返れば、白波先輩は「気にしないでちょうだい」とすれ違い様に言っていつもの席ではなく、ソファに腰を下ろしてお弁当箱を開けた。
俺も対面に座ると、包装を破ってパンにかじりつく。
白波先輩は洗礼された所作で箸をつつき、静かに食事にありついている。てっきりさっさと本題を切り出すのかと思ったがそうではないらしい。
「かしぎくん、あまりじっと見られると食べにくいのだけれど。どこかおかしなところでもあるの? もしかして、汚れてる?」
恥ずかしそうに俯くと、制服の脇ポケットから取り出したハンカチで口周りを拭う。
「大丈夫ですよ。あれです。美味そうな弁当だなって思ってただけです」
「思いっきり私を見ていたじゃない。……食べる?」
白波先輩はテーブルに手をついて身を乗り出し、からあげをつまんだ箸を口元に近づけてくる。何の気なしに食べようとして、間接キスになるのではと脳裏をよぎったが、したところでどうだというのだろう。
恥ずかしいわけでもなければ後ろめたいわけでもない。というか、間接キス程度でいちいち騒ぎ立てるなんて馬鹿らしいにもほどがある。
躊躇うことなくそれを食べ、数回ほど噛んでから嚥下する。
「どう? 私が作ったのだけれど」
「美味いですよ」
「……感想としてそれだけってどうなの? 双獅だってもっとまともなこと言うわよ」
白波先輩責めるようにジト目で俺を見てくる。
「まあいいわ。それより昨日は雪音たち悪かったわね」
「監視員でしたっけ。いい迷惑でしたよ」
刺を隠すことなく、睨むようにして言えば白波先輩は申し訳なさそうに肩をすくめる。
「ほんとうはアウルさんの家であなたを監視する予定だったのよ。けれどあそこの家にはあなたが助けた子供たちがたくさんいるでしょう? 威嚇されて追い出されたらしいわ」
「ああ、そうでしょうね」
あの子たちは対人恐怖症だ。非人道的な科学者どもによって植えつけられた恐怖はちょっとやそっとで克服できることではない。かろうじて俺や真宵後輩、アウルに打ち解けてくれてくれているが、それはディクトリアから助けたからだ。
俺たちが信用されているのは、ひとまず危険ではないだろうから。逆に言えば少しでも不信感を抱かせれば、あの子たちは行き場を失う。
「いつまで監視するつもりなんですか?」
「期間は特別に設けていないわ。上の連中を納得させられるだけの材料が揃い次第引き上げてもらうわ」
「そうですか。……それとあの二人に大人しくするように言ってください。ストレスで禿げそうです」
「いちおう言ってみるけれど期待はしないで。言うことを聞く子たちではないから」
ごちそうさま、と白波先輩は締めくくる。
ダメ元で頼んでみたが、白波先輩の言ったとおり期待できなさそうだ。
「では本題に入りましょう。単刀直入に言うわ。かしぎくん、私たちの――『組織』の仲間になってもらえないかしら?」
「断る」
俺は即答する。
「昨日も言ったでしょう。俺はお前らの仲間になるつもりも、ましてや殺されてやるつもりもないと。だからこそ、先輩は俺に監視をつけたんでしょうが」
「そうね」
「お前たちの仲間になっても俺にはなんのメリットもないんだ。わざわざ手駒になってやるとでも思ってんのかよ」
素の口調に戻っているにも構わず言い切る。
白波先輩は腕を組んで唸る。
「メリットならあるわ。任務を成功させればそれなりの報酬を受け取れるわ。能力者と戦う命懸けの仕事ですからね。こないだのディクトリア=レグルドのときほどではないけれど、まっとうに稼いでも届かない額であるのはたしかよ」
「金の問題じゃねぇんだよ」
お茶を一口含んで唇を湿らせる。
「『組織』ってのはいわば能力者を刈る側の存在だろう」
「ええ。そうなるわね」
「同じことを繰り返せば間違いなく報復対象になる。そうなったとき直接俺を狙ってくれりゃあいいが、もしも家族やニーナたちに矛先が向かったらどうする? 必ずしも俺が駆けつけられるわけじゃねぇんだ」
「…………」
「それともお前は大したメリットもなしにリスクだけを背負い込めってのかよ?」
幻滅させんなよ、と嘲るように言えば、さすがの彼女も眉をしかめた。
「では『組織』であなたの家族と子供たちの安全は保証しましょう。それでどうかしら」
「悪いが信用できねぇな。安全を保証? 誰がしてくれるんだよ。俺を仲間に欲しいって言ってるお前らが守れるとは思えねぇよ」
俺は白波先輩を睨む。白波先輩もまた、俺を睨む。
どのくらいそうしていただろうか。パタパタと廊下を過ぎる生徒の足音が聞こえた。
「だったら、私に協力して」
「なに?」
眉をひそめて聞き返す。
「私に協力してほしいと言ったのよ」
「……具体的には何をさせようってんだよ」
「簡単なことよ。ある能力者を殺すだけ」
さらりと言ってのけた内容に俺はしばし唖然とする。こんなにもあっさりと現実味のある『殺す』を聞かされるとは思ってもみなかった。
白波先輩はほんきだ。ほんきで、誰かを殺そうとしている。
「ずっと私が追いかけている能力者よ。最近やっと見つけたの。やつは……仮面の男は必ずこの町のどこかに潜伏している。私は、絶対にあいつを許さないッ。見つけ出して、絶対に殺してやるッ!」
瞳にどす黒い怨念を宿した白波先輩には鬼気迫るものがあった。
「雪平先輩や翔無先輩、火鷹に頼めばいいだろう。何も俺である必要はないはずだ」
「だめよ。双獅たちを巻き込むわけにはいかないわ。これはあくまでも私個人の問題なのよ。みだりに彼らを動かすわけにはいかない」
「だったら俺はいいってのかよ」
「端的に言えばそうなるわ」
「ふざけんじゃねぇ」
そう吐き捨て俺は立ち上がる。聞いてるだけで胸糞悪い。不愉快だ。
踵を返して生徒会室を去ろうとすると、後ろから白波先輩に腕を掴まれる。
「離せよ」
強引に振りほどこうとすればできるだろう。しかしそれでは意味がない。諦めさせるには彼女自ら離してもらわねばならない。
「お願い。……お願い、だから」
「断るっつってんだろ。俺はあんたの道具じゃねぇんだ」
「……だったら、あなたに得があればいいのね?」
腕を引っ張られる。油断していたせいで仰け反った体をすぐに立て直そうとするも、それより早く白波先輩の足払いが俺の足を地面から刈り取った。
後ろに傾いていく。白波先輩は空中で胸ぐらを掴むと背負い投げの要領でぐるりと俺を回転させ、ソファに叩きつけた。
そして横たわった俺に白波先輩は馬乗りになる。
「私に協力してくれるのなら、私の体を好きにして構わないわ」
はらりと白波先輩のブレザーが肩から滑り落ちる。
「身長一六四センチ、体重四二キロ。スリーサイズは上から九〇のF、五九、八九――この身体と私の初めてをあなたにあげるわ。お望みとあれば専門書店でも買えないようなことだってしてあげましょう。なんなら前払いで処女を捧げてもいいわ」
艶っぽい声。真っ赤に火照った頬。揺れる双眸。
白波先輩はリボンほどくとワイシャツのボタンを上からゆっくりと外していく。
「男の子って処理が大変なのでしょう? 協力さえしてくれるのなら、今後はあなたが望むとき望むままに応えてあげるわ」
ついにワイシャツまでも脱ぎ捨て、扇情的な肢体が目の前にさらされる。
しかし、そんな光景を俺は冷め切った感情で俯瞰的に捉えていた。
「滑稽だよあんた」
鼻で笑い飛ばし、一瞬にして彼女との位置を逆転させた。
「まさか、俺がお前にそれだけの価値を抱いてるとでも思ってんのかよ? 思い上がりも甚だしい。ここまでだといっそ笑えてくるな」
白波先輩から退いて床に散乱した彼女の衣服を投げつける。
一瞬にして優位を奪われた白波先輩は呆然として受け取り、はっとして生徒会室を去ろうとする俺を引き止めてくる。
しかし俺は応じない。もう終わりだ。
「一つ言っておくぞ。俺にとってお前らなんか、等しくどうでもいいんだよ」
「待って、私はあいつを絶対に……!」
言葉は最後まで聞かない。
俺は生徒会室をあとにした。




