第二章 (2)
気を緩めれば今にもくっついてしまいそうな瞼を必死に持ち上げ、あくびを噛み殺す。
結局あれから話し込んでしまい、寝ついたのは明け方ころだった。ただでさえ朝は機嫌が悪いのに中途半端に寝たせいである意味絶好調である。
「お待たせしました」
「……おう」
家から出てきた真宵後輩に並んで学校へと歩き出す。
昨日は急に呼びつけてしまったせいで準備ができていなかったので、うるさい二人が起きる前に真宵後輩の家に寄ることにしたのだ。弁当は時間がないからと今日は購買で済ませることにして、下着の替えは必要だ。
……なにやら聞くところによると、実は上だけでなく下もだったらしい。
いやほんと、聞かされなくてよかったと思う。
ふらふらとおぼつかない足取り。真宵後輩が寄り添うようにして支えてくる。
「いくら朝が弱いといっても危なっかしすぎませんか?」
「……んなこと言われても仕方ねぇだろ。いいんじゃねぇか。別に戦闘があるわけでもねぇんだしよ」
「こちらには戦闘がなくても車が通るのですから気をつけてください」
「安心しろ。ひらりと華麗に躱してやんよ」
ガッツポーズを作ってしたり顔で言ってみるが、真宵後輩のなんとも言えなさそうな表情を見て自分は何をやっているんだと我に返る。
「おかしなスイッチに入ってませんか? 普段の先輩はそんなことやらないでしょう」
「……いや、今の感じだとなんでもやっちまいそうなんだよ」
極端に眠いせいで普段はやらない方向に爆走してしまいそうだった。
立ち止まって頬を思いっきり叩いて眠気を吹き飛ばす。じんじんと熱と刺激が混ざり合い、しかしほとんど目は覚めていない。
なまじ痛みに慣れているせいでこの程度の痛みでは覚醒できないのかもしれない。いらないところで不便な体だ。
そんなことを思っているときだった。
不意に空間が歪む奇怪音が耳をつついた。
眠気が一瞬にして吹き飛び、歪みの出処に全神経が集中する。遅れて気づいた真宵後輩は初見のためかやや驚いた様子だ。
そして現れる。
「やあやあ、昨日はよくもやってくれやがったねぇ、かっしーやい」
開口一番にそう言った翔無先輩は口角をピクピクと震わせ、電柱の上から俺を高圧的に見下ろしていた。背後には音もなく忍び寄ってきた火鷹がいる。
どちらも気絶させられたことにだいぶご立腹らしい。返り討ちにしてやったというのに敵愾心を剥き出しに戦いを仕掛けてきそうだった。
ていうかよ、翔無先輩。
「俺をその渾名で呼ばないでもらえませんかね?」
「おや? 今ごろになってようやく敬語の使い方を覚えたのかい、かっしー?」
「オーケー。その喧嘩、買ってやろうじゃねぇか」
眼球が熱を帯び、一瞬だけ視界が真紅に染まる。
真宵後輩は背を合わせるようにして火鷹と対峙している。波動が溢れ返り、戦闘態勢を整えていた。
腰を深く沈め、跳躍の姿勢を作り――途端に浮かべていた余裕が引っ込み、代わりに焦りが顔を見せた。
「ちょ、ちょっと待った! 冗談だって。ボクたちじゃあ君たちには勝てないんだから、喧嘩を売っても買ってもらうわけにはいかないんだよねぇ」
「……じゃあなんだよ。そもそもなんで俺んちにいたんだ。いい加減に説明しやがれ」
「説明させてくれなかったのかっしーじゃん」
「やめろっつってんだろ。頭砕かれてぇか」
テレポートで降りてきた翔無先輩に右手を広げて見せながら言うと、顔を真っ青にして後じさりながら全力で首を横に振る。
「は、話をさせておくれよ。ボク、君の手にはトラウマができちゃってるんだから不用意に見せないようにしてほしいねぇ」
翔無先輩は汗を拭う仕草でそう言う。
「…………」
「え、真宵後輩? なにやってんだよ」
俺の手を掴むと、握った拳をほどかせ、翔無先輩に掌を向けた。
「ひいぃっ!? や、やめてって言ってるのになんで見せるのかなぁ!?」
「文句でもあるんですか」
「ない方がおかしいよねぇ!?」
全力で突っ込む翔無先輩に頭痛がしてきた。
眉間を指で揉んで気分だけでも痛みを和らげる。
「……漫才ならよそでやってくれないか。話すつもりがないんなら帰ってくれ」
「ああ待って待って。今からは真面目にするから」
咳払いを挟んだ翔無先輩の「どうせだから歩きながら話そうか」という提案に乗って並んで学校に向かう。
朝早いこともあって生徒たちの姿は見受けられない。
「華憐は君たちならわかってると思うからって言ってたけど、ボクたちが君の家に行った理由に見当はついているのかい?」
「……だいたいな。監視だろ?」
「やっぱえりねぇ」
白波先輩の腹の中までは定かではないが、『組織』が下した命令をよく思っていないとのこと。しかし逆らえば、ほかの能力者を送り込まれて戦う羽目になってしまうだろう。頭の回転の早い生徒会長様のことだから言うまでもなく理解しているだろう。
ならばどうするのか。
妥協案を報告するのだ。
仲間にするか排除するかの二択しかないのは、強力な能力者を野放しにし、いつか牙を向かれるのを防ぐためだ。出る杭は打つ。危険な種は摘んでおく。だが、そいつに危険性がないとわかれば話は別だ。
能力者であるが『組織』に属していない人間はいる。それは有事の際には協力を受け入れ、絶対に敵対しないと約束しているからだ。
そのためには信頼が必要だ。
その信頼を上に報告するために、構成員を貼り付けて監視しようというのが白波先輩の魂胆なのだろう。
「それなのに監視員であるボクたちを気絶させちゃったら意味ないじゃないか。……昨日の分、華憐にどう報告したらいいんだよもう」
ていうかさ、と翔無先輩は俺の前に出てぐいっと接近してくる。
彼女の黒髪が揺れ、さわやかな甘い香りが鼻孔を撫でた。
「わかってるんだったらなんで気絶させちゃうわけ? 君たちのためって言うのは押し付けがましくて好きじゃないんだけど、やっぱり君たちのためにやってるんだよ?」
「人の部屋を物色するのが俺のためなのかよ」
後ろ向きで両手を後頭部に回す翔無先輩のおでこを小突くと、慌てて足を踏み変えてバランスをとる。
翔無先輩の恨みがましい視線を無視してやれば、観念したように肩を落とした。
「ボクたちにすれば君たちがむやみに力を振るったりしないのはわかっているんだよ」
「案外、私欲で暴れるかもしれねぇぜ?」
「ほんとうにやる人間はそんなこと言わないだろう? 君は誰かのために力を使える人間だよ。ボクが挑発したときも、真宵ちゃんのことを引き合いにした途端に怒った。真宵ちゃんもそうだったみたいだねぇ。そんなふうに誰かを思いやれる心がある君たちが、能力を使って暴れるはずがないよ。じゃなきゃ、『機械人形』のあの子が君たちにあそこまでなつくわけがないしねぇ。今朝方まで仲良くおしゃべりしてたみたいだし」
「…………」
なんだよ。しっかり起きてたんじゃねぇか。
ひそかにそう思っていると、いひっと笑って翔無先輩は小さく舌を出した。
不覚にもその姿に目を奪われた俺の脇腹に、突如肘鉄がヒットした。
「デレデレしないでください。みっともない」
「お、お前……!」
つんと澄ます真宵後輩。
こいつの一撃ってきつい場所を的確に抉ってくるから気を抜いて食らうとマジで悶絶するはめになる。
「君たちってもしかして付き合ってるのかい?」
「なっ……!」
真宵後輩はわずかに硬直すると真っ赤になって震えた。
「だって恋人でもなかったら夜中に迎えに行ったり泊まったり、おんなじ布団で眠ったりしないだろう?」
「べ、別に恋人でなくてもそれくらい……」
「やらないよね?」
しどろもどろになる真宵後輩に畳み掛けるように翔無先輩は言葉を重ねる。
「というかさ、君たちの関係って不思議なんだよねぇ。なんていうか、ただの先輩後輩じゃあないよねぇ。――いうなれば歴戦の戦士たちがお互いを信頼しあうような、未開の地から二人で協力して帰ってきたような、言葉では言い表せない関係性に思えるんだけど」
猫のように丸い目を鋭く尖らせながら口元には笑みを絶やさない。
心のなかを見透かすような翔無先輩の瞳に、俺は背筋に言い知れない恐怖が走った。
なんだこの人は。なんでこの人は、俺たちの内側にこうもあっさりと踏み込んでこれるんだ――!
「んふふ。どうしたんだい、かっしー?」
「とぼけんなよ、翔無先輩」
愉快そうに翔無先輩は笑う。
俺は翔無先輩を侮りすぎていたのかもしれない。まがりなりにも彼女は『組織』に属する能力者で監視員だ。一筋縄でいくはずがなかったのだ。
交錯した視線が火花を散らす。
「……それよりお二人の関係は?」
「おおッ、そうだったそうだった!」
これまで話に加わらず静観していた火鷹の余計な一言のせいでうまい具合に逸れていた話題に軌道が修正されてしまった。
「さあさあさあ! 嬉しいことに時間はたっぷりあるよ。洗いざらい話してもらおうか」
「……まさかそんなことまで報告するつもりじゃねぇだろうな?」
「えっ?」
翔無先輩はきょとんとすると、すぐに「ああっ」と手を打った。
「その通りだよ! 君のことは上に報告しないといけないからねぇ。人間関係もばっちり調査しないとねぇ」
「言わねぇからな」
「えええぇぇ! いいじゃないか減るもんじゃないし」
「先輩と関わるだけで俺の精神力がガリガリ削られてんだよ」
こめかみ付近で血管が脈動した。
正直、この数分だけでストレスがとんでもないことになっている。下手な茶々を入れられたらキレる自信がある。
「じゃあ聞き方を変えよう。かっしーは真宵ちゃんのことをどう思っているんだい? まさかただの後輩だとは思っていないだろう?」
この人は言いにくい質問をズバズバとぶっこみやがって。
苛立ちのあまり無造作に髪をかき混ぜる。
「いちいちうるせぇんだよ。てめぇには関係ねぇだろがッ」
なるべく平静を装って言ったつもりだったが、それは吐き捨てるような邪険な響きを両者の間に落とした。
感情的になったことで居心地の悪さを覚え、舌打ちをこぼして一人でさっさと校門をくぐる。後ろから足音が聞こえてくる。こんなときでも真宵後輩は俺の傍らにいてくれるらしい。
離れ際の「さすがに踏み込みすぎちゃったか」という翔無先輩の呟きは聞かなかったことにした。




