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Re:氷天の波導騎士  作者: 牡牛 ヤマメ
01〈勇者の帰還〉編
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第一章 (2)

 

 耳元で鐘が鳴り響いていた。

 目覚まし時計のベルの音だ。

 頭の中を掻き回される不快感に耐えられず、その時計に仰向けのまま拳を落として黙らせる。部品が壊れる不吉な音がしないでもなかったが、構わず安らかな眠りに戻ろうとしたところで、逆襲とばかりにベルが耳をつんざいた。

 苛立ちを溢してもう一度破壊を試みるが、しかし今度は黙らない。

 モゾモゾと寝返りを打って片目を開いて確認すると、ベルを止めるスイッチが壊れていた。

 仕方なく薄手の毛布を取っ払って時計の裏側の蓋を開け、二本の電池を抜く。ピタリと鼓膜を刺激する音が止み、それと一緒に時を刻むのもやめてしまった。

 最後の一節だけなら詩的に聞こえなくもないが、これは単なる事実であって比喩ではない。詩として書き記すには不十分だろう。

 時計の代わりに充電器に差しっぱなしの携帯電話で時間を確かめる。

 タイマーは正常に作動していたらしく、いつもと変わらない時間の起床となっていた。時計も俺が雑に扱わなければ壊れなかったのだから、当然と言えば当然だった。

 眠気の覚めない頭を働かせてベッドからフローリングに足をつけ、寝巻きにしていた簡素なシャツと短パンを脱ぎ捨てる。ハンガーに掛けてあった制服のズボンを穿いてワイシャツを着込み、パーカーに腕を通してその上からブレザーを羽織る。

 凝り固まった肩を回して解す。何枚も重ね着してるだけあって、ごわごわして動かしにくかった。

 机に置いた異世界を旅した証である首飾りに紐を通して頭から胸に下げる。

 ひと通り準備を済ませると、


「兄ちゃん、朝だから早く起きなよ……って起きてんじゃん」


 部屋のドアを開けて、その隙間からひょっこりと見慣れた妹が顔を覗かせた。

 凶暴なというより好戦的に尖った目つき。栗色の髪は肩口でざんばらに切り揃えられ、見ようによってはやんちゃな少年に見えなくもないボーイッシュな容姿をしている。

 セーラー服の上にエプロンをつけた格好のつみれは、支度を済ませていた兄を見て驚いているようだった。


「どうしたんだよ兄ちゃん、あたしが起こす前に起きてるなんて珍しいね」

「俺が自分で起きるのがそんなにおかしいか?」

「ううん、そんなことないよ。あたしが兄ちゃんを起こす手間が省けて助かるし。前は早起きなんかしなかったから言っただけ。朝御飯できてるから、早く降りてきてね」


 矢継ぎ早に告げて階段を降りていく妹の後ろ姿を見送り、俺も一階のリビングに入る――前に洗面所に行って顔を洗うことにした。

 俺は鏡に写る柄の悪い少年を一瞥する。前髪で片方の目は隠れ、残る片方は眠気が覚めきらず半眼でピクピクと痙攣している。愛用するパーカーはくたびれて色褪せているも、それがちょうどいい具合になっていた。寝不足のためか、眼が真っ赤に充血して――、


「ん? 充血……?」


 洗面台から身を乗り出して鏡に近づき、真っ赤に染まった目を覗く。

 するとそれは充血などではなく、俺が異世界にいた頃、力を使う副作用として虹彩が真紅に彩られる現象とそっくり――いや、そのものだった。

 慌てて胸元をはだけさせ、シンボルマークのように胸の中央を陣取る首飾りを手に取る。

 しかしそれは帰ってきてから変わらずくすんだ・・・・ままの、濁ったままの金色だ。輝かしい煌めきはすっかり影を潜めており、とても元の力を取り戻したようには見えなかった。

 俺と真宵後輩が勇者の力を手にいれたのは、この装飾品があったからだ。身体を適正値に達するよう作り替えられ、勇者にさせられたのだ・・・・・・・・・

 異世界から帰還した俺は、それもなくなり、一介の高校生レベルの身体能力しかない。

 つまり異世界に召喚された記録のないこの身体では、力を使えないはずなのだ。


「おいおい、どうなってんだよ」


 しかし、これは紛れもなく力が発動している。


「まさか……」


 掌に球体をイメージする。内より溢れるエネルギーを渦を巻くようにして凝縮させる想像。

 すると肩から指先にかけて右腕全体を激痛が駆け抜けていった。眠気はあっという間に置き去りにされ、視界が霞み意識が薄れ、足元から崩れ落ちそうになるのを、これまで培ってきた気合いと根性だけで繋ぎ止める。

 乱れる息を整えつつ、ひとまず状況だけは理解できた。


「おーい兄ちゃん? 早くしないご飯冷めちゃうよ……って兄ちゃん!? ど、どうかしたの? もしかして具合悪い?」


 洗面台の縁に掴まって体を支える俺を見たつみれが、心配そうにして背中を擦ってくる。

 俺は彼女の肩を押して「大丈夫だ」と返す。

 右腕の痛みも引いてきたので立ち上がろうと途中まで膝を伸ばしたところで、はたと動きを停止させる。力を使えるか試したものの、虹彩の変化は完全にノータッチだったのを思い出したのだ。

 つみれに悟られないよう顔を少しだけ傾けて鏡を見れば、案の定、真っ赤に染まったままだった。

 色の戻し方、というか、オンオフを切り替えるように力のスイッチを切れば元に戻る。だが右腕の前例があるだけに踏み出す勇気がない。

 もしあれだけの痛みが眼球に訪れようものなら、絶叫しながら床をのたうち回ることになるだろう。


「…………」


 心の準備として深呼吸を挟む。つみれが心配そうに気遣ってくれている。

 俺は意を決してスイッチをオフにした。

 びくりと肩が大きく跳ね、訪れたかもしれない痛みがなかったことに、思わず安堵の息を吐いた。

 鏡に写る少年の目は、元の黒色に戻っていた。


「兄ちゃん大丈夫? 具合悪いんだったら学校休みなよ」

「もう大丈夫だ。心配してくれてありがとな」


 そう言ってつみれの髪撫でる。さらさらと指の隙間を栗色の髪がすり抜けていく。


「ふわっ!? ちょ、兄ちゃん、髪はぐちゃぐちゃになるだろ!」


 つみれに払われた手が行き場をなくし、宙をさ迷った。

 昨日の男子生徒を思いだし、きっと彼もこんな気持ちだったんだなと密かな共感を抱きつつリビングに足を運ぶ。 香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、たった今思い出したように空腹でお腹が鳴った。

 すでにつみれは食べ終わったらしく、俺の席の向かいにある食器は空だ。それをせっせと流し台に運ぶエプロン姿の少女からは、さっきまでの気遣いは窺えなかった。


「遅れると悪いからさっさと片しちゃって。あ、でもちゃんと噛んで食べないとダメだからね」

「お前は俺の母さんか」

「妹だよ」


 そんな軽口を叩きつつ、椅子を引いて腰を下ろす。今日の朝食のメニューはスクランブルエッグやベーコン、白米が大盛りの茶碗の脇にはスーパーで買った四個入りの納豆が置かれ、その隣には味噌汁があり、テーブルの真ん中にはサラダがあった。

 サラダが不自然に寄っているのはつみれが箸をつけたからだろう。


「いただきます」


 誰に言うでもなく両手を合わせて挨拶すると、


「召し上がれー」


 洗い物をするつみれにそう返された。誰かに言ったつもりがなくても、部屋に二人しかいないのだから自分が言われたと思ってもおかしくはないだろう。

 

「そういえば兄ちゃん、最近なんかいいことあった?」

「あ? なんでだよ。別になにもないけど」


 唐突な質問に箸を休めず簡単に答えておく。


「ほんとに?」


 疑うように目を細めるつみれ。ないと言えば嘘だ。異世界に召喚されて五年にも及ぶ旅をしてきたのだから。だがそれを言っても信じてもらえるわけがない。


「なんか最近の兄ちゃん前と違うっていうか、話しやすくなったっていうかさ。雰囲気が柔らかくなった気がするんだよね」

「そうか? 特になにかが変わったとは思わねぇけど」

「変わったよー。あたし、実は兄ちゃんのことちょっと苦手だったんだよ。たぶん兄ちゃんはそんなつもりないんだろうけど、朝起こすとすっげー目つきであたしを睨んできてさ。今だから言うけど、毎朝兄ちゃんを起こすのってけっこう勇気振り絞ってたんだよね」

「な、なんか悪かったな」


 俺の目つきの悪さは友人たちの折り紙つきである。しかも低血圧で寝起きは機嫌の善し悪しに関わらず目尻が鋭く高く尖るものだから、たとえ兄妹とはいえ、同じ家に二人しかいないのに年上の男にそんな目で見られら怖くないわけがない。

 申し訳なさいっぱいで頬張っていると、あはははとつみれが笑いだした。


「謝んなくていいって。兄ちゃん、睨んでたわけじゃないんだろ?」

「当たり前だ。大事な妹を睨むわけねぇだろ」

「あたしも兄ちゃんのこと大好きだぜー」


 水を止めながらつみれは何気ない口調で言う。濡れた手を拭いてエプロン脱ぎ、綺麗に折り畳んでテーブル脇のかごにしまう。


「今はそんなこと全然ないし、今日なんか一人で起きてるしさ。前だったら目覚ましが鳴ってあたしが呼びに行かないと布団から出てきてもくれなかったじゃん」

「そ、そうだったか? いやいや、兄ちゃん、そんなじゃなかっただろ」


 心当たりありまくりで声が裏返る。これでは肯定しているようなものだった。

 インターホンが家中に響き渡る。


「こんな時間に誰だろう? ご近所さんかな?」

「にしたって早すぎるだろ」


 まだ七時を過ぎてそう経っていない。親切にしてくれる近隣の人たちも、この時間帯は俺たちが忙しかったりすると知っているので家に訪れることはほとんどない。ほとんどというだけで全くではないから、もしかすればお隣さんかもしれない。

 つみれがパタパタと駆けていくのを横目で見、俺は味噌汁をもう一口含もうとすると、


「に、にににに兄ちゃん!」

「ぐむっ……!」


 血相を変えて全力疾走してきたつみれが、俺の脇っぱらに突撃してきた。おかげで胃のなかに入れて間もない朝食が逆流しそうになり、口の中の味噌汁を噴出しそうになる。強引に喉を鳴らして飲み下し、さしあたって迫った危機を回避する。

 しかし突撃された勢いは流しきれず、つみれに抱きつかれた格好のまま椅子から転がり落ち、床に後頭部を強かに打ち付けた。

 昨日に引き続き頭部へのダメージを受け、おでこの反対側にもたんこぶを量産したのではないかと触ってみようとして、何か柔らかい物体を握っているのに気づいた。

 二度、三度と開閉してみれば、艶かしい喘ぎが真下から聞こえてくる。

 正体を察した俺は無言で腕を引き抜いて本来の目的を実行する。たんこぶはなかった。


「兄ちゃん! 妹のおっぱい揉んでる場合じゃないよ! あ、あたし、もうダメかもしれない!」

「見る限りじゃあ元気いっぱいでダメな要素がどこにも見当たらない上であえて訊くけど、何がダメなんだ?」


 俺から退いたつみれは直前に胸を揉まれたことなど忘れてしまったように、女の子座りのまま身振り手振りで伝えようとしてくれる。


「げ、玄関開けたら、制服着た天使が迎えに来てたんだよ!」

「よしまず落ち着け。玄関開けたとこしか理解できん」


 深呼吸を何回か繰り返すつみれ。ようやく冷静になり、今さら胸を揉まれたのが恥ずかしくなったらしく俺から距離を置いた。


「で、天使ってなんのことだ?」

「そうだよ! あ、あたし、お迎えが来ちゃったんだよ!!」


 どっちにしろ相変わらず要領を得なかった。


「……お迎えってあれか? 死ぬ直前に天使がお告げに来る?」

「そうそれ! あたし、兄ちゃんとお別れみたいだね」


 目を細めて斜め上に視線を向けたつみれの横顔は、何かを悟ったように仏を彷彿とさせるものとなっている。わりと余裕のある反応からしてふざけて言っているのだろう。ただ、天使を見紛う人物が訪ねて来たということか。

 虚ろな目をするつみれの肩を軽く叩いて立ち上がり、玄関にほったらかしにされているだろう人物を迎えにいく。

 そこには、予想通りの少女が不満げに待ち構えていた。


「私、言葉を交わすとほぼ確実に嫌われるのですが、初対面で悲鳴を発して逃げられるのはさすがに未知の体験です」


 つみれに天使と間違えられた少女は困惑を多分に滲ませて呟く。


「お前を天使と間違えたんだとさ。天国から迎えが来たんじゃねぇかって」

「迎えに来るのは天使というより死神だと思うのですけれど。……ところで先輩、さっきの女はなんですか?」


 恐ろしい剣幕で詰め寄ってくる真宵後輩に暑くもないのに汗が背中を流れた。無表情が異様な威圧感を醸し出し、質問されただけなのに拷問の真っ最中のような居心地の悪さが肌に絡みつく。ちなみに拷問は身を以て体験している。


「女って言うな女って。あいつは俺の妹だ」

「……どこから拐ってきたんですか? 今からでも構いませんから出頭しましょう。行きづらいなら私もついていきますから」

「正真正銘、血の繋がった俺の妹だよ。勝手に拐ってきたことにした挙げ句、牢屋にぶちこもうとしてんじゃねぇよ。余裕で脱獄してきてやるわ」

「そういえば脱獄もやりましたね」

「誰かさんがポカやらかしてくれたおかげでな」

「誰のことを言っているのですか?」

「鏡見てこい」

「失礼なこと言いますね。身嗜みはしっかり整えてきました」

「そういうことじゃねぇよ……はぁ」


 朝からどっしりと重くなった肩に辟易しながら、半身になって真宵後輩を招き入れる。


「いいのですか?」

「ああ。どうせ早く行っても絡まれるだけだからな」


 敷居を跨ぎ、ローファーを脱いで用紙したスリッパに足を通した真宵後輩を連れ立ってリビングに入る。律儀に挨拶を溢した真宵後輩を見るや、物陰に隠れて顔だけをはみ出させたつみれが、小さく悲鳴を上げて驚愕に目を見開いていた。


「あ、あたしだけに飽きたらず、兄ちゃんまで連れていくのか!?」


 どうやら我が愚妹は未だに真宵後輩が天使の類いだと勘違いしているらしい。ふざけているだけに見えたのは、俺が見間違えただけだったようだ。

 髪の生え際辺りに掌を当て、やれやれと首を左右に振る。


「こいつは天使なんかじゃねぇよ。どっちかっつうと悪魔だ。そんで俺の後輩だ。生物なまものだ」

「気味の悪い表現で紹介しないでください。生首にしますよ」

「バイオレンスすぎんだろ……」


 しかもこいつなら平然とやりかねないので笑えない。

 そんな俺たちの馬鹿馬鹿しいやり取りに毒気をいくらか抜かれたつみれは、恐る恐る真宵後輩に近づき、彼女の周りを彷徨いて実態があるのか確かめ始めた。

 いい加減しつこいことこの上ないけれど、真宵後輩の容姿は虚構の産物、あるいは幻覚としか思えないほど優れたものだからだろう。醜くてどす黒い内面を垣間見た俺でも、その造形には心奪われるときがあった。

 真宵後輩は不快そうに眉の間に皺を刻みつつも、つみれの行動を咎めようとしない。仕方なく我慢しているようだった。

 しばらくしてつみれが手を打つ。


「いつの間にこんな美人な彼女できたの? 兄ちゃんが変わったのって、この人のおかげなんじゃないの?」

「ん? そうだな……」


 腕を組んで思案の体勢を作る。

 俺が変わったというのなら、それは異世界での五年間があったからだ。 戦うすべや人との接し方、物事を側面から捉えること――多くのことを理不尽の塊、弱肉強食を地で突き進む世界で学んだ。

 そう考えれば真宵後輩と出会ったから変わったというのは、ある意味的を射ている。が、訂正しなければならない箇所がある。


「俺とこいつはそんな関係じゃねぇよ」


 下手ない勘繰りをするつみれに訂正を促す。


「え、そうなの? てっきりそうだとばっかり」


 きょとんとするつみれ。


「ただの後輩だって言ってんだろ。確かにこいつと関わってから考え方が変わったってのはあるけどさ」


 ふーん、と興味なさげに相槌を打ったつみれは真宵後輩が無害だとわかった途端、さっきまでの態度を一転させて何故か尊敬の眼差しを送っている。


「あたし、冬道つみれです。あなたは?」

「藍霧真宵です」

「真宵さんかぁ。これからも兄ちゃんのこと、よろしくお願いします!」

「ええ。よろしくしてあげます」


 何やら聞き捨てならないやり取りがあったようだが、言及すると面倒そうなので、あえて聞かなかったことにする。よろしくしてあげますとか上から目線で言ってんじゃねぇよ。


 

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