第一章 (3)
教室に入ると自分の席に直行する。ついこの前に席替えがあり、俺の席は窓際の最後尾を位置取ることになった。
そして何の偶然か、アウルの席は俺の右隣になった。
転校初日からおかしな行動をしたせいもあってしばらくクラスに馴染めていなかったものの、持ち前の社交性を遺憾なく発揮したのか今では昔馴染であるかのように溶け込んでいた。
なにやらアウルの中世的な容姿は女子生徒に人気があるのか、登校してきた途端にわらわらと席の周りに群がってくる。
それを煩わしく思いながら頬杖をついて窓の外を見下ろすと、のそりと前の席の背中が起き上がった。
「……よっす冬道、おはよー」
気怠そうな口調で彼女が挨拶してくる。俺も返事をしようと途中まで口にしたところで、ぎょっとして頭を頬杖から落としてしまった。
「うわ、お前どうしたんだよ? 体調悪いのか?」
俺は表情を引き攣らせながら訊ねる。
柊詩織は具合の悪そうな真っ青な顔でぎこちない笑みを作る。
「あーうん、ちょっとな。体が重いっつうかなんつうかさ」
どういう原理なのか、後頭部で一つに結われた茶髪が元気なく萎えている。いつもの勝気な表情は沈んでおり、無理をしているは明白だった。
切れ目の長い双眸は俺の凶悪な眦とは違い、格好いい造りをしている。ただしそれも今は力なく垂れ下がっていた。
「なんか最近肩こりがすげぇし胸が苦しいしさ……なんでなんだろうな?」
「それ体調悪いのと関係ねぇだろ。ただ成長してるってだけだろ」
「え、マジかよ」
真顔で訊き返してきた柊は自分のお胸様を見下ろす。
俺が知ってるわけねぇだろ。
「こないだ買い替えたばっかなのに大きくなるとかなんて迷惑なおっぱいなんだ。冬道、もいでくんね?」
「やっぱりお前あれだわ。調子悪いんだわ。もげるわけねぇだろ」
「えー? だって冬道、前にあたしのおっぱいもぐって言ってたじゃんか」
「冗談を真に受けてんじゃねぇよ。つうか自慢の胸なんじゃねぇの?」
「取り外しできたらいいんだけどなぁ」
柊はぐったりと俺の机に寝そべると熱い吐息をこぼす。
サイズが上がったらしいお胸様が柔らかく形を変えたのに思わず目線が持っていかれる。
「おいおい大丈夫かよ。保健室行ってきたらどうだ? 連れてってやるぞ」
荒く呼吸を繰り返す柊を見かねてそう提案する。
「あー……別にいいや。しばらくしたらたぶん治るから」
「あ? そうなのか?」
うん、と柊はポニーテールを揺らす。
「あたし、七月が誕生日なんだよね。冬道も知ってるだろ?」
「知ってるも何も去年にプレゼント渡しただろ。その髪ゴムよ。忘れたのかよ」
柊の髪を指差して言えば、彼女は嬉しそうにはにかむ。頬がほんのりと紅潮しており、弱々しさとも相俟ってどこか扇情的な雰囲気を放っている。
「覚えてるに決まってんだろ。じゃなかったら使ってねぇって。だけど誕生日に安物ってどうなんだ?」
「うるせぇ。なにプレゼントしたらいいかわかんなかったんだから仕方ねぇだろ」
ちょうど髪が長くて邪魔だなあ、と言っていたのを覚えていたので、数少ない友達だし祝いたいなとプレゼントしたのだ。
ぬいぐるみとかの方がいいかとも思ったが、柄でもないのにそんなものを渡して引かれても嫌だったので髪ゴムをチョイスしておいた。
「まあ、最高に嬉しかったんだけどさ」
「……で、誕生日がなんだってんだよ?」
気恥ずかしさを覚えて、頬を掻きながらぶっきらぼうに言う。
柊は見透かしたようにニヤニヤしている。こっち見んじゃねぇよ。
「なんでか知んねぇんだけど、誕生日が近くなると妙に調崩しやすくなるんだよ。毎年のことだからもう慣れたけどさ」
「去年は元気そうだったじゃねぇか」
「重いときと軽いときがあんだよ。今年はちょっとキツめかもなぁ」
軽い口調で言っているが、めったなことで弱音を吐かない柊がそう口にするということは、見た目よりずっと苦しいのかもしれない。
「そこまで無理して来ることもなかっただろ。勉強だって、お前なら一日休んでもすぐに追いつけるだろうしさ」
「いやいや、三年間無欠席を目指すあたしとしちゃあ、これくらいで休むわけにはいかねぇわけよ」
「……んな下らねぇことしてないで自分の体を労われよ」
「くだらねぇって言うなよ! 別にあたしがやりたいだけなんだからいいじゃ……」
机を殴って立ち上がった柊だったが、言いかけた途中でふらりと体勢を崩した。
ぎょっとした俺は反射的に椅子を離れて柊の体を抱きとめる。腕のなかの彼女はとんでもない熱を帯びていた。
驚いて横顔を見ると、直前まで軽口を叩いていたとは思えない、辛そうな表情をしていた。
「はははっ……わりぃわりぃ、ちょっとふらついちまった。でも大丈夫だからさ」
「俺をバカにしてんのかよ。全然大丈夫じゃねぇだろ、それ」
「だ、大丈夫だって。いいから気にすんなよ」
「黙ってろ。……保健室行くぞ」
柊の腕を首の後ろに回して肩を貸す。
頑なに保険室に行きたがらない彼女の言葉を無視して教室を出ようとすると、
「――やめてくれってっ」
決して大きな拒絶ではなかった。
だが、振り払われた腕はどうしようもないほどに果てしない拒絶を含んでいて、二歩三歩とたたらを踏んだ俺は絶句してしまった。
「冬道は、心配しすぎなんだよ」
柊の声で放心していた俺は我に返る。
心なしか敵意のこもった言葉と無理をするその姿に苛立ちが募った。
感情が爆発しそうになる。
「なっ……?」
「え、なに。どうしたんだよ?」
なんだったんだ、今の……?
きょとんと首を傾ぐ柊を前にして俺は我が目を疑った。右側の景色しか映さない我が目を疑った。
なにせ柊の双眸が一瞬だけ真紅に染まったからだ。
「おかしな冬道、だ……な……」
「あぶねっ……!」
糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちた柊が床に打ち付けられる前に体を滑り込ませ、ギリギリで支える。
「立っていられねぇんじゃあもうだめだな。お前がなんて言っても保健室に連れてってやる。一人が嫌なら俺が傍にいてやるからよ」
ひとまずさっきのことは頭の片隅に留めておくことにしよう。今はこいつを休ませねばなるまい。体調不良で倒れられたら洒落にならん。
もう一度肩を貸して立ち上がせる。またも反抗してくるが弱りきった柊の力など微々たるものだ。
俺はアウルに柊を保健室に連れていくと一言だけ告げ、教室を出る。
「いいって、言ってんのに」
ほんきで恨めしそうに俺を睨みながらぼやく。
「いいわけあるか。一人じゃあまともに歩けねぇのに強がってんじゃねぇよ」
「……うっせ。いいじゃんかよ、あたしなんかほっとけば」
「そうできたらいいんだけどな。俺には目の前で苦しそうにしてるお前を無視なんてできねぇよ」
そう返答して階段を降りる。
普段から使わない保健室。いざ行こうとするとひどく遠く感じる。
「冬道はどうせ、あたしじゃなくても助けるさ」
「あ? どういう意味だよ?」
「そんままだよ。お前は優しいから」
何をわけのわからんことを言ってるんだろうか。優しいとか言われたことねぇぞ。
「……優しいから、余計に勘違いしちまって、苦しいんだ」
「なんだって?」
「あーあ、お約束かよ。なんでもねぇよバーカ」
呆れたような疲れたような嘲笑をこぼした柊。
「言いたいことがあるならはっきり言えよ」
「――じゃあ言わせてもらうわね」
「……なに? 誰だよお前」
柊を支えながら首だけで振り返れば、そこには二人の女子生徒が立っていた。
見たところ上級生と下級生だろう。よく見れば、上級生の方は生徒会長様じゃあねぇか。やべ、思いっきりタメ口だったよ。
「白波華憐よ、冬道かしぎくん?」
そう名乗る生徒会長様。女の子にしては高めの身長で、長い栗色の髪をおしゃれに結い上げている。白い肌にいかにも強気そうな綺麗な顔立ち。得体の知れない、思わず屈服しそうなオーラを身にまとっていた。
「じゃあ白波先輩。なんか用ですか?」
というか、なんでこの人は俺の名前を知ってるんだ。
「ホームルームが始まるというのに、うろうろしている生徒がいて気になったのよ。それで、あなたは何をしいているのかしら? 隣の彼女はずいぶんぐったりしているようだけれど」
「見ての通りですよ。こいつが体調悪いってんで保健室に連れて行くところです」
「そう」
白波先輩はそう相槌を打つと、
「……え?」
反対側の腕を肩に回して柊を支えてくれた。
「なによ、そんなに不思議そうな顔をして。別におかしなことはしていないでしょう?」
「いや、そりゃあ、そうですけど」
「ずいぶん歯切れ悪いわね。そんなに意外かしら?」
白波先輩は不思議そうに言うと、俺が歩き出すタイミングに合わせて一緒に歩きだした。下級生の子も俺たちの負担が減るようにか、後ろから支えてくれている。
「後輩が困っていたら、助けるのが先輩でしょう? それに、そんなに大変そうなのに見て見ぬフリはできないわ」
「……すみ、ません」
かすれた声の柊に俺は思わず言う。
「ばか喋んな。お礼なら俺があとから死ぬほど言っておくからよ」
「期待しておくわね」
「…………」
言質はとったとばかりに微笑む白波先輩に嫌な予感を覚えて表情を引き攣らせる。
こういうときの勘って妙に的中するからバカにできねぇんだよなぁ。
「ほら、ついたわよ。保健医は職員室にいるみたいだから、彼女が眠るまで傍にいてあげても問題ないわよ?」
「……いいんですか? ホームルーム、サボることになるんですけど」
「構わないわ。ほんとうは、あなたの顔を見に来ただけだもの」
「はぁ?」
俺を、見に来ただと? そういえばこいつ、俺のことは知ってたくせに柊のことは知らないみたいだった。
かすかに芽生えた疑念を育てようと思考を開始するが、直後に肩に乗っていた重みが元に戻った。驚いて白波先輩を見れば、踵を返してこちらに背を向けていた。
「またね、かしぎくん?」
白波先輩はいたずらっぽい笑みを見せて去っていく。下級生の子もぺこりとお辞儀してからそれについていき、廊下の向こうに消えていった。
「おいおい、なんのフラグだってんだよ……」
どこからか真宵後輩の悪態が聞こえてきて溜息をついてしまう。
「とりあえず、柊を休ませねぇとな」
保険室のドアをスライドさせた。




