第一章 (1)〈生徒会への誘い〉
「朝ですよかしぎ先輩。さっさと起きてください」
頭のなかを直接掻き回されるような強烈な刺激に、俺は薄手の毛布を剥ぎ取って飛び起きた。未だ覚醒半ばのまま首を振って辺りを見渡す。
よく見慣れた部屋だ。簡易テーブルに小ぶりな本棚。窓側近くの机の上には高校入学祝いに買ってもらったノートパソコンが薄く埃を被って置かれてある。
そしてベッドの傍らには、フライパンとお玉を手にした少女が佇んでいた。
「おはようございます。爽やかな朝ですね」
「……フライパンで叩き起こされて何が爽やかだよ」
俺は低い声でうなるように言う。
神秘的な美貌の少女だった。きめ細かい、透き通るような白い肌。それを際立たせている黒曜石のような髪を頭の脇に一つに結っている。パーツのひとつひとつが彼女のために作られ、芸術的なまでに精巧に配置された綺麗な顔立ち。細身で華奢だが、儚げな印象を抱えながら冷たい刃のようだった。
奈落の底、あるいはハイライトを描き忘れたような無感情の瞳で俺をまっすぐ正面から見つめている。
藍霧真宵。彼女の名前である。
アグレッシブな起こされ方をしたせいでガンガンと痛む頭を押さえ、非難の眼差しを向ける。
「いいではないですか。こんなに可愛い後輩に起こしてもらえたんですよ? むしろお礼を言ってもらいたいくらいです」
しかしこの後輩、悪びれた態度ひとつ見せることなく平然と言ってのけやがった。
「だったらもう少しまともにやってくれ。俺だけじゃねぇんだからよ」
ここ最近は部屋に一人でいる方が珍しいほど入り浸られている。
昨日も一緒に寝てほしいとかで夜遅くに訪問されたのだ。
「なに言ってるんですか。起きてないのは先輩だけですよ?」
「は? そんなわけ……」
ないだろ、と言いかけてベッドの上に自分しかいないことに気づく。
どうやら先に起きてリビングに行ったようだった。
「いつまでも寝ぼけていないで、さっさと顔を洗ってきてください。朝食が冷めてしまいます」
「お前が作ってくれたのか?」
「私は少し手伝っただけです。そんなことはいいですから、早く支度してください」
「へいへい。わかりましたよ」
小言の煩い後輩に従って着替えをして、部屋を出て洗面所に向かう。
鏡の前に立ち、そこに映った柄の悪い男とにらめっこする。左目を隠すように伸ばされた前髪。もう片方の目は眠気が覚めきらず半眼でピクピクと痙攣していた。凶暴に吊り上った眦は、十七年間共にしてきた俺でさえどうよと思うほどだ。
不機嫌というわけではないのにやけに不機嫌そうに見られるのは、間違いなくこの目付きのせいだ。
面白く跳ねた寝癖を手櫛で適当に直してリビングに戻ろうとすると、てこてこと幼い少女が洗面所に入ってきた。
まだ眠いのかぐしぐしと目をこすっており、顔を上げて俺のことを見つけると、
「おにい、さん……おはよう、ございます……!」
ひまわりが咲いたような笑顔で抱きついてきた。
俺はいきなりのことで驚きながらも、彼女をしっかり受け止める。
「おはようニーナ。昨日はよく眠れたか?」
「おにい、さんが……一緒、でしたので」
「そっかそっか。ならよかったよ」
わしゃわしゃとの髪を撫でるとニーナは嬉しそうにはにかんだ。
ニーナ・ウィリアムズ。それが彼女の新しい名前だ。数日前に正式に戸籍を得たのだ。
クリーム色のわずかにウェーブのかかった髪。今年で十歳になったばかりで当然ながらあどけなさはあるが、それでも将来は美人になるだろう魅力を持っていた。
左右で袖や裾の長さの違う衣服の下から覗く右手と左足には包帯が巻かれている。怪我をしているわけではない。
この下は、文字通り人間をやめた二肢が装着されているのである。
『機械人形』と呼ばれる人造兵器に改造された被験者の一人だ。元は身体に不自由を抱える人々のために進められていた研究を悪用し、戦いの道具にしたのだ。
道具のように扱われていた彼女を一ヶ月ほど前に保護。今では半ば同居するような形になっていた。
「二人ともご飯冷めちゃうってばー」
我が妹である冬道つみれのしびれを切らしたような声が廊下まで届く。
「これ以上待たせるときキレられんな、あのトーンは」
冬道家には暗黙の了解があり、その一つにご飯はみんなで食べるというのがある。
両親が共働きで家を空けるのが常で、俺たち二人しかいない空間で各々で食事を済ませてしまうのがどうしても嫌らしく、自然と一緒に食卓を囲うようになっていた。
それは騒がしくなってからも健在のようで、起きるのが遅い俺は真宵後輩やつみれに毎朝たたき起こされるのである。
「い、急ぎ、ます……!」
俺の言葉を真に受けたニーナが腕を力いっぱい引っ張ってくる。『機械人形』の腕力に逆らえるはずもなく、なすがままに引き摺られる。
ニーナは今まで暴力を受けてきたせいで、ある程度緩和されてきているものの、誰かに怒られることに極端に怯えてしまうのだ。
やっちまった、と己の失態に反省する。
「おはよう、冬道。すまないな、毎度毎度お前のところに」
リビングに入ると凛とした声が気持ちよく鼓膜を振るわせた。
コーヒーカップを片手にした金髪の同級生が、こちらを見て申し訳なさそうに繭を下げていた。
「何を今さらなこと言ってんだよ。こっちとしちゃあ逆にありがたいとも思ってんだぜ?」
「そうなのか?」
「ああ。そうだろ、つみれ」
俺が同意を求めると、
「兄ちゃんの言うとおりですよ。あたし、アウルさんたちが引っ越してきてから毎日が楽しくて仕方がないんですから!」
「う、うむ。そう言ってもらえると、世話になってる身としては嬉しいよ」
「そんなこと言わないでくださいよ。困ったときはお互い様ですから!」
いつぞや俺が彼女に言った言葉をつみれも言うものだから、おかしそうに「さすが兄妹だな」などと笑っている。
彼女はアウル=ウィリアムズ。とある事件に予期せずして関わることになった際に知り合った少女だ。
金髪碧眼のクラスメート。桃園高校の制服よりもダークグレーのスーツが似合う雰囲気の彼女は、超能力対策機関、通称『組織』とやらに所属する一人だ。
事件解決のため日本まで犯人を追ってきたアウルは、一度『組織』の本拠地に帰還したのだが、そのときに助けたニーナを含めた子供たちに説得され、わざわざ隣に引っ越してきたのだ。
ニーナたち『機械人形』は最先端の技術の塊だ。『組織』の保護下から出てこちらに来る以上、その技術を狙われる可能性が大きい。
アウルだけでは守りきれないかもしれないということで、俺の近くを選んだらしい。
俺にしてみればいい迷惑だが、つみれが楽しそうにしているのでよしとしている。
「つうかそれを言うなら真宵後輩もじゃねぇの?」
「迷惑なんですか? 毎朝先輩を迎えに来て、気持ちよさそうに寝ている先輩を叩き起して、早起きしてお弁当を手作りして甲斐甲斐しく世話を焼いている私が迷惑だとでも言うんですか?」
「善意でそんだけやってくれる後輩は図々しく言ったりしねぇよ」
ジト目で言いながら席に座る。
ニーナを真ん中に両端に俺と真宵後輩、正面にアウルとつみれの定位置に収まった。
「みな、さん……!」
ニーナが両手を合わせて俺たちを見る。
同じように合掌すると息を吸い込んで、
『いただきます!』
この挨拶もだいぶ馴染んできたものだ。
朝食に相応しいメニューをみんなでつつく。
「そういえばさ、兄ちゃんと真宵さんってどうやって知り合ったの?」
「唐突にどうしたんだよ?」
「いやさ、よーく考えたら社交性なんて欠片もない兄ちゃんが、こんな美人な人と知り合いになって、朝は起こしに来てくれるような関係になれるわけないなあって」
「ひでぇ言われようだなオイ」
「事実じゃん?」
こてんと首を横に傾けてつみれは言う。まあ、たしかにそうだけども。
「加えてアウルさんとニーナちゃんだよ? 百歩譲ってお隣さんだからだとしても、ニーナちゃんに懐かれすぎでしょ。あたしなんか会った瞬間に逃げられたのに」
「ご、ごめん……なさい……」
「ああぁごめんごめん! ニーナちゃんを責めてるわけじゃないから!」
俯いて泣き出しそうになるニーナをつみれが慌てて慰める。
だいぶ打ち解けてはきたけど、まだつみれのことが苦手らしい。
「大丈夫大丈夫。つみれは怒ってるわけじゃねぇよ」
「そ、そうそう! あたし、全然怒ってないからね」
かなり必死なつみれだった。たぶんこの必死さが裏目に出てるんだろうなぁ。
やっとこさ落ちついてくれたニーナを撫でると、ほにゃりと表情を弛緩させた。
「むぅ……やっぱり納得いかない。なんで兄ちゃん、そんなに懐かれてんの?」
「そりゃあお前、俺のにじみ出るカリスマを……」
「くっ」
突如として真宵後輩が喉を鳴らして短く笑い声をこぼした。
「……なんだよ」
「いえ、先輩があまりにも滑稽なことを言い出すので」
無表情のまま、しかし声音にはたっぷりと嘲笑を含めて上品に口元を隠す。
その小馬鹿にした態度に、こめかみがひくひくと引き攣った。
「ちょっとお二人さーん、朝からイチャイチャしないでくれますー?」
つみれが咥え箸でニヤニヤとしながら言ってくる。
「これのどこがイチャついてるように見えんだよ。俺が馬鹿にされてるだけだろう」
「え? 兄ちゃん、ほんきで言ってる?」
つみれが信じられないようなものを見る目を俺に向けてくる。
はて、この妹は何を言ってるのだろうか。よくわからないまま答えないでいると、申し訳なさそうに真宵後輩に、
「こんな兄ちゃんで、ほんっとうにごめんなさい」
「……まあ、もう慣れました」
真宵後輩は項垂れながら呟いた。
「さっきから何の話をしているんだ? 何のことか全然わからないんだが」
「安心しろ俺もだ」
黙々と朝食をつつくアウルに同意する。
すると二人分の溜め息が俺の耳に届いた。
「ま、まさか、兄ちゃん並みに鈍感な人がほかにもいただなんてっ」
「何を馬鹿なことを。俺が鈍感なわけ……」
「ちょっと黙ってて。自覚ない人に限って否定するものだから。兄ちゃんも例外じゃないから」
「お、おう、すまん」
いつになくドライなつみれに逆らえそうになかった。
くいくい、と制服の袖を引っ張られた。
「どうした?」
「わたし、は……おにい、さんのこと……大好き、です」
にっこりと嬉しいことを言ってくれたニーナに思わず頬が緩んだ。
「ありがとな。俺もニーナのこと大好きだぜ」
「……ロリコン」
「おいコラ! ぼそっと何呟いてやがんだお前はっ!」
聞き流せない不名誉な言いがかりに、俺は思わずテーブルを叩いて立ち上がる。
ニーナが驚いて目を丸くしていた。
「ロリコンとですが何か? 間違ってないでしょう? ニーナみたいな幼い女の子が大好きだなんて」
「いや、好きっつってもそういう好きじゃねぇよ」
「じゃあ先輩は女の子にほいほい好きだと言う女誑しというわけですね」
「んなわけねぇだろ!」
叫び、肩を上下させて息を整える。
くそ。なんで朝からこんな絡まれにゃあならんのだ。脈絡もなく不機嫌になるなよ。
「だったら先輩は大人しく私だけを見ていてください。いいですね?」
「はぁ? なに言ってんだよ」
「……嫌だというつもりですか」
鋭い剣呑を宿した瞳に睨まれて肩を竦めてみせる。
「そうじゃねぇよ。はなっからお前しか見てねぇのに、今さらだろって思っただけだ」
俺が気負うこともなく自然にそう返せば、言葉を飲み込めなかったのかきょとんと間抜け面をさらし、しばらくして凄まじい速度でそっぽを向いてしまった。
ポーカーフェイスを崩したのが恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤にしている。
それを見たつみれがにやにやとしていたのが、妙に印象的だった。




