幕間 (2)
こうして一日をやり遂げた俺は誰よりも早く教室を飛び出す。幼女先生が何か言ってるが知ったことではない。今は一刻も早く真宵後輩に会いたかった。
昨日までなら早く家に帰らねばならなかったが、もうニーナたちは『組織』の本拠地にて保護されている。使者とやらがやってきて連れて行ったのだ。
そのときにアウルにわずかばかりの謝礼と一介の高校生では手にできない大金を渡されたのでそれで何かお見舞いを買っていこうかと思っている。
だが、俺が選んだところでろくなチョイスにならないのは目に見えている。だから――、
「あ、兄ちゃん。こっちこっち!」
ぶんぶんと手を振ってここにいるぞとアピールする妹のもとへ一直線。そして軽い拳骨を脳天に落とした。
「い、いったぁ! な、なんでげんこつ!?」
「人前であんまり騒ぐな。恥ずかしいだろ」
涙目で文句を垂れるつみれに言い放つ。
「だってこうやったほうがすぐにわかるかと思ってんだもんしょうがないじゃん!」
「俺がお前を見つけられないわけがないだろう。兄ちゃんには妹を発見するレーダーがデフォで装備されてんだよ」
「兄ちゃん、さすがにそれは妹好きすぎてちょっと気持ちわるいよ」
「うるせぇ。さっさと行くぞ」
「あああぁ! ちょっと待ってよぉ!」
そんな軽口を交わしながら待ち合わせ場所にしたショッピングモールを歩き回る。
「兄ちゃんはどんなのがいいと思ってるの?」
「それがわかんねぇからお前を召喚したんだろ。予算はよっぽど高くなけりゃあどうにでもなるから気にしなくていいぞ」
手渡されたときいったい何度数え直したことか。
「上限なしってのも困るんだけど。てかそうじゃなくて、お見舞いに合う合わないはなしにして、どんなものがいいかってことだよ。それくらいだったらあるでしょ?」
「そうだなぁ」
顎に手を添えて候補として考えていたものを言っていく。
そして五個を過ぎようかといったところで、つみれから制止がかかった。
「なんだよ? まだ少ししか言ってねぇぞ」
「いやいやいや。もう十分。もう十分兄ちゃんだけに任せなくてよかったことがわかったから言わなくていいよ」
これはひどいなぁ、とギリギリ聞こえてしまう声量で呟くつみれ。哀れみの眼差しすら向けてくるほどだ。自覚はないがかなりだめらしい。
「あたしも手伝うから、せめてもう少しまともなお見舞いを選ぼうよ。兄ちゃんだけに選ばせるといくら真宵さんでも何も言えなくなるから」
「マジかよ」
真宵後輩が何も言えないってよほどだぞ。そんなにひどくないと思うんだが……。
冗談のつもりでそう言ってみれば、今度こそ救いようのない目で頷かれた。
そうか。そんなにひどいのか。
自分のセンスのなさに嘆いていると、ふとあるものが目に飛び込んできた。
「つみれ」
「どした兄ちゃん。なんかあった?」
くるりと振り返ったつみれにそれを指差して、
「あれなんてどうだ? お見舞いっぽくはねぇと思うけど」
「たしかにお見舞いっぽくは……ん? あれって……」
何か思うことがあったのか、つみれは携帯電話を取り出して調べ物を始めた。
そして検索できたのかディスプレイとそれを何度も見比べ、感嘆の声をこぼした。
「どうしたんだよ。やっぱりまずかったのか?」
そう訊ねてみると、しかしつみれは首を左右に振る。
「ううん。兄ちゃんにしてはナイスだね! むしろあれ以外はないね!」
「そ、そこまでなのか」
「もっちろん! さすがあたしの兄ちゃん、偶然にしてはかなりやるね!」
つみれのテンションの高さに若干引きつつ、俺はそれを購入する。
何を調べたのかは分からないが、つみれが太鼓判を押すのだから問題ないだろう。
お見舞いを買ったところでいざ病院に行こうとして、つみれが逆方向に走り出した。
「お前はいかないのか?」
「うん。夕飯の買い出しとかいかないとだから、今日は兄ちゃん一人で行ってきなよ」
「そっか。わかった」
「じゃあ頑張ってね!」
そう言い残してつみれはあっという間に向こうに消えていった。
しかし、何を頑張れというのだろうか。
***
自動ドアをくぐり、そそくさと真宵後輩の病室に直行しようとして後ろから呼び止められた。
これが受付のお姉さんであれば無視するところだったが、この人にそんなことをするのは失礼だ。
俺は踵を返し、姿勢を正して向き直る。
「どうしたんですか、先生?」
「いやなに、お前が来るのが見えたから調子を確認しておこうかと思ってね」
見舞いには来るのに診断にはまったく顔を出さんからな、と煙草を咥えながら付け足したのは俺や真宵後輩の医師を勤めてくれた夜筱司先生だ。
長い茶髪を一本おさげにし、前に流すようにしている。凄まじいまでの美貌に白衣の出で立ちはとても映えるのだが、いかんせん咥え煙草にやる気ゼロな雰囲気だ。マイナス要素が大きすぎてせっかくの美点を台無しにしている残念美人だ。
「目はどうだ? まだ見えないのか?」
「ええまあ」
司先生は超能力専門の医師だ。『組織』に協力しているが、構成員というわけではないらしい。
「ふむ。お前のようなケースは珍しくて非常に興味深いよ。能力の酷使で一時的に使用不可になるロスト現象があるが、あれは身体に影響を及ぼすことはなく、時間経過で元に戻る。しかしお前の場合は能力は使えるが左目の視力を完全に失ってしまっている。ロストとはまた異なったリスクがあるということか。ああ――これはとても興味深い、今後の課題としてもいいかもしれんな。そもそも超能力とは――」
またも独り言を始めた司先生をほっといて俺は真宵後輩の病室に行くことにした。
司先生がわからなくて当然だ。左目の視力の喪失はたしかに力の使いすぎによるもの。
しかし波導使いと超能力者では力の引き出し方が決定的に違う。
それこそ手足のように使える超能力。だが、波導は身の内に宿るエネルギーを属性石に集中、その上で精霊に祈りを届けることで初めて発動される。
しかし代替するエネルギーが足りなければ波導は完成されない。ゆえに波動を流しすぎて波脈を壊したケースは実は少なくない。
波脈はいわばもう一つの心臓といっても過言ではない。毛細血管よりも細く枝分かれした波脈が破裂すれば、それだけで命を落としかねないのだ。俺は破裂したのが眼球のあたりだからこそ失明で済んだが、もしもほかのところだったらと考えると背筋が震えた。
波脈は波導を扱うためになくてはならない器官だが、それによって弱点が一つ増えたと言えるだろう。
真宵後輩の病室の前に到着すると巻いていた包帯をとってカバンにしまう。
左目が見えないことは、彼女には言っていない。きっと自分の責任だと言い出すに決まってる。こんなのは俺のせいなのだから彼女が責任を感じることはない。
むしろ俺の無茶のせいで入院するほどの怪我を負わせてしまったのだ。
無意識に握り締めていた拳。爪が皮膚に食い込んで赤色の染みを床に作っていた。
「やっちまった……」
後ろ頭を掻いて、面倒だからとたった今突っ込んだ包帯で血を拭き取る。
綺麗になったところで病室のドアを開けてなかに入る。
「今日も来たんですか、先輩。そんなに暇なのですか?」
「わざわざ来てやってんのにその言い草はねぇだろ。少しはありがたがれよ」
「頼んでもないのに先輩が来てくれるだけではないですか」
窓の外の景色を見ていた真宵後輩が緩慢な動作で振り返る。全身包帯だらけの痛々しい姿。虹彩は碧色に染まり、身体強化を施して回復力を底上げしているようだった。ちなみに俺が第三段階が限界に対し、真宵後輩は第四段階まで可能とのことだ。
俺もディクトリアと戦ったのだからできそうなものだが、真宵後輩曰く、ここが一つ目の壁らしい。これを越えると身体強化の効力も飛躍的に上がるとか。
異世界では素のままでもある程度だったから、強化後でとの違いなど体の頑丈さくらいしかわからなかった。
立てかけてあったパイプ椅子を起こし、座る。
「体の方はどうだよ?」
「最悪です。一週間もじっとしているというのに、ほとんど動けないのですから」
かなり苛立ちが溜まっているらしい。言葉の端々からそれが溢れ出ている。
「だけどその程度で済んでよかっただろ。下手したらやばかったんだぜ?」
「だから死ぬつもりはないと言ったではないですか。先輩が勝手に勘違いして叫び散らしたのではないですか」
「……あんなもん見せられて無事だとは思わねぇだろ。ほんきで焦ったんだからな」
自分でも驚くほど低いトーンで発せられた言葉に、真宵後輩がほんのわずかに視線を横にずらした。
「……ごめんなさい」
我が耳を疑った。開け放たれた窓からちょうど風が舞い込み、聞き逃してしまいそうなほど小さな声だったが、その言葉はたしかに俺に届いた。
ほんのりと頬を赤らめ、俺の反応を待っているのかとちらちらと見てくる。
俺は小さく――ほんとうに小さく笑みをこぼす。
「そ、それで先輩! ニーナたちはどうなったのですか?」
あからさまな話題転換だ。しかし彼女が触れてほしくないのなら、そのようにしよう。
「昨日まではいたよ。今は全員あっちに行っちまった」
「そうですか。……これで、私たちの生活もまた、元通りになるのですね」
「ああ、そうだな」
アウルたちがいたからこそ超能力の存在を知り得、関わり、戦うことになった。そんな彼女たちがここを離れたのだ。
異世界とは違い超能力は日陰の存在だ。むやみに俺たちが干渉すべきことではない。
元勇者のあとがきは、これにて閉幕となるわけだ。
「まあいいじゃねぇか。今回のことで俺たちがこっちで戦うにはどれだけ気張らなきゃならんかわかったわけだしよ。自分から首を突っ込んで怪我しに行く必要もねぇさ」
「ですね。あるとわかっただけでも収穫です。こちらでの波導の扱い方もあらかた把握しました。もし遭遇しても後手に回ることもないでしょう」
「お前に無茶させるつもりはねぇよ。俺だけで十分だ」
「そうですか? 私のサポートがなくては危なくはありませんでしたか?」
「……う、うっせぇな」
柊に咎められたワードが口をついて出てしまうくらいの事実を突かれ、気まずさから今度は俺が顔を背けてしまう。
くそ。わかってんだよ。
ディクトリアが最期の襲撃を仕掛けてきたとき、真宵後輩がいなければ全員がやられていた。俺だけではどうすることもできなかった。
それが俺の限界なのだと思い知らされた。
勇者時代の全盛期ではないから、というのはただの言い訳だ。ないものねだりをして何の意味がある。
俺があのときやるべきだったのは、今持てる力でやりきることだったのだ。
「別に構いませんけれど。先輩のサポートをするのが、私の役目ですから」
気負いなく言った真宵後輩には敵わないなと思った。
「それより先輩。退院が一週間後に決まりました」
「まだそんなにかかんのか」
「それくらいが妥当なところでしょう。……私がいなくて寂しいんですか?」
無表情ながら声の弾み具合がにやにやしている。
見透かされているようで悔しいので「さあな」と適当に答えておく。
ブレザーのポケットをまさぐり、買ってきたお見舞いを真宵後輩に押し付ける。
「え、な、なんですか?」
「お見舞いだよ。ちゃんとそういうの渡してねぇなって思ったから」
「開けてもいいんですか?」
「お前に買ってきたんだから開けてもらわにゃ困るっつうの」
遠慮がちに紙の包みを開けると、それを手に取った真宵後輩が嬉しそうにしたのを俺は見逃さなかった。
「髪飾りですか」
そう、俺が買ったのは髪飾りだった。純白の花を模したそれは彼女の黒曜石のように美しい黒髪に似合うと思ったのだ。
「あのときに髪を結んでたやつ壊れちまっただろ? ちょうどいいかなって」
「そ、そうなんですか。――せ、先輩、一ついいですか?」
俯きながら真宵後輩が訊いてくる。何故か髪から覗く耳が真っ赤に染まっている。
な、なんだろう。つみれにも大丈夫だと言ってくれたというのに、まさか真宵後輩には怒らせるほど不評だったのだろうか。
戦々恐々としながら、こくこくと頷く。
「こ、この花なのですが、先輩はわかってて買ったのですか……?」
もしかしてプレゼントとして渡すのはいけない花だったのだろうか。いや、つみれも調べて問題なかったからこそ止めなかったのだ。きっと大丈夫だ。
「店員はスイカズラだとか言ってたけど……」
「は、花言葉は……?」
「いや、わかんねぇけど」
困惑しながら答えると、ようやくほっと胸をなでおろしていた。
顔を上げると、安心したような、残念なようなと様々な感情が入り混じった表情を浮かべていた。
「では帰ってから調べてみてください」
「ここじゃだめなのかよ?」
今どき携帯電話ひとつあれば調べ物なんてどこだってできる。
そう思って取り出そうとすると、動けないと言っていたはずの真宵後輩が目にも止まらない速度で携帯電話を奪った。
「だめです。絶対にだめです。ここで調べたら先輩でも許しません」
「な、なんだよ。わかったよ」
鬼気迫る表情で言われて俺は引き下がる。
そして家に帰ったあとスイカズラの花言葉を調べ、俺は悶絶することになる。
スイカズラの花言葉は――。
――愛の絆。




