第三章 (1)〈少女の涙〉
唖然とする俺の目の前で双房が揺れた。
黄金色の毛先から滴る水玉が健康的な肌に弾かれ、谷間に流れ落ちていく。メリハリのある肢体は均整がとれており、上半身から腰にかけてのしなりが絶妙で、寝惚けた思考にはあまりにも刺激的すぎた。
彼女が唯一身につけているのは白と緑のストライプの下着だけ。朝からシャワーを浴びたらしく、頭を拭いたタオルが首にかけられ、上下共に大事な部分は隠れていた。
しかし逆に言えばそれ以外は晒されているわけで。
「と、冬道……? いったい、なにをやって……」
俺の登場に固まったアウルはかろうじてそう絞り出す。
そして自分の格好を見下ろして顔を真っ赤にした。
「な、なななにをしているんだ! ノックくらいするのが常識だろうっ!」
とっさに胸を隠したアウルは俺に背中を向けてしゃがみこむ。
「あ、ああ、悪いな。気をつける」
アウルの裸を見てしまったことよりも、柊に負けず劣らずの胸の大きさに気圧されて気の抜けた返事をしてしまう。旅をしていて野宿をすることが多かったのだが、その際にパーティーメンバーの着替えを何度も目撃したこともあり、女性の裸には耐性があるのだ。
服の上からだとわからなかったが、アウルも相当な物をお持ちのようだ。どうやら着痩せするタイプらしい。
「あ、歯ブラシ取ってくれねぇか?」
「なに? 歯ブラシ歯ブラシ……ってなぜ平然としているのだ!? 着替えをするから早くここから出てい――け!」
投げつけられた洗面器を片手でキャッチする。
「おい危ないだろ」
「ううううるさい、この馬鹿者が!!」
気づいたときにはすぐそこに迫っていた足裏。アウルの飛び蹴りだ。
ノックもせずに入った俺に非があるのでせめてのお詫びに喰らおうとするが、後ろから襟首を引かれてバランスを崩しもんどり打ってしまう。
直撃させるつもりがなかったのか、それともすると思ってなかったのか、俺が情けなく倒れるのに一瞥もくれることなくドアを閉ざしてしまった。
それにしても最後に捉えたのがアウルのぷるんと揺れる胸だとは、異世界を救った勇者もそれ以前に男ということらしい。戦ってたときは色気より強気だったのだから仕方がない。これも男の性なのだ。
「朝から発情ですか、先輩」
凍てつくような気配に全身が緊張する。
「よ、よお真宵後輩。言っておくが別に覗いたとかじゃなくてだな……」
「身体能力は下がっても感覚はそのままなんです。部屋のなかに誰かがいるのは、目で見なくとも気配だけでわかるはずですよね、先輩?」
嫌な予感がして廊下を転がれば、真宵後輩のスタンピングが俺の頭部があった場所に落ちる。みしりとフローリングが軋んだ。
まさかの威力にしばし呆然とした俺だったが、
「お前こそ朝からなんつう攻撃してんだよ! もう一回眠らせるつもりか!」
「永遠に眠っててもらってもいいんですよ?」
「ざけんなアホ!」
なんで朝から後輩に永眠させられそうになってるのだろう。非日常にもほどがある。
「女性の着替えを覗く変態には報いがあるべきです」
そう言った真宵後輩は投げる。
分厚い辞書を全力で投げる。
まるで火薬が爆発して撃ち出された鉛弾に貫かれたように、
「ぐふっ」
俺が宙を踊るのだった。
どっから取り出したんだよ、その辞書。
***
「おい、なんで怒ってんだよ」
「……別に怒ってません」
明らかに不機嫌なトーンだった。
ひりひりと痛む顎を撫でて歩く俺の先には、サイドテールを揺らす真宵後輩がいる。話しかければ返してはくれるし、たまに振り返って俺がいるか確認しているから置き去りにするつもりはないみたいだが、いつも以上に素っ気ない返事に溜め息がこぼれた。
「私も、今朝はシャワーを浴びてました」
隣に並んだ真宵後輩がぼやいた。
……いったい何の報告だよ。
「俺に覗かれなくてよかったじゃねぇか」
自然と口調がきつくなってしまったが、真宵後輩は微塵も気にした様子はなく、
「私も、今朝はシャワーを浴びてました」
「え? いや、だから俺に覗かれなくてよかったじゃねぇかって……」
「……私も、今朝はシャワーを浴びてました」
壊れたレコーダーのように同じ言葉を繰り返されて困惑するしかなかった。
正面を真っ直ぐ見据え、表情をピクリともさせない彼女が何を言いたいのかまったくわからない。今朝シャワーを浴びていたのなら、それに鉢合わせなくてよかったのではないだろうか。
俺としては是非とも拝みたかったが、アウルの着替えを見ただけで頭蓋骨を粉砕されかけたのだ。どうなるのか予測したくもない。
そう思って返事をしたというのに、真宵後輩はさらに不機嫌そうに眉を近づけた。
「もういいです。先輩はほんとうに鈍感ですね」
「厳しいなぁ。つうかお前にだけは言われたくねぇよ」
――だってこいつ、全然気づいてくれねぇんだもんよ。
拗ねながら内心で吐き捨てる。
それはこっちのセリフです、と睨み上げてくる真宵後輩に肩を落とした。
「昨日の話、どう思いますか?」
「ああ……どうって言われてもなぁ」
俺は昨夜のやり取りを思い出して唸る。
アウルの話によれば、ディクトリアの目的は超能力の存在を知らしめ、世界の改変とやらをすることらしい。その足掛かりとして超能力を管理する機関として名高い『組織』の総本山がある極東の島国を破壊しようとしているのだという。
「まあ、知っちまったからにはほっとくわけにはいかねぇよ。もともとこっちから首突っ込んでったわけだし、やれるだけのことはやるさ」
いかに薄情な俺でも大切な家族や学友を、下らない目的のために殺されるのは見過ごせない。
だからこうして、俺たちはディクトリアが残しているだろう痕跡と情報を集めているのだ。
とはいえ、そう簡単に見つかるわけもない。俺がディクトリアと遭遇した二箇所を調べてみたが、手掛かりになるようなものは何もなかった。
けれど、ほとんど何もわからない現状のおかげで、いくつかわかることはある。
ディクトリアの超能力は爆発だ。二回の戦闘で能力を使ったのは一度きり。出し惜しみしたのか、はたまた使うのにリスクを伴うのかは不確定だが、少なくとも一瞬で首都を灰にできる規模の爆発は起こせないということだ。
それとニーナは日本に来てから同行するようになったことだ。
アウルの話によるとイギリス(どうやら二人ともイギリス出身らしい)で追いかけていた頃は、ニーナはそばにいなかったという。
であれば、日本のどこか――それもここに近い場所で、ニーナのように人間を奴隷のように扱い、商品として扱っているヤツがいると考えていいだろう。
俺としてはディクトリアは前提として、ニーナを助けたいと思っている。
誰かが誰かを助けるのはおこがましくて、とても傲慢な行いだ。
何せ自ら道を切り開こうとする意思を無視し、自己満足を満たすためでしかないからだ。
助けたとしても、俺には助けた相手の人生を最後まで見切ることなんてできやしない。中途半端に手を差し伸べるだけ差し伸べて、あとは自分で何とかしろと突き放すだけなのだ。
しかし。
それでも。
少なくとも誰かに命を握られているよりも、篭のなかに囚われているよりも、翼を広げて大空を羽ばたいている方がずっといいはずだ。
そしてこれは自己満足でいい。
俺は彼女を助けたくて助けるのだから。
とにかく、俺としてはディクトリアが準備を終える前に奇襲を仕掛けたい。
情報が足りなすぎて後手に回るしかなかった状況を逆転するには、何かしらの手懸かりを――、
「……臭うな。どこからだ?」
足を止めて周りを探る。腐ったような臭いと、硝煙の残り香がどこからか漂ってくる。
あいにくと嗅覚に自信はないが、ここまで強烈な腐臭なら辿るのは難しくない。
「先輩、こっちからです」
人通りの少ない路地をいくつか曲がり、薄暗く気味の悪い裏地に出た。
そこにボロボロの布切れを着た少女が、ゴミに紛れるように膝を抱えて座っていた。
「ニーナ……?」
意図せずしてニーナを呼んだ形にになり、小さな肩が大きく震えた。
膝に埋めていた顔を上げ、包帯に隠されていない目に恐怖を宿して、俺を見た。
痛々しい包帯だらけの小柄な体躯。水浴びさえさせてもらっていないのか、昨日は戦闘中で余計な外部情報を遮断していて気づかなかったが、目眩を起こしかねない悪臭を漂わせている。頬は痩せこけ、腕なんて骨と皮しかないのではと思うほどだ。
ディクトリアに道具と呼ばれていた時点でろくな扱いを受けてないとは予想していたが、それにしたってこれはあまりにも酷い。
あの男に繋がる手懸かりを見つけたとか、どうしてこんな場所に一人で膝を抱えているのか、気になることは何個もある。
しかし今の彼女を蔑ろにしてそれらを優先させるのは俺には無理だった。
「大丈夫か?」
そう問い掛ける。
瞬間、俺は絶句するはめになった。
「い、いやぁぁぁ! ご、ごめ……ごめん、なさい……! 来ないで……ごめんなさい!! 許してください……!!」
小さな少女が髪を振り乱し、絶望に染められた表情で必死に俺から距離をとろうとする。
手足は震え、立ち上がろうとして何度も転ぶ。見るも無様なほど汚くゴミを散らかしながら逃げようとするが、ここには俺の背後にしか通路はない。
すぐに逃げ場を失ったニーナは、今から殺されるかのように脅えていた。
「や、やぁ……たす、けて。痛いのは、いやぁ……」
胸が引き裂かれるような痛みが込み上げてくる。次いでやってきたのは、堪えきれないほどの憤怒だった。
いったいどんな環境にいれば、ここまで誰かに恐怖するようになるのだ。
ディクトリアはニーナに何をして、こうまで痛みに恐怖を覚えさせたというのだ。
ガタガタと震えるニーナに昨夜の圧倒的な力は感じない。あるのはこれから復讐されるという絶望と、痛く苦しい地獄が待っているという恐怖だけだ。
俺がいくら保護すると話したところで、まともに聞けやしないだろう。
「真宵後輩、任せてもいいか?」
こういうときは彼女に任せた方がいい。
一瞬だけ嫌そうに顔をしかめた真宵後輩だったが、ニーナの尋常ならざる様子に思うところがあったらしい。珍しく断る素振りも見せずに承諾してくれた。
「少し時間を頂戴します」
そう断りを入れた真宵後輩がニーナを籠絡しにかかった。




