第二章 (4)
「くあ……」
廊下を彩る夕日に目を細め、欠伸を噛み殺しながら教室に足取りを進める。
真宵後輩が無防備に身を預けて眠る姿に理性に歯止めが利かなくなりかけた俺は、最終手段として意識をシャットアウトすることにした。そうして目覚めたのがついさっき。よほど安心したのか、真宵後輩は俺が起きたのにも関わらず寝息を乱すこともなかった。
その頃には制服も乾いていた。あそこまで安心しきった表情で眠る真宵後輩を起こすのは気が引けたが、しかしいつまでも学校に居残るわけにもいかない。
やむを得ず真宵後輩を起こし、今は荷物を取りにそれぞれの教室に向かっているところだった。
ほとんどは部活に参加しているか下校したかのどちらかで、校舎に残っている生徒は少ない。
少ないというだけで、完全なる無人なわけではない。職員室には教師共が仕事をしているだろうし、部活棟には文化部の生徒がいるはずだ。
そして俺の向かう先には――、
「……そう来たか」
金髪の転校生が開け放たれた窓の骨子に腰をかけていた。すらりと伸びた足を組み、肌が見えているのはスカートとハイソックスの間の腿だけだが、鍛えられいるのがよくわかる肉付きだった。凛とした輪郭に冷たさを感じさせる雰囲気の彼女には桃園高校の制服よりも、昨夜のダークグレーのスーツの方がよく似合っていた。
アウルは舞い込んでくる風に乱れる髪を片手で抑え、遠くを見つめている。
どうやら誰かを待っているようだが――それを察せないほどおめでたい思考はしていない。
聞き込みでは俺のことがろくにわからなかったのだろう。 当たり前だ。彼女が知りたいのは昨夜にディクトリアと渡り合った俺であり、私生活の俺ではない。少しでもと思ったのかもしれないが、俺たちの戦いの軌跡は異世界に置いてきてある。どれだけ探ろうが見つかるわけがない。
だからだろう。
こそこそと嗅ぎ回るのに痺れを切らしたアウルは俺に直接聞き出そうと決断したようだ。
直情的というかなんというか、やや警戒が足りないように思えるが、俺が気にかけてやることでもあるまい。
アウルは俺から何かを聞きたがっている。
そして俺もアウルから聞きたいことがある。
目的は一致する。――だが、はたして利害まで一致するだろうか?
「……まあ、いいか」
深く考えるのはあとでいい。今はとりあえず相手の腹のうちを探ろうか。
俺はドアを横にスライドさせて踏み込む。
アウルは驚くでもなくゆっくりとこちらを一瞥する。
「なんだ転校生。まだいたのか?」
俺はさも気づいてなかったような態度を装い、アウルに話しかける。
だがアウルの方は茶番に付き合うつもりはないらしい。軽やかに窓の骨子から降りると、
「冬道かしぎ。貴様は何者だ」
いきなり核心をついてきた。真宵後輩がいたらどんな反応をするだろうか。
剣呑を宿らせ殺気を振り撒く姿には、腹の探り合いなど最初からやるつもりはなさそうだった。抵抗するなら力ずくでなどと言わずとも、それがはっきりと伝わってくる。
どうしたもんかと思わず唸る。
ぶっちゃけこういう手合いが一番苦手だ。純粋な暴力ほど与しやすい相手はないが、さて話し合おうかとなったとき駆け引きの余地がないのだ。少しでももって回った言い方をすればすぐに力を誇示しようとするから面倒だ。
ただ真宵後輩がこの場にいないのは唯一の救いかもしれない。
真宵後輩もどちらかといえば力で屈服させるやり方を好む。煽り返して暴れさせられ、俺がそれを抑え込んで情報を聞き出すのがもっぱらだった。帰ってきてからまでそんなことやっていられるか。
「いきなり何者とは失礼なヤツだな。俺のことが知りたきゃあよ、まずは自分のことから打ち明けたらどうだ、アウル=ウィリアムズさん?」
「ああもういい。黙っていてくれ」
そう言ってアウルは右手の指を小指から順に折り曲げていく。関節のひとつひとつが小気味いい音を奏で、拳が出来上がったそのとき、右手が青白くスパークした。
「話すつもりがないならそれでも構わない。だが、それならそれで私にも考えがある」
「実力行使か?」
「よくわかっているではないか」
……言葉のチョイス間違ってたか?
表情を引き攣らせ、眉間を流れ落ちた汗を指の腹で拭う。
「昨夜は結果的にお前に助けられる形になった。そのことには礼を言う。お前がいなければ私はヤツに殺されていただろう」
アウルは表情を和らげることなく放電する右手を持ち上げる。
腰を低く沈めた。足幅は小さい。跳躍の前動作だ。
「しかし悪いな。話すつもりがないなら、お前にはすべて忘却してもらう。安心しろ。痛みはない。――もっとも次の瞬間には何もかもを覚えていないだろうからな」
「穏やかじゃねぇな。少しは落ち着いたらどうだ?」
「余計な心配は無用だ。いいか? 苦しみたくないなら動かないことを忠告する」
「親切なこって。だけど安心しろよ。あいにくと痛いのと苦しいのにはそれなりに耐性があるからよ」
「それならばよかった。これで私も気兼ねなくやれるというものだ」
両者共に軽口を叩きあっているが、交錯する視線は激しく火花を散らしている。
教室の前後に位置取る俺たちではあるが、おそらくお互いを間合いに捉えている。ワンアクションで数メートルの距離を埋めることは造作もないだろう。少なくとも俺はそうだ。
睨み合う俺たちに沈黙が落ちる。
アウルの右手が放電する音だけが響く。
直感的に俺たちはわかっていた。自分が最初に仕掛ければ、その分だけ不利になる。
この戦闘は一瞬で勝敗が着くだろう。アウルがあの右手で俺を貫くか、俺がアウルを抑え込むかのどちらかだ。
沈黙を破ったのは、完全下校を知らせるチャイムだった。
「……っ!!」
俺は右足を引いて半身の姿勢を作る。拳は握らず指だけをなかに押し込んで掌底に構え、アウルを迎え撃とうとする。
アウルは宙を駆けていた。頭を通すようにして腕を振り上げ、足は限界まで後ろに反らしている。体をエビ反りにして滞空する様子は走り幅跳びを連想させた。立ち並ぶ机の上空を助走もなしに一息で跳んでくるとは、さすがに度肝を抜かれた。
全身にバネが仕込まれているかのように腕と足を戻して勢いを増大させ、瞬く間に俺の懐に潜り込んできた。風船が破裂したときの弾ける音を鳴らして着地したアウルは、青白くスパークする右手を手刀に変化させ、一切の躊躇いなく突き出してくる。
これが雷系統のような純粋な雷なのか、それとも別に効力を及ぼす光なのか。判断材料はあまりにも少ない。反撃するにしても防御するにしても、あれに触れるのだけは避けなければならない。
――触れられずに無力化する。
「身体強化Ⅲ」
「なっ……!?」
眼球に熱が迸る。虹彩の変化に驚きを見せたアウルがほんのわずかに硬直したのを見逃さず、すかさず彼女のブレザーの袖と襟を掴み足払い。体勢を崩したアウルを腰を回すように持ち上げると、そのまま床に叩きつける。
だがアウルは技が決まる途中で束縛から逃げ出すと、そのまま投げ出されて、壁に着地してからバランスを立て直した。
「今度は俺の番だ」
言ったそばからアウルに急接近。顔面を狙った掌底の一撃を彼女はとっさに両腕を重ねることで受け止める。俺は防がれたのを無視して上方に腕を打ち上げると、半回転した勢いを上乗せした回り蹴りを肩を目掛けて繰り出す。
しかしアウルも然る者。避けられないと判断するや体重を移動させることで、受けるはずだったダメージを軽減させてきた。
アウルの右手から光が消える。俺の視線が一瞬そちらに誘導されたのを目敏く感知したアウルは、お返しとばかりに回り蹴りを放ってくる。さっきの俺の女の子だからという甘い位置を狙った蹴りではなく、正真正銘、意識を刈り取ろうとする脚裂。
その場に屈み回避を試みようとした俺の眼前に、不意にそれは現れた。
「…………」
戦闘中にも関わらず俺の思考が真っ白になった。
水色と白の縞模様。
ほんの一瞬だったけど、今のってあれだよな。
ちらりと顔を上げればアウルの表情には蹴りを躱されたことで悔しがっている様子しかない。いや、追撃を恐れているようではあるけれど、言ってしまえばそれ以外には何も感じていないのだ。
そういえば今のアウルの格好ってスーツではなくスカートだ。
俺は靴底のゴムを摩擦させらノックバック、右手を前に出して制止を促す。
「ちょ、ちょっと待て。少し落ち着け!」
「今さら命乞いしても無駄だ。お前にはすべてを忘れてもらうぞ」
アウルは俺の言葉など聞き入れず、外れた蹴りの軌道を修正、あろうことか踵落しの構え。
やっぱりこいつ気づいてねぇよ。こりゃあ直接言ってやるしかないか。
「さっきから見えてんだよ。お前の下着っ!!」
「……え?」
アウルの動きが、止まった。
踵落しのため俺の目の前で振り上げられていた足を下ろすと、アウルは自らの格好を確認するよう視線を下に動かした。桃園高校の丈の短いスカート。それで蹴りを繰りだそうものなら、いったいどうなるか女の子であるアウルの方が熟知しているだろう。
金髪の少女の白い肌があっという間に赤みががっていき、そして――、
「きゃああああああぁぁぁぁ」
実に女の子らしい悲鳴を響かせて、ぺたんと座り込んでしまった。
やはりと言うのは失礼だろうけど、アウルも下着を異性に見られれば恥ずかしがる女の子だったということか。とはいえ直前まで敵対していた側としては、こうして座り込まれると非常にやりづらかった。もともとアウルをどうこうするつもりはなく、話を聞き出せればよかったのだ。
戦意を失ってくれたのなら結果オーライと言えただろうが、残念ながらアウルの闘気は増す一方だ。頬を朱に染めがならも怒気と殺気を絡めた重圧を俺に差し向けている。
「いや、えーと……似合ってるんじゃないか? うん、似合ってる」
気まずさから、俺は後頭部に手をやりながら苦し紛れに一言。
しかしそれは逆効果だったらしい。うっすらと涙を溜めたアウルがキッと睨み上げ、
「ゆ、許さん。その記憶も含めて、何もかも忘れさせてやる!」
「下着のことはお前の自業自得だろうが」
「黙れッ!!」
理不尽な物言いに緊張の糸がぷっつり切れてしまった俺は呆れるしかない。
そんな短いスカートで暴れてたら下着が見えるのは当然だろう。恥ずかしいならスパッツでも履いてくればいいものを。
逆上したアウルの動きはかなり単調だった。フェイントを織り混ぜるわけでもなく、再び右手に青白い光を灯らせると真っ正面から突っ込んでくる。おまけにスカートを気にするあまり攻撃手段から蹴りを排除しているようだ。
冷静さを欠いて視野も狭くなったアウル、こうなってしまえばあとは楽勝だった。
体を横にスライドさせ、すれ違い様に足を引っ掻けて転ばせる。受け身もままならず床に倒れたアウルに覆い被さるよう右手を掴み、身動きできないよう喉に腕を押し付ける。
「俺の勝ちだな」
「くっ……離せッ!!」
自由な左手と足をバタつかせてアウルが暴れる。体のあちこちをぶたれて痛みを感じるが、それで動じるほどの刺激ではなかった。無視しようとせずとも気にならない程度の痛みだ。
だが、あまり暴れられるのは鬱陶しい。
「――いいから大人しくしろよ」
ドスの利いた重低音で囁けば、アウルは身をすくませて抵抗を緩めた。
瞳が動揺を映し出し、明らかな恐怖が前面に押し出されてきた。
こいつには俺がどんなふうに見えてんだよ。
「別に取って食いやしねぇよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
「聞きたいこと、だと……?」
「ああ。それに答えてくれるってなら、今すぐにでも解放してやるよ」
「ふざけるな!! お前に話すことなど何もないっ!!」
この状況でよくこうも威勢のいい啖呵を切ったものだ。何をされてもおかしくないのに相手の機嫌を損ねるようなことを言ってどうするつもりなんだか。
そんなふうに強気にされると、心をぽっきり折りたくなるだろう。
「あっそ。ならいいよ」
「え? いい、だと……?」
アウルは信じられないように目を見開いたかと思えば、すぐに鋭さを宿す。
「どういうつもりだ。お前は何を考えている……?」
「あ? めんどくさくなっただけだっての。話す気がねぇヤツにいつまでも構ってらんねぇよ。だからもう俺に関わるな鬱陶しい」
アウルから話を聞き出せればそれが一番手っ取り早かったというだけで、必ずしも彼女から聞き出さなければならないわけではない。
昨夜のディクトリアの口調からしても近いうちに接触してくるのは明らかだ。だったらそっちから色々と聞き出せばいい。ディクトリアなら訊けば嬉々として語ってくれそうだ。
「悪いがそんなわけには――」
「まだ誰か残ってるんですかぁ?」
アウルの言葉を遮って聞こえてきた幼い声に血の気が引いていくのを鮮明に感じた。
「そこにいるのは誰、です、か……」
教室に入ってきた幼女先生こと久我先生が、俺たちを目撃して固まってしまった。
夕暮れの教室で重なる男女。誰がどう見たってそういう行為をしているように見えてしまうだろう。しかも抵抗する転校生を押さえ込む男子生徒の構図は、目撃側にしてみればとんでもない場面だろう。
「や、やあ久我先生。お疲れ様です」
「な、な、な、ななな……!」
俺の挨拶など耳に届いてないようで、頭から湯気を立ち上らせて呂律も回らなくなっている。
アウルも思わぬ目撃者に言い訳を並べているが、俺に組み伏せられた体勢では何も意味を成していない。
そして幼女先生が爆発した。
「な、何をやってるんですぁ!!」
俺はアウルの上から退くと逃走を謀るために鞄をひっ掴む。
呆然とするアウルをフォローする余裕はない。幼女先生がいるのとは反対側のドアから廊下に飛び出すと、玄関を目指して全速力で疾走する。
「こら冬道くん! 待ちなさい!」
「うげ、嘘だろ……!?」
第三段階にブーストした俺の速度についてくる幼女先生に絶叫しながら、ようやく見えてきた玄関で不機嫌そうに待っていた真宵後輩を発見する。
ドタバタと走ってくる俺たちに気づいた真宵後輩がぱぁっと無表情ながら明るくなるも、次の瞬間にはむすっとした仏頂面にシフトしていた。
そして近づいてきた俺に文句を言おうと口を開きかけた真宵後輩の手を握って逃走を続行する。
「かしぎ先輩? どうしたんですか?」
「いいから黙って走れ! このまま逃げるぞ!」
状況を呑み込めず唖然とする真宵後輩の手を握って、俺は学校を抜け出した。




