74操り人形
「もうだいたいわかっているのだろう?カイ・ルート」
ひんやりとした空気の中、響く低い男の声。
その他に物音もない、檻の群れの方へとこだました。
「いえ。ただ、あなたが俺の考えた策に入っていないことくらいしかわかりません」
対する青年は皮肉のこもった言い方をする。
それは当然の反応だと言えた。
彼は、ここにくることだけを考え、記憶をかなぐり捨ててまでやってきたのにもかかわらず、待っていたのは時代遅れの英雄のことばだったのだから。
「ふむ。お前の考えはわかっている。ただ、お前はそれに納得してはいないはずだ。世界を救うためとはいえ、人一人の存在を消すことになるんだぞ?」
「わかっています。そんなこと。でも、文献で読んだんです。記憶は再生が可能だと」
蒸し返された罪悪感に、ムッとして答えるカイ。
「それで、ここまできたのか?その程度の気休めを信じて?ふざけるなっ!」
「……」
「一度消えてしまった記憶は元には戻らない。それが世界の理だ。何人たりともそれに逆らうことはできないのだ。この神が言うのだから、間違いなくな」
「し、しかし…それじゃあどうすれば…」
「察しが悪いな、だからこうしてお前をまっていたのだろうが」
神は呆れたように首を振った。
「お前はなにをやっているのだ?ハワードよ」
「あ、あれ?そういえば、なんでハワードさんが二人いるんだ?俺の意識の中の…って、よく考えたら、ある人物をトランスできてるイコールその人物は死んでいることになるんですよね?」
「はぁ…ここからなのか…自体は切迫しているというのに」
「とにかく、もったいぶらないで話してください。あなたは誰なんですか?」
「我は、神だよ。この世を創り出してしまった、愚か者さ」
「はい?神?英雄の真似事の次は神様気取りって…世の中大変な人っているものですねえ」
今度はカイが呆れる番だった。
神?
神話?
はっ!
漫画の世界じゃあるまいし。
ていうか、好きだけど、おかしいでしょ、うん。
夢ありすぎだし。
そこまで考えてから、カイはおかしな点に気がついた。
まてよ…ここを…どこだと思ってる?
タワーオブホワイトの最上階だぞ?
ここへ、看守でもないものが、たどり着くことなど…。
それにともう一度観察しなおすと、男はほとんど無傷だった。
棘のついた檻へとピタリとくっつけた手から血が滴っているだけだった。
ポタリ、ポタリとその下に血だまりをつくっていた。
それは、やけに艶っぽく、まるでグラスに注がれたワインのように光って見えた。
光源のほとんどない、この場所で。
「ようやく気がついたか?」
「いや、でも…」
「ああ…じれったい。現状をさっさと把握しろ。ベティのやつがどう動くかわかったものではないからな」
「ベティ…あっ!」
階段で、会った女。
そのあまりの美しさゆえに、現実感を失っていた女。
目の前に、実態としてあるにもかかわらず、絵画なのではないか、彫像なのでないか、と触れて確認してみたくなる、そんな女。
それでいて、ヒエラルキーの頂点、生物の王、そんな風格を持っていた。
なにをしてもかなわない。
絶対的な存在。
そう、見えてしまったのだ。
「ほほう、やはり会ったのか。お前たちを本格的に潰すつもりだな」
「………確かに、その方には会いましたが、潰すとはどういうことですか?」
「ふむ、話せば長くなるのだ。それにしても、なぜ、気を利かせなかった?ハワードよ」
神?はカイを、カイの中のハワードを睨みつけた。
しかし、ハワードは答えない。
そういえば、さっきからずっと黙り込んだままだ。
一体どうしたというのだろう?
「まあ、いい。我から話そう。手短にな」
全てを知ったカイが答えた言葉はたったの一言だった。
「よかった」
ホッと胸をなでおろし、答えた。
「そうだな、まだ、救いがある手だ。だが、敵は強い。はっきり言って、今のお前たちでは叶わんぞ」
「いいじゃないですか、そういうの。なんか、燃えますって。展開的に。やっぱり、敵を倒してハッピーエンド。これが一番わかりやすくていいや」
「だが、どうする?ゴールはあっても道はないぞ?」
「ご冗談を。そのレールを引くためにここにいらしたんでしょ?神様」
「ふん。ずいぶん罰当たりな信心もあったものだ」
神は豪快に笑う。
そこには、やはり、ロイ・ハワードの影はなかった。
やはり、彼はロイ・ハワードという名と皮をかぶる、人ならざるものなのだ。
「仕方ないじゃないですか。きっかけがなきゃ、人はなにも信じることなんてできません」
カイは不遜に笑った。
なにも知らないことが、恐ろしかった。
信じ切ることができないことが怖かった。
人を犠牲にするかもしれない。
人を傷つけるかもしれない。
たくさん殺すかもしれない。
それらが逃れようのない鎖となって、カイの心臓を繋いでいたのだ。
決して、自由に動くことができないように。
がんじがらめにしていた。
さながら、檻のごとく。
だが、それはもう、ない。
鎖は取り払われ、檻の閉ざされていた扉は解錠された。
今、カイはようやく、自由を得たのだ。
「今は人ならざるものだろう?」
「はい。『今は』そうです」
物怖じしない。
堂々たる態度で神へと言葉を跳ね返す。
「いいだろう。気に入った。お前に、世界救済の片棒を任せよう」
「お任せください。神様。…というか初めからそのつもりだったのでしょう?」
カイは人ならざるものへと笑いかける。
だが、その面持ちは真剣そのものだ。
そんなカイへと神は答える。
「いかにも。ふむ。やはり、信心も大事だが、頭のキレるものというのも良いな」
人間のように、満足気に笑った。
目元が年相応にシワを作り、横に開いた口は少し右上がりで、見たものに自然と笑みをうつしてしまう。
そんな笑顔だった。
カイはふと思った。
創造主とは、なにを求めて、世界を作ったのだろうか?と。
人間のごとく豪快に笑って見せたこの天界の王はなにを思い、なにを成そうと言うのか?
喉元まででかかったたくさんの想像と膨らんだ疑問符。
それらをなんとか呑み込んだカイ。
なぜか聞いてはいけない。
そんな気がしたのだ。
神が不器用なら、創造物も不器用ってことかよ。
カラカラと苦笑いすると、悟ったような顔つきの神もその笑みを何処かへ押しやり、やはり不安か?とカイの顔を覗き込む。
「大丈夫ですよ。うまくいきます。何もかも…ね」
なぜか訪れた、気まずい空気を吹き飛ばすように放ったふざけ調子の言葉。
だけれど、それは見透かされているのか?答えは返ってこなかった。
ただ、無機質で黒光りするあの檻の群れへと迷い込んで、しまいには消えてしまった言葉。
「大丈夫、大丈夫」
後遺症のような、責任感はやけに重たく、枷としてカイにもたらされた。
神の表情、それは単にカイへの心配ではないのだ。
創造主として父として母として、この世界の命運を祈っていたのだ。
己のてからこぼれ落ちてしまった赤子を、もう一度抱き上げたい。
なんとしてでもすくい上げたい。
その一心を、担う。
千年の時は人間への罰なだけではない。
神だって、同じように罰せられてきたのだ。
重いな。
重いだろう。
ようやく、帰ってきた彼の声がした。
かの英雄の声だった。
すまない。
私は逃げ腰になってしまった。
その積に最後まで耐えることができなかったのだよ。
本当にすまない。
平謝りする英雄へ、カイは答えた。
何言ってるんだよ。
あんたはうまくやった。
あんたがいなかったら、そもそもリリアさんだって生まれることができなかった。
だから、謝る必要なんてない。
人は人のままで、神にはなれないんだ…なる必要もないんだ…と俺は思う。
………。
それきり、英雄がカイと話すことはなかった。
カイはその原因となった失言を探そうとするが、見つけることはできなかった。
それに、今はそれどころじゃない。
「それで、聞きそびれていたんですけど…」
今なお緊迫感のある雰囲気の神に向けて言い放つ。
「ボスはどこに?」
一瞬驚いたように目を見開いた神。
それから、目の前にある、檻を指差した。
ここだよ。
あの低く響く声で。
そう、言った。
そして、カイは悟る。
計画は最初からご破算だったということを。
おそらく、ボス・フォアゲートという人間は、もうそこに存在してはいない。
カイでも噂くらいは知っていた。
監獄塔の頂上階。
そこに囚われたものは、心も身体も自由を奪われると。
だが、なぜ?
おかしい。
どうして?
俺はこんなことを覚えている?
記憶がごちゃ混ぜになる。
スノウ。
スノウ・ラク…サーヌ…。
ぐるぐると回る、名前。
それなのに、俺は…大事なことを見落としている?
計画は、ずれていたのか?
当初から?
俺は監獄塔について知っているはずだった。
だが、なぜ、ボスが頂上階にいると推定しながら、人格崩壊をその可能性として一パーセントも加味しなかった?
資料。
そうだ…資料に…。
誰かに操られている感覚。
そうだ。あの時…。
あの時?
いつだいつだ!いつだっ!!
「わからないっ!」
いつの間にか声に出していた。
かなりの大声で叫んでいた。
反響した自分の声が耳に入った。
切羽詰まった、焦りすぎて裏返った、滑稽な叫び声だった。
「いずれわかることだ。そう、焦るな」
神は静かに言う。
だが、そんな言葉で、その程度の言葉でカイは納得できない。
なんなんだよ。
この、すべてが誰かが作った脚本通りに動いて行く感覚。
やったこと、やるために捨ててきたこと、我慢したこと、我慢しなければならなかったこと、勇気をふりしぼったこと、ふりしぼらなければならなかったこと、全部が全部、糸に吊り下げられたカイ・ルートという操り人形が誰かの恣意で動かされてきたことだった。
その過程は自分でつかんだものじゃない。
自分で捨てたものじゃない。
その結果もまた同じ。
誰かが、そう仕組んだものなのではないか!
「茶番なのかよ!全部!」
神に見初められたあわれな女は争いを招く魔女となり、永劫の争いを止めるものが現れた時もう一人の青髮の魔女が生まれる。
みんな、不幸でみんな、被害者。
加害者であるはずの神が救われるための茶番だ。
その脇役として選ばれた自分。
そのままに動かなければいけない。
配役の通り。
筋書きに沿って。
「そんなの…そんなの…間違ってるだろ!どうして俺はあんたを救わなきゃいけない?悪役はあんたじゃないかっ!」
カイはギロリと神のその英雄と変わらぬ顔を睨みつけ、叫ぶ。
自然と身体中に力が入って、その衝動が一気に体を突き動かす。
カイの拳が神の顔面へ吸い込まれるように打ち込まれた。
だが、何かにぶつかり、何かに弾かれ、なす術なく、後方へ吹き飛んだ。
「お前に何がわかる。まだ十年かそこらしか生きていない者に、どれだけのことがわかる。言ってみろ」
神は静かに言った。
数メートル先に転がるカイへ向けて、一歩ずつ近づく。
檻から離れた方の手からポタリポタリと血の雫が落ちて、足音と同じリズムを立てる。
「…この、卑怯者がっ!それだけ力があるのなら、あんた自身がやればいいだろ!どうしてこんな回りくどいことをする必要があるんだよっ!」
カイは起き上がり、近づく神へと正面から向き合った。
怒りに打ち震える身体。
だが、他方でもう、わかってしまった。
カイにはもう人の痛みがわかってしまう。
どうしようもないくらいわかってしまう。
だから、身体に反して、意識だけは非常に冷静だった。
ちぐはぐな状態だった。
あれより、もっとひどい。
いつか見た、薄青色の瞳に浮かんだ、どこまでもどこまでも沈んでいけそうなあの悲しみ。
それより、ずっとずっと、比べようもないほど深い海が対峙したものの目に宿っていた。
いったいどれほどのことがあったら、ここまで暗い目ができるのだろう?
それは、想像もつかない世界だった。
それでも、わかってはいても、くちはとまらなかった。
「あんたなんかっ!いなければ良かったんだ!」
それはひどく鋭ったのに、神は静かにその痛みに耐え、その瞳の色をより暗くしただけだった。
「そうか」
静かにそれだけいうと、神はそれ以上近づくのをやめた。
ポタリポタリと流れ続けるその手の血が黒く光るフロアの床を汚すのをただ手持ち無沙汰とばかりに眺めていた。
「………」
「そうか」
「そうか」
「そうか」
神はそんな短い言葉をただ繰り返した。
それから、なにも話さなくなる。
それは、話す話題がないとか、喉から声が出なくなったのかもしれないし、意図的に話さないのかわからなかった。
嫌な沈黙が流れた。
空気全部が取り払われたみたいに、息苦しかった。
「なんだよ、それ。なんか言ってくれよ」
かすれ声が息詰まる空間を壊す。
「なあ、怒れよ。否定しろよ。なあ、なあ、なあ」
カイは継ぎ足すように言葉を重ねて行く。
「どうしたらいいんだよ。なにが正解なんだよ。どうしたら、みんなが納得できるんだよっ!」
神はようやく口を開く。
「それがわかっていれば、こんな風にはならなかったんだよ」
神はまるで人間のように、自分に言い聞かせるようにして、声を出す。
「私には見つけることができなかった。だから、お前たちで見つけて欲しい。その秘密を知った上で、世界を救ったあとで、お前たちが決めて欲しい…」
そして、神はこう続けた。
次の神になって欲しい、と。




