61準備完了
「白翼展開」
口が動く。
自然に、それとなく。
滑らかで、淀みないその動作は実のところ、誰かから無理やり操作されるかのごとく無意識に行われたものだった。
唱えられた言葉はどこか、異質な言葉を思わせる。
それが、音となり、大気を震わせるのと、ほとんど同時に、信じられないことが起きた。
バサッという聞きなれない効果音。
不意に重くなった身体。
突然の出来事に、一瞬だけ焦る。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。
それが何を意味するのかを俺にはなぜかわかっていたのだ。
なんだか、自分が自分ではないような気がしていた。
何かを思い出さなくてはいけない。
そんな感覚だけはあった。
まあ、当然と言えば当然か…俺は記憶喪失なんだから。
しかし、これは…やりすぎではないだろうか?
俺という存在は一体どんなものだったというのだ?
恐る恐る、背中の方に手を伸ばす。
「マジか…マジなのか…」
柔らかっ!あったかっ!
俺は、今だに信じられず、その無数のフサフサとした物体の集合体の一部分を引っつかんだ。
ブチッ!
「いってぇ!マジじゃねえか!おいおい…俺って一体…」
とんでもなく痛かった。
背骨の方に軋むような衝撃が走った。
おそらく、弱点なんだろうなあ。
この、翼はさ…。
カイはその、手に持ったままの物体に目を落とす。
「白色の羽…ね…。あれ?なんか、すっごく大切なことのような気がする…ああ〜、でも、わっかんねえ!なんなんだよ?マジに…て、うわあっ⁉」
それから、突然のけぞった。
いや、仰け反るしかなかった。
今日は厄日だ。
なんか大事な気がするが思い出せないことがたくさんあって、でもなぜかわかりもしねえはずのその考え通り身体が動いて…。
金髪の男とわけわかんねえ会話したあと、身体が走り出したと思ったら、どこに向かうかもわかんねえまま立ち止まって、変な呪文を唱えた。
そして、今…俺は…
「ちょ、ちょっと待て、まだ心の準備とかさっ!な、いうこと聞けよっ!仮にも俺の体の一部なんだろーがよー!」
まあ、そうだろうとは思っていたが…ねえ?
そりゃあ、あれだよ、まあ、空とか飛ぶためにあるんだろうけどぉっ⁉
「お、おお、おおおおお!!と、飛んでる!飛んでるよ!」
やばいな…これは…もしかして俺、今めちゃくちゃかっこいいんじゃねえの?
…ああ、でも、あれだ…わかってるよ。
ちゃんと言う通りにするさ。
俺だって、もとい、『お前』なんだからな。
でも、不思議だな。
だんだんわかってくる。
これから起こることを考えただけで、ぞくぞくと全身が打ち震えてきやがる。
お前、すごい奴なんだな。
『俺』は尊敬するぜ。
たいそうな計画立てたもんだよ、全く。
でもな…
「安全運転をお願いしますよぉっ!マジに!」
叫んだ俺の頬の横ほんの数センチを掠めたのは、第四ブロックの高層ビル。
第四ブロックは第一ほどじゃないにしろ、田舎っぽいのは否めない場所だ。当然ながら、こんなビルも少ないわけで…
「なぜっ⁉なぜに自分から?!わけわかんない。なに?俺に恨みでもあんの?」
叫んでる内に、高度はまた上がったり下がったり、安定しない。
数秒前まで高層ビルの中断あたりを飛んでいたと思えば、すぐあとには民家の間をすり抜けていたりするのだから、たまったものじゃない。
あーあ。
「大事な翼に余計なもんついてちゃかっこ悪いでしょ…」
首だけ振り向くことに成功したカイは真っ白な、本当に漫画やら本から飛び出してきてしまったかのような翼をしげしげと眺めた。
そいつは今たくさんの色に染まってる。
数えるのも馬鹿らしいくらいに。
赤だったり青だったり、黒だったりそりゃあもうたくさん。
こんな風に眺めてると、ああ、本当に皆さんおしゃれなんですね…はい、と皮肉ともただの落胆とも取れる発言をしたくなる。
なにせ、この色すべておしゃれな人々が優雅におかけなさってる、装飾の旗たちなんだから。
これは、憤慨、激怒、復讐、報復の証。
要するに、開戦を『祝う』装飾たちだ。
お前の言ったとおりとすれば、戦争って奴は悲惨なもののはずなのに、どうしてみんなお祭り騒ぎで浮かれてやがんだ?
カイは首を傾げる…いや、その動作を完遂する前に、翼は急降下を始める。
「ちょ、だから、安全運転って…あ!おい、本当に、やばいってえええええええええ!」
必死になって両手を頭の前で組み、まるで向こうから意思を持って襲いかかってきているようにも見える旗の群れから、なんとか体を守り抜いたカイの視界いっぱいに広がったのは…準備中の…やぐらだった。
そこにきて少しだけ頭を回すと、改めて、人々の熱気の凄さを感じられた。
その場にいるだけで、自分まで染められそうになるような刺激の強すぎる色たち。
ああ、名前も顔も知らない人々だけれど、その感情だけはひしひしと伝わってくる。
これが、熱情なのか、これが、憎悪なのか。
なあ、お前はこんなたいそうなもんを無くそうってんだろ?
でも、どうやって?
………答えはない。
当然か。
それゆえに俺がいるのだから。
まあ、お前の言うとおりだとすりゃ俺はあくまで捨て駒だ。
お前が使命を果たすまでのな。
まあ、いいんだけどよ…
「まだ落ちてる!まだ落ち続けてるから!」
ドガッ⁉
「いってぇ!本当に融通きかねえな、お前は…」
ったく、安全運転って言葉知ってんのかよ…。
まあ、いいや。
なんか、不思議とあんまり痛くねえんだよな。
鍛え方半端ねえな。
それに、どうせ俺の身体じゃないんだし…て、あれ?
そうしたら、俺ってなんなんだ?
こいつが二重人格だとか?
ありえるな…うん。
で、そんなこと考える前に、この状況をなんとかしたいわけだが…。
地面にたたきつけられるのはなんとか避けられたまでは良かったけれど…
広場に集まってきた無数の人々。
そのほとんどが俺に反応を示した。
まあ、当然だろうなあ…
せっかく建てたやぐら?をぶち壊されたと思ったら、その犯人は真っ白な翼を生やして、逆立ちでやぐら?の残骸の上に立っている状態なんだから。
そうなりますよね…うん。
「翼だと!おい、あれ、魔人じゃないのか?」
はい、慌てた住民一人目!
一応肉って書いてある緑の安っぽいエプロン着けたおじさん。
髪の毛はもうかなり薄い、風前の灯だ。
もう、禿げへの階段登り切る寸前…と、
「なんだなんだ!何が起こってる!」
慌てた住民二人目…
身につけた水色のシャツは第四まではだけてる兄ちゃん。
これではセクシーと言うよりただの変態ですね、はい。
それと、若干腹筋の割れ方が残念なのも特徴…と。
え?そんなにのんきにしてていいのかって?
大丈夫。
いや、大丈夫じゃないとしても、俺にはもはや自分の身体を自由に動かすことすらままならない。
ああ、そんな役回りだよ全く。
「きゃああああ!し、白い羽って…ロシュ様っ!あれはロシュ様よ!」
はい、いらっしゃいました、慌てた住民…いや、もうなんかの宗教に盲信しちゃってる人かな?
麦わら帽子に白いワンピース、絵本の中から出てきましたと言わんばかりの清純派イメージのお嬢さん。
でもね、その帽子のつばに刺さってる旗に書かれた得体のしれない文字はなんでしょうね?
なんか、見てるだけで背筋がぞわぞわしてきますよ。
「魔人ではない…それでは…なんなのだ?」
怖がって、近づけないけれど、それを隠すために知的に見えそうな発言をする住民。
黒縁眼鏡に七三分け…いい感じにインテリ気取るのはいいですけど、男なら度胸も必要ですよ。
………て、流石に飽きてきたわ!
人増えすぎだし!
なに?俺、これから集団リンチでもされんの?
早くも百人は集まっちゃってるよ!
なんで?
戦争中なのに、暇だね?皆さん。
それに、お前の記憶だと第四ブロックってもっと閑静なところなんじゃないの?
なにも見るとこないくらい地味なところなんじゃないの?
ねえ?
なんかいえよ!
言えないのはわかってるけどよ!
とりあえず、どうすんのよ?
これ。
いや、待て。
冷静になれ。
よく考えてみろ。
もしかしたら、お前飛ぶのは初めてなんじゃないのか?
そうだ、お前はずっと焦ってる風だった。
それなのに、こんなお祭り騒ぎの真ん中に不時着する必要があるはずがない。
きっと、想定外の事態になってるんじゃないだろうか?
おそらく、俺の存在かもしくわ…この白い翼の扱いづらさが原因となって起こってしまったアクシデントなのではないか?
そうだとすれば…記憶のないお前は…。
「ったく、仕方ねえ。俺にかせよ。この身体。どうせすぐ消えるんだから。いいことやって俺にも存在意義くらい持たせてくれよ」
………いい、のか?
ひどくかすれた、ほとんどなに言ってるのかわからないような声が聞こえた。
気がした。
「いいってことよ。お前と俺は一つだ」
俺は肯定する。
断る必要も、何もあるはずなかった。
それに、だんだんわかってくる。
別物のはずなのに、身体が馴染んでくる。
いや、そうじゃない。
別物じゃないから、身体が馴染むのだと。
そして、言葉にした瞬間、カチッときた。
それはもう、気分の一気によくなるような小気味いい音だ。
ああ、帰ってきた。
俺の身体。
帰ってきた俺の記憶。
「ただいま」
自分の意思で言葉が出てくる。
すべてがうまくいってる。
すべてのピースは揃った。
あとは、はめ込むだけ。
おかえり。
声が聞こえた。
聞き逃しようもないくらい、大きく、響く。
耳元で太鼓を叩いたような衝撃。
うん。
これだ。
俺だ。
意思は整った。
これで、上手く、やれる。
「それじゃあ、予定通りにいくか」
俺とお前は同時に言う、そして、スムーズに動き出す翼。
俺の背丈よりも大きそうなどこまでも純な白い翼。
不思議なものだ。
その下には俺の骨が、俺の血がたっぷりとある。
不思議なものだ。
今度はうまく飛ぶ。
足のようにスタスタと腕のように器用に。
飛び上がる。
ふわりと俺に追いすがるように風が舞い上がる。
やぐら?にかけられていた無数の旗たちがさみしげに揺れた。
人々は目を見開き、俺を見送る。
俺は、行く。
空を駆ける。
ああ、いい気分だ。
誰にも邪魔はさせない。
誰にも阻むことなどできっこない。
俺たちは、一つとなったのだ。
人々も旗のむれもすぐに遠ざかる。
俺は彼らの届かぬ場所にいる、彼らのできないことをする。
そこには不思議と優越感やら満足感はこなかった。
あったのはさみしさや憂いと、そして願いだ。
ああ、翼が向かう。
俺が向かう。
そちらには何がある?
聞くな、感じろ。
もう俺にはわかっている。
でも、それって難しくないか?
お前も同意する。
けれど、できないこともない。
向かうは監獄塔。
救うはボス・フォアゲート。
ただ一つ、引っかかる記憶の断片。
白く揺れる、何かの尻尾。
それは、馬か?
いや、そんなものではない、そんな確信があった。
では、なんなのだ?
そして、引っかかる名前。
スノウ・ラクサーヌ。
女か。
どのような、女か。
それすらもわからない。
俺にあるのは使命だけ。
使命…ね。
その言葉はひどく重い。
ピカピカと光っていながら、どこか暗い。
錆びかけた銀のような鈍い光を放つそれは俺にとって一番に大切なものだ。
だが、それと同じだけの意味が、価値がスノウ・ラクサーヌという名に含まれているような気がしていた。
そんな俺にわかることは一つだけ。
俺の記憶はまだ不完全であるということだ。
だが、それよりも、大事なことはある。
前をみろ。
先に見えるは一本道、行くしかない、行かねばならぬ、よそ見をするな、惑わされるな、泣くな、笑うな、もっと大きなものが待っているのだから。
カイは行く。
大いなる願いのために。
捨てねばならぬものは全て捨てた。
払える犠牲はすべて払った。
それゆえに、カイは強く、どこまでもその足で歩いていけるだろう。
たとえ、そこにどんな障害があったとしても。




