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the third  作者: 深雪
64/83

59主人公

対魔戦争の初日の早朝…。


カイはある決意を胸に歩いていた。


散々に鍛えこんだ身体は見違えるほどになっていたし、考え抜いた頭の中は自分のものとは思えないほどすっきりとしていた。


ただ、ゴロゴロしていても一ヶ月。


逆に、利用しようと思えば、いくらだって変われた一ヶ月だった。


カイはスタスタと歩き続ける。


どこか、キビキビとした動きは、長年スポーツやら軍事訓練やらに身を投じていた者と勝るとも劣らないものがあった。


今、カイがいるのはグレース内でもかなりの物好きしか訪れないというレアスポットである、忘却街の一角。


どこまで歩いても、すれ違う者はなかった。


見かけた民家の門戸はすべて堅く閉ざされて居た。


どの辺りが街なのかもカイにはわからないようなところに見える。


そもそも、地下基地であるグレースはほとんどがくり抜いて作られた空間なので、自然と、通りだとかなんだとかはできづらい環境なのだ。


しかし、カイの目的地はそこではない。


そのさらに、奥の方に住む忘却街の作り主とも言える者、記憶屋。


事情から消し去りたい、あるいは消し去られなければいけない、そんな人々の記憶を片っ端から抹消するというユニークなお店だ。


とは言ったものの…忘却街の住人のように、事情に関係ない部分の記憶まで消されてしまうものもいるわけだから、簡単な話ではなかった。


記憶、すなわち、その人が生きてきた証の一つであり、思い出やら経験やらもまたそれによって生まれているわけで、記憶を消すと言うことは考えようによっては、人を殺すことになるのだ。


なんて、考え込むと、驚くほどに早く時間は流れて行ってしまった。


気がつくと、カイは、記憶屋と書かれた看板のかかった、両開きの扉の前で立ち尽くしていた。


そういえば、グレース内に両開きの扉はほとんどない。


だいたいがノブのついた、安っぽい片開きの扉だ。


それがなにを意味するのかはわからない。


それに今、それは重要じゃない。




「いいんだな?あんたの記憶がなくなっちまうかもしれねえんだぞ?」


記憶屋は言った。


事情を知る前と、ほとんど同じ言動だ。


記憶屋は確実ではないから、と記憶を消す作業には必ずそれなりの事情とその説明を求めるのだという。


だから、カイは自分の身に起こった、これまでの一連の奇妙な体験を余すところなく、話したのだ。


官僚でもあるまいし、今さら隠す必要なんて、なかっただろうし、それに…もし消えてしまうなら、誰かの胸の中でその記憶の一部が少しでも残ってくれれば割り切れる。


たとえ、それが赤の他人である、『記憶屋』であっても。


「大丈夫です」


カイは答えた。


涼しげに。


いたって冷静に。


その姿はやけに老成しているように見えた。


「別段反対するとか、せめるってえわけじゃあねえんだがよ…あんた、まだわけえったって大事な人の一人や二人いるんだろ?いいのか?そいつらの記憶全部…」


「いいわけないだろっ!」


記憶屋が全部を言い切る前に、放たれた言葉。


半ば反射的に出てきた言葉だろう。


カイは冷静などではなかった。


語尾の裏返った、癇癪を起こした子供の声。


「…すみません…でも、もう、決めたんです…」


小さくなった、カイ。


「憎しみも飲み込んで、記憶まで犠牲にして、使命使命って…。あんたがどうしてそこまでやらなきゃいけないんだ?俺たちが戦争で勝てばそれで終わりなんだろ?」


「誰かが傷つくかもしれない、誰かが命を落とすかもしれないじゃないですか」


「それが、戦争だろう?」


「そうです。だから、ダメですよそれじゃあ。散々考えました。この力を手にいれて、魔人どもを八つ裂きにして、何人も、何十人も、何百人も殺してしまえたら、どれだけ気分がいいかって」


「………」


「でも、ダメですね。父さんの考えが染み付いちゃってるみたいで、無理です、俺には。ずっと昔に父さんは言ってました。『痛みを知ったやつは他人の痛みをわかってやれる』って。それって、素敵なことだと思いました。すごいことだって。でも、実際に痛みを知るっていうのは生半可なことじゃなくて…」


「………」


「ずっと恐ろしい思想が渦巻いてて…さっき言ったようなやつです。ひどい時には、母さんに罪をなすりつけたりもしました。どうして、その場からちゃんと逃げなかったのか?とか、事故死だったらまだ割り切れたのに、とかひどいことまで考えました。でも、その時思い出したんですよ」


「なにをかね?」


「母さんが言った言葉です。『いつか、会える。人は必ず、また会える』だから、『さみしがることはないんだよ』って。聞いたときはすごく心に染み込んでくるような感覚があったのに、今まで忘れてたんですから、思い出した時は複雑な気分でした。でも、その言葉のおかげで割り切れた。いつか会える。さみしがることはない。だから、復讐なんて、必要ないんだって」


「そう簡単に割り切れるものかね?みな、その復讐にかられ、戦争を起こしてきたというのに…」


「いえ、でも、まあ、仇は父さんに取られちゃったみたいですし…。それに、そもそも誰かを傷つけるために計画を練ったりするのって性に合わないみたいなんですよね。これが」


カイは苦笑しながら言った。


「そんなもんかね。ワシがお前さんの立場なら、ガツンと一発やらないと気が済まんと思うが…」


「ええ、でも、ガツンと一発やった相手にも家族がいるんです、友達がいるんです、もしかしたら、恋人やら伴侶やらもいるかもしれない。そう考えたら、ね…誰かが割り切らなきゃ止まらないんですよ。この連鎖は」


「で、あんたにはその連鎖を断ち切る力があると、そう言いたいのか?」


「そうです。残念ながら、僕にはその力がしっかりあるみたいなんですよね…ははは…」


「で、あんたは犠牲になる覚悟もできてるんだな?」


「いいえ、犠牲になるつもりなんか、さらさらありません。ただ、みんなが幸せになるために力を手にいれるんです。争いを止める力を。そして、自分も幸せになってやるんですよ。ね?なんだか、やっと主人公っぽくなってきたでしょう?」


「主人公?なんのだね」


「漫画のですよ。昔からあこがれてて。痛みを知り、それに耐え、人々を笑顔に導く。でも、俺が好きな話って主人公が最後に必ず死んじゃうんですよね…まあ、俺は死ぬ気なんてさらさらないですけど」


「そんな軽はずみな…」


記憶屋の言葉をまたもカイの激情が遮る。


「軽はずみなわけないじゃないですかっ!……少しぐらいふざけさせてくださいよ。震えがとまんないんですから。震えながら記憶をなくして、ビクビクしながら戦場へ出向く主人公なんて嫌ですよ」


カイは震えていた。


まだ、青臭い精神は未知への恐怖に縮み上がり、一杯一杯だった。


なんで俺が、なんで俺が、なんで俺が…。


とっくに押さえ込んだ負の感情に流されそうになる。


だが、負けてたまるかよ。


カイは歯を食いしばった。


この一ヶ月間、何度も何度も繰り返した、忍耐の副産物。


「…ああ、そうだな。でもよ、ワシはそんな主人公がいたっていいとおもうぜ。痛くて辛くて、泣き喚いて、それでも誰かのために動く。いいじゃねえか、かっこいいじゃねえかよ。そんな主人公」


温かな、言葉。


絡まったロープみたいに、複雑になっていた心を丁寧に解きほぐすような響き。


「…ゔ、うぅ…うあああ…ちくしょう、本当は、本当は、こんな役目ごめんだったのに…どうして、俺が…」


とうとうカイは泣き出した。


どれだけ耐えてきたのかわからない悲しみが後から後からそのほおを濡らした。




どれほど経ったか、散々泣いてから、顔をあげたカイ。


スッキリとしたその表情には余裕の笑みさえ浮かんでいた。


「記憶屋さん。あんた、慣れてるだろ?俺みたいなやつ扱うのさ」


「ああ、でも、あんたほど立派なやつはいなかったよ。決意はできたのか?」


「とっくのとうに。それに、そもそもあんたが揺さぶったんじゃないか」


「ふん、まあ、そういうな。言いたいことが残ってるふうな顔をしていたからな。そういうやつに限って記憶喪失になりやすかったりするのさ」


「なるほど」


「こっちにきなさい」


記憶屋は手招きする。


カイは歩き出す。


二度と帰ってくることのできない、向こう側へ。


記憶屋が手を差し出した。


その腕は普通じゃない。


無数のタトゥー。


それは、絵柄ではなく、文字だった。


太古の昔に存在したものなのか、異国の文字なのか、そもそも何かの模様であるのか。


カイには知りようもなかった。


しかし、そんなものはカイの妨げにはならない。


もう、カイは向こう側へ着いたのだ。


渡ってきた橋は焼け落ち、谷間の激流に流された。


それでいい。


「おい、もっとよれ。俺は手長猿じゃねえんだぞ」


「手長猿?ああ、確かに何となくにてるかも」


「はああ、ったく、ついさっきまでは聞き分けのいいガキだったのによ…お前さん、二重人格かなんかか?」


記憶屋は笑った。


でも、この手のタイプによくある「がはははっ」なんて下品な笑いではない。


静かな、別れの…。


「二重人格…いいですね。これまでの自分と、もう一人の自分。片方だけ消えてくれたら、楽チンなんだけど」


「へ、バカ言うなよ。たとえそうなったとしても本末転倒じゃねえか。結局、あんたは大切なものをなくすことになるんだからよ」


「そうですね…でも、それなら、今のことは覚えておけるじゃないですか」


カイはなんのはずかしげもなく言った。


記憶屋は驚いたように顔をあげた。


「思うんです。わざわざあなたが俺の決別を手伝ったりしたのは、これまで、記憶をなくしてきた人の方が多かったんじゃないかってね。きっと、あなたは罪悪感でも感じてるんでしょう?俺の力不足のせいだって」


カイは記憶屋のやせ細り、肉という肉が削ぎ落とされてしまったかのように骨ばった顔を覗き込む。


途方もない、気苦労と疲労感が渦巻いている。


「大丈夫。全部覚えてますよ。俺は記憶力だけが取り柄ですから」


記憶屋はただ、目を大きく見開き、信じられないものを見たとばかりに口をあんぐりと開けているだけだった。


「それじゃあ、お願いします」


カイはゆっくりと記憶屋の脇にしゃがみ込む。


記憶屋はやっと我に帰ったようにパチパチと瞬きをした。


「いやはや、驚いたな、まさかお前さん、心でも読めるのか?」


記憶屋は気さくに振舞った。


無理やり作ったような雑な笑顔を貼り付けて。


だが、カイの前ではなにも隠すことはできない。


彼はもう知っている。


痛みを。


読心術なんて、必要なかった。


「ええ、友人が教えてくれました」


「そうかい、そうかい…あんたは、あんただけは…ワシのことを憶えててくれるっていうのかい?」


「ええ、さっきも言ったでしょう?記憶力が取り柄だって」


「ああ、もうわかったよ。ワシもお前さんの記憶力の方に一票だ。だから、頼む」


「ええ。いい仕事、期待しています」


どちらともなく差し出された両腕が、二人をつなぎ合わせる。


二人は、話した、ほんの数分で友となることができた。


それだけに、記憶屋は辛いのだ。


友の記憶を、自分の手で消し去ることになるかもしれないのだから。


しかし、記憶屋もまたとうの昔に橋は渡り切った。


ここはすでに向こう側。


仕事は半端じゃいけねえ。


常に、最高のパフォーマンスでなきゃよ。


カイとつながったままの腕のタトゥーが光り出す。


青い、光。


『光』でも、『闇』でもない。


鮮やかな、青。


空のものでも、海のものでもない。


深みと清さの双方が絡み合う、この世にない、青。


それが、記憶屋の腕の上を伝い、やがてカイ腕の上へと移ろいゆく。


まるで、蛇が這っているかのようにみえた。


それは、腕から肩へ、肩から首へ、首からほおを伝い…こめかみにたどり着いた。


そいつは本物の蛇が鎌首をもたげたかのように、立体的に、四十五度の角度で、空中へ伸びると、ある点で止まった。


そして、その点から、先端を矢印のようにその形状をかえ、こめかみへと一直線に入っていく。


全長三十センチほどの青く美しい光の蛇は、数秒後、すっぽりとカイの中へと入り込んだ。


それが収まった瞬間、カイの体は突然に崩れ落ちた。


眠ったのだ。


みな、記憶抹消の力を使うと、一瞬で寝込んでしまう。


久しぶりの仕事だったからか、精神が揺さぶられたせいか、ボーッとして居た記憶屋はカイの体を慌てて受け止める。


そして、言った。


「帰って来い。きっとだ、きっとだぞぉ…」


いつの間にか溢れ出た涙を必死に空いた方の腕でぬぐいながら。




どれくらいたっただろうか?


記憶屋が気を紛らわすためにか、タンスの奥から引っ張り出してきた本を、二周も読み終えてしまったころ。


「ん…うう…ああ…?」


記憶屋によって寝かせられたベッドで、眠り込んでいるはずのカイが声を上げる。


「おい、起きたか?」


「ん?…ううん…あれ?ここは?」


カイはしぱしぱする眠そうな目を利き腕でこすりながら言った。


「それに、あんた誰だい?」


「…悪ふざけ…だろう?こわっぱが…」


笑い飛ばしきれず、記憶屋はけしかけた。


「そっちこそなんの悪ふざけだ?…何で知らない場所で知らないやつに見られながら寝てるんだよ…て、おい、まさか、誘拐ってやつか?」


対するカイは本物の不安と疑いでいっぱいだった。


「…くそったれ…なんだよ、なんだよ、なんだってんだ…なにが記憶力が取り柄だ、なにが俺は憶えてるだ…。誘拐?ふざけんな!友人を誘拐なんてするバカがどこにいるってんだ!ちくしょう…」


「ああ、えっと、お取り込み中悪いんだけどさ、俺、なんかやんなきゃいけねえことがあるみたいだから、いくわ。悪りいな」


それだけ言い残し、カイはばっと布団をはねのけ、ベッドから飛び降りた。


そして、何事もなかったかのように、扉を開き、行ってしまった。


扉のバタン、という閉まる音がやけに重く、記憶屋の耳に残る。


「…約束やぶっといて…使命だけ覚えてんじゃねえっ!馬鹿野郎…」


記憶屋やりきれず、壁を思い切り殴りつけた。


その甲にパラパラともろい壁の一部と痛みだけがひっつく。


「くそうっ、くそうっ、くそう…ワシは…また…一人、殺しちまった…」


記憶屋は崩れ落ちた。


年老いた身体はすっかりボロボロで、自然についた膝はひどく痛んだ。


それから、呆然と、なにもなくなったベッドの上を見た。


「すまんなあ…本当に…すまんなあ…」


そして、ただ、いつまでも謝り続けた。


心から、心から。



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