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the third  作者: 深雪
62/83

57決意を胸に

『継ぎのない壁』


それは、高さ、十メートル、厚さ、一メートルのどこまでも続く石壁。


その表面にどこにもつなぎ目やら留め具やらがないことから、そのような名前で呼ばれるようになった。


それは、決して両種族が混じり合うことができないという事実を表しているかに思えた。


両種族、両国間の関係に付け入る隙はないのだ。


もちろん、例外的に認められた通行の例もあった。


しかし、そこには必ずしも止むを得ない、事情があり、本来は決して認められることはなかった。


要するに、戦争終結以来五十年の時が立った今も、両国は全く交流もなにもしてこなかったのだ。


それゆえか、『誓いの境界線』と呼ばれる第四ブロックの南端に位置するそれはこれまでにあったどの建築物とも違う、独特な存在感を放つ。


それは、街中に立ち並ぶ、レンガ造りの家々とも、タワーオブホワイトのあの目に痛いほどの白とも全く、異なった性質を持つ。


何者も通さない。


そんなテーマの強さゆえか、常にそこには張りつめた冷たい空気があった。


どんなに日の照った日も、どれだけ雨が降った日も、どれほど強く風が吹いた日にも、それは変わらずにピンと張りつめていた。


そして、その空気はとしに伝染し、第四ブロックには緩んだ部分というものがほとんどない。


街中を歩くものすらほとんどいない。


過疎地ではない。


人はいるのだ。


しかし、人々には行くべきところがなかった。


娯楽施設など、図書館くらいなものか。


それか、少しだけある遊具すらない小さな公園が数個だけだ。


すごい、ところだと思う。


アランは数えきれないほど、このブロックを訪れるものの、その気の休まらない空気にはいつもおどろかされるのだった。


彼はそれでいて、その空気が好きだった。


というよりも、その空気の作り出す雰囲気が好きだった…いや、もっと言えば、見たくもない《もの》を見ないで済むからである。


「…のはずなんですが…」


アランの視界にたくさんの人々が映り込む。


同時に見えてしまうたくさんの心。


それらはアランを否応無く揺さぶった。


いささか顔をしかめつつ、口をうごかす。


「しかしまあ、あれです。人族も捨てたものではないですね」


視界いっぱいに広がった人の群れ。


その数は計り知れない。


とりあえず、万は超えているだろう。


皆がみな、鎧やらなにやらを着込んでいる。


あるものはレザー、あるものはチェイン、いろいろだ。


人族はおしゃれだと聞いてはいたのだが、戦場でまでそれを発揮しなくてもいいのでは?という疑問が浮かばないではない。


浮き足立っているのかもしれなかった。


五十年も前の戦争以来、戦闘という戦闘はなかったのだろう。


きっかけはあったものの、すぐに戦闘的な意識がその身に戻ってきたとは考えにくい。


下手をしたら、死地に赴くことになるというのに、笑みさえ浮かべているものもいるのだから、誰も否定できまい。


これから、なにが起ころうとしているのか、名称こそわかるものはいても、その中身を知るものはいないのだから、それは無理もないのかもしれなかった。


なにも知らないにしても、徴兵制度もない人族が短期間でこれだけの人数へ膨れ上がったのは、素晴らしい。


アランは感心していたのだ。


しかし、アランは同時に知っていた。


常に死と隣り合わせであり、一秒一秒、自らが生きていることをなんとか確認しながら駆け抜ける、修羅場というものを。


死と血と憎しみと金の入り混じった、むせるようなその匂いを。


そして、彼はしかめたままの顔でスタスタと歩く。


それに合わせて、後方から無数の足音とが聞こえてくる。


ガチャリガチャリと、ワインレッドに染まった、鎧を身にまとった者たち。


ハーフ軍。


統率の取れた動き、規則的に響く鎧の音は、誰かの手によって重ね合わせられたかのように美しく、整っていた。


耳元で、質の良い音楽のように、爽やかに拡がる。


しかし、アランには見えてしまう。


彼らの心に渦巻く、様々な気持ち。


ある者はこの状況への、そして人族への憎悪でいっぱいに。


またある者は、魔人への恨みをつらつらと思い返した。


そして、またある者は、組織なんてどうでもいい、さっさと妻のところまで帰りたいと考えた。


みな、そのような感情の渦に呑まれないように、必死になって、行進する。


その統率が乱れぬよう。


「こちらもこちらで素晴らしいですね。まったく」


アランは笑っていた。


だが、なにも、一所懸命な行為というのが彼のツボに入ったのではない。


それらが崩れた時、彼らがどんな顔をするのか楽しみだったのだ。


彼はすぐにその場違いな笑みを引っ込め、しかめっ面にも別れを告げ、営業スマイルをいつも通りに貼り付けてハーフ軍の先頭を行く。


すると、彼の横に並んで歩いて居たレイピアが突然口を開く。


「アラン…リーダーになってから、口数、増えた」


「そうですか?」


「うん」


彼女はしきりに何度も頷いた。


長い髪が頭の動きに合わせて、揺れ、踊る。


燃えるような赤髮はワインレッドの鎧の上によく映えた。


神々しささえ伺えるその光景を見た時、アランはようやく晴れていることに気がついた。


見あげると、雲一つない、気持ちの良い晴れ方をした空があった。


そして、見上げた途端、アランの表情はまた歪むこととなった。


日の光は言ってみればハーフの敵なのだ。


というのも、空を見上げるという行為は、ほとんどのハーフにとって縁遠い話であるからだ。


地下に展開した彼らにとって、頭上を見上げるということは、天井を見上げると等しいわけで、普段からあの燃えるような日差しが身の回りにないのだ。


まあ、光玉は太陽の性質に近く、太陽の持つ養分なんかのいくらかを含んでいるらしいので、何とも言えないが、光量は確実に太陽に劣る。


そういった状況が生み出すのが日差しの問題だ。


…そうそう、こんなことを考えている場合ではなくて…。


アランは半ば脱線した思考回路を無理やり戻す。


…彼は、カイ・ルートはどこにいる?


アランは規定の位置まで達したのを確認すると、ハーフ軍を片手で制した。


すっかり手慣れてしまった、支配者の動作に、相変わらず似あわないなんて感想を抱きながら、黒髪・黒眼のとんでもない美青年を探した。


そして、アランはすぐに見つけた。


カイ・ルートが身につけているのはワインレッドの鎧ではなく、黒のレザーアーマーだった。


防御力は高いものの、どうしても、ワインレッドは重いわけで、以前から気に食わないといった面持ちでカイがそれを着ていたのはもう一ヶ月も前の話になる。


ハーフ軍はふつう、戦闘時のために用意された、ワインレッドの鎧で統一するのが一昔もふた昔も前からの暗黙の了解ではあったが、例外として幹部達は鎧を自由に変えられる特権がある。


より、最適化し、上にいるもの達の生存率を上げるための決まりでもあり、また、権威の象徴でもあった。


…まあ、私もそうなんですが…。


苦笑しながら見下ろしたアランの体躯は黒いコートに包まれていた。


コートといっても、様々な夕によって加工の施されているため、想像もつかないほどの強度を誇る。


それでいて、見かけ通りの軽さを持って居た。


小隊長達からしても途方もない金額だろう。


そこに、アランの理念が浮かんで居た。


『なぜ、家具なんかに、改装なんかに金を使う?生き残るためには食糧に水、一つの最硬の防具と一振りの最高の刀とが最も重要だ。それ以外はほとんどいらない。次に決して、他者は信じるな、でなければ足元をすくわれる。笑顔を崩すな、大概の場合人は笑顔に弱い。そのたった一つの表情だけで人は心を許してしまう。それから、敬語だ。敬語は人の心を狂わす。それを用いることによって、その心につけいる隙を作り出せ…etc…。そして、是が非でも生き残るのだ。』


「生きていれば、救われます。生きていれば報われます。生きて生きて生きるのです…」


そこまで言って、彼はため息をついた。


本当にそうでしょうかねえ?


なんて、付け加えた彼の顔は感情の色のない、ものだった。


さあてと、楽しみですよ。カイ?


あなたはどう化けるでしょうか?どれだけ…


「壊れるでしょうか?ふふっ、ふふふふ、はっはははは」


しばらくすると、 ハーフ軍は全軍、パルディア軍との打ち合わせの場所へと集まった。


『継ぎのない壁』の目の前に。


今、この瞬間、《壁》は崩れ去ろうとしている…いや、地獄への扉とかそうとしているのだ。


「いざ、戦地へ!」


パルディア軍から、偉そうな怒号が響き渡った。


おそらく、上官の声だ。


そこには、一切の震えがない。


しかし、かくしきれませんよ。


ぐぐぐぐぐぐぐ…ぎぎぎいいい…。


異様な音とともに扉は…口を開けはじめた。


あまりに大きなそれは、獲物に食いかかろうとする巨大な化け物のようにも見える。


そこから拡がる世界は、未知の世界。


アランは周囲を見回した。


はて、パルディア軍の大将はいずこに?


ブラッドリー兄弟はなにをしているのでしょうか?


見回しても、見つからない。


「…まあ、敵前逃亡なんて柄の方々ではないでしょうから、きっと策でもあるんでしょうね。それも、かなりえげつないやつを」


こちらとて、普段ならほとんど揃うことのない幹部達が、今回、欠員なしで戦場に出向くこととなる。


自分たちだけ高みの見物なんて、許されないはずだ。


その幹部達のうち、馴染みのある者たちが堂々たる姿で彼の背に並ぶ。


白銀の鎧に包まれたレイモンド。


兜を装着していないその尖った顔からは静かな怒りの色が見えた。


また彼の嫌というほど伸ばされた背筋は見たものすべてに変わらぬ緊張感を与えて居た。


そうだ。


我々にだって怒るべき事情がある。


まるで、遠い昔のことのように、動機など忘れて居たのかもしれないアランは、彼の表情でそれを思い出した。


レイピアは空を眺めて居た。


やはり、日の光の眩しさや澄み切った空の色は珍しいのだろう。


彼女の陽光を照り返し鈍く光るワインレッドの鎧は、部下達と同じ。


彼女の好みか、部下達と同じ立場に立ちたいというものかはわからない。


リリアはただ静かに見続けている。


どんな気分なのだろう?


どれほどの痛みなのだろう?


自分のすべてを奪った者たちと同じ場所に立ち、今度はそちら側として、同じ罪を犯すというのは…。


「…ゔぅ…!?」


アランは不意に襲いかかった痛みに思わず胸を抑えた。


ああ…ちくしょう、なんて、痛いんでしょうか。


とっくのとうに捨てたはずのこの痛みは、心は、最近弱くて脆くて仕方がない。


私はただ、世の理を知りたいだけだというのに。


それなのに、どうして私は…ああ、愛する女の表情一つでここまで…傷みつけられてしまうのでしょうか?


ぎぎぎぃぃぃ…ごごごぎぃぃぃい…かかかかかか…ゴトン!


ついに、化け物はその大きな口を開けた。


「 さてと、それでは行きますか。いいですか、みなさん。私たちはただ、ひとえにボスのために、動きます。ボスが笑顔で我々の前に帰ってこられるように。ですから、誰一人として死ぬことは許しません!」


アランは叫ぶ。


すっかり使い慣れた偽物の笑みを浮かべて…いや、もうその笑みが偽物かどうかなんて誰も気にはしなかった。


アランが言い終わる頃には、もう、その壁の前には誰もいなかった。


ただ、残ったのは、驚愕するパルディア軍と…


「ボスのためにっ!一族のためにっ!」


というハーフ軍の怒号の欠片だけが残った。


「やれやれ、私の指揮はいらないということですかね」


アランは心底がっかりという口調を作った。


それから、続ける。


「はぁ、本当に、どうしてこう、みなさん情に厚いんですかね?作戦、聞いてた人、いないでしょ?これ?」


ここでため息一つ。


「…ふぅ…まあ、いいでしょう。どうぞみなさん、続いちゃってください」


本当は順番逆なんですけど、と付け加えたアランの言葉を聞くものはない。


「うおぉぉぉ!」


「やってやるんだ!」


なんて熱い言葉だけ残して、みな、行った。


しかし…


「そろそろ私たちも行きませんか?答えは見つかったんでしょう?カイ?」


黒いレザーアーマーに身を包んだ青年は、その異様なまでに整った容姿に何の色も映さない。


「………」


「つれないですねぇ、カイ?いつから、あなたはそんなに無口になってしまったんですか?」


「…こんな事態なら、少しぐらい無口にだってなるさ」


やっと開かれたその唇から漏れた言葉は聞くものに重く刺さる、力があった。


「ずっと、図書館にこもってたせいじゃないですか?あれから、記憶の件もゴタゴタでやり損ねてしまいましたし」


「いや、それなら心配ない。全部俺がやったよ」


「それじゃあ、見つけたんですね?それを」


「探すまでもなかったさ…と、ていうか何で知ってんだ?それに…あんた誰だったっけか?」


「ちょいと、ハーフの指揮官やっておりますアランといいます」


「おお、そうか、いやあ、なんだか、あんたを見ているとモヤモヤすると思ったんだ。なあ、以前に俺とあったことあるだろ?」


「もちろんです」


「じゃあよ、俺の話を聞かせてくれないか?これから、死ぬかもしんねえってのに、自分の名前とやるべきことしか知らねえなんてさみしいからよ」


「記憶操作の副作用…しっかり出てしまったようですね」


青年はこくこく頷いた。


「ですが、そういうことなら、せめて私の名前くらいは思い出していただいてからではないと話になりませんよ」


「そーだなぁ…うーん…」


おそらく、カイだった青年は考え込む。


腕を組み、こめかみをコツンコツンと指先でたたく。


数秒後…


彼は突然何かを割り切ったような顔になり、言った。


「まあ、いいや俺は行くよ。何だか知らないが、俺自身がなんか焦ってるみたいだからな」


「そうですか、では、ヒントくらい差し上げておきましょう」


「おお、ありがたいな。で、そのヒントってのは?」


「はい。スノウ・ラクサーヌという名前に聴き覚えはないですか?」


静かにはなった言葉。


それは、まるで青年の中へと滑り込むようにするりと入って行った。


「す…のう…スノウ、ラクサーヌ…ね。うーん、ダメだな、ピンとこないや。おし、でもまあ、こいつがヒントになんだろ?」


「ええ」


「あんがとよ。じゃな、また無事で会えることを祈ってるぜ、アラン」


「はい。必ず…会いましょう…必ず…」


青年は二カっと、アランの中の青年とは全く違うタイプの笑を見せた。


そして、門とは反対方向へと勢いよく駆け出した。


記憶を、大切な人との思い出までもなくしたくせに、その思想、その使命だけを胸に、彼は走り去った。


全速力で。


全身全霊で。


それは、もちろん逃亡じゃない。


もう一つの戦いへ行ったのだ。


誰もいなくなった、まるでアランへと審判を下す門のような扉の前で、アランはただ、立ち尽くし、呻く…。


「…全く、本当に、あなたは、あなたって人は…」


想像を絶する痛みにアランはただ、身悶えるだけだった。


楽しみ?化ける?ふざけないでくださいよ。


「どうして、若い、若すぎるあなたが、そんなものを呑み込んでしまえるんですか?」


痛いでしょうに、苦しいでしょうに。


身を焼かれ、刺し貫かれ、押しつぶされ、引き裂かれる。


何という痛み、なんという、なんという…。


ああ、愚かな父親よ、あなたの息子は、なんて、なんて…。


心を揺さぶられたまま、戦場に出向き、なにができるのだろう?


わからない。


だが、行かなければいけないでしょうね。


いいでしょう。


わかりました。


カイ。


あなたが望むなら、望み通りにして差し上げましょう。


この私の力の限りを尽くしてね。


アランはいつの間にか手の中にあった紐で長い金髪をまとめ上げた。


決意を胸に。


「一歩どころか二歩も三歩も遅れをとってしまいましたからね!」


彼は駆け出した。


金色の髪が揺れる。


二つの世界が揺れている。


境界線が解かれようとしている。


だが、それを解決する方法は一つじゃない。


血を流す手段じゃなくたっていいじゃないですか。


今更になって、感心しますよ。


あなたの目は狂っていなかった。


ねえ、ボス。






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