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the third  作者: 深雪
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0ゴミの海へ

「ねえ、父さん…どうして、こんなことになってるのかな」


カイはひどくしゃがれた声で言った。


目の前にした男…フラメル・ルートは背が高かった。


高いのは身長だけではない。


たいそうなご身分にいる男だった。


なにせ、人族を魔人の手から守った英雄だというのだから対したものだ。


フラメルは赤色のコートに身を包んでいる。


その色は『選別官』統括者の証。


それは、最高議長と並ぶかそれ以上の地位を表す。


フラメルは、体躯に似合わぬその整った面立ちを苦しそうに歪めると言う。


「…すまない」


たった一言。


だが、カイが求めたのはそんなものじゃない。


「違うっ!俺が聞きたいのは、そんな意味のない謝罪なんかじゃない!父さん…なんでだよ?なんで、母さんが死んで、父さんは昇進してるんだよっ!」


カイはあと一歩で父の胸倉を掴もうか、というくらいの勢いで乗り出した。


手をついた古臭いテーブルがぎいぎいと嫌な音を立て、うっすらとその表面を覆った埃やらなにやらがうっとおしい。


「…それ…は…」


目の前のフラメルは返答に困ったらしい。


その上、度肝を抜かれていた。


目の前に久方ぶりに現れた息子の変化に。


逆に、饒舌なこの男のこんな姿を目にするのはカイにしても初めてのようだった。


すっかり形を変えられてしまった歯車が決して噛み合うことがないように、どちらの会話のペースも崩れてしまう。


「なんだよ、なんだよ、なんだよ!」


カイの怒りが、やるせない思いが滲み出す。


押さえつけようとした感情が何が何でも外に出ようと暴れていた。


対するフラメルは苦悩する。


頭を抱え、ついさっきまで、忘れよう、忘れようとし続けた一連の記憶という記憶が、妻の亡骸が、目の奥に浮かんだのかもしれなかった。


しかし、カイは逃がすものかとばかりに、実の父親へと止めの一言を吐き出す。


「なんで、そばに居たのに、母さんを守れなかったんだよ!どうしてっ!この国最強の男だったくせに!何のためにっ!何のためにぃ…」


「………」


場は、沈黙に沈んだ。


カイはただ、フラメルの答えを待った。


待った。


待った。


そして、返ってきたそれは…


「………すまない」


一言。


たったの一言。


そこに、どれだけのものがこめられるというのだろう?


カイはもういい、と一言を置くと、席を立つ。


「父さん、俺はもう向こう側にいる。だから、もう、会いにこないよ。それから、向こう側で、母さんの仇を討つ」


それだけ言い残すと、滑るように部屋をでて行こうとする。


場所なんて重要じゃないと言ったカイの言葉を半ばないがしろにして、あてがわれた客間の扉。


その取っ手に手をかける。


それを思い切り引こうとした瞬間、座ったままのフラメルが口を開く。


「…待ってくれ、あいつなら、もう私がやった。それなのに、おまえまで、行くのか?その先にはなんにもない、なのに、どうして?」


「決まってるだろ?父さん。そんなに簡単に気持ちが収まったらさ、戦争なんて起こらないんだよ。そんなに簡単に言われた通りああそうだって納得できたらさ、犯罪なんて起こらないんだよ。ずるいんだ。大人ってさ。やってみてダメだったから、やってから気づいたからって、あれもダメこれもダメってね。俺も、やってから気がつく方になりたいんだ。ずるい大人になっちゃいたいんだよ。収まらない感情の行き場もわからないまんまなんて嫌なんだ。そんなのよりは、今の父さんみたいなそんな表情が取れるほうがずっとましだよ」


長い長いセリフ。


まるで、うちに秘めたその感情を声に出して確かめたかのような、そんな響きがそこにはあった。


「………」


対するフラメルはなにも言えなかった。


ただ、何かを言いたそうな顔で扉を開く息子の背中を見つめていた。


そこを眺めていれば、答えがでてくる、そんな希望的観測さえしていたのかもしれなかった。


だが、残念ながら、答えは出なかった。


カイは振り返りもせずに、開かれた扉の向こう側へと一歩を踏み出そうとする。


ここで止めなければ、きっともう本当に帰ってこない…そんなことを男はきっとわかっていた。


しかし、フラメルには結局見つけることはできなかったのだ。


正しく、重い、カイをとどめておくための錨のような言葉を。


だから、なす術なく手を、伸ばす。


どうにかして、この腕の中で、愛しい我が子を守ってやりたい、正しく、繋ぎ止めてやりたい。


でも、だが、だけれど、しかし、この腕に、この体のどこに正しさなんてあるのだろう?


フラメルは自問する。


見下ろした、その両の腕に、筋肉ばかりついたこの腕に、あの色が染みついた。


黒…憎き、あの黒翼をまといし男。


赤…奴の血、臓物。


白…やつの骨、妻の肌。


ああ、ああ、あああ…私はなんて汚れているのだ。


フラメルは伸ばしかけた手をとんでもないと手元に戻した。


そのまま、切り落としたいという衝動にかられたが、最後くらい、我が息子に五体満足の状態を覚えていて欲しかった。


たとえ、もう、振り返ってくれなくとも、この存在を覚えておいて欲しかった。


しかし、フラメルの予測は外れた。


カイは振り向いたのだ。


振り向いた顔に浮かんだ色。


急にいろんな色を混ぜられてしまった白色がどの色に染まろうか、どの色に染まるべきか、考えあぐね、悩み続けている、そんな色。


揺れているんだ。


フラメルは希望を持った。


カイはまだ橋の向こうに渡ってしまったわけではない。


まだ、橋の途中にいるのだ。


どちらが、自分のいくべき場所か忘れてしまっているだけなのだ。


まだ、呼び戻せる。


でも、だが、しかし、どうしてか…男はわからなくなってしまったのだ。


私がいる場所は、本当に正しい場所なのか?


わからない、わからない、わからない。


フラメルにはわからない。


カイという青年。


生まれた瞬間から、いや、生まれる前から見てきたその青年が、ほんの少しの時間で、本当にわずかな時間の中で、見る影もなく、変わってしまった。


第七ブロックのように、妻のように、確実に、しっかりと。


でも、だが、しかし、だけれど、男は思った。


人の変化なんて、止められないのではないかと。


そして、また、自分を見返して、思う。


ああ、変わり果てたなんと意地汚い、見た目ばかりのボンクラ。


「さよなら、父さん」


カイはもう橋を渡る方向を決めてしまった。


もう、どの色が正しいか決めてしまった。


少しだけ覗いた横顔にはしっかりとした決意が見え隠れしていた。


ああ、私だけだ。


揺れている。


どちらからも引っ張られている。


千切れてしまいそうだ。


でも、それも、いいか。


だめだ。


よくない。


でも、だが、しかし、けれども。


ああ、いつから私はこんなにも、こんなにも、弱くなってしまったのだ?


あの頃は良かった。


あの時は良かった。


あの…もう、うんざりだ。


これから、また私は殺すだろう。


あの、見目麗しく、どこまでも汚らわしい、光り輝く、闇をたたえた、鎖で。


ブラッドリー兄弟は言った。


『光の成長』と。


こんなもの、成長なんて呼ぶものか。


そもそも、光と呼ぶことさえ、おこがましい。


こいつは、こんなものは…。


あの魔人の悲鳴が、耳元に蘇る。


いまさら、と男は思う。


だが、考えてしまうのだ。


あいつにも、家族がいて、大切な人がいて、友人がいて…。


バタンという音とともに扉は閉まった。


返ってこない、大切なもの。


この手で壊してきた誰かの、大切なもの。


重い。


あまりに重い。


こんなに汚れた腕では触れることすらできず、こんなに疲れた腕では持ち上げることすらできぬ。


ただ、男は息子の座っていた向かいの席に視線を注いだ。


すっかりさみしくなった客間はずっと広くなったように、男には感じられた。


そして、何かを思い立ち、すっくと立ち上がってから、すぐに、崩れ落ちるように椅子に座り直した。


ゆっくり、ゆっくりと壊れていくたくさんのこと。


秋の終わりの夕暮れの、あの今にも泣き出しそうな空の下、あの時にはたしかにたくさんのものが元通りだったのに。


男は背の合わないテーブルの上に上半身を傾けた。


ハッピーエンドなんて、簡単じゃない。


そもそもの問題はもっと前にあるんだ、と男は思う。


ハッピーエンドとは、なんなのか?


どこにあって、どのように目指せばいいものなのだろうか?


と。


男は一度、テーブルへと頭を思い切りぶつけてみた。


テーブルは嫌な音を立てて、揺れ、男の脳内も揺れた。


視界が揺れ、思考も揺れる。


だけれど、見えない。


ハッピーエンドも、向こう側も。


だけれど、仕事は待ってはくれない。


男はかぶりを振ってから、席を立つ。


そして、息子が手をかけたその扉へと向かう。


もう、息子と同じ道を歩くことはできない。


でも、だが、しかし、けれども、扉は開く。


開かなくてはいけない。


待っている。


たくさんの聴衆が。


待っている。


たくさんのくだらないものが。


いざ、行かん。


ゴミの海へと。


私にはそこがお似合いだ。


男はもう一度だけ何かを振り切るようにかぶりを振り、扉を開いた。


その先の、ハッピーエンドには程遠い未来へと。





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