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the third  作者: 深雪
55/83

51『それ』

当たり前だった日常が、関係が、突然崩れ去ってしまうことがある。


どれだけ大事なものであっても、逆にどれだけいらないものであっても、どれだけ時間をかけたものであっても、逆にどれだけすぐにできあがったものであっても、『それ』には抗うことなんてできない。


みな、ガラガラと音を立て、あるいは、少しの音も立てずただ静かに、崩れ去る。


たとえば『それ』はある人物の死であったり、またある時は小さな発見だったりする。


『それ』は想像もつかないまでに大きなものであったり、逆にいえば、考えもしなかったような小さな火種かもしれない。


カイの日常がそうであったように、ある魔女の夢がそうであったように。


そして今、新しいものが『それ』に巻き込まれようとしていた。




ワインレッドの鎧に身を包んだ男は大刀を携え、闘技場の円の中央に立っていた。


それをぐるりと取り囲む、客席は外側に行くに連れて高くなっている。


古代にあったものを真似て作ったと言われているが、男にはそんなことを知る由もなかった。


その収容数は千。


そのほとんどが埋まっていた。


しかし、彼らはワインレッドの鎧の向こう側を見ることは出来ない。


彼の刈り込まれた銀髪、鍛え抜かれた身体は決して衆目にさらされることはない。


彼にとってそれは喜ばしい限りであった。


なにも、自らの容姿に自信がないわけではない。


ただ、彼はあることを知られたくなかったのだ。


「今日はなかなか快適だな。いつも、これだけ風が吹き込めば、ロボロの仕事も減るのだがな」


男、レイモンドは土埃の上がった闘技場のサークルの中でつぶやく。


絶え間なく吹きつける風は彼の身につけた鎧のつなぎから入りこみ、彼の熱く昂ぶった身体から少しだけ熱を奪っていた。


鎧の上からも感じ取ることができるほどの風なんて、ここでは滅多に吹かないことをもちろん彼は知っていたし、それゆえに彼は快適だと言った。


そして、同時に彼はある予感に身を震わせる。


『滅多に吹かない』


彼は感のいい方ではなかった。


しかし、珍しく彼の感は働いていたのだ。


何かが起こる。


大きな何かが起こりうる、と彼の錆び付いた第六感が突然冴え渡ったのだ。


だが、彼にはそれを知る術がなかった。


そもそも、今の彼にとっては目の前の敵が全てだった。


眼前の敵、それはまた、彼と同じワインレッドの鎧に身を包んだ長身の者だった。


鎧の型からして、男だろう。


腰元には大刀がおさまっている。


それは男の背丈と同じだけありそうなまでの長さだ。


目分量でだいたい一メートル八十センチくらいだろう、とレイモンドは推測する。


そんな男はレイモンドより少し遅れて闘技場の門をくぐってきた。


場慣れして居ないのか、それとも、ここの空気に呑まれたのか向かって来る男の腰はかなり引けていた。


腰が引けたままの無様な姿でゆっくりとレイモンドの待つサークルの中央へと歩いて行く。


すると、わぁっ!と観客たちが興奮し、歓声、奇声を上げる。


ここではそれが合図なのだ。


レイモンドは舌なめずりをした。


準備体操なんて必要ねぇ。


手加減、法、反則、犯罪、それら全てがここには欠落してる。


だから、愉快。


だから、楽しい。


何をやっても、お咎めなしだ。


闘争心の赴くままに、敵を斬り、殴り、殺せる。


レイモンドは目の前の腰抜け男の大刀から目を離さずに、その視野を広げて行き、敵全体の動きを見きろうとする。


ここでは、どれだけ注意深くあろうとしても、足りないことこそあれ、すぎることはないのだから。


男が大刀を引き抜いた。


それまでの振る舞いからすれば初心者かと思われたが、大刀の柄を両手ではなく、片手でとった点、また、それによる少しの重みも感じさせなかった点とを見る限り、とんでもない判断ミスだ。


かなりの手練れであることはまず間違いないだろう。


レイモンドは頭の中のデータを完全に塗り直す。


彼は決して狂戦士などではなかった。


ここでは、頭なしには生き残れない。


彼は場の全てを手中に収め、その上で初めて動く。


それが彼のスタイルであり、楽しみ方だった。


「その点、アランなんかにゃかないそうもねぇがなあ。ありゃ反則だ」


レイモンドが嘆き、男は大刀を構える。


上段。


それは攻撃的構えで、相手を見下しているとも取れる、極端な構えでもある。


だとしたら、舐められたものだ。


レイモンドはため息を一つつくと、その深緑の双眸をカッと見開く。


「見えたッ」


そう、彼はここにきて全ての敵がしうるであろう動きを全ての推測し切った。


今、レイモンドにとって敵は手中のおもちゃにすぎないと言っても過言ではなかった。


彼が幹部たるゆえんである、『狂わずの分析と推測』である。


しかし、それはあくまで彼の身体能力の域を越えない範囲のものであり、彼は事実として『夕』をまだ使用していなかった。


「はぁっ!」


手練れに様変わりした男がレイモンド目掛けて大刀を振り下ろす。


片手で支えられた大刀は、その重さをどこえやったのやら、まるで新聞紙を丸めて作ったチャンバラ用の刀さながらの素早い動きを見せた。


だが、こんなものは茶番だ。


レイモンドは反射よりもより早いタイミングで自らの大刀をかかげ、敵の太刀を迎える。


ガキぃぃぃぃん!


少々きつすぎる金属音が、兜に収まったレイモンドの頭を揺らした。


やべぇ、いいな、これ。


この金属音、この衝撃が彼はたまらなく好きだった。


大刀をかかげ、敵の力にあいたいしながらも、その響きに身体を痺れさせた。


さすがに、敵の大刀の一振りは重力とともに振り下ろされただけはあり、重かった。


ジーンと熱く腕が打ち震える。


大刀同士のぶつかり合いが、そこで生まれた熱が、腕から、レイモンドの身体に染み渡る。


別に、よけてもよかった。


身をそらし、敵の空振りを誘う。


いくらすごい手練れが使ったって、大刀の重さはどうやっても、ゼロにはならない。


振り切り、それが外れたならば必ず隙ができるはずだ。


そこをつくのが一番現実的だとも言えた。


しかし、これは殺し合いだ。


スポーツじゃない。


反則も、禁止事項もない。


つまり、レイモンドは敵の『夕』の発動を懸念したのだ。


微弱な夕ならいいが、闘技場に参加するものが、そんなに中途半端な能力のはずがない。


ここは、努力だけでは勝ち上がれないのだ。


それゆえ、何が起こってもいいように客席とこちらのサークルの間には夕による強力な結界が張られていた。


目を凝らし、ジーと見つめ続ければ、何となく違和感を感じる程度の薄い膜のような透明な結界だ。


しかし、その強度は絶大。


未だかつて、破られたことがなかった。


まあ、でなけりゃ、客も命をかけて参加するということになるわけだが。


で、敵は結局のところ、夕の発動を断念した。


そりゃそうだ。


そうさせるために動いてんだからよ。


ジリジリと刃と刃が小競り合いを始め、レイモンドはそこに徐々に力を込めておく。


弱い、弱すぎだ。


構えもよかった。


勢いも良かった。


しかし、何かが足りないんだ。


そうして、レイモンドは気がついた。


おいおい、待ってくれ。


「お前、いつからそっちにいやがん…ダッ!」


レイモンドは無理やりに大刀を振り切り、眼前の男をその手の大刀ごと力任せにぶっ飛ばすと、そのまま、左足に重心をおき、腰を目一杯に利用し、回転させ、大刀の一閃を自らの後ろに伸ばした。


要するに、その場で一回転したのだ。


手応え、あり。


そのまま振り切った大刀はしっかりと『何か』を真っ二つにした。


その瞬間、レイモンドの目の前で『何か』は消え去った。


それは消えたというより、だんだんと虚空に飲み込まれ、あたかも異空間に送られて行くようにも見えた。


それが消えるのを見定めてから、レイモンドは男の方に向き直る。


数メートルはぶっ飛ばしたはずの、一撃をもらった敵の男はダメージどころか、尻餅をついた形跡すらなかった。


男の足元に、踏ん張ったあとのように残る足跡を伸ばしたようなあとがあるだけ。


「…この影…てめぇ、なんでお前がここにいんだ?ごら!」


レイモンドは叫ぶ。




目の前の男はなんのことかわからないとばかりに両手を頭の横にかかげ、ひらひらと振り回した。


「なぁに、言ってるんです?あなただっておんなじようなことしてるじゃないですか」


男は口を開いた。


それは少し、他人を小馬鹿にするような調子の含まれた、耳障りな声。


先ほどのレイモンドの一撃をなんとも思っていない上、身体の方にもこたえてはいないようだった。


「それに、ほら、あなたがそうやって大声を出すと、誰かに気付かれるかもしれませんよ?」


「だ、だが………。まあ、そうだな…」


レイモンドは何かを言いかけて、それを飲み込んだ。


それから、居心地の悪そうに表情を歪ませた。


「まあ、いいじゃないですか。気にせず騒がずに、この際、どちらが強いかはっきりさせませんか?」


男はすっぱり言い切った。


それから、不満げな調子で次のように続けた。


「まぁ、僕だってこの制度の恩恵受けているわけですけど。こんな風に制限つけることもないでしょうに、とは思いますよ。でも、仕方ないですよね?あ、それと、あまり夕を全開にはしない方がいいですよ?あなたのファンにばれますから」


男はその鎧に包まれた指で客席の一点をさした。


そこには、レイモンドの好敵手達が並んでいた。


好敵手…それは下剋上を狙い、度々レイモンドへと勝負をしかける挑戦者達のことだ。


先ほども言ったが、ここは下剋上ありの弱肉強食の世界なのだ。


この組織の中で幹部の地位は大きい。


とてつもなく、大きい。


たとえば、幹部に一生居座ることができた者がいたとする。


多少の義務はあれど、それさえ全うしていれば、衣食住に困ることなし、その上、服も部屋も食事も他のもの達とは段違いにいい。


良過ぎて困るくらいに。


そしてなにより、どうやっても使いきれないような量の金が手に入るのだ。


だから、狙う。


たくさんのものが、我先にと挑戦を挑んでくる。


そうなると、幹部の方は某スポーツのチャンピオンのように防衛戦をこなさなければならない。


それが毎日あったとしたら、体が保たないかもしれないが、半年に一回ときたものだからまだなんとかなる。


いや、レイモンドの場合は、逆に戦わずにはいられず、ついついこの闘技場に足を運んでは手応えのある相手を求めて戦いに明け暮れていた。(ちなみに、幹部はトーナメントの優勝者との決闘時以外は原則として闘技場の出場権限を持たない)


その半年に一度の式典はトーナメント形式で、立候補者でその対戦表を組み、その優勝者と幹部の者が争うことになっている。


幹部は十人いるわけで、その全員がその式典に参加させられることになるわけなのであって、その十人それぞれのためにトーナメントが開かれる。


要するに、立候補者が対戦相手を十人の中から一人だけ選び、その幹部ごとにトーナメントが開かれるのだ。


だから、案外みなが動かされるわけなのだが、その十人のうち四人は、もう何年、いや何十年も、トーナメントを開いていない。


一人はボス・フォアゲート、次にロイ・ハワード、それからリリア嬢、そして、アランの四人だ。


ボスとリリアはここの創立メンバーということもあり畏怖されているかもしれないし、まあ、ロイ・ハワードは知る人ぞ知る元英雄王なわけであって彼らと同列にいるのだろう。


しかし、アランはそうではない。


彼の肩書きを知るものはいない。


どこで生まれ、どこで育ち、いつからここにきて、どのように生きてきたのか?それを知るものはほとんどいない。


だから、彼がトーナメントを開いていない、いや、開けないのは本当の意味で実力的にかなわないと悟られたからということになる。


まあ、そうだろうとレイモンドは納得する。


『 心を読む』なんていう能力は、強いなんてものじゃない。


もはや反則だ…と、話がそれてしまったが、要するに、レイモンドを含めた残り六人の幹部たちは半年に一度、トーナメントを制し、元幹部との決闘に勝った者あるいは防衛戦にて勝利を収めたものということになる。


「しっかしよぉ、どうしてまたお前と俺なんだろうな?俺はいつもいつも思ってたぜ、セイ。お前をいつかぶん殴ってやるってよ。運命ってのは、なかなか空気の読めるやつ見てぇだな、おい!」


「あー、あー。そんなに大きな声出さないでくださいよー。ばれますから、あなたがばれたら僕もばれますから、いいことないですから」


セイと呼ばれた男は鎧の上から耳を塞ぐ動作の真似をした。


「まあ、いい。いくらでもそうやっておちょくってろよ。こちとら、毎度毎度そのもう裂けすぎて口とも呼べねえような減らず口にのせられるのはこりごりだからな。このさい、削ぎ落としてやるよ」


「なぁに、言ってるんですか?兜の上から口をそぎ落とすなんて…無理に決まってるでしょ?…あ、すみません、夢、壊しちゃいました?壊しちゃいましたよね?いやぁ、僕だってあんまり人の夢を壊すとか…したくないんですよね…好きですけど。まあでも、銀ゴリラがあまりにバカなこと言ってるから、ついね?」


「…ふ、ふふ、ふはははは…ぎ、銀ゴリラとは、また、ずいぶんな言われようだな…」


レイモンドは男の軽口に対し、笑いながら答えるが、兜のしたは笑ってなどいない。


どんな湖でも干上がってしまうかのような、熱。


鎧を内側から焼くような熱が、ほとばしっていた。


そのグリーンの瞳は炎を型取り、銀髪は本人の意思を汲み取ったかのように逆立った。


この兜をレイモンドが一度下ろしたならば、誰もがこう形容するだろう。


『銀ゴリラ』と。


怒れる、狂気の、ゴリラ。


怒った猫のように逆立った銀髪。


筋肉質の引き締まった身体にそぐわない、少々下膨れ気味の顔はゴツゴツして毛深く、剃り残した髭が銀色に光っていた。




セイと呼ばれた男は大刀を構えた。


先ほどとはまるで違う、中段の構えだ。


謙虚に、冷静に、敵の太刀から身を守るため。


セイには、わかっている。


この挑発に乗らないはずがないと。


レイモンドは普段、血の気が多く気性が荒い上、見た目もゴリラのような男のくせに仕事や趣味についてはかなりの集中力と冷静さを見せた。


彼のどの作業も繊細かつ丁寧だ。


こと、戦いにおいては特にその集中力が半端ではない。


セイは知っていた。


彼の強さを。


だから、その血の気の多いという性情を利用したのだ。


これで彼は、攻め込んでくるはずだ、とセイは予測する。


でなければ、セイの勝つ可能性は限りなく低い。


なぜなら、レイモンドの分析力はほぼ正確に相手のこれからの動きを予測してしまうからだ。


いってみれば、後だしじゃんけんなのだ。


こちらがグーを出すのを見てからパーを出す。


そのくらい、彼は絶大な力を持っていた。


その証拠に、実は先ほどセイは彼のファンと言ったが、レイモンドへの挑戦者は年々減ってきているのだ。


それは、まさしく彼の実力の現れだった。


おそらく、だからこそ、こうしてレイモンドは戦闘的欲求不満から、『ここ』に参加しているのだろうとセイは予測する。


そんな彼の力はとてもではないが、セイが真っ向勝負を挑んで勝利を勝ち取れるほど、甘いものではない。


それゆえ、彼の動きを限定する。


そこから、『後だし』をなくす。


そうすることで、なんとか勝ちをもぎ取ってやろうというものだった。


そう、思案している間に、レイモンドがかけてくる。


五メートルという距離は長いのか短いのか、なかなか判断のつきにくいものだが、長いか短いか以前にこれは…速すぎる⁉


セイは構えた大刀の柄を握る両手に力を込める。


こちらだって、力なら負けない。


大刀を片手でふれるほどにまで押し上げた腕力は、勢いで圧倒される程度のものではないはずっ!




ガギィィィィィィン!!!


ものすごい音が鳴り響いた。


夕による結界をすり抜けたそれらは、一番前の席に座る観客の耳を多いに揺さぶった。


そして、それはもちろん、当人たちにも同じ、いやそれ以上の衝撃があったわけで…。


セイはその衝撃をなんとか耐え切り、顔をしかめながらも大刀を離しはしなかった。


闘技用の大刀と大刀はお互いが融合してしまうかとさえ思われるほどの衝撃をかぶってもなお、折れずに耐え忍ぶ。


二人の腕力と腕力とがぶつかり合い、一進一退を繰り返す。


ジリジリと足元の土ばかりが削れて行く。


気がつけば二人は円を描くように、立ち回っていた。


敵の後ろを、背中をとろうと必死だった。


能力を使うことも忘れて、ただ、暴力と大刀のぶつけ合いを楽しんだ。


セイだって、正面衝突なら負けない。


腕力にだけは自信があった。


しかし、当然のことながら、時間の経過と共に怒りは冷めていくわけで、次第にレイモンドの方も冷静さを取り戻した。


打ち合っていた大刀のにらめっこを即座にサラリと流すと、普段通りの分析を始めた。


彼の持ち味、フォームレス。


形なしの構えで。


大刀をまるでトートバックのようにだらりとさげ、敵の情報を把握し始めた。


そこへ、すかさずセイが飛び出す。


力強い一歩とともに、構えなおした大刀を目一杯の力で振り下ろした。


レイモンドの分析を阻むために。


しかし、それは裏目となった。


振り下ろした大刀は完全にすり抜けられ、宙を切った。


そして、すり抜けざまに、セイの懐に入り込んだレイモンドはセイのもう一方の手を入念にうち流しつつ、自らの利き手をセイの胸元へとかざす。


そして、何かを唱えた。


そこから、何かが発生する。


青く、光る何かが。


「がぁッ⁉あぁあぁぁぁぁぁ!」


セイが悲痛な叫びと共になす術なく、後方に吹っ飛ばされる。


彼のからだはまるでボールみたいに丸まって、後方にある夕の結界へと激突し、崩れ落ちた。


「…ッ!ぐふぁっ!?な、何をしたぁ!銀ゴリラぁぁ!」


結界の壁に持たれるようにして、肩で息をするセイが苦しそうに叫ぶ。


大刀は壁に打ち付けられた衝撃で手から離れてしまっていた。


持ち主を失った大刀はその禍々しい刀身を虚しくサークルの地面に横たえた。


「ふん、手品は種明しがないから面白い」


レイモンドは構えを取り直した格好でいたずらっぽく答えた。


まるで、立場が逆になっていた。


「く…ぐぅ…」


セイが胸を抑え、何かに耐えるように歯を食いしばる。


その何かは、わからない。


明らかにレイモンドの手のひらからその何かは発生したのだ。


そして、彼は、セイの身体に触れずに、彼を数十mも先の結界へと吹き飛ばしたのだ。


それによる直接的な外傷はなかった。


「では、手品の続きといくぜぇ!」


レイモンドはまた、前方に利き腕をかざし、何かを唱える。


今回も、まっすぐに、セイに向けて。


すると、彼の利き手が青く光だして…その直線上にいるセイが動き出す。


ついさっきまで辛そうにしていたセイは超高速で動い…いや、動かされていたのだ。


まるで、強力な磁石に引きせられる鉄釘のように。


その証拠に、彼の身体は走っていたのではなく、引きずられていた。


セイの身体がレイモンドへと近づいていくと同時に、サークルの地面に巨大動物の引っかき傷のようなあとが追いかけるように出来上がって行く。


「ぐぁぁぁ…ぐ、ふぁ、ぁぁぁ…お前、一体何を…」


「そんなこときにしちゃっていいのかよぉ?おい?今からお前、こいつに貫かれるんだぜ?」


レイモンドは構えていた大刀を片手持ちにすると、かざした利き手に添えるように構えなおした。


そして、意地悪く笑った。


「これだから、口ばかりでかけやつはよぉ、ぬわっはっはっはっはっはぁぁ!」


そんな銀ゴリラにセイはなす術なく引き摺られ、吸い寄せられていく。


そして、レイモンドの大刀の切っ先がついにセイの身体を刺し貫かんという瞬間。


シュッという音と共にセイの身体が大刀の切っ先をすり抜け、その刃の腹を手でなぎ払う。


これには、さすがのレイモンドも予想外のようだった。


大刀はレイモンドの力強い手から離れ、深々と、闘技場のサークルの中央に、突き刺さった。


そのまま、レイモンドの脇腹に一撃をお見舞いしつつ、スライディングでレイモンドの後方をとったセイはすぐさま立ち上がった。


だが、浅い。


流れた身体で、それも鎧の上に得物なしに浴びせた貧弱な一撃でレイモンドが倒れるわけもないことをセイはわかっていた。


では、他にどうしろというのだ?


レイモンドの方は予想の範疇を超えた事態に、驚きは隠せずにいるものの、食らった一撃をもろともせずに後ろへ振り返り、セイと真っ向から対峙する。


こうして、二人とも得物を手放してしまったわけだが、双方の戦意は全く衰えない。


むしろ、得物がなくなったことが二人のタガを外してしまったかのようにさえ見えた。


二人の手には握られていないはずの凶器。


しかしながら、それ以上の凶器とも取れるものを彼らはその身全体で見せつけていた。


セイの身体から黒いオーラ…セイ本人の影よりもずっと濃厚な黒色…が立ち上りはじめる。


一方、対するレイモンドの方からは青いオーラ…地上の上空を埋め尽くす空よりもずっと澄み切り、どんなに深い大海の水面よりも深い青色…がその全身をまるで、鎧のように包み込む。


「…お前、さっき言ってた軽口はどこへ行った?思い切り本気じゃねえか」


レイモンドが高笑いする。


油断なく、セイの動きを一瞬たりとものがすまいと。


「…そういうあなただって、銀ゴリラのくせに、やっぱり頭の方は冴えてるんですねぇ?」


セイはまたしてもレイモンドを煽るようにして返す。


だが、知っていた。


この相手に挑発は二度も通じないことを。


この男の鋭さを知っていた。


今この時だって、鎧の向こうでかすかに光る、トカゲのような緑色の双眸が自分のことを分析し尽くそうとしているだろうことも。


だから、これは挑発ではない。


本心だ。


まあ、この際言いたいことを言っておかないと気が済まない。


だって、死んだら、何も言えないから。


あーあ、こんなことなら暇つぶしに闘技場なんかにくるんじゃなかったなあ…とセイは考える。


片方が死ぬまで終わらないこのデスゲームで、よりによって格上の相手と出会ってしまうとは…。


そんなセイは頭の中で思い返して見た。


思えば、闘技場で格上のものと当たることなんて、昔はザラにあったような気さえする。


では、そんな時、どうやって自分は『死』を免れてきたのか?


ある時には、戦闘中に敵が持病の発作を訴え、中断されたような気がする。


いや、実際、それだけの理由でこのデスゲームが中断されるのは本来あり得ないことだが、その時のセイには目の前で血を吐く無抵抗な対戦者へと大刀を振り下ろすほどの残虐さがなかったのだ。


ある時には、対戦者の使用していた得物が規定を破った改造品であったことが戦闘中に明るみになり、観客席の最前列のさらに前に配置された審査委員会によって中断させられた。


ある時には…。


いや、違う。


自分は何かを忘れてしまっているような気がする、とセイは思った。


とても重要な何かを。


その何かはちょうどこんな…ああ、こんな風に風のよく通る時だった気がする。


分析を続けるレイモンドと思考にしばし意識を乗っ取られたセイとの、少しピントのずれた視線が交錯する。




そして、ついに諦めたセイと分析の完了したレイモンドの二人が正面から激突しようとした瞬間、『それ』は起こった。


起こってしまった。


『それ』は遥か上空から。


そう、文字通りの『上空』から、『それ』降ってきた。


『それ』…いや、『そいつ』は目にも鮮やかな蛍光色の緑。


その緑をこれでもかとばかりにまとったそいつは、ちょうど衝突ぎりぎりの二人の間を割るようにして舞い降りた。


そいつはいとも簡単に二人の暴力を止め、受け流し、上空からそいつを追うように降りかかる、がれきの雨を受け切ってなお、無傷に輝いていた。


そして、その輝きをまとった男は、その本来あり得ないはずの色の白い瞳それをぐるっと囲むようにある虹彩で周りを見回した。


細い身体に、人形のように整った顔立ち、そして何よりその奇妙な目と身にまとった緑色の眩しい光のおかげで、そいつはあたかも天空から舞い降りた天使のようにさえ見えた。


しかし、この光は『夕』によるものではない。


それどころか、彼は決して天使などではない。


レイモンドとセイは衝突の勢いのまま倒れこむのをなんとか堪えた体勢で同じことを思った。


そして、嫌でも心中に湧き上がってくる嫌悪感に顔をしかめずにはいられなかった。


ぽっかりと穴の空いた闘技場の天井部分から、地上の月がその姿をのぞかせる。


男を上空から三日月がその弱々しい明かりで照らし出そうとするも、男自身の輝きの強さに、月は諦めたようにその光を雲間に隠してしまった。


天から舞い降りた男は数秒悩んだ挙句、ようやっと自分の現状を把握し切った様子で、うんうんと一人で頷くと、口を開く。


「あのう、ここって『夕暮れ時』であってますか。そこに転がってる、雑魚お二人さん?」


それはさして大声ではなかったが、不思議と闘技場全体に響き渡った。


それによって、観客席から混乱と音が消え、手前にいた二人から何かが立ち上った。


同時に破けた結界が普段はほとんど視認されることのない自らの存在感をガラガラという音で示しながら崩れ落ちた…また雲間から現れた月の光をキラキラと反射させながら、ゆっくりと。


そして、『それ』は早速一つ目のものを崩したのだった。


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