48迎えに行こう
アランは図書館のテーブルにひじをつき、あれこれ考え込み続けるカイに、視線を向けつつ、ある場面を思い返そうとしていた。
そんなアランの目の前でカイの表情がクルクルと踊る。
それはとても鮮やかで、たくさんの種類と形を持っていた。
見ていてとても楽しいものである。
しかし、今のアランにはそれをそんな風に単純で、素直で、一本道な考えで認識することなど不可能に近かった。
視覚から入り込む映像にたくさんの情報が書き込まれ、とてもではないが、それらを無視することなどできない。
そして、とても重要で、外すことのできない場面がようやくアランの頭の中で形作られて行く。
平面から、立体へ。
色、質感、匂いまで。
濃密に、現実味をまぶし、頭の中で展開する。
とっくに中身のないコーヒーカップが彼の手の中で速度を増し、アランの思考はより深く、蘇る場面はより鮮やかになってゆく…
回廊、おそらく修練場の極近く。
珍しく風のたくさん吹き込んだせいか、少しだけいつもの古めかしさが緩和されていた。
石壁に吊るされた、剣と龍の紋章が涼しげに揺れて、入り込む風はいつも以上の勢いを持っていた。
そんな中、
「『天の誤り』…」
とつぶやいたアランの頭の中はこの男と話し出したあたりから、くしゃくしゃに丸められた紙のようになっていた。
こんなことは自分で言うのもあれだが、かなり珍しい。
「そう、天の誤りだ」
「カイが?」
アランは半信半疑で問いかけた。
しかし、この男が嘘つきではないだろうことは確かだった。
リリアの性格を考えればわかる。
彼女は偽りを見破り、真実を招き寄せる。
物事をキッパリと二分できる。
「ああ、そうだ」
ハワードが肯き、アランは怪訝そうな顔になる。
「しかし、現実味がありませんね。いくら、英雄のあなたの話だとしても、なんの証拠もなしには…」
『天の誤り』…それがなにを意味するのかはハーフならだれだってわかる。
しかし、あくまで伝説上のものだと考えられてきた。
『天の誤り』…文字通りに天が間違って生み落とした者。
いくらか宗教的な香りのする呼び方だが、やはり、それが一番一般的な呼び方だと言える。
彼らは我々と同じハーフとして存在しながら、その力は『夕』とは比べ物にならない。
それは、あらたな基準で図られるべきものだった。
そして、アランにはそれについての苦い記憶があった。
「証拠なら目の前にいるだろう」
「いえ、ですから…」
「お前の前に立っているのは誰だ」
「ロイ・ハワードでしょう」
「ああ、その通りだ。それ以外の何者でもない。そして、つい先日、俺は確実に一度死んだんだ」
「………つまり、こう言いたいわけですか?あなたは自分が蘇ったと」
「そうだ。それに、お前だって散々聞かされたのだろう?あいつから」
「ええ、確かに聞きました。墓だってあると。しかし、あなたは私の目の前で生きている。こうして息をして言葉を発している」
「それは、疑う余地があるまい」
「そうです。確かに疑う余地がありません。いや、ないはずでした。しかし、私にはあなたの心が読み取れないのです。そんなこと、これまでに一度としてありませんでした。一度踏み込もうとすると、なにか、濃い霧が立ち込めてその内部を隠そうとするのです」
「違うな。お前は間違っている」
「どういうことでしょう?」
アランはいささかイライラしていた。
普段は見えるものが見えない。
あたかも何者かに目隠しされてしまったかのようなその感覚のおかげで、見えることによってもたらされていた平穏やらなにやらが何処かへ飛んで行ってしまい、それによってもたらされた心理状況は結構なストレスを伴った。
それゆえに、彼の声は自身でもわかるくらいにとがり出す。
ようするに、今のアランには余裕がなかったのだ。
「まあ、そうだな、それはおそらく、我が死者であるからだろう。お前は死んだあとの世界を知っているか」
ハワードは組んだ腕の力を少しだけ緩めると、片足に体重をかけ、楽な体制へ移行した。
いつだって立ち話というものは疲れるものだ。
どうやらそれは英雄にとっても同じらしかった。
それから、彼は吹いてきた風にヒラヒラとゆられるマントの裾を一瞬観察すると、アランとは対極に冷静な態度で言う。
「知る由もありません」
「この際だからよく教えて置いておこう。死ぬということは、夢を見ることに近い。我は自分が死んだという感覚を知らなかった。…もしかしたら、死んでいることと生きていることは大差ないのかもしれん…それゆえに、始め、この世界に目覚めた時、我には特別蘇ったとか、元は死んでいたのに、なぜ?なんて考えもしなかった。しかし、違和感はあった」
「違和感…ですか」
アランはその言葉の解釈に頭を悩ませた。
整った顔はすでにストレスで歪み切っていた。
「そう、違和感だ。そして、会うもの会うもの皆が驚き、おののいて、喜び、怒った。その反応が一番の違和感だった。それでようやく気がついた。我は死んでいたのだと。それから、同時に蘇ったのだと」
「蘇ったと同時に死んでいたのだと気がついたということですね?」
ようやく出た結論に少しだけスッキリとした顔をするアラン。
「その通りだ。眠りから覚めたとき寝ていたのだと気がつくようにな。それにともなって、自分が死んだ瞬間を思い出した。真っ暗な部屋に突然、雲間からの月明かりが差し込んでくるかのように。そして、いくら考えても考えはまとまらなかった。だから、とりあえず、周りの期待にそうように振る舞い、誰かにこの違和感を伝え、この事実を伝えるべきだと考えた」
「そうして、私が選ばれたと?」
主旨を掴み始めたアランにだんだんといつもの余裕が戻って行く。
その声からは棘をかなりそぎ落とした形跡が伺えた。
「そうだ。それには二つの理由がある。一つはお前からは特別な匂いがしたこと。そしてもう一つはお前が我が死んだあとにここに入ってきたこと、すなわち、我の死によって惑わされない数少ないうちの一人だという点だ」
「つまり、あなたは私以外に嘘をついている」
アランは推測し、またその顔を歪めた。
しかし、それは怒りからではない。
練り上げられた、推測が正しかった場合に起こりえる、数々の不利益を考えたことからであった。
「そうだ。我は死んでいなかったのでもなく、実は生きていたのでもない。『本当に』死んでいたところをなんらかの力によって蘇ったのだ」
「なるほど、では、なぜ私にはあなたの心が見えないのでしょう?」
「それは、我が死者であるからだろうと言ったではないか。おそらく、我が感じている違和感のように、やはり死者と生者の間にはなんらかの違いが生じるのだろう。その証拠に、我には以前のように身体中を這い回る『夕』の存在が感じられなくなった。それはつまり、我が蘇るにあたって失われたものだろう。そして、信じられないことかもしれないが、我には確信がある」
「なんです?」
「我はおそらく、じきにまた死者の国へ戻ることになるだろう。それが今更になって分かった」
「今更?」
「そう、あの少年にあった途端に、パズルの最後のピースがはまり込むようにわかったのだよ。我はこの少年によって生かされていると」
「ですが、そこに証拠はないと?」
彼の言うことには全て、根拠があるものの、抽象的で、感覚的だ。
そんなものでは証拠にはなり得ない。
「そうだ証拠はない。だが、確信がある。それから、きっと近々俺はまた消える。その時は帰ったと考えてくれていい」
「話をまとめると、あなたの正体はやはりあのロイ・ハワード本人であるが、その存在はすでに死んでいる。しかし、カイ・ルート少年の力によってこの世と結び付けられている。そして、以上のことから、カイ・ルートは普通のハーフではない、と言いたいわけですね」
「その通りだ。やはり、お前のような者がいてくれて助かる。お前なら組織をうまくまとめ上げることができるだろう」
ハワードは神妙な顔つきであらんを覗き込んだ。
そこに純粋な評価と期待とがあるのを何となく感じ取ったアランは背中のあたりがムズムズする感じを覚えた。
「そうやってすぐ、もうすぐいなくなりますアピールをするのはやめてください!まあとりあえず、事情はわかりました。これである程度の筋道が通ったと思われます。しかし、まだ、二つほど私の手に負えない問題があるのです」
「言ってみろ」
ハワードは促す。
「まず、一つには、ボスの所在がわからないことです」
「その質問には答えられんな。我はまだ、蘇ってからあいつと会うことができていない」
あまり動かないロイ・ハワードの表情が少しだけ苦しそうに、寂しそうに、歪む。
「わかりました。では、もう一つ、あなたが誰に殺されたのかということです。自分が死の世界に旅立った瞬間の話をしていただけないでしょうか?」
「いいだろう。長くなるぞ」
「かまいません。時間はたっぷりありますし、とっくに『人払い』は済んでいます。それに」
おそらく、そのことが一番の重要事項ですから、とアランは付け加えた。
アランがその時、自らが口にした言葉の中にリリアの姿を連想したのは言うまでもない。
去って行く彼女の背中で上下左右に揺れる青い艶やかな髪が表した感情は一つだけ。
寂しさだった。
それはもう、罪悪感が否応なく反応し、呼び止めてしまいたくなるほどの強いものだ。
ロイ・ハワードが帰ってきてからというもの、姿を消していたそれは、突然にやってきた。
それを見るたび、アランは自分の無力さを思い知ってきた。
なぜなら、アランはそれのわけを知っている。
それは彼の力ゆえに、見たくなくとも見えてしまうのだから。
でも、見えるだけ。
こちらからは傍観することしか許されない。
そのもどかしさ、無力感、情けなさ、悔しさと言ったらない。
好きな女性の辛い顔に、ただ同情のこもった視線を傾けることしかままならない。
また、それはこれから…ハワードの言ったことが本当なら、その表情はこの先、さらに増えるはずだ。
そうなれば…しかし、私は…。
いや、もう、いい…。
「………」
アランは零れそうになった言葉の成分をぎゅうっと押し込めると、決意のうかがえる引き締まった表情へと移行した。
そして、これまでになく研ぎ澄まされた洞察眼をロイ・ハワードの唇に向ける。
真実を知るために。
前進するために。
そもそも、後ろを振り向いていては、なにも始まらないのだ、なにも好転はしないし、自体は放っておけばさらに悪化するだけ。
洞穴の中で、光をやっと見つけ出したのだ。
いや、今回の場合、幸運なことに、光の方からこちらに出向いてくれたのだから、なおさら、迎えにいかなくては申し訳が立たないではないか。
回廊に、また、地上の冷たい風が流れ 、それとともに、真実へと続く光が今まさにアランへと降りかかろうとしていた。
彼はそこまで考えて、深くため息をついた。
イメージをより正確な形に再現すると言うのは、さすがの彼にとっても、かなり骨の折れる作業だったようだ。
手の中で遊ばれていたコーヒーカップはようやく自由の身となり、彼の向かいに座る黒髪に黒い瞳の少年は少しずつ、その表情の色を減らしつつあった。
自体は収束に向かっている。
図書館の雰囲気も、カイの精神も。
しかし、アランの頭の中はまだまだ落ち着きそうになかった。
ああ、やっぱり自室が一番落ち着けるということがよくわかります。
そういってふっと向けた視線の先で彼の瞳が捉えた光景は、さらに彼を憂鬱とさせた。
まあ、そちらに目を向けるまでもなかったんですが…あのですね…
皆さん、まだやるんですか?
彼の席にほど近い本棚に蟻のように群がった女達の数は倍に膨れ上がっていた。
その上、欠員なしだ。
フルメンバー。
飽きもせず、座りもせず、こちらに意味深な視線を送ってきていた。
彼は、なにを思ったかそちらに向けたままの顔に芝居がかった笑みを浮かべて見せた。
百人が見て、百人が魅入られるであろうその笑みは、例外なく女達を魅了し、対するアランはそれから顔を背け、表情を元に戻す。
ああ、組織の運営って…こんなことしなくちゃいけないんでしょうか…。
彼の心は複雑な感情に支配されていた。
人一人との関係を築くことなんて、彼に言わせればたやすかった。
しかし、それが九千なんて数になってみて下さいよ…考えるだけで頭が痛い。
アランは手元の本に目を落とし、プラス思考にはなれない頭で考え事を再開する。
そんな中、カイの決意はまだ固まらず、そこに向けられた一筋の熱い視線もその勢いを失うことはなかった。




