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the third  作者: 深雪
48/83

44回想versionリリアⅢ

「結局完璧な存在なんていないんだ」


それが私の出した結論だった。




ベティは常にニコニコしていた。


しかし、そこには嫌味はなく、完璧な笑顔だった。


美しいという言葉が霞んでしまうような容姿を持っていることに代わりはないのに、その笑みは見る者に嫉妬を感じることすら許してくれなかった。


しかしながら、皮肉なことに、その完璧な笑みが彼女をこの世とつなぎ合わせているもののように見えた。


彼女が表情を浮かべることによってようやく、ああ、彼女も私と同じ世界を生きてるんだと思えるのだから。


この表情すらなくなってしまったら、私にはもう彼女をこの世と結びつけるための公式が思い浮かばなかった。


ネロはそんな彼女の容姿に物怖じもせず、かといって魅了もされず、ただ、母さん母さんと甘えた。


ネロ少年は一緒に過ごしてみると、印象がガラッと変わったように見えた。


初めてあった時、私は彼の幼顔に甘えとか子供っぽさとかしか見えず、すこし見下した視線を向けていた。


けれど、そんなの大いなる勘違いだった。


いや、まあ、勘違いじゃないてんもあるのだけれど、彼の子供っぽさとか甘えはきっとベティに対してだからできるサインみたいなものなのかななんて思ったりして。


遠目でしか見ることのできなかったぼやけて見える彼の世界は、踏み込んでみると、想像よりずっと広くて深くて複雑で、海の底にある巨大迷路?みたいな感じだった。


彼との他愛ない会話の中で、彼が博識であることを知った。


彼は何でも知っていた。


戦争の話も、算数も、科学も、ここいらの特産物や、危険な場所とかその他たくさん。


彼はそれらの知識を順序立てて一から話してくれた。


そんな彼が話し終えるたび、私は彼の頭に感心し、少し得意げな彼を見て可愛いやつだなんて思った。


それから、彼が話している間(特に戦争の話で)に見せたどこか遠い場所を見つめるような視線や、時折見え隠れするどこか寂しげな、まるで、冬に吐く白い息みたいな表情に私と同じものを感じた。


そうして、私はネロ少年の価値を自分の中でどんどん高めていった。


少しでも多くのことを知りたくて、少しでも長く彼の顔を見ていたくて、そしてなにより彼に近づけたそんな気がしたから、私は嬉しくて叫んでしまいたくなる。


こんな風に誰かのことを考えたことなんてなかったから。


話すたびに、触れ合うたびに、見つめ合うたびに、ネロ少年に近づけた気がした。


ネロ少年との『仲』は昔みたいに、怖いものじゃない。


彼は決して怒ったりしないし、私を突き放しもしない、その上、ほとんど笑顔を絶やさず、頭の悪い私の不器用な質問にも丁寧に答えてくれて…あれ?なんか、いいところばっかりじゃないか…。


なんだか、初めて会った日の夜みたいに目の前で母さん母さんと言っているネロ少年がとてもかっこよく見えた。


ううん、違う。


かっこいいっていう言葉が霞んでしまうくらいに、『素敵だ』と思った。


あれ?


何言ってんだろ…私。


なんであんなに子供っぽい子が素敵なのよ⁉


私の精神の葛藤を見抜いたのか、それとも単に何時の間にか見つめてしまっていた私の視線に気がついたのか、彼が前(私の方)を向く。


「どうしたの?リリア」


彼が微笑んだ。


それは、初めて会った時には幼い少年のものにしか見えなかったのに、今は…とても、魅力的で、目をそらせたいのに、なかなかそうできないくらい素敵だった。


ああ、いけない、私はなに考えてんだ…。


ええと、返事しなきゃ、ネロが不思議そうな顔してるよ。


でも、なんて言えば?


あれ、ていうかさっきネロは何て言ってたんだっけ?


「う、ううん、大丈夫」


私は一番無難な答えを返してドギマギしながら返事を待った。


「そっか、ならいいんだけど」


どうやらうまくいったようで、少年はコトンと音を立てて置かれた料理の『おかわり』(夏野菜たっぷりの色鮮やかなカレーだったと思う)にその関心を移すと、とても上品とは言えないスプーンづかいでそれを食べ始めた。


彼はどんな料理も美味しそうに食べる。


苦手なものなんてないんじゃないかな?


下手をしたら、皿までたいあげてしまいそうだ。


きっと美味しそうに食事を食べられるというのも魅力の一つだ…なんて、何言ってんだろ、私…。


よくわからない気持ちになって、少しうつむいたら、お腹がグゥッとなった。


私は恥ずかしくて恥ずかしくて、慌ててネロの方に視線を移すと、良かった、彼の関心は完全に『おかわり』に乗っ取られていた。


ほおっと、ため息を一つつくと、不快なまでに熱を持った顔を冷ますために、パタパタと手で扇いだ。


なんか、いつもこんな風な気がする…私の分はとっくに食べ終わっているのに、彼の食べている姿を見ていると、口の中で唾液の分泌量がまし、胃のスペースが誰かに両手で裂かれたみたいに広がって、腹の虫が叫び出すのだ。


それは、いくらこらえようとしても、こらえきれない。


私のお腹はグゥと間抜けな音をあげて、私の顔はトマトみたいに赤くなり、高速で彼の表情をうかがう。


これが、最近のパターンだった。


私はそんな悪循環を変える方法を探しに探したが、結局見つからず、頭を抱えているところだった。


ベティがキッチンから戻ってくると、パタパタと扇ぐ手を止めない私を同性の私ですらウットリと見惚れてしまうほど優しげな眼差しで見つめる。


「リリアちゃん、ファイト!」


私はベティの甘い吐息と共に紡がれた言葉にハッとして、あわあわと両手を振った。


「え、あ、あの、な、ななななんのことですぁ⁉」


「あらあら、青春ねぇ」


ベティの口元がほころんだ。


まるでこの世の春が一気に集まったように見えた。


それでも、嫉妬はわかない。


そうそれは、ものすごい美人を象った彫像を見たときと同じで、もちろん、心を揺さぶられるし、ドキドキするのだけれど、そうなりたいとは思わないのだ。


そうなれるとも思わないし、そうなろうも思わない。


そんなことを考えるうちに、ベティが私の脇に歩いてくると、テーブルにまた何か皿を置いた。


「これは?」


私は目の前に置かれた皿の上に盛られた、三色の美しいゼリーに目を奪われた。


赤に紫に透明なそれらは、天井にかけられたランプの炎の揺らめきにつられるように艶やかな光を放ち、私はその怪しい誘惑になす術なく敗れた。


「デザートです」


ベティがまるで少女みたいな調子でキャッと笑った。


それは普通に考えれば年齢不相応な動作かもしれない、でも、ベティに限っては違ってくる…


「…いい!」


「?どうしたの。リリアちゃん。そんなに気に入ってもらえたかしら」


どうやら、口に出してしまっていたようで、私は多いにむせった。


ここにきてから自分についての様々なことが浮き彫りになってきたが、私はどうも突然の出来事などにぶち当たるとむせるという特性を持っているらしかった。


「ケホッ!ケホッ!いえ、その、はい、そうなんです。はい」


「おかしなリリアちゃんねぇ。ふふっ」


ベティは顔全体でほほえんだ。


それから、語り出す。


「実はねぇ、これ、結構手間かかってるのよ?紫はブドウ、赤はイチゴに、透明は桃味よ。ぜひぜひ、味わって食べてね?可愛い可愛いリリアちゃん」


ベティは私の頭に手を置いて、くしゃくしゃと優しく撫でてくれた。


その手が私は大好きだった。


温かくて、大きくて、『綺麗』で。



その感触に酔いしれた私はその時、初めて会って握手した時の女の手の感触との違和感に気づくことなどできはしなかった。



ベティはそっと私の頭から手を離すと、今度は椅子に座ったままの状態の私を後ろから抱きしめた。


その感触を私は形容することはできない。


いや、できないんじゃなくて…


「…うぅ…あったかいよぉ…お母さん…」


私の視界が歪む。


目からたくさんのものが溢れてくるのがわかる。


いつのまにか、口をついて出てきた言葉は『お母さん』だった。


ああ、もう最後に抱きしめてもらったのはいつだろう?


とっくのとうに失ったこの温度、この感覚は、もう、私には訪れないと思っていた。


きっと手に入ることのない幻想のようなものだと思っていた。


でも、その思い込み以上に、それよりずっとずっと先に求めていたのだ、渇望していたのだ。


だから、後から後から流れ出てくる温かくてちょっとだけしょっぱい水を私は止めることができなかったのだった。


こんなにすごいシアワセを私は受け取っていいのだろうか?


父と母みたいに、仲の良かった友達みたいに、壊れたり、いなくなったりしないだろうか?


私は極限までの幸福感の中で、それでもなお、不安で一杯だった。


そんな私を見かねて、ベティが私の耳元にその艶やかな唇をそっと寄せると、囁いた。


「大丈夫。ずっと、一緒よ。ずーっとね」


その甘く、優しい響きにクラクラして、その時の私は不安を忘れた。


そんなことを考えるのが『馬鹿らしく』なったのだ。



だから、私は気づくことができなかった。


その時、ベティの浮かべていた、薄ら笑いに、ちっとも美しさを感じられ無い邪悪な笑みに。



「あれ?リリア、どうして泣いてるの?」


ネロ少年は目ざとくこちらに目を向けた。


彼が食べ物から目を逸らすなんてあり得ないと思ったが、案の定彼の目の前の皿は空っぽで、彼の視線の先には私のゼリーが置いてあった。


心配してくれたのかと勘違いした私は、少しだけ醒めた気分になり、それを振り払うようにまた、ベティの感触を楽しんだ。


この椅子に背もたれがついていないことに、はじめて感謝した瞬間だった。


いつまでも、この時が続けばいいと思った。




そして、その日の晩こそ、私の『夢』の最後だった。








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