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the third  作者: 深雪
46/83

42回想versionリリア

「別に、慣れてる…から」


少女は自室で長い長いため息のあとに冷めたコーヒーのような響きで言葉を漏らす。


それは、彼女自身を決して救うことのない響きだ。


そこには諦めに近いものまで混じり混んでいた。


そう、言葉通り彼女は慣れていた。


たくさんの場所で、たくさんの状況で、たくさんの理由で、たくさんの人々に除け者にされてきた。


避けられ、罵られ、否定され、嘲られ、嫌われ、除外されてきた。


背の高い男、背の低い男、若い女、老いた女、地位の高いもの、地位の低いもの、老若男女、大変な数の人間によって彼女の価値は引き下げられた。


理由は単純で、簡単で、子供っぽい。


青い髪が少しばかり鮮やかすぎたこと、親がいないこと、成長が遅いこと、そして、傷がすぐに治ること。


世間は常識で片付けられないこと、平坦で応用の効かない法則から外れてしまったものを容赦なく切り捨て、その例外に目を向けるのではなくそれを排除しようとする。


その世間とやらに彼女は捕まったのだ。


ふと彼女は思いつき、壁にその華奢な背を持たれかけさせた。


思い出した話があった。


いや、思い出したくもない話であった。


だが、一度ノックしてしまった他人の家のドアのように、記憶の扉はもう、開かれてしまった。


だいぶ昔の話になる。


私はハワードと会う前、戦争孤児だった頃、ある人々との出会いからそれは始まった。


「これから、どうしよう…」


何日も食べられていない状態だった私は、喧騒の果てに出来上がった広野の隅に座り込んでいた。


衣服は破れ、むき出しの膝は泥だらけだった。


抱え込んだ頭には埃なのかなんなのかよくわからないものがたくさんつきまとって、とても清潔には見えなかっただろうと思う。


そんな私に対し、嫌味なまでに明るい光の柱を立てていた太陽が、不意に陰った。


頭のあたりの気温が少しだけ下がり、私の気分もそれに同調した。


「また…雨降るのかな…」


汚れた身体が汗ばむのも嫌だけれど、逃げ場のないこの場所で、身体の芯まで雨に冷やされるのはもっと嫌だった。


それに、雨は…嫌いだ。


まるで、私の髪の毛みたいに真っ青な空からおりてきた、水色の雫。


自分一人だって嫌になるのに、あんなにたくさんいてたまるものか。


それに、雨も、嫌われ者だ。


せっかく雲を伝って人の上に降ってきたのに、みんな、汚いとか濡れると嫌がられ、傘で弾かれる。


本当に、嫌になるほど私みたいだ。


でも…さ、まだ、私よりもましだよね。


どんなに大きい傘を広げていても、その人が転んだり、腕が疲れたり、人とぶつかりそうになったりしたら、きっと降り注ぐ雨の一粒や二粒ぐらいは、その人に届くはずだ。


それに、きっとあんまり雨が降らないところの人々にとっては、恵みの雨なんて呼ばれるんだろうし。


そう考えたら、私って…雨以下…なのかな?


私はそんなことを思いながら雨が自分の頭を濡らすのをまっていた。


「楽観的にかんがえたら、久々のシャワーだし…」


しかし、いくら待っても雨は降り出さない。


ただ、曇っただけなのかな?


そう思って見上げた先に、雲なんてありはしなかった。


いや、そもそも空もない。


いや、空なんかじゃなかった。


「うわぁ、すごいね!目に空があるよー!」


好奇心でキラキラ輝くその瞳の色は真っ黒だ。


年はいくつくらいだろう?


たぶん見た目だけなら私と同じ…十歳くらいかな。


私がいうのもなんだけれど…何でこんなところにこんな年頃の男の子がいるのだろう。


その疑問はすぐに微妙な答えを得た。


「ネロくーん。危ないから早く戻っていらっしゃーい」


今度は女の声だ。


きっと母親の声だろう。


もしかしたら彼らも…戦争で家を失ったのかもしれない。


どう反応したらいいかわからず、戸惑う私に男の子顔だけ後ろに向けると、元気良く答える。


「待ってー。ここに僕と同じくらいの女の子がいるんだ」


そんな男の子は、しゃがみこんでいる私からは少しだけ大きく見えた。


私は人に歓迎されたことが少ない。


非常に少ない、限りなく少ない。


だから、困った。


こんなことはなかった。


通り過ぎて行く人々は、私を視界の隅にすらいれないし、もし入ったとしても汚れた私を見下げ果てた目で見つめるだけだ。


なのに、どうして?


私はただ、正体不明の怪物に対して向けるような視線を少年の真っ黒な瞳にさしむけるだけだった。


でも、そこにはなぜか恐怖とか、不安とかはなかった。


どういうわけか、トゲだらけの私の心から角が削り取られていた。


何かに包まれていた。


そんな感じ。


少年が私の方にかがむのをやめると、待っていましたとばかりに太陽の光が私の目を焼く。


「………うぁ…」


私は耐えきれなくて、急いで両手で目を覆った。


視界が一瞬、真っ白になって、そのあと綺麗に黒に塗りつぶされ、そこに光の残像が幾重にも重なって映り込む。


頭が少し熱くなって、身体も少しだけポカポカとしてくる。


晴れ日とはいえ、冬のくせに、太陽が元気すぎてまいってしまう。


ああ、六角形に形を整えられた光がまだまぶたの裏を跳ね回り、身体の温度は現在上昇中だ。


「ああー。しゃべった~。こんにちは」


そんな私の耳に少年のハスキーボイスが挨拶する。


まるで本の中から飛び出してきた妖精みたいに透き通ったその声が妙に心地よかった。


「こんにちは~って…まだ朝早い時間じゃない」


「そ、そっかぁ~。じゃ、おはよ~ございまーす」


少年は一瞬首をかしげてからそう言った。


「ふふっ。何でそれだけ敬語なのよ。もう」


私は自然に笑みを作っていた。


口角をあげて、目を細め、ほおが自然と緩んだ。


ああ、なんだか、とても久しぶりだ。


この感じ。


なんだか綿毛の海に潜り込んだみたいにふわふわとしていて、とても、温かい。


そして何より、こんなにも気持ちがいい。


「あはは、あははは」


私は大口開けて思い切り笑った。


本当に珍しく気分がいい。


「そんなに笑わなくたっていいじゃないかぁ!」


男の子は、座り込んだ私より、はるかに高い場所でむすっとほおを膨らませた。


その子供っぽい仕草が、とても、同い年には見えなくて、余計におかしかった。


それから、彼の母親らしき人がここにたどり着くまでの数分間、私は笑い転げた。


目尻には涙が垂れ流しになり、腹筋がひめいをあげていた。


そこに、彼の母親がついに姿を現す。


「ネロ君、その子は?」


「あ、ええと…」


少年は口ごもった。


ああ、そうか、私、まだ自己紹介もしてなかったっけ?


少年もそうだけど。


「…リリアです」


「あ、そうなんだ。リリアっていうんだよ、この子」


少年も私に同調した。


というか、どうしてわざわざ昔からの知り合いみたいな言い方をするのだろう?


今、知った私の名前をさも昔から親しみがあるような感じに。


その上、ネロ…だっけ?に『この子』なんて言われると、なんだか自分の誇りみたいなのが傷つけられたような気がした。


「そう…リリアちゃん。可愛いお名前ね。年はいくつなの?」


「たぶん…十歳…くらい」


「くらい?」


「忘れることにしたんです。誕生日も、苗字と一緒に」


「どうして」


「もう、必要のないものだから」


「そう…大変な目に遭ってきたのね」


「…⁉え、ちょ、どうしてそうなるんですか⁉」


「目をみればわかるもの。あなた、とても可愛い顔してるのに、目が…陰ってる。それも、日陰なんていうような陰りじゃない。夕闇の中でもはっきりと見分けられるような影」


女は私の目を見つめる。


それはもう、見つめるという次元とはかけ離れたものだった。


私の中に、女という存在が入り込み、好奇心の塊みたいになって、そのまま私の心を暴く。


だが、それは決して嫌味な感じとか、嘲りとかではなくて、ただ、優しいお母さんみたいな手だった。


「だとしたら、どうなるんですか?」


私は今さっきの現象に(女の視線に)イマイチなれることができず、動揺したまま答える。


「私の夢に協力してもらいたいの」


「ユメ…ですか…」


「そう、夢。協力っていうのは少しだけ違うかもしれないわね。私の夢の一部になって欲しいなってことよ」


「どんな夢かわからないと、判断できません」


「そうよね、まあでも、ここに座り込んでいるよりは私の夢の中の方がよっぽど楽しいし、素敵だと思うわ。いらっしゃい」


女は私に手を差し伸べた。


泥だらけの、埃だらけのどこからきたのか、なにをしようとしているのかわからない少女に、何の抵抗もなく。


その行為は、私の警戒心を解くには十分過ぎるものだった。


こんな時代に他人に手を差し伸べられる人間は少ない。


いや、私の頭の中では、彼女が二番目くらいだから、極稀と言った方がいいかもしれない。


それから、さっきから首をひねったままこちらをポカンと見つめている少年、ネロ…だっけ?の存在も私の警戒心を解く鍵となっていたのかもしれない。


私は女の方へ手を延ばした。


すこし、躊躇してから、女の手を恐る恐る握り返す。


女の手は仕事のせいだろうか、ひどく荒れていて、想像もできないほどゴツゴツと硬く、まるで岩肌のようだった。


しかし、同時にどこか人を安心させる温かさのようなものがあった。


女はにっこりと笑うと、こう言った。


「ようこそ、私の夢の中へ」


女の優しい笑みに、私は胸が熱くなるのを感じ、女の脇に立つネロ少年は、ウンウンとひねっていた首を縦に振っていた。


冷たく乾いた風が、広野を駆け抜け、私の顔をそっとなぜた。


それが少しだけくすぐったくて、私は顔を伏せる。


そうすると、見下ろした土に、黒色の水玉模様が浮かび上がった。


雨、降ってきたのかな?


でも、私は見上げなくても知ってる。


今日は日差しの強い晴れ日だ。


ああ、でも、本当に、強すぎるよ…この光はさ。




それはかれこれ六十年も前になる、私に起こった悲劇の一つの幕開けであったのだ。


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