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the third  作者: 深雪
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2侵入

人の国パールの中心都市パルディア。


その中枢である第七ブロック。


そこにある、薄汚れた廃ビルの群れ。


通称、ビルの墓場。


しとしとと降り続く冷たい雨に、建ち並んだビル達は、明かりのつくことのないその窓のガラスを濡らしていた。


その中をビルの合間を縫うように走る女が一人。


女は空の青のような綺麗な髪を長く伸ばし、その先の方をピンクのリボンで小さく結んでいて、その澄んだ浅い湖のごとき青き瞳にはこの上ない使命感と決意がみられた。


そのスレンダーな身体をぶかぶかの赤いコートが隠している。


コートから覗く細い腰には、ほとんど装飾の施されていない短剣が鞘ごと収まっていた。


その姿はこの第七ブロックにあるまじき物騒なものであるのに、何故かそこに収まることが当然のことのように感じられるほど、格好がついていた。


雨に濡れて目を隠すように降りていた前髪をうっとうしそうに左右に分けてから、嫌というほど建ち並んだビルの群れを見上げてつぶやく。


「警備の目を盗むのにもってこいの場所ね」


第七ブロックにはパルディア大会議場というパールの政治を担う施設や、パルディア学院という光学の分野専門の生徒数が五千を超える学校などがあり、正しくパルディアで最も重要な場所と言っていい。


「それがこんな風にザルだなんて…ここまで上手くことが運んじゃうと、逆に怖いくらいね」


女は笑っていた。


とても不敵な笑みである。


彼女にとってはそんなことは微塵も恐怖ではないのだ、と誰がみても悟らざるを得ない、そんな笑みだ。


女は雨にしっとりと濡れた唇を人差し指で少しだけ触れてから、さらにつぶやく。


「ハワード、あなたを必ず取り戻してみせる」


女の言った直後、目の前に突然、立ち塞がったものがあった。


「あれあれ?こんな遅くに、君みたいなカワイイ女の子が一人で外出なんて…危ないよ?」


見ると、チャラチャラとした暖色の服装を、傘も刺さずに、雨にされるがままに、びしょ濡れにさせた男だった。


髪は雨に濡れていると言うのに、ツンツンと天を突く。


それは明らかに意図的に立てられていて、前髪だけが重力と雨の力に従っていた。


顔は鼻の低い間抜け面を、へらへらと下卑た笑いで、歪めていた。


いかにも、何も考えず、何も見えていないような男だ。


女の頭の中では、こういう男は早死にすると相場は決まっていた。


「そうかしら?私はあなたみたいな雑草が私の歩を阻む方がよっぽど危ないと思わざるをおえないけれど?」


女は腰に下げた短剣に手をかけることもなく、ただ、この男を見下げ果てた目でねめつけた。


「急いでいるからどいてもらえないかしら?」


「おい女、せっかく下手に出てやったってえのに、よくもまあそんな口が叩けるな?」


と、男は凄んだ。


目をこれでもかと鋭く尖らせ、睨みつけるように女をみた。


同時に、胸を張り、自らの強さと大きさを強調しようとした。


女の目にはくだらないハッタリとしか映らなかったけれど、なにを思ったか、女はわざとらしく自らの口を両手で抑えて、


「キャー、コワーイ!助けてー!!」


と叫んだ。


男のプライドに付き合ってやったようだった。


迫真の演技である。


「ふん、初めからそうしてりゃあいいんだよ!女なんてもんはなぁ、男に頭下げるようにできてんだっつの。ナッハッハ」


男は何も知らず、得意げな顔で馬鹿っぽく笑う。


「ふふっ」


女はそれを聞くと、思わず噴き出してしまった。


「何がおかしい!」


得意満面な男の顔が少しずつ、紅潮して行く。


まるでトマトの成長を観察しているようである。


それがあんまりおかしくて、女は笑いを止めることができなかった。


下手をすれば呼吸困難で倒れ、任務失敗だと真剣に心配になってしまうくらいに、それは止まらなかった。


「あは、あははは、もう、ダメ、あはは、これ以上、そんなに面白い顔しないで、あはははは…」


「お、おもしろい…か、お…?」


男は何を言われてるかわからないというように首を傾げた。


「あは、く、首傾げてる…あは、あはは…」


女は壊れた人形のように笑い続けた。


もともと女の笑いのツボは浅いのではあるが、この男はどうやら、女にはそうとうにおもしろい存在だったようだった。


そして、男はやっと自分がバカにされると気がつく。


すると、どこまで器が小さいのか、それだけで怒りが頂点まで達したようである。


男の顔に唐突に、何かに醒めた表情が浮かびあがり、半眼で女を睨みつけた。


「女、馬鹿にするのも大概にしとけ。俺は今、かなり頭に血が登ってるからよ」


男は凄んだ。


そこには先ほどにはない、妙な迫力があったけれど、女はまともに取り合わなかった。


というか、構わず笑い続けた。


「あはは、何それ?かっこいい~あははははは…」


男はそんな女を見て、手加減はしねえと一言だけ吐き捨てるように言うと、服のポケットから一本、ナイフを取り出した。


刃渡り二十センチほどの小型のナイフだ。


それを胸の前に構えると、掛け声と共に女めがけて突進し、そのままナイフを女の胸部を目掛けて突き出した。


迷いもなく、これから自らが行おうとしつつある行為が殺戮であることも考えずに。


「ウオォォォッ!!」


その刹那、一瞬だけ女の綺麗に澄んだ青い瞳にギラつくような熱が走る。


渾身の力を込めて突き出された男の手には感触がなかった。


それもそのはず、女は男の突進を、するりと横に体をスライドさせてかわしていたのである。


男は力みすぎて、知らぬ間に目をつむってしまっていたがゆえに、気がつかなかった。


そして女は振り向きざまに男のナイフを持っている方の手を掴むと、そのままナイフをもぎ取る。


それはあまりに流麗かつ、研ぎ澄まされた無駄のない動きであった。


女がナイフを持つと、それはあるべきところに帰ったとさえ思えるようなくらいに様になっていた。


一瞬の出来事にただ、驚愕し目を丸くした男に、


「ふふ、あなたのおもしろい顔に免じて許してあげる。でも、次に会ったら…どうしちゃうかわからないから気を付けて?」


と女は不敵な笑みを男に向けた。


手の中にある男のナイフを戦利品とばかりに、コートの内ポケットの、あらかじめ準備されていたような、ナイフをちょうど収納できるくらいのホルダーにしまい込む。


そうして、元の方角へと、踵を返し、走り出す。


女の姿が、その海のように青い髪が、しんしんと冷たい雨の降り続くビルの墓場の奥へ奥へと沈んでゆく。


だが、男の目に、夜霧に沈んだビルの墓場の深い闇の中でもお構いなしに、女の青く揺れる髪が強く深く焼き付いてしまい、いつまでたってもその後ろ姿が脳裏から離れることはなかった。


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