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the third  作者: 深雪
38/83

34兄弟

パール国、首都パルディア、第七ブロック、大会議場内役員居住スペース。


その無数にある部屋の中の一室は当人の趣味を思わせる黒ずくしの部屋となっていた。


そこには、部屋の主にそっくりの顔を持つ客人が訪れていた。


黒いテーブルに肘をつき、両手に顎をのせた男が長い沈黙を破った。


「どうだ、パーツ。これでお前のいう通りにことが進むんだろうな」


全身黒ずくめの男はその闇色の瞳を光らせる。


それはテーブルを挟んで対面している男に向けて放たれた言葉だった。


「もちろんです。兄さん」


と、対面した男は答えた。


それから、


「ええ、これで士気も高まりました。彼の持つ力を示せばさらなる意志の統合を図れます。それによって、国民皆が協力的に戦争に臨めばこの第二次対魔戦争もより早く確実に勝利という形で終わらせることができましょう。士気はやはり戦いにおいて最も重要な要素と言ってもいいほどの代物ですから」


と付け加えた。


男の唇には笑みにも近い表情が浮かび上がっている。


自らのはかりごとがうまく運ぶというのはやはり気分の良いものなのだろうか。


それとも、国のために働くことそれ自体が彼にとって喜びを生み出す価値あるものなのか。


どちらにせよ、男にとってこれ以上ないくらいにことはうまく運んでいた。


黒ずくめの男は少しだけ気を緩めたようでため息を一つついてから、急に砕けた口調で対面した男に語りかける。


「さすがだな。パーツ。お前は昔から他人には見えないものや見ようとすらしないものを見ることに長けた奴だったからな。僕よりもずっとこういうのに向いているよ。なんでお爺様は…と、これは禁句だったな」


と言葉を切った。


「………」


また、少しの間空間を沈黙が支配した。


対面した男は少しだけ寂しそうな顔を浮かべ、黒ずくめの男から目を逸らしていた。


まるでそうしなければいけないみたいに、沈黙を守っていた。


「すまない。気が回らなかった。僕のミスだ」


やっとのことで黒ずくめの男が空間に空気みたいに充満した静けさを壊した。


対面した男の顔をうかがうように下から見上げる格好になっていた。


テーブルについていた肘は行儀良く膝元へと収まっている。


「………」


対面した男は沈黙をまたしても呼び寄せた。


しかし、今度は先ほどとは比にならないほど短いものだった。


「………情だよ」


パーツと呼ばれた男はボソッと言った。


「………情ならお前だって…」


「持ってるさ。でも、僕には兄さんみたいに被害者の数を予測したりなんかしないし、そのために頭を捻って何日も眠れない夜を過ごすなんてことはしない。」


「そうか」


「いいえ、できないんだ。そんな風にウジウジ考えるより、身体を動かして身を粉にして働く。それが僕の本質だよ。そこに情は存在しない。あるのは利益の追求だけなんだ」


「それじゃあ、まるで」


「そう、空っぽなんだ。昔からそうだ。僕には中身がない。意味もない。本のない図書館、議員のいない会議みたいなもの。僕という容れ物にはなにも溜まっていかないんだ」


「………なにをバカな」


「その一言は兄さんが僕を理解できていない証だよ」


「どうしたんだパーツ…また兄弟げんかでもしたくなったのか?」


「いいや、そんなことじゃないただ事実を知らせただけだよ」


「『僕を理解できていない』?」


「そう、 きっと今兄さんが見ているのは、わかっているのは、表のぼくだよ」


「表があれば裏がある」


「そう、その通りさ。正直に言ってもう辛いよ、兄さんの顔を見るのも…『僕』のことを全然見てくれないから」


「………」


「きっかけはもう、僕が生まれた時点からはじまっていたのかもしれない」


対面した男の瞳が揺れる。


それから、彼は首を振った。


「いや、やっぱりもうあの時から始まってたよ」


「………」


「父さんも母さんも兄さんを可愛がって兄さんのことばかりしか見なかった。僕なんて視界の隅にチョコンと置かれた置物みたいに彼らにとって無意味な存在だったんだ」


「………」


黒ずくめの男は黙っている。


「でも、僕はそんなことには気がつかなくて、ただ、どうして兄さんばっかりってずぅっと思ってた」


「………」


「だから、いっときは兄さんを恨んだこともあった。でも、無理だったよ。兄さんを恨み続けるなんて、嫌うなんてできない。だって兄さんは、兄さんはただ優しくて、強くて、頭が良くて、それでいてちょっぴり臆病だったり、どこか抜けていたりする。そんな兄さんを嫌いになるわけない。なれるわけがないんだよ」


「………」


「辛かったよ。吐き出すことのできない怒りや痛みはさ。だから、そんな怒りや痛みを吐き出す対象を探した。方法を探した。でね、たどり着いたのが自分なんだ。だから、失敗をしたら自分を殴りつければいい。『お前が悪かったんだ』って具合にね。そうしたらスーと消えて行ったんだ。その怒りや痛みがさ。まるで潮が引いて行くようにサーとね。だけど、これまた厄介なものでさ、消えて行っちゃうんだ。潮と一緒に流されちゃうんだよ。僕の感情とか僕という容れ物を満たしていたなにかをさ。潮が残すのは虚無感だけ。消えて行く、痛みと引き換えに、怒りと引き換えに」


「………」


「だから、僕は容れ物だよ。ただ、いつまでも中身は空っぽの空虚で意味を持たない容れ物なんだなにをいれたって構わない。どうせそこに空いた穴から何もかも出て行ってしまうから、なんてね。ハハッ」


対面した男は笑った。


ひどく乾いたその響きはまるで部屋から湿度を根こそぎ奪ってしまった蚊のように思われた。


あまりの渇きに部屋が水を欲しているようにさえ思えた。


テーブルの中央の灰皿から立ち昇る灰色の煙がそれをより加速する。


黒ずくめの男の手はもう、膝元に収まるのをやめていた。


それどころか、男はテーブルに備え付けてあるイスに座ることすらやめていた。


男は客人である男と瓜二つの顔を持った男のすぐ脇に行き、そのダラりと地に下ろされた手をとった。


その手は傷だらけで見ていて痛々しいものだった。


その手のひらには袈裟懸けに人差し指の付け根から手首の方まで太いミミズのような形の傷が走り、まるでそいつから足が生えたように無数の傷がミミズをムカデのようにも見せていた。


触れると、硬く、ところどころゴツゴツしていて、岩肌を撫でているような感触がした。


この手でどれだけ自分を痛めつけたのだろう?


どれだけ、自分を傷つけたのだろう?


どれだけ、辛抱強く耐えてきたのだろう?


どれだけ、人を傷つけまいと自分を律したのだろう?


男はその強さと優しさの象徴を大切な宝物を慈しむように優しく、優しく指先でなぞった。


決してこれ以上傷つくことがないように、決して過去の痛みが蘇らないように。


それから、男は静かに口を開いた。


「お前は、容れ物なんかじゃないさ、だが、もしそうお前を表すとしたら、お前ほど中身の充実した、美しい容れ物など他にはないだろう。お爺様でも見誤ることはあるのだな」


客人はその言葉にか、その仕草にか、一瞬身体をびくりと震わしてから、深々とため息を一つついた。


「…これだから、兄さんを嫌いになるなんてできないんだ」


客人の不思議な色をしたその目からなんの前触れもなくツゥーと冷たい雫が顎を目指して流れ出した。


薄暗い部屋の中で、窓から差し込んだ月明かりに少しだけ輝く。


それは一粒だけで乾き切った部屋に潤いを取り戻した…少なくとも男にはそう見えたのだ。


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