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the third  作者: 深雪
37/83

33ツアー『夕暮れ時』?No.3(休憩所にて)

その後、『夕暮れ時』内のさまざまな施設を回っていったスノウとロボと僕の三人組。


しかし、ここ地下基地グレースをたった一日ですべて回るなんてことは言うまでもなく無理なわけで、回るペースをゆっくりにしようと、ひとまず今日のところの午前中の見学は終わり~とばかりに休憩所へ足を運んでいた。


「はぁ~グレースの中って…想像してたよりずっと広いんですね…これで何割くらいの施設を回れたことになるんですか」


疲れた表情をもろに表に出して、ふにゃふにゃとカウンター席に突っ伏した。


背もたれはないけれど、ここの椅子はとても感触がいい。


そのせいか尻とか腰がちっとも痛くなかった。


「そうですねー…だいたい一割にもいってないくらいですー」


さらっと言ってのけたロボは、カウンターの滑らかに加工された木のテーブルの上に肘をついて自分のほおをムニっと両手で押しつぶしている。


なんだか、写真に収めたいくらい可愛い画なのだが、そこは自粛しておこう。(もちろん光カメラなんて持ち合わせてもないけど)


ていうか、それよりも…


「はい、えっと…今、なんて…?」


あれ、耳がおかしくなったかな…一割とかそんな風に聞こえたんですけど。


「一割にも言ってないですー?」


うわぁ、まただ。


幻聴とか…うわぁ…もう僕ダメかも…。


「もう、カイってば、聞き返しても同じでしょ?なんにも考えてないわね!全く!」


スノウがなんだか棘のある口調で介入してきた。


なんだか、ここにきてからと言うもの、スノウと少しだけ近づけたような気がしていたのだが、それに伴ってスノウが怒りっぽくなっているような?


にしても身に覚えのないことが要因で怒りを巻き散らかされたら戸惑うことしかできない。


「スノウ…なんか怒ってる?」


隣の彼女に視線を移す。


なんだか少しだけポニーテールの先の方が乱れて肩にかかっていた。


「いいえ、別に…」


磁石の反発するみたいに、すごい早さでスノウが目を逸らした。


「おーい、スノウ?」


逸らした顔を覗き込むようにすると、また、ヒョコッと音がしそうなくらい勢いよく視線が逃げて行く。


どうやら相当磁力の強い磁石らしい。


追いかけても追いかけても逃げられるので、カウンターから半ば立ち上がって上から覗き込んでみた。


すると、スノウはその雪のように白いはずのほおをパッと淡いピンクに塗りつぶした。


「な、なによっ⁉別に、カイが他の女の子と仲良くしてるから、イライラしてるんじゃないんだからっ‼」


彼女が叫ぶ。


なんだか、すごく内容が具体的だ。


突然のことに驚いてる僕とロボの、口が開けっ放しになってる顔をみて、また彼女は顔をそらした。


でも…


「ええーっと…どういう意味?」


別に僕が誰と仲良くしてようと自由だと思うんだけど。


「な、なにも意味なんてないからぁ‼追及しないで!ていうかするな!」


「ええー、気になって寝られないよ」


「ね、寝られない⁈」


「え?なんか、間違ったかな?」


「ま、間違ってない!間違ってないからっ!あんたはいっつも正しいのよ!」


「そ、そう?なんか照れるなぁ」


そんな僕らをみてロボはニヤニヤとその童顔を意地の悪い笑みを浮かべ、頬杖をついていた手の片方をズビシッとスノウに突きつけた。


対するスノウはそちらには気にもとめていないけれど(気に留める余裕もない?)僕としてはその動作がなにを指すのがわからず、気を取られることになる。


そんな疑問は発生とほぼ同時に消え去ることとなった。


「カイは鈍感ですー」


「ちょっと待ってください。いきなり。そう言うのって半日の付き合いでわかるようなものなんでしょうか」


「はいですー。はっきりとわかりますですよー。とてもとても鈍感だと思われますですー」


「例えばどんなところですか」


「ええーっとですねー、スノウさんがあなたのことを…フギャ!?」


ロボの言葉が肝心なところで途切れた。


続きの代わりに猫みたいな可愛い悲鳴が上がった。


スノウさんがあなたのことを…なんだと言うのだ?


わからない。


つかめない。


そんな言葉の一片だけで、全体の意味を知ろうとするなんて無謀だ。


知らない土地で地図なしに目的地へたどり着けと言うのと変わらない。


まあ、その場合は人に聞くと言う手段がとれるから、その分楽かもしれないけれど。


そんな事態(ちょっと大げさかもしれない)になったのも、目の前でスノウがロボの口を抑えているのが原因だ。


ロボが赤い顔でギブギブとスノウの腕を叩き、身をよじって逃れようとするが、鬼のような形相になったスノウがそれを許さない。


「………」


僕はなぜか、ギロリとスノウに睨みつけられて、身じろぎもできずにいた。


金縛りに近い感じが僕を椅子の上から放さない。


それから、少しの間、「うぅーうぅーんぅ」という声にならない悲鳴だけがこの場を支配した。


僕は視線を移すことも、沈黙を破ることもできず、ただ、黙り込んでいた。


そんな時間がどれくらいかたったあと、押し殺した声をあげたのは白髪の美少女だった。


「………いい?カイ、あなたはなにも聞いてないし、ロボはなにも言ってない。それが今の現状よ。しっかり頭に刻み込みなさい」


その有無を言わさぬ圧倒的な迫力に僕はただウンウンと何度も首を縦に振った。


金縛りは何時の間にか解けていた。


「あなたもよ。ロボさん」


スノウが顔を鬼にしたままロボに問いかけた。


それは見てるものからすれば問いかけというより、脅しに近い行為だ。


ロボはもうほとんど力尽きた様子で、首を振るのも億劫という状態らしかった。


頷くというより、首を揺らしたという感じでスノウの求めに応じる。


そうして、やっとスノウが『鬼モード』を終了させた。


ふぅと安心したようなため息とともに僕のとなりに腰掛ける。


そんな彼女をため息をつきたいのはこっちだよ!なんて思いながら一見したあと、ロボさんに視線を移す。


何がスノウの逆鱗に触れたのか、ロボが何を言おうとしていたのか非常に気になるけれど、今聞くのは野暮だろう。


今度こそ、殺されかねない。


スノウの怒り方は突然で極端で加減を知らないから恐ろしいのだ。


あの整った顔をどうやって鬼モードまで歪められるのか本当に謎であるし。


『近づけば近づいただけ新しい一面を知ることができるのがお友達ってものだ』なんて父さんは言っていたけれど…知れば知るほど恐ろしくなるの間違いではないだろうか?


なんて考えながら、とりあえずガタガタ怯えているロボのちいさな背中をさすってやろうと手を延ばす。


だけれど、その手は彼女に届くことはなかった。


「あんたは…何を、しようとしてる」


解けたはずの鬼モードが再起動してしまったようで、またその声に異様なまでの迫力と重みがある。


耳から言葉が入り込むと同時に身体を拘束具で埋められたような感覚に陥り、また身体が動かせなくなる。


伸ばしかけた手が造り物みたいに完全に空中で静止した。


目的地まであと三十センチ。


近いようで遠い。


「………」


何も言葉が見当たらない。


とりあえず黙っておくのが身のためだ。


そんな僕をロボが哀れむような目で見つめる。


もうすでに恐怖からは解放されたようで、その身体にもう震えはなかった。


風邪を他人に移してしまったあとのような元気一杯と言った顔の上に、僕への同情の色を塗りたくっている。


僕は彼女に目で助けを求めたが、諦めろと言わんばかりに彼女は静かに首を左右に振って答えた。


君の人生はそこで終わりさと言わんばかりのその仕草に僕はさらなる恐怖へと突き落とされる。


恐ろしくて後ろを振り返ることもできない。


静かにことがおさまるのを待った。


だが、冷静に待つことなんてできない。


少しずつスノウの手が近づいてくるような気がする。


残り数センチくらいの距離だと思われ、なんとなくその存在を背中で感じ取ることができた。


そして、その手が僕の身体にヒットした時点で何かが起こる、そんな気がして頭の中が真っ白になって、椅子から転げ落ちそうになる。


少しずつ、少しずつ、だが確実に近づくスノウの手が何かを帯びているのは確かだった。


元来服の上から触れてもいない他者の温度を感じるなんて稀だし、それにしたらこの感じはあまり不自然で、あまりに熱すぎる。


スノウの手が近づくたびに背中の表面が熱くなって行く。


もう、風呂上りの直後ぐらい熱を持っており、先ほどまで気配すら感じられなかった汗がダラダラと背中を伝ってシャツを濡らす。


そこから連想されるもの…それは…


「炎⁉」


ついに堪えきれなくなって思い切りカウンター席から立ち上がり、後ろを振り返ると…そこには…


予想の域をはるかに超えてしまっていながらもあまりにもベタな光景があった。




キスをする直前の唇をすぼめているムチューという状態のスノウが僕の背中があったであろうあたりに位置していた。


そのほおは上気し、こちらまで湯気が漂ってきそうなほどの熱を有しているように見えた。


彼女の反則的とも言えるほど白く透き通っている肌が時折見せる変化は、その通常時の白さとのあまりにギャップがあり過ぎる。


悪いことにどうやらそのギャップは僕にとってかなり魅力的なもののようで毎度ドキドキさせられているけれど…今回は別格だった。


何といえばいいか…規格外というか、桁違いというか、別世界というか…とにかく僕の思考をこのように乱してしまうくらいの威力を持った光景だった。


「す、スノウ…ななななにやってんのさ」


「なにって…大胆に行こうかなぁって」


「はい…?」


「だってぇ、いつもカイはスノウのことを見てくれてないじゃない。新しく現れたリリアとかロボさんとかにはエロい視線向けてるのに…!」


え、エロい視線?


なんのことかわからない。


ぼ、僕はそんな目で見たりしてないね、絶対。


「そ、そんなの言いがかりだよ。まるで僕が女たらしみたいな言い方するなよな」


そう言い返すと、スノウは肩をガックリと落とし、その形の良い眉をションボリと下げた。


「う、ううん、違うの…。ずっと、ただ私はカイと一緒にいたいだけ、そう思ってた。でも、私は独占欲が強いみたい。それだけじゃ、嫌なの。私だけのカイでいて欲しい…そんなわがままを言ってるだけなの」


そんなことを言ったスノウがとても小さくか細い存在に見えた。


ほおっておくと何かに踏みつぶされてしまいそうで…ずっとそばにいて守ってあげなきゃならない。


そんな感じを覚えた。


でも違和感が、ある。


今のスノウは何かおかしい。


そう考えられる点はたくさんあるが、特には次の二点だ。


第一に僕が戸惑ってしまうくらいに大胆で率直な言葉を並べてるし、さっきなんて言った?


第二に私だけのカイでいて欲しいってそれってつまり、告白じゃないか⁉


「いやいや、ないないそんなこと絶対にない」


首を振り、自分に言い聞かせてからスノウの方を見た。


彼女のほおが上気して緩み、口元は少し逆アーチ型を描いている。


スッキリとした顎に左手で頬杖をつき、ムチュー状態は解けていたがそれはそれで魅力的…じゃなくて…


でも、ジッと観察して気がついた。


ほおの赤さが普通ではない。


何かあるはずとその原因を探すと、それはすぐに見つかった。


スノウの前のテーブル、そのちょうどスノウが頬杖をついているあたりにおしゃれなグラスがおかれていた。


そのグラスはかなりの時間そこに放置されていたのか、おそらく中にあったであろう氷は消え失せてグラスの底に発露した水滴がテーブルを濡らしていた。


「ちょっとごめん」


「へ?」


そのグラスを取り上げて中の液体の匂いをかいでみた。


「うっ、すごい匂い」


見事なまでのアルコール臭だ。


それもかなりすごい。


そうしてここに証明された。


スノウは酔っているのだ。


それも、僕に唐突に告白してしまうくらいに強く。


どうやら、僕はアルコールに弱いらしく、少し嗅いだだけで変な気分になりそうだ。


なんだか、フワフワする。


まあ、そんなことは置いて置いて、なんで酒がスノウの手に渡ったんだ?


どこから?


誰から?


まあ、その前に整理しよう。


ここは休憩所なんだよな、確か。


冷静に考えてみよう。


休憩所になぜカウンター席があるんだ?


それに加えて、今カウンターの向こうに黒いスーツ姿のバーのマスター風なダンディーな男性がいることもなおさらおかしい…いやまあいてもいいんだけれど、休憩所とその男とはあまりにも遠い種類の存在だった。


こんなところが休憩所だと思い込んでついてきた僕が間違ってるのか、それともこの組織かロボの認識が僕のものとはかけ離れているのか、そのどちらかだろう。


バーのマスター風なダンディーな男性の背にはたくさんの赤や紫の液体の入った細長い瓶が所狭しと並んでいた。


ものすごい数だ。


数十、数百、下手をしたら数千本もあるかもしれなかった。


バーについてはわからないけれど、これだけあれば専門業と言ってもいいレベルに思われた。


て、ことは、彼はバーマスター風の男じゃなくて正真正銘バーのマスターでここはバー風な休憩所ではなくバーということになる。


「ロボさん。ここって本当に休憩所なんですか」


僕は確認する。


「違うですよー。休憩所なんてここにはありませんですしー」


ふむ。


やはり、僕の認識が間違っていたらしい。


休憩所(組織内には存在しない)にきたのではなく、あくまで休憩ができる場所という意味でここに入ったということか。


で、


「どうして、こ・こなんですか」


「いやぁ、休日ぐらいアルコールを摂取したいなんておもってにゃー」


「いやいや、忙しいロボさんからしてみたらそうかもしれませんけど…僕とスノウはまだ学生なんですよ」


まあ、ロボさんもまだ成人してないですよね?と補足しておく。


しかし、今の会話、なにか違和感があったような。


それも不審を抱くというよりもっと嬉しい違和感。


「ふにゃー、そうだったのかにゃー。ごめんにゃー。そういうのはまだ聞いてにゃかったんだにゃー」


気づきました。


違和感。


これだけ連発してれば嫌でも気がつくというものだ。


でもそれは普段と比べてという意味で違和感があるだけで、実をいうと違和感なんて一つもない。


というか、あるべき場所に戻ったといっていい。


それにしたってここまでくると、反則を通り越して大変なことになられていらっしゃる。


僕は恐る恐るという感じでロボへと視線を向けてみた。


「ま、マズイ。耳が頭の上に…猫耳が付いてるように見える、見えるぞ」


そう、そこにいたのはマスコットサイズの少女ではなくて、猫娘だった。


それも、スノウと同様に、異常なまでにほおを上気させている。


そのうす桃色の唇の端から顎にかけて血のようにも見える濃い赤色の液体が流れ、カウンターテーブルに滴り落ちていた。


おそらく偶然そんな状態になったのだろうとは思うけれど、見る方からすれば目の毒としか言いようがない光景だった。


右肘で頬杖をついた顔を支えている。


もう片方の手は招き猫のポーズでひじが直角になり、肘から先が地面から垂直になって、その手首はくいっと拳を前に突き出す形に曲がっていた。


今にも、「にゃん」


なんて鳴き声が聞こえてきそうである。


まあ、すでにさっきまで聞いていたわけだが。


要するに、ロボも酔っている、そして、ロボは酔うと猫娘になる。


そういうことである。


僕はその原因である酒を出す可能性を持つ唯一の人物、現在進行形で何かを手の中で振っているバーのマスターに目をやってみた。


ピッタリとした黒いスーツは非常に良く似合っている。


無駄のない感じがとてもいい。


下にきたシャツもネクタイもネクタイピンもどれ一つとっても派手とは言えない。


だが、同時に地味などでは決してなくて、どれも気品に溢れていた。


そんな身なりをしたマスターは黒髪をオールバックでバッチリ決めている。


彼のひたいの広さがちょうど良く、それは端正な顔立ちをより引き立てる髪型となっていた。


切れ長の目の奥で漆黒の瞳が妖しい光を放ち、見るものを魅了しようとしていた。


バーの少し暗いぐらいの照明の中に立つ彼はまるでこの世のものではないようなそんな感じを覚えるほど妖しく、美しく、不確定な存在に見えた。


これだけ、目立つ人の存在にどうしてさっきまで気がつかなかったのかと考えてみる。


その答えはすぐに見つかった。


簡単だった。


マスターは僕の視線に気がつくと、すぐさまカウンターの僕の席の反対側の隅に移動した。


そこから、わかる答えは一つ。


彼が自分から存在感を消そうとしているのだ。


またはそこまでいかなくとも目立たないように気をかけているのだ。


だが、なんのために?


うーん、わからない。


人見知りだったり内気だったりするお客がマスターについてその手の気まずさを感じなくても良いようにという心遣いなのかもしれない。


まあ、影を薄くしよう努力しているのはみればわかるけれど、普通に考えて僕ぐらい『鈍感』な客じゃなけりゃ真っ先に目がいくんじゃないだろうか。


「あ…自分で言っちゃったよ」


事実、僕は『鈍感』なのかもしれない。


文字通り感覚が鈍っていて、知らず知らずに人を傷つけたり、見えるはずの物事が全然目に入らなかったり、当たり前の感動が感じられないのかもしれない。


そう、もしそうだとしたら…それはきっと『あの時』に原因があるんだ。


そう考えてから、僕は首を振った。


「なにを今さら」


何時の間にか、反対側のカウンターテーブルのはしにいたマスターが僕を見下ろす形で正面に立っていた。


マスターは何かを悟ったような表情でどこからともなくグラスを持ち出すと、僕のテーブルの上に置き、そこに優雅な動作で、血のようにも見える濃い赤色の液体を注ぎ込む。


僕はなにがなんだかわからないまま背の高いおしゃれなグラスが真紅に染まって行くのをぼんやりと眺めていた。


そうして、グラスに八分目あたりまで注がれたあたりで男の手とボトルが引っ込む。


マスターはその切れ長の目に目一杯の優しさをにじませ、その口元には深い笑みが眠っていた。


それは僕の心を少し軽くするとともに、「さぁこれを飲め」という有無を言わさぬ力があった。


そこには「未成年だから無理」というような言葉を吐いて逃げられる穴は存在しなかった。


選択肢は一つ。


飲むしかない…。


僕は思い切ってグラスに手をかけ、一気にその中身を喉の奥へと流し込んだ。


そして、次の瞬間、意識が遠のいて行くのを感じた。


どこか、別の世界へ、僕の内面や心だけが僕の身体を飛び出して旅立つようなそんな感じ。


そうして、僕はカウンターにもたれかかった自分自身をまるで本の中のように第三者の視点から見下ろしていた。


カウンターにもたれかかった僕はそのままなにも発しないし、顔もあげない。


それどころか、身体を揺らしさえもしない。


完全に力尽きているように見えた。


まるで、『魂』とか『中身』が抜け落ちてしまった抜け殻だった。


僕はそちらでは静かだけれど、周りはかなりうるさい。


「にゃ⁉突然倒れたりして、疲れたのかにゃ?おーい、おーい…どどど、どうしよう…返事がないのにゃ!」


とロボは仕切りに僕の身体を揺さぶる。


その『揺れ』がこちらにも伝わってきた。


たぶん、実際の僕の身体が感じているより、ずっと静かなものだけど、決しておだやかではない。


それだけ、心配をかけているということか。


「だからぁ…あんたのことが好きなのよぉ!気づいてよ!このバカッ!ていうかもう何度も言ったじゃない!アホ!カイのアホ!」


あちらの世界は大変だな。


なんて他人事みたいに考えてみた。


普段なら決してできはしない行為だが、今の状態なら可能だ。


そうやって考えると、向こう側のことは、何事も印象に薄くて、特別な意味があるようにも見えない。


曇りガラスの向こう、雲の上、蚊帳の外、そんな感じだった。


僕はただ、そのぼんやりとしたイメージの中で自分がどれだけちっぽけかについて考えてみることにする。


だけれど、すぐに気がついた。


今はそんなことをしている場合じゃないと。


今すぐにでも向こう側に戻らなければいけないと。


だから、戻れ、戻れと念じた。


こちら側からはそんな程度のことしかできないだろう。


そう思ったのだ。


ただ、見えるだけなのだから、物理的な干渉は難しいだろう。


そうしてさらに気がついた。


僕ってなんでこんなにアルコールに弱いんだ。


実態のない頭を抱え込み、僕は僕に腹を立てたのだった。

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