32英雄誕生
「どう…して…こうなって…しまった…のでしょうか…」
高く上った太陽がギラギラとした光をさんさんを降り注ぐ正午。
そんな中で人口密度の非常に高い場所にいれば、汗だくになるのは必至だった。
男は額の汗を拭うため手を上げようとするが、その願いは叶わなかった。
男は今、大変な騒ぎの真っ只中にいたからである。
第七ブロック、大会議場前、そこに数百…という数の住民達がある人物を一目みようとやってきた。
『我々を魔人の襲撃から救った英雄』を。
その人物に会うためだけに人々はあの襲撃から整備も終わっていない道路の上で押し合い、へし合い、時には殴り蹴り合いながら存在していた。
そして、『我々を魔人の襲撃から救った英雄』本人である彼はため息もろくにつけない状況下にあった。
「選別官のフラメルさんですよね!!」
「あなたは命の恩人だ!」
「ありがとう!」
「大ファンなんです!」
「サインをお願いします!」
四方八方からさまざまな賞賛の声と、握手やサインを求める手が彼に降りかかり彼にはそれらから逃れる術はなかった。
人々の壁の中に閉じ込められた彼は最早抵抗を諦め、されるがままになる。
まるで駒のように前後左右またはその他の方向に回された。
その回転はとどまるところを知らず、一時間経っても、二時間経っても勢いすら止まらなかった。
彼の並外れた平衡感覚をもってしても、ついにはめまいがしたほどの凄まじいものだった。
「そ、そろそろ、限…界…で…す…」
そんな時、救い主は現れた。
黒衣に身を包んだ痩身の男が大会議場の赤い両開きの大きな扉を全開にして、出てくる。
男は大会議場の入口付近にある高さ一メートルくらいの高台の上に登りながら、声をあげた。
「静粛に」
声とともに男の姿が視界に入った途端、フラメルの周りにいたものたちの歓声はパッとまるで申し合わせたかのように一瞬で消え去る。
「国民の皆さん!彼はこのたび確かに英雄的活躍をしてくれました!まさにこの国の救世主と言っていいでしょう!」
そこで男は一旦切ってから、一つ咳払いをすると続ける。
「しかし、そんなふうに取り囲んでしまっては大変ですよ。今日はなにぶん日差しの強い日ですから」
彼は爽やかな笑顔を振りまいた。
人々から歓声が上がり、民衆が少しだけフラメルと距離をとった。
まあ、それも数メートルのことではあったが、それでもずいぶんと体感温度が違う。
「はぁ…」
まだグルグルと回る頭で黒衣の男に感謝しつつ、やっとのことでフラメルはため息をついた。
しかし今度は、少し離れたせいで民衆の視線が気にかかるようになったのは言うまでもない。
フラメルは全身を一部分の見落としもないように観察されているような感じを覚え、いづらさにさいなまれることとなった。
それから、自分のこうなった経緯について悩み出す。
「私はあのハーフの男を光の鎖で縛り上げて気絶させ、タワーオブホワイトに引き渡したあと、あの悪魔を散々にいたぶってから、ハーフの男と同じようにタワーオブホワイトへとぶち込んでやった。そうしたら、お礼をしたいだなんのと言われ、大会議場まで呼び出されて…ついてみれば上層部の方々が人々に私がしたことを触れ回っていて…何時の間にか…こんなことに…」
はぁ…とまた深くため息をついた。
そうすると、群衆がまた騒ぎ始める。
「やっぱり本物だ⁉」
「英雄だ!救世主だ!」
「きゃー!!かっこいいーー!!!」
フラメルはそんな言葉たちを前に気がつく。
ああ、声に出してしまっていたのだと。
「なんという失態…」
周囲を取り囲む人々とは二メートルは離れているのにも関わらず、先ほどまでよりも熱気が伝わってくる。
フラメルは頭を抱え、呻いた。
「いいえ、これでいいんですよ」
黒衣の男はこちらに爽やかに笑いかける。
高台の上に立つその姿は威厳に満ち満ちている。
まさに人の上に立つべき者の資格とも言えるオーラがその細い身体の節々からにじみ出ていた。
忘れもしない、息子と同じ黒髪に黒い瞳を持つ男。
男の名は、オール・ブラッドリー。
現在の実質的な国のトップである。
「…狙ったんですか」
フラメルが言うと、高台からオールは飛び降りるというよりも舞降りると言った方が正しいまでの優雅な動きで地に降り立つと、音もなくフラメルの目の前までたどり着いた。
一瞬でだ。
オールにとってフラメルを囲んで居た群衆などどかす必要すらなかった。
彼はまるで群衆をいないもののように無視して、フラメルの耳元へと口を寄せた。
「ええ、ですがまあ、考えついたのは我が優秀な弟なのですけどね」
彼の声は周囲の民衆がいくら耳をそばだてても聞こえず、それでいてフラメルの耳にはしっかりと届くという素晴らしく的確な音量であった。
「パーツ様ですか…こんなことをしてなんのつもりです。まさかまた戦争をやらかそうとでもしているんですか」
「その通りです」
「なっ!?そんなことをしたら、またたくさんの人が死ぬんですよ!」
フラメルはオールが素っ気なく言った言葉のあまりの危険性に思わず声を荒げていた。
「そうですね」
オールはまたも素っ気なく答えた。
その吸い込まれそうな黒い瞳には真剣な色が浮かぶ。
「どうして…?」
「決まっていますよ。いくら人々が温厚な方々だったとしても、こんなことをされて平静でいられる人間はいない。家族を殺されて黙っていられる人間なんて、友人を殺されて黙っている人間なんて、恋人を殺されて黙まりを決め込める人間なんて、一人もいないだろうと私は心得ています」
「つまり、復讐劇に参加して死ねと…そう言いたいのですか」
自分の口調が冷めて行くのがわかる。
ああ、私は今、この男に失望しているのだとフラメルはそうおもった。
「あなたもその中の一人じゃないですか。復讐をいち早く遂げたフラメル・ルートさん」
対する男はまたも素っ気なく答えた。
顔には余裕のうかがえる笑みが滲んでいる。
「…ッ⁉」
フラメルはギリギリと歯噛みした。
言い返すことができなかったのだ。
確かに自分もそうだ。
これから戦争をやらかそうっていう人々と変わらない。
大切なものを奪われたから、奪ったものに復讐する。
ただ、それだけで昨日は動いた。
確かに、確かにそうだ。
一時的には狂気に狂うほどの悲しみに襲われ、怒りが心を沸騰させた。
しかし、
「その先には何も残らない」
フラメルは今、無気力感とひどい虚無感に襲われていた。
生きている意味を失ったような、そんな感覚。
目には目をと復讐してどうなった?
己の精神的支えである、決して曲げなかった教えを破ってしまった。
この両手を私怨に汚してしまった。
そして、すべて自己満足に終わった。
ひとかけらの喜びも達成感も得られない。
そこには復讐の対象と同じか、それ以上に汚れた己だけが残った。
フラメルはどうやったってこの事態を止めなければならない!そう心で決意し開こうとした口は塞がれた。
「………ッ⁉」
「ダメなのですよ。あなたはずるい人だ。先を知っているから、結果を理解しているから、ダメだと言う。でもね、そんなことみな始めからわかってるんですよ。自分たちのやろうとしていることが善ではないことをね。しかし、止められないのです。止まらないのです」
男の声がフラメルの心にズンとのしかかった。
とてもじゃないけれど、己の力で持ち上げることはできないし、抜け出すこともできなかった。
『止められないのです。止まらないのです』
男の言葉が頭の中をグルグルと回る。
ドラを叩いたような音とともにいつまでも、いつまでも回り続ける。
そんなフラメルに男はさらに言葉を連ねた。
「私だって仮にも国のトップです。国民の皆さんを一人とて失いたくはありません。ですから、この戦争を、避けて通ることのできない復讐劇をより少ない被害で終わらせるためにこのようなことを起こしました」
黒衣の男はフラメルの手のひらに自分の両手を優しく重ねる。
フラメルはその突然のことにただ目を見開き男の顔を凝視することしかできない。
その瞳は深い湖の底、光の決して届かない常闇のような黒をたたえ、フラメルは今度こそ本当に吸い込まれて行く感覚を知る。
ぐいぐいとすごい力で腕を掴まれ、ついには底から抜け出せなくなってしまう。
「これでも、私はあなたをかっているのです。フラメル・ルートさん。それだからあなたを『選別官』に起用しましたし、今だってこうやって利用させていただいているのです」
ですから、あなたには期待に答えてもらいたい、と男は言った。
そして、男は追いうちをかける。
「あなたに命じます。なにも、難しいことではありません。この戦争において、人族を率い、我々を守り抜きなさい」
男の口調はどこまでも静かだった。
だが、その力は絶大だった。
フラメルの身体を心を、いや魂を揺さぶった。
空っぽだったフラメルの心に、それは注ぎ込まれた。
一気に、満ち満ちて溢れ出す。
それはフラメルに生きる意義とその命の価値を蘇らせる生命の水だった。
「そ、それは…どういう…」
フラメルは心の底にあとからあとから溢れだす、懐かしく温かいものに戸惑いながら、問う。
「言葉通りです。守ってください。私たちをあなたの嫌いな悪魔たちから」
最高議長代理オール・ブラッドリーは不敵な笑みにその口元を歪めた。
「………」
その言葉にしばしフラメルはうつむき黙り込む。
それから、数秒後顔をあげた。
「なんでしょうか…この、感覚は…。昔ならこんな大きな話、『この身に余ります』ですとか、『考える時間をください』と答えたはずなのですが…。今の私の頭にはそのような言葉が浮かび上がってこないのです」
フラメルの目からはオールと対照的に熱い涙が零れた。
とうに枯らしたはずの涙が、際限なく流れ出して、止まらない。
触れたら、火傷してしまいそうなほど熱い雫。
そこにはどれだけのものが込められているのだろうか。
あとからあとから流れ落ちる液体はどんな心を表しているのだろうか。
わからない。
誰にもそんなもの、うかがい知ることはできない。
きっと同じ苦しみを、同じ辛さを噛み締めた者にしかわからないだろう。
フラメルはそんな涙を拭いもせず、民衆の目など気にもせず叫んだ。
「この命に変えても、この国を、国民たちを守ってみせます!」
彼の声と同時に、数千人にまで膨れ上がっていた観衆がドドーッと湧いた。
皆がみな、天にその手を頭上にかざし、太陽の降り注ぐその広場で英雄の名を口々に叫んだ。
『我らが英雄ゥゥ、フラメル・ルートォ様にィィィバンザーイ!バンザーイ!!』
と。
それから、日がくれるまで、その雄叫びは止むことがなかった。
そうして、観衆がようやっと落ち着いた頃に誰にも気づかれず、大会議場から走り出てくるものがあった。
オールと瓜二つの顔のつくりを持ち、それでいてその瞳は兄とはかけ離れた幻想的とも言える緑をたたえ、痩身を議会の制服である青のコートで包んだ男。
パーツ・ブラッドリーである。
彼は青ざめた顔でつぶやく。
「僕は寝坊してしまった…遅れてしまった…これでは拷問にかけられたあとになぶり殺されるくらいしていただかなくては気がすまない」
なんとも物騒な男である。
その夜、
「待ってください!罰を!罰を!!」
と、パーツ・ブラッドリーは得意とする武器、大刀をかついで兄であるオール・ブラッドリーを追い回したそうな。
そして、大会議場を一晩中逃げ回ったオール・ブラッドリーは翌朝、パーツ・ブラッドリーが倒れるまで寝床にはいることができなかったというのは余談である。




