23違和感
目の前に男が立っている。
見上げるほど背の高いその男は白衣の上にモスグリーンのマントを羽織っていた。
そのマントはどれだけ使えばここまでになるのかわからないほどボロボロだった。
これでは変わった色の雑巾のようである。
髪は肩より少し上あたりまでの長さでボサボサだが、一本一本は黒くて、艶があり、マントとは対極の位置にあった。
僕はしっている、男の名がロイ・ハワードだということを。
人と魔人の関係から、争いを見事に失くして見せた、まさに英雄の中の英雄。
だけれど、男からはその目の前にすると目も開けられないような眩しい経歴は欠片も感じられなかった。
あるのは途轍もない違和感と、疑心。
状況判断にうとい僕にだってわかる。
この男は死んだはずなのだ。
つい何時間前かに僕が身体にトランスした魂の持ち主であり、この組織の誰かに殺されたはずの人間。
その事件で今、この組織、『夕暮れ時』は揺れ動いているのである。
その震度は高く、あまりに被害の大きいものだ。
現に今僕の目の前にいるハワードに抱きつく
リリアはハワード殺しの嫌疑をかけられたのだから。(まあこれはアランに聞いた話ではあるけれど…)
そして、僕もまた、この男の死んだという事実の生んだ渦に巻き込まれたうちの一人なのだ。
だからこそ、疑心にとらわれていく。
彼が本物か?偽物か?本物ならばどうやって生き返ったのか?偽物ならばどうやってリリアを信じさせてしまうほど似せることができたのか?そもそも本当に死んだのか?もしかしてトランスの解釈がおかしいんじゃないか?…などなど、もう一つ疑問ができればそれが二つにも三つにも枝分かれしてもう何もかもがおかしく見えてきてしまう。
だが、どれだけ考えたって無意味だ。
僕はハワードの墓を見たわけでもないし、その墓から骨を掘り返して確認したわけでもない。
それに彼が殺されたという現場を見たわけでもない。
だが、リリアが抱きついているからと言って、この男を本物だと判断することもできない。
現時点での思考は無意味だ。
つまり、手詰まりなのだった。
そんなことを考えながら立ち上がる。
立ち上がってから気がついたが、地面に伏せているのも忘れて考え込んでしまっていたらしかった。
パルディア学院の制服が上下ともに砂と湿った泥でグシャグシャになってしまった。
ああ、最悪だ。
この制服、汚れが落ちにくいんだよな…なんておばさんくさいことを考えてる場合じゃあない。
何者かの手によって塞がれていたかのように動かすことのできなかった口をなんとか開く。
「あなたが…ロイ・ハワードさん…ですか?」
口の周りにも少しばかり砂が残っていたようで苦い味がする。
「いかにも。我がロイ・ハワードだ。お前は…見ない顔だな。それからそこのお前も」
ハワードと思しき人物が僕とアランを順に見る。
疑いに揺れるその瞳にはそれ以外のものが感じられない。
怯えも、威厳も、恐怖も、歓迎も、ない。
紫色のそれはガラスのように透明感に溢れ、何物も映さない。
あるのはそこに魅入られているアランと僕の困惑した表情だけだった。
「…僕は新人のカイ・ルートと申します…まだいれていただいたばかりですので…足でまといになるかもしれませんが…これからよろしくお願いいたします…」
頭が自然に下がり、敬語で挨拶していた。
でも、堅っ苦しい挨拶はあまり慣れていなくて、声が上ずってしまった。
だけれど、それでも、そういう風に挨拶をしなければいけないような、そんな気がしたのだ。
さっきは威厳もない…なんて思ったけど、それは嘘だ。
こうして声を聞けばわかる。
格が違う。
象と蟻、鯨と小魚、王と追放民…そんな感じ。
どうやっても並び立つことのままならないような、圧倒的な壁を感じる。
だから、どうしてもへりくだってしまうのだ。
自然と頭が下がり、敬語を吐いて、相手の機嫌を取りたくなる。
そうして、安心したいのだ。
どんな強大な存在でも、敵対せずに仕えてしまえば害をもたらされずに済むだろうと。
「ふむ、面白くない者を率いれたものだな。お前は人の目を見て話すことすらできないのか」
ハワードはそう言ってから、たいそうつまらないと言った調子で鼻を鳴らした。
かなり挑戦的な態度だった。
とてもじゃないけれど、戦争を終わらせた英雄とは思えない雰囲気である。
これにはカチンときたが、臆病な僕はやはり顔を上げることができなかった。
上げようとすると僕の本能的な部分が頭を見えない力で押さえ込んで、耐えろ耐えろ、死にたいのか?と訴えてくるのだ。
相手は絶対に自分よりも強大な力を持っている。
特に彼の持つ『夕』がわからない上に、彼の性格も掴めていない今、こうしているのが得策だろうと臆病な僕の頭が判断し、臆病な僕の心がそれを否定しきれずに、結局従ったのだった。
なんだか、地面に伏せていた時よりも嫌な気分である。
真正面にある地面の味を思い出して、口の中があの屈辱的な苦味でいっぱいになるのを感じた。
「アランです。以後お見知りおきを」
さすがはアラン…少しも臆することなく挨拶を終えてしまった…て、あれ?アランはハワードと知り合いなのではなかったか?
「アランさんは…お知り合いではないのですか?」
「いいえ。初対面ですよ。噂なら星の数ほど聞きましたけど…やはり本物は違いますね?ロイ・ハワード」
「その様子だと、どうやら新入りらしいな。お前も…だが、面白い。我を目の前にその堂々とした様はなかなかのものだ」
ハワードはたいそう感心した様子の声を出すが、どんな顔をしているかは窺い知れない。
なにせ僕はまだ頭が上がらないから。
なんと無様な!と自分で自分にツッコミたい気分である。
「そうですね。あなたも噂以上のナルシストのようで実に面白いですよ」
ちょっ!?
何を言ってるんだこの人はーーー‼‼
僕の右隣に立つ金髪碧眼の色男兼変態兼クレーマーなのはわかってはいたが、まさかここまでの愚か者だとは思いもよらなかった。
あまりのショックに勢いよく顔を元の位置に戻してしまったほどだ。
そうすると、アランとハワードの顔を一望できる。
想像していたのは視線と視線がぶつかり合う、殺気立った戦場だったのだが…睨み合うどころか両者とも鏡のように同んなじ風に口元を歪めて愉快そうにクツクツと笑いあっていた。
この光景はおかしい。
どうしたっておかしい。
あの会話の流れからどうやったらこんな雰囲気になるのかさっぱりわからない。
やはり、ハワードもアランと同じような変な人種なのかもしれない…それで気が合ってこんな空気に?
「あのですね、聞こえてますからね?カイ?散々な言われようですが、私は変な人種などではありません!変態です!」
「だから、そういうのが変って言ってるんですよ!もう!」
思わず突っ込んでからハッとした。
お決まりの空気で発言してしまったが…この状況はかなりまずいんじゃ…。
アランは組織内で僕よりも遥か上の地位にいて、目の前にしている英雄と思しき人物はそのさらに上なのでは?
そう考えると、下腹のあたりがキューと縮むような変な感覚が大きな恐怖と共に襲いかかってくる。
おそらく今の僕の顔は半泣きになっているのではないだろうか。
情けないけれど、目尻に水が溜まって行くのを感じる。
「ふむ、どうやら勘違いしていたようだ。お前も少しばかりは見所のある人間のようだ。カイ・ルートよ。それに幹部二人連れということはお前もそれなりの地位につくことになるのだろう」
言葉の発せられた方に顔を傾けると、ハワードが満足げな笑みを浮かべていた。
それを見たとき、身体を支配していた緊張感やら恐怖心やらがふっと消え去るのを感じた。
身体を動かさなくとも軽くなったのがわかる。
しかし、同時になんとも奇妙な感じだった。
称えられるべき功績と力を持ち合わせているのに、それを振りかざそうというところがほとんど感じられない。
僕は勝手に彼の尊大な態度が醸し出す独特の威圧感に呑まれていただけで、決して彼は自らの力をひけらかしたわけでも振りかざしたわけでもないのだから。
そう考えるとなおさら奇妙だ。
彼があたかも自らのことをまるで知らないかのように見えてくるのである。
だけれど、その奇妙な部分を解き明かすほどの頭をあいにく僕は持ち合わせていなかった。
そうして考えると、いかに自分が相手の中身ではなく、外見しか見ることのできない、ちっぽけな人間かということに気がついて、自己嫌悪の落とし穴にはまってしまいそうになった。
そんな時…
「ええと、あの…私って、その…そんなに…影…薄いですか?」
という今にも泣き出しそうな声を上げた者がいた。
この声は…どこかで…高く澄んだ声…
あたりを見回した。
そうしてようやくスノウの存在を思い出した。
彼女はハワードの影に隠れる形で立っていた。
それでは影も薄くはなるな!と納得してしまう。
ただでさえ尋常じゃないほどの存在感を醸し出す彼の背に隠れるようにして立っていたら、どんな者でも影の一つや二つ、薄くなるというものだろう。
だけれど、いかんせん、スノウにそのことはわからないわけで…今に至るわけだ。
「すまんな、気がつかなかった。さてはそなた、気配を消すのがうまいと見える。そこまで到達しているとすれば、幹部クラスか。まさか幹部クラスの者が我のいない間に二人も入国していたとは…実に喜ばしいことだ」
堂々とした調子の腹に響くような低い男らしい声が、回廊内に響き渡る。
感想からいえば、ここまで自然に人を小馬鹿にできる人間は(おそらくハーフなのだろうけれど)見たことがないということ。
それから、スノウがすごく可哀想だということ。
「う…うぅ…わたし…わたし…気配なんてぇ消してない…ヒクッ…のに…グスン…」
首を回してハワードの肩越しにスノウの顔を拝むと、その端整な顔をクシャクシャにして泣いていた。
その綺麗な水色の瞳から湧き水のように流れ出す大粒の涙は僕の心を罪悪感で満たしていく。
ああ、もう!
スノウの泣き顔は嫌いだ。
いつも強気な彼女を知っているだけに、その弱い部分を見せられると背中のあたりがムズムズするような変な感覚に襲われ、胸がキューと締め付けられて、耐え難い痛みにも似た感覚を覚えるのだ。
僕はその感じがたまらなく嫌だった。
だから彼女を傷つけることのないように、ないようにとしてきたのに…目の前にいる男はなんのためらいもなくそれをしてしまった。
例え意図的ではないにしても、彼女を傷つけたことには変わりない。
「もうちょっと、言葉を選んだりとかできないんですか?英雄が女の子を泣かせていいんですか?」
なんだか頭に血が上ってしまって無意識に口を動かしていた。
またしても、立場をわきまえないで…。
「英雄…いつ我がそう名乗った?我の名はロイ・ハワード、ただ一つ。異論は認めんぞ」
それに対してハワードは少しも動じず、至極まっとうな答えをくれた。
的外れではあるけれど。
なんとまあ出来上がった人間である…が、頭に上ってしまった血はなかなか元には戻らない。
「質問の答えになってません!もう少し気遣いとかできないんですかと聞いているんですよ!」
僕の言葉にハワードは一度だけこちらを見てから、またスノウに向き直り、
「ふむ、我の言動がそなたを傷つけてしまったのか…すまないな少女よ」
と言うと、身をかがめ、スノウと目線を合わせる。
それからスノウの瞳から溢れる水滴をその大きな指先で拭う。
「い、いえ…その…すみません、勘違いしてしまって…」
スノウの申し訳なさそうに小さな声が響く。
ハワードは真っ直ぐにそんなスノウの濡れた瞳を見る。
「よい。それよりもそなたの名は何という」
スノウは驚いたように目を一度見開いてから、ゆっくりとその薄桃色の唇を動かす。
「す、スノウ・ラクサーヌです…」
「スノウか、良い名だ。これからもこの国のために精進するのだぞ」
この国?
とはどういう意味だろう?
「ボスが前々から仰っていました。彼は『夕暮れ時』のことを国と呼ぶのだそうです。ハーフの国という目標をそのまま形にしていくという意味で」
「なるほど」
なんだか慣れてしまっていて違和感がなくなってきているが、アランが僕の心を読んだのだった。
「はい!あの、わたし頑張ります!」
気がつくとスノウの声は元気になっていた。
声にも、いつもの耳に痛いほどの甲高さが戻っている。
「そういえばお前達はこの組織にきて日が浅いのだろう?我が隅々まで案内してやろう」
そう言うと彼はまるで僕らを従えるかのように先頭に立ち、歩き出す。
肩に巻きつくように抱きついたままの青い髪の美少女を気にすることもなく。
こんな風にべったりされて嬉しいだろうなとか、それとも暑苦しく思っているのかなとかいう前に、重くないのだろうか?
そういえばスノウと同じくらい存在感薄かったような…一言も喋ってないし…。
そう思って彼女を見てみると、何ともまあすごい表情だ。
何かもう感無量っていうか、恍惚としてるっていうか、感極まってるっていうか…ありとあらゆる喜びと満足感を集めて体現したような…とても言葉では言い尽くせない表情を浮かべていた。
ただ、その頬や首筋や耳に火照って朱がさしていて、とても色っぽい。
恋する乙女…というレベルではなく、愛に狂う女というべきだろう。
なんだか見惚れてしまう。
すごく…綺麗だ。
危うく心まで奪われてしまいそうになったその時…
「たぁ!」
という声と共に正気を取り戻すことに成功した。
とてつもない痛みをともなって。
「な、なにするんだよ!スノウ!」
脇腹にクリーンヒットしたスノウの飛び膝げりの威力に驚きつつ、なんとか声を絞り出す。
怪我してるくせになんて無茶な…
「なにって、あんたがそんな風にいやらしい目でジロジロとリリアを見てるからでしょ!この変態!」
「な…いやらしい目ってどんなだよ!」
「鏡を見ればわかるわよ」
あー、なんかすごくカチンときた。
なんかもう耐えがたいくらい頭にきた。
沸点越えちゃったかも。
もう言ってやる。
日頃の不満とか全部!
「スノウの……」
スノウの不満をこれでもかとばかりに吐き出そうとしたその時、やんわりと口を塞がれた。
またしてもこの男、アランである。
「それでは本末転倒ですよ。カイ?抑えて抑えて」
「んぐ!んごんがんがが!」
「ふふ、なにを言っているかわかりませんね~。そんなことより早く追いつかないと置いていかれちゃいそうですし、行きましょう。スノウさんも」
アランが僕の口をいい感じで塞ぎながらハワード達を追いかけ始める。
僕も仕方なく足をもつれさせないように動かし、結局ついていく形になってしまった。
「カイの馬鹿!」
スノウが、なす術なしの僕に向かって、捨て台詞を吐くと、駆け足で先に行ってしまった。
「んがんがんご!」
その手を離せ!
「さぁて、『夕暮れ時』ツアーの始まり始まり~」
長細い回廊にアランの美声がこだました。
「んごんがんがんごご~」
待って…まだ一番大事な問題が解決してないのに~!
声にならない声が僕の心にこだました。




