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the third  作者: 深雪
19/83

16狂気と鬼ごっこ

夜の帳が落ちてから、もうどのくらいの時間が経っただろうか?


家々のほとんどの窓からはとうに光が消え、皆、寝静まるはずの時間かもしれないし、夕飯の並べられた大きなテーブルを家族で囲んでいるはずの時間かもしれない。


空にはまんまるの月が少しだけかけられた雲のカーテンを邪魔だどけどけなんでいう風に嫌というほど照らしつけていた。


そんな今この時、第七ブロックには屋内退避命令が出されており、本来なら何人も家の外にはいないはずのここの通りに、男が立っていた。


険しい顔で、頭という金庫から大切な何かを取り出すためのパスワードをひねり出そうとしていた。


男は腕組みをして頭を捻り続けた。


何分も、何時間も、ずっとだ。


男の組まれた両腕の拳は手のひらにその爪が刺さり、血が滲んでくるほど強く握られている。


そこから読み取れる感情は怒りか悲しみか、またはそのどちらでもあるのか?


誰にもわからない。




第七ブロックは政治的にとても重要なブロックである。


しかし、それを差し引いても魅力はたくさんあった。


例を上げるとすれば、まず緑の多いこと。


ここには自然のままの森や公園など緑との触れ合いの機会を持つことができる場所がたくさんあるのだ。


次に、建造物に品があることだ。


古い外観はそのままに、内部の補強などを徹底的に行った結果、おしゃれで、アンティークな雰囲気を醸し出す素晴らしいものとなった。


もちろん、ビルなどもたくさんあるが、大抵の民家は赤レンガや石造りの古めかしい中にどこか新しい感じのするものがほとんどだ。


それから交通機関が発達しており、どこに行くにも便利であることがあげられる。


最後に学校の数が非常に多く、中心都市パルディアのほとんどの子供は第七ブロックの学校に通うこととなる。


など、あげようと思えばいくらでもでてくるほど良い点を持つ第七ブロック。


それが今、見る影もないほどに…破壊され尽くしていた。


夜霧に紛れた一人の魔人によりもたらされたあまりにもひどく、むごい、惨状。


木々はなぎ倒され、美しく整っていた建造物の並びはガレキの山となり、その無様な姿をさらした。


倒れた街路樹の目立つ通りには、死体の山が築かれている。


そこかしこから血と臓物の臭いがあがり、鼻を刺激した。


なぜ?


人々はあまりに突然過ぎた惨劇に、目を見開き、驚き、恐れおののくことしかできなかった。


どれだけ大きな地震があったってこうはならない。


これは、人為的なものだろう。


しかし、人の内乱など今だかつて例を見ない。


つまり、魔人の襲撃?


いや、そんなことは起こり得ない。


なぜならこの惨劇が明らかに外部からの攻撃ではないものであるから。


その被害は第七ブロックの中央付近から国境地域である第四ブロックまで一気に広がっていった。


ことの発端が第七ブロックの中央なのだから、その第七ブロックに侵入していなければ到底不可能なのだ。


魔人は『選別官』によって国境を越えることができないはずなのだから。


そもそも、『戦争終結の誓い』によって魔人は人を害することが禁じられ、例外なく魔人全員が人の前に無力である(その逆も言えるが)ので、もし仮に魔人が『選別官』の選別をごまかしてパール内に入ったとしても…結局のところこんなことにはつながらないのだ。


ということは…ついに『夕暮れ時』が動いたのかもしれない。


唯一人にも魔人にも害を与えることができ、また、その両種族に多大なる復讐心を持った者たち。


ハーフ…か…。



男は長い長い考え事を自分では答えを出すことはできないとあっさり諦めて、止まっていた足を動かし始める。


そんな男の風体は少々目立つものだ。


黒い髪を短髪にして、前髪だけ少し長くなっている。


それだけなら、なんとも一般的だが、身にまとう黒色の品のいいスーツは何があったのか傷だらけで、その所々に穴が空いており、そこから赤い液体が少しずつだが滲み出し、赤黒いシミを作っていた。


背は百八十センチをゆうに上回る、大男だった。


そんな男の歩く、レンガの敷かれた通りの地面は所々剥がれて足場が安定しない。


急ごうとしても、まるで通せんぼするかのように無数に転がる死体に阻まれる。


死体はどれも即死のようで、何かに驚いた表情でその時間は止まっていた。


そのほとんどが胸の中央に黒い穴のようなものがあり、どうやらそこから内臓をえぐり出されたような奇妙な状態であった。


普通に人が人に対してこんなことをしようとすれば、時間がかかってしょうがないだろう。


何せ光は人が人を傷つけることのできない力なのだから、これを素手で行わなければならない。


もちろん、被害者が一人とするのならできるかもしれないが…この数は無理だろう。


男は思い出したようにあたりを見回すと、死体ばかり、死体のみ、死体しかない。


ガレキと死体だけで構成された、どうあっても芸術的とは言えない光景が今、ここにある。


怒りで男の身体が、心が、震えた。


これまで、男が四十年間生きてきた中で、これほどまでの怒りを覚えたことはなかった。


男は目の前に転がる死の群れに苛立っているのではない。


また、自らの家がガレキと化したことに憤っているのではない。


そして、息子がいつまで経っても学校から帰ってこないことが逆鱗に触れたのでもない。


違う、違うのだ。


男は歯をギリギリと食いしばり、その鋭く光る黒い瞳に充血するくらいの力を込める。


「サラ…私を…私を許してくれぇ…私が無力であるばかりに…私が無知であるばかりに…君を守ることができなかった…」


男は堪えきれないと言った様子で、突然に泣き出した。


その悲鳴ともとれる泣き声はガレキと死体の山に彩られた地獄絵図に響き渡り、虚しく消えて行くだけだった。


男はその場にうずくまり、泣きじゃくった。


他のものからすれば情けないだの見苦しいだのと言うようなレベルをはるかに超える泣き方で。


男は声を発するたびに、自らを貶め、息を吸うたびに死の臭いを嗅ぐこととなった。


うずくまった男はさらに小さく、より小さく、限界まで小さくなっていく。


自らの命を、存在意義を、価値を、自らのすべてを否定し、責めあげる。


どうして…あの時…あれに気がつかなかった?


どうしてずっとそばについていなかった?


自宅退避命令通りになぜすぐに帰宅しなかった?


そもそも、私に彼女と結婚するほどの価値はあったのか?


なんでこんな男と彼女は結婚したのだろう?


なぜ、こんなにも無力で、愚かな私程度の人間を見初めてくれたのだろう?


どうしてそんなに愚かなことをしてしまったのだろう?


それなのに私はなんだ?


大切な人一人守れないクズじゃないか、どうして父親づらして子育てなどやっていられようか?


どう息子に顔向けしたらいいのだ?


こんなクズみたいなカスをしたってくれている息子になんていえばいい?


私なんか、もうあの子を息子と思う価値もない、サラを妻と思う価値もない、ちっぽけで、ちっぽけ過ぎてこの世にいてはいけないくらい小さくてもろくていかにも地獄へ行くべき罪人、いや、罪を持ったボロ雑巾とでも言った方がいいかもしれない。


ああもう、何もかも終わってしまった。


ゲームセットだ。


なんとか冷静になろうとか考えてしまったけれど、もうダメだ。


冷静なんていう感情は意外と保つのが難しいものだな…罪を持ったボロ雑巾には到底できっこない。


だからもう…やめだ。


やめやめ。


もう耐えられない。


もういいよな?


人を傷つけることなんて良くないことだとずっと思ってきた、人は守るものであって、決して害するものではないと思ってきた。


友人は不快にさせてはいけないし、常に気づかってやらなくちゃいけない。


身近なものの期待には常に応えようとしたし、可能な限り喜ばせようとしてきた。


妻や息子、友人たち、果ては他人まで、これまで傷つけようとして傷つけたことは一度もないし、気づかいを怠ったことは一度もない。


それが当然だと思っていたし、その通りにするべきと教わった。


でも、どうやらその教えは私には少々レベルが高過ぎたようだ。


今、私は、妻を殺しこの惨劇を起こした犯人がたとえ誰だとしても、殺してやりたいと思っている。


いや、言い方が優し過ぎたか…死なない程度に何十、何百、何千、何万、何億、何兆…回殴り、蹴り、切り刻んで、それから何回だって殺してやる。


何遍死なせても、その度に魂呼び戻して、あらん限りの暴力をぶつけ続けて、殺し続けてやる。


「はは…はははは!ははははははは!!犯人さーん、ここに殺し忘れがいるんですが、遊んでくれませんかねぇ?」


男は突然立ち上がった。


だが、どうやら立ち直ったわけではないようである。


男の人格は怒りと悲しみ、それから自虐心でいっぱいいっぱいとなり、そのいっぱいいっぱいの状態を乗り越えた時に、新しい人格が芽生えてしまったらしい。


男は狂ったように笑いながら、犯人を呼ぶ。


だが、それもまた虚しく響き渡り、死の香りの広がった第七ブロックの一角に吸い込まれるように消えていくだけだ。


「もういいかーい?なんて昔は良くやりましたよねぇ?かくれんぼ!でもねえ私はそんなに好きじゃなかったんですよね?何でかって?あんまりみんなが早く見つかるから、鬼をやっててもつまらなかったんです。でもだからって私が鬼ごっこ派ってわけじゃあないんです。鬼ごっこって結局足が速い人が有利で、足が遅い人って何も面白くないでしょう?だから嫌なんですよ!足が遅い人のことを気遣って走るのって案外大変なんですよ?手がギリギリ届かないくらいの距離を保って、相手に散々逃げ切れるんじゃないか?なんていう期待感を持たせて走るのってね、非常に神経のすり減るような作業なんですよ。でもねえ、今考えたらなんであんな無駄なことしてたんでしょうね?いくら気遣っても、いくら思いやっても、いくら傷つけないように気を配っても、結局私は傷つけられるんですから。今みたいにね?だから私、今から鬼ごっこ好きになることにしますよ。そして、今から始めようと思います…鬼ごっこ。ただし、手加減なしの本気なやつです。ルールは簡単。鬼に捕まったやつは鬼に命を弄ばれ、死ぬより辛い拷問を受けてから、何度も飽きるまで死んでもらいます。ね?簡単でしょう?で、私が鬼でまだ見ぬ犯人さんが逃げる方です。異論は認めませんし、聞こえなかった…なんてのも聞きません。では、第一回!復讐心むき出し鬼ごっこ、スタート!!!」


男はキザったらしい口調でつらつらと長文を並べ立てると、道化師の仮面のような貼り付けた笑みで自らの怒りを内包した。


そうしたあと、地面をバンッと蹴り上げる。


その足は剥がれたレンガと転がる死体の群れのトラップをものともせず、まだ見ぬ目標へとひた走る。


男はものの数分で第七ブロックを駆け抜け、被害の広がって行く方向へと、少しずつ速度をあげながら、消えて行った。


それはとてもではないが人間という枠を外れた、規格外の速さである。


そして、そんな規格外の足を持つ、この狂った男の名は…フラメル・ルート…この時代に珍しい、魔人との間に子を持った男である。


そして彼こそ…なのであった。


男の駆け抜けた、無残に崩れ、破壊の限りを尽くされた第七ブロック。


その夜空には己を隠そうとした雲を打ち負かした綺麗な円形の満月が、この惨状を皮肉るかのように、あまりに完璧で、完成された金色の眩い光で、死体とガレキの山をスポットライトのように照らし出していた。

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