15本題
組織『夕暮れ時』の本拠地である地下基地グレース。
それは人の国パールの中心都市であるパルディアの南端、パールとマドゥの国境地域の第4ブロックの地下にひっそりとあった。
地下に、アリの巣のように展開しており、収容可能人数は万を超える。
現在は九千人の仲間を有する大組織となっているが、いまだに地下に息を潜めた状態を保っている。
その九千人の中でも一握りの上層部しか開けることが許されないとされる灰色の龍が彫刻された巨大な赤い扉。
その扉をくぐると、ある一室にたどりつく。
そこは灰色で統一された、あまりにも地味な部屋で生活的な意味でたくさんのものが欠けていた。
キッチンもなければ冷蔵庫もない、あるのは石でできた大きな円形のテーブル一つと、それを囲むように置かれた背の低い石造りの椅子が四つだけ。
こんな部屋でどうやって生活しているのだろうかと疑問が生まれる。
だがしかし、この部屋には秘密があった。
壁のどこかにある言葉に反応して動く回転扉があり、その先にしっかりと生活的な空間と他の部屋が数室用意されているのだ。
そんな部屋は今、会議の場と化していた。
「本題は君とスノウ君のこれからのことだ!」
赤髪が目にかかるほど長く伸び、半分隠されたその瞳は綺麗な琥珀色の光を放っている中年の男。
この組織のボスが石でできたテーブルをだんっ!と握った拳で殴りつけた。
そこには有無を言わさぬ迫力と、威厳がある。
同じくテーブルについていた白い髪をポニーテールにまとめた美少女、スノウが男の言葉のどこに反応したのか、突然顔を赤らめた。
「わ、私たちの…ここここれからー!!!」
そのまま卒倒しそうな勢いで素っ頓狂な声を上げる。
どうやら深刻な勘違いをしているようだった。
それに、あれ?
なんで包帯がなくなってるんだ?
ついさっきまで巻かれてたはずの包帯がどこにも見当たらない。
全身をすっぼりと覆ってしまうほどのものであったのに…どうして?
まあ、そんな疑問はおいておいて…
隣に座った僕、それからアランとボスに冷めた視線を送られると、彼女はシュンと静かになり、座っている椅子に縮こまった。
「では、端的にこれから僕とスノウはどうすればいいのですか?」
若干まだスノウを睨みつけながら言う。
「うむ。君たちとアランの三人組でさらなる仲間探しを行ってもらいたい。どうかね?」
男が琥珀色の双眸をこちらへ向けた。
「問題…ないですけれど…他にもっとやることが何かあったりはしないんですか?」
初仕事が勧誘だと言うのもなかなか不思議なものだ。
まだこの組織について完全に理解できたわけではないのに、どうやって勧誘すればよいのだろうか?
「実は今現在、組織内で起こった事件を解決しようとしているところでなあ。まだまともに動けるものが君たちしかいないのだ。だが、君たち新人に突然難しい任務を与えるのも無謀であるから、アランという保護者をつけての軽い肩慣らしと言うのはどうかと言うことなのだよ」
男は一瞬だけ苦しそうな、やり切れないというような顔をしながら答えた。
なるほど、そんなところから察するに内乱か何かだろうか?
だけれど、内乱が起きているような時に僕のような新人をスカウトしてきていいのだろうか?
「いいんですよ。何せあなたは特別でしたから。たとえもとの計画通りとはいかなくとも、あなたはそれだけの価値のあるハーフなのです」
と相変わらずの読心術で僕の心を読み取ったアランが思考に横槍をいれた。
本当にアランの前ではおちおち下手なことを考えられない。
というか、とても羨ましい能力だ。
僕にこの力があったらもっとうまく生きてこられただろうに…。
これも、『夕』なのだろうとは思うけれど。
「いいえ、そんなに都合のいい力ではないですよ…。まあ、それはともかく。ボスのおっしゃった通りに私があなたがたを保護…というより護衛に回るのでこれからよろしくお願いします」
アランが僕の心に答えつつ、器用なことに挨拶まで済ませてしまった。
その深々と頭を下げる動作には無駄がなく、それでいて僕らへの敬意が感じられた。
新人にも礼を欠かない。
その姿勢は上に立つものとしてとても素晴らしいものだった。
まあ、変態ではあるけれど、さすがこの組織の…ええと、なんだったっけ?
「第二隊長です!それに変態ではありませんよ!」
とアランは何時の間にか持っていたカップの中のコーヒーをすすっていたが、それを吹き出しそうになりながら、否定した。
口の中にコーヒーを含みながら大声を出せるとは…本当に器用であると感心しながら、
「わかりました。こちらこそよろしくお願いします」
こちらも頭を下げて返す。
ふざけているように見えて、重要なところはしっかりと押さえているアランに僕も負けたくはない。
「よろしくお願いします。アランさん…でしたよね?」
スノウもまた僕に習って礼をしながら言った。
まださっきの自分の発言を恥ずかしがっているようでなんだかそわそわしていた。
礼をした時も両手が遊んでいるし…。
頭の下げた角度も少し浅すぎる気がするし…。
その顔は信じられないほどに熱を放っていた。
失礼なのではないかと思わなくもない。
まあ、いいか……?
その様子が僕としてはまさかこうなるとは思いもしない展開を作り出すこととなった。
「か、かかかかか…可愛いーーーーー!!!そそ、そんな風にお辞儀されたりしたら…私…もう私…決めました!あなたと結婚します!」
アランは熱っぽく言った。
スノウの瞳をなんの恥ずかしげもなく一心に、一直線にその青く澄んだ瞳で見つめる。
その様子は非常なものでありながら、どこか冗談ではないような雰囲気が漂っており、その空気はなぜだか僕を焦らせた。
「へ…?あうあうあ…なんですかー⁈」
スノウの色白であるはずの顔が、嫌というほどに赤く茹で上がった。
そのせいか頭と口がうまく機能していないようである。
明らかに言動がおかしい。
「 なんですかー」だけがうまく発音できていることがまた、そのおかしさを極限まで高めている。
僕の記憶によればこれは彼女が限界まで恥ずかしい思いをした時の反応である。
まず、顔が火をつけたように赤く熱くなり、おかしなことを言う。
それから…ええと…確か…これは…まずいな…。
記憶から自らの危機を悟り、立ち上がり、席を離れようとするも時すでに遅し…
「いったぁぁぁぁ!!!!」
灰色一色の味気ない狭くて埃のたくさん舞っている部屋に痛みに耐えかねた者の悲痛な悲鳴が響き、反響する。
そう、この悲鳴の持ち主は僕で、立ち上がった僕の鳩尾をスノウの握りこぶしが捕らえていた。
これこそ彼女の得意技、『恥じらいの鉄拳』である。
確実に対象の急所をとらえ、その動きを止めることができるだが、もちろんそれには同時に非情なまでの痛みを伴う。
本来ならばこの状況でこれを喰らうべき人はアランなのだが、きっと初対面の人には手を出せないし、かといって恥ずかしいという気持ちを消すことはできなかったのだろう。
だから僕にその対象が移ったのだ。
「あ…ええと…ご、ごめんなさい…私…」
彼女は僕の悲鳴に我に帰ったのか、申し訳なさそうに眉を下げて謝った。
僕としては慣れているから、全然問題はない。
むしろ知っているのに対策を怠った僕が悪いのだ。
「大丈夫だよ。慣れてるから」
それに…今ここで怒ったら…きっと…また話がそれるからね!
「ふむふむ、なかなかの精神力と自制心をお持ちのようですね」
アランが意味ありげにつぶやくがこちらにも反応はしない。
でないと、本当に詳しい説明が聞ける前に夜になってしまうから…て、あれ?今って何時なんだろう?
ずっと室内にいるし、あれから何時間経っているのかは検討もつかない。
今さらって感じはあるけれど…気になる。
と、またまた脱線しそうになりながら、話を戻す。
「僕らのためにも勧誘のためにも、改めて組織についての説明をいただけたら嬉しいのですが」
「おお、そうだったなあ。わからなくては勧誘はできんよなあ」
なんだか、ボスはやっと自分の番が回ってきた役者さんみたいな顔で言った。
その手にはカンニングペーパーが握られていた。
なんとまあ、準備のいいことだ。
そうして身振り手振りも合わせてボスは語った。
その内容はこうである。
この組織、『夕暮れ時』はハーフによるハーフのための組織である。
目的はハーフの独立とその反映である。
今現在この組織には約九千のハーフが所属している。
それらの中から、より強力な『夕』を持つものを百人を小隊長とし、九十人をそれぞれに束ねさせて、百の小隊を作り、その上に十人の隊長を立てる。
その十人を幹部とした。
その中にアランとあの青い髪の少女がいるのだという。
その上に組織の一番上として、元帥がいる。
それが話し手であるボスだと言う。
ちなみに彼の本名はボス・フォアゲードといい、先ほどまで皆が呼んでいたのは立場ではなく彼の実名だったのだ。
「と、いうわけだが質問はあるか?」
彼が長い長い説明を終わらせた。
「あの、それなんですけれど…じゃあもしかして僕って、すごい方たちと話しているんですか‼」
「すごいという言葉が適切かどうかはわからんが、まあ組織内では地位は高いなあ。何か問題が?」
「い、いや…その…別に…」
問題ありありですよ!
僕って厚かましいっていうレベルでは済まされないような態度とっちゃったし…アランさんのことなんか呼び捨てで考えてたし…(実はボスというのも呼び捨て)
どうすればいいんだぁー‼
自分の馬鹿さ加減に頭を抱えることとなった。
「いいんですよ。そのくらい勢いがあった方が」
アランはそういいつつ、長い金髪を右手でかきあげてから、意味ありげな目を向けてくる。
ああ、なんか…すごく怖い。
今になってみると、この人は本当に何を考えているのかわからないし…。
「なにを言っているのですか。私はあなたの護衛なのですから。フフッ、ご安心なさってください」
余計怖いです!と思わなくもないけれど…声の調子でなんとなく、わかった。
彼は敵ではないし、ましてや僕に危害を加えることもないだろうと思う。
なんだか、彼の声の調子は似ていたから。
あったかくて、身体と心を包んでくれるような優しい。
それでいてとても強くて、頼りがいがある。
そんな僕の憧れである、父さんの声に、少しだけ、ほんのちょっぴりだけ似ていた。
「ほんのちょっぴりだけでも、気に入ってもらえたのでしたら光栄です」
アランが微笑む。
僕はそれを見てさらにアランに対する緊張を解いた。
もうないといっていい…だけれど、これは見逃せないことだ。
なんか、心を読むのが当たり前になってませんか?アランさん?
「それは当然のことですよ。勝手に動かれては私もあなたを守りきれないかもしれないですから、これからあなたの心は任務中ずっと私に筒抜けですので、その点はご理解をいただけないと困ります」
「わかりました。でも、今はまだ任務中ではないんじゃ…?」
「あなたは本当に人の揚げ足をとるのが好きな方ですね。上司に向かってそんな口を聞くなんてまあ、よくないことですねえ?」
突然アランはその端整な顔を怒りに歪めた。
つり上がった眉の下から刃物のように鋭い視線が僕を射る。
「ご、ごめんなさい…つい…」
そのあまりの迫力に反射的に謝っていた。
やっぱりこの男はわからない。
怖い、恐い、コワイ、こわい…
そんな風に考える内、アランが口を開いた。
「なあんて、言ったりはしませんから安心してください」
ケロっとした顔で、笑いながら。
完全に化かされたのだ。
ものすごくかっこ悪い…。
これはこれで立派な危害じゃないか。
クソッ!
臆病な自分を呪った。
顔が恥ずかしさでいっぱいになって、火を吹きそうに熱かった。
やりきれなくて、いつの間にか握っていた右拳でテーブルを殴ろうとした。
が、できなかった。
臆病な僕にできたのはボソッとつぶやくことだけ。
「やっぱりアランなんか嫌いだ…」
静かに、小さく、誰の耳にも入らないように…。
「はい。嫌われるのは慣れていますから」
とアランは聞こえたはずのない僕の声に反応して見せると、続ける。
「ですが、私を嫌うより先に、やってもらわなければならないことがあります。そうですよね?ボス?」
というとアランはなにやら険しい顔で腕組み
をしていたボスに向き直った。
「うむ、そうだな。では速やかにスノウ君とカイ君を『天秤の間』へ案内してくるのだ」
そんなアランにボスは雷鳴を轟かせた。
アランは深々と頭を下げると、
「了解しました。行きましょう二人とも」
と僕とスノウを交互に見る。
「『天秤の間』とは一体なんなんですか?」
と僕は問い、
「そこで何をするんですか…?」
とスノウも続いた。
「行けばわかりますよ」
アランは爽やかな笑顔で僕らの言葉をキレイに流してしまうと、席を立ち、赤い扉へと歩き出す。
その背中には、抗いがたい引力のようなものが働いているようで、いくらついて行くものか!とか考えても、身体が自然とアランを追いかけ出していた。
スノウも同じようで、僕に従うように席を立つ。
この男は説明を省くのが好きらしい。
ボスと会う前には会えばわかるといい、今度は行けばわかると言う。
なんとまあ適当なことだ。
でも、今はなぜかアランについて行くことが自分のためになるような気がする。
それ以外に選択肢はないとはわかっているけれど…
アランの放つ不思議な空気、なんとなく父に似たその声、引き込まれそうになる空色の瞳、輝く金の髪、そのすべてが僕の好奇心と信用をつかんで離さないのもまた事実。
それゆえ何を言われても信じようと努力してしまうのだ。
タッタッタッとアランは軽快な音を立てて洞窟をかけて行く。
慣れているようで、いちいち身をかがめたり、スピードを落としたりせず、身をかがめたまま早足で進んで行く。
その背中を追いかけて、スノウはすぐに洞窟に出るけれど、僕はさっきのつららが降ってきた時を思い出して、なかなか動けなかった。
長く、硬く、細く、鋭い…逃れようのなかった命の危機が、今にも頭の上から落ちてくるのではないかと思うと気が気ではなかった。
一秒ごとに迫り来る死の雨、逃れようのないカウントダウン。
上を向いた時、顔に少しずつかかる破片が、生々しく、その時の光景をリアルに映し出す。
ああ、自分は死ぬんだ…という諦めに逆らえなくなった瞬間、体に力は入らなくなって、ただ、立ちすくんだ。
だが。
そんな時、彼は赤髪を振り乱し、その両手で石の雨から僕を守ってくれた。
彼がいなければ、僕はそもそも今、生きてはいない。
だから、何があっても恐くない。
少しでも、彼の役に立ちたい。
その思いが僕のトラウマを取り払ってくれ、なんとか洞窟へと一歩踏み出した。
何時の間にかうつむいていた顔を上げると、スノウが心配そうな顔でこちらに振り向いていた。
今にも大丈夫?といってくれそうな雰囲気だけど、彼女はそう言うのが苦手だから、きっと心の中でそう思っていても、口には出さないだろうと思う。
なぜかはわからないけれど、わかるのだ。
ただ、なんとなく、似たもの同士だと思うから。
だから、親指を立てた右手を思い切りスノウに突き出すと、アランにおいていかれないように一気にスタートを切る。
スノウはなんだかよくわからないというふうな顔だ。
でも、それでいい。
スノウに心を読む力なんてのがあったら大変だ。
いろいろな面で困る…うん、困る。
走り出すと、ひんやりとした空気が、身体を包むような感じがして、とても気持ちが良かった。
もう、変な考え事なんてどうでもいいような気がする。
そう、これから僕は変わるんだ!
心の中で叫ぶと、もう見えなくなりそうなくらい先に進んだアランの笑い声がかすかに聞こえたような気がした。
でも、それは不快なんかじゃあなくて、もっと違う意味を持つものだったと思う。
どんな意味かと聞かれたらわからないけれど…。
「ちょ、ちょっと待って…はぁはぁ…早すぎよ!カイ!」
遥か後方からスノウの高い声が響く。
振り向くと、もうほとんど見えないところまできていた。
「わかったよ。ここで待ってるから急いで」
とだけ言い、立ち止まる。
もうすぐそこに出口が見えて、そこにアランが立っているけれど、なんとなくここで待つことにした。
出口の方から差し込むランプの光が薄暗い洞窟を不思議な色に光らせて、なんだか幻想的な風景を作り出していた。
ランプだなんて時代遅れだと思っていたが、これもこれでいいな。
ランプが揺れると、光も揺れ、炎が変わり続けるから光の色も変わり続ける。
僕を包む環境が変わると、僕の心は揺れ、僕自身が成長するから、僕の心は揺れ続け、変わっていく。
それはいいことなのか悪いことなのかわからないけれど、こればっかりは仕方がない。
今の僕にその生きて行く環境を選ぶ権利なんて毛頭ないのだから。
やがて、スノウがはあはあと息を上げながら僕の元へとたどり着いた。
「あれ?スノウって僕より体育の成績上じゃなかったっけ?」
なんて、冷やかしてやると、
「う、うるさいわね!怪我してるのよ!こっちは!」
と返されて逆に頭を抱えることとなった。
そうだった…スノウは階段から落とされて…僕は馬鹿だ。
大事なことはすぐに忘れて、くだらない悩みに頭を抱えるだけ。
全然物事が見えていない。
盲目だ。
「いいえ、そうやって自分を責めることのできる者を盲目とは言いません。本当の盲目とは…」
と、アランが何時の間にか隣にいて、僕の肩に優しくてをかけ、囁いた。
本当の盲目とは…?
「いえ、なんでもありません。では、まいりましょうか」
アランは僕の肩に手をかけたまま、スノウの背中を押して、言った。
だけれど、僕は考えずにはいられなかった。
本当の盲目とは…?
という言葉の意味を。
だってその時のアランの顔はあまりにも…悲しくて、どうしようも無いくらい辛そうで、空色の双眸は揺れに揺れて、今にも崩れ落ちてしまいそうな儚い表情だったから。
でも、そんな顔はすぐに消えて、出口付近のランプの光に照らし出された彼の顔はあの仮面を貼り付けたような作り物の笑顔だった…。