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となりの場所と交わるとき  作者: 西野了
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青と緑の竜石 1,イグアナと彼女

 僕は最近、よくそのペットショップに行く。先日この店で念願のイグアナを買ったのだ。

 僕のまわりには亡くなった母を除いて爬虫類を好きな人間はいない。だから僕がトカゲやヘビが好きだと言うと、みんなは「イヤダーッ!」とか「ウソー、気持ちわるぅー」なんて言う。

 ヘラヘラと愛想笑いをしてやたらしっぽを振り回している犬や、エラそーに昼寝をしている陰険なネコよりも、クールなトカゲやヘビのほうがよっぽどマトモな生き物だと僕は思う。

 僕の飼い始めたイグアナはグリーンイグアナといって、緑色の皮膚をしていてこれが何とも美しい。肌の感触もひんやりとして気持ちいいし、犬やネコのように毛の処理もしなくていいし、うるさく鳴かないので近所にも迷惑をかけない。

 もっともイグアナを飼うのは初めてなので、その飼育方法は本やインターネットでいろいろ調べているけど、具体的なことは専門家に聞くのが一番だ。イグアナのドラ(ペットの名前―ドラゴンを略してドラ)の飼育について困ったことやわからないことがあったとき、ドラと出会ったペットショップに行く。実際、ドラの餌もそのペットショップで買っているので、そのついでにいろんなことを訊いてくるわけだ。

 そのペットショップの爬虫類コーナー担当は片桐さんという控え目でおとなしい女の子だ。

 彼女は大きな黒縁眼鏡をかけていて、いつも俯き加減にぼそぼそと低い声で話す。黒髪はかなり長くて仕事の邪魔にならないようにひとつに括っているけど、前髪も長く垂れていて顔の表情がイマイチわかりにくい。

 動物好きはその動物に似てくるとよく言われるけど、片桐さんもその雰囲気から爬虫類系かなと思った。しかし彼女と会う回数が増えてくると僕の第一印象は間違いだと気づいた。

 眼鏡のレンズの奥にある彼女の瞳は青みがかって澄んでいるし、少し上向きの丸い鼻はかわいらしい。頬もふっくらしていてよく赤くなるし(彼女は恥かしがり屋なのだ)小さくて赤い唇は厚みがあり意外とセクシーだ。背は僕よりかなり低く華奢なイメージがあったけど、実は着やせするタイプで、胸のふくらみは豊かだと最近わかり僕はかなり動揺した。

 現在ペットショップに行くのはドラのためというより、片桐さんに会うためだというのが僕の正直な気持ちである。片桐さんは僕の質問に丁寧に答えてくれるし、僕のくだらないジョークにもはにかみながら笑ってくれる。

 そしてついに先日僕はこれまでのお礼ということで(何のお礼かわからないけれど)食事に誘った。気が利いて優しい彼女はもちろん断ったりしない。逆に、食事の前に動物園に行きませんかと嬉しい提案をする素敵な女の子なのだ。僕はサッカー観戦や映画館に行くよりは動物園に行く健全な人間なので、彼女の提案にはもちろんOKした。

 五月の平日は動物園もあまり人はいない。暑くもなく寒くもなくピーカンでもなく雨も降らない絶好のデート日和だ。

 午後二時五分前に入り口で待っていると、片桐さんは小走りでやって来た。

「ハア、ハア、高田さん、(高田吾郎が僕の名前だ)すみません、送れちゃって。ハア、ハア」

「いやいや、まだ二時になっていないし、僕もついさっき着いたばかりです」

 僕がすでに三十分も前から来ているとはさすがに言えない。

 今日の片桐さんは髪を括らず肩までまっすぐ下ろしている。前髪もピンでと留めて、つるつるのおでこが出ているし、例の黒縁眼鏡をしていない。無地の淡いクリーム色のワンピースに、薄いピンクのカーディーガン姿は日ごろの印象とまったく違う。どうやら彼女は僕よりも年下らしい。

 僕たちは動物園に来たからといって、像やトラやキリンを見るミーハー的鑑賞者ではない。薄暗い部屋でヘビや亀、トカゲ、ワニをじっくりと見るのだ。実際、爬虫類を見ていると、その姿、形は造形美の極致といえる。だから当然見飽きるということがない。

 僕はよく一人で日曜日に動物園に来るのだけれど、たとえば五メートルはあろうかという巨大なイリエワニを見続けて気づいたら、二時間経っていたということがたびたびある。そして我に返ると周囲にいた子どもたちに不審がられたりする。

 しかし今日はいつもとは違う。僕の隣には爬虫類女子の片桐さんがいるのだ。一人で美しいヘビやワニを観賞するのもいいけど、素敵な女の子とトカゲや亀について熱く語り合うことはやはり違った次元の喜びだ。

 そして楽しい時間は瞬く間に過ぎ、僕と片桐さんが爬虫類館から出たときは、すでに陽は落ちてしまっていた。

 僕たちは僕の愛車―スカイブルーのスバルR2で郊外にあるイタリア料理店に移動した。僕はパスタが好物なのでときどきこの店に行く。外見は古ぼけているけれど、店内は意外と広く妙な趣もあり落ちつける。僕はこれまでの会話で片桐さんもパスタが好物だということを、チェックしておいたのだ。

 僕はキノコのクリームパスタを、片桐さんはモッツレラチーズとバジルのトマトソースパスタを注文した。

 パスタが運ばれてくるまで少しばかり空白の時間ができる。僕らは動物園でたくさん語り合ったので、この場所では何かきっかけがないと話しづらい雰囲気があった。

 だが気が利く女の子はそんな空気を解消する術を持っている。片桐さんは薄緑色のショルダーバッグから水色の包装紙に包まれた小箱のようなものを取り出した。

「これ、今日のお礼に」

 彼女ははにかみながらそう言った。

「えっ、これ僕に?」

 僕のつまらない返事に片桐さんはにっこりと微笑んだ。

「これ、今ここで開けていいかな?」

 彼女は笑顔を絶やさず小さく頷いた。

 僕は最大限の注意を払い包装紙を破らず丁寧に箱を取り出した。(デキる男はこういったところにも神経をつかうのだ)そして四角い箱の蓋を開けると、そこにはブレスレッドがあった。落ち着いた茶色のベルトの中央に水晶のような透明の珠がひとつ埋め込まれている。

「高田さん、よかったら、それを今ここで使ってくれますか?」

 彼女の言葉に反対する理由のない僕は、急いでそのブレスレッドを右手首の装着した。すると目の錯覚だろうか、ブレスレッドの中央にある珠が白く輝き始めたように見えた。そしてそれと同時に僕のお腹の底のほうから新鮮な空気が体全体に拡がっていく爽快な感覚があった。

「これは?」僕は驚きながら目の前の片桐さんに問いかけた。

「これは竜石といってお守りのようなものです。もしかしたら高田さんと相性がいいかなっと思って」

「うん、うん、すごく馴染むよ。なんか、いい感じ」

 僕はそう言いながら右手首に装着したブレスレッドの珠を見ていると、今度は深い青色に光り始めた。僕は見る角度によってこの珠の色が変化するのかと思って、違う角度からこの珠を見つめた。しかしその不思議な珠はどの角度から眺めても深い青色に輝いていた。

「すごいなぁ、これは! あっ、この色は僕の一番好きな色だけど、片桐さん、これって何か意味あるのかな?」

 片桐さんは妙にモジモジしながら言った。

「その青い色はおそらく高田さんのラッキーカラーです」

「ふーん」僕は不思議な感動を覚えながら、再び青く輝く竜石を見た。

「お待たせしましたぁ!」ウエイトレスの甲高い声が響いて、湯気が立ち昇るパスタが運ばれてきた。

 神秘的な時は破られ、現実的な空腹感が僕らを支配した。実際僕らは昼間からかなりエネルギーを消費していたので、すぐに食事にとりかかった。

「わぁ、たくさん」片桐さんは少し驚いた。

「この店の料理はボリュームがあるんだよ」僕の言葉に彼女は嬉しそうに頷いた。

 僕らは食べている間、ほとんど何も喋らなかった。言葉を交わしたのは、お互いのパスタを少し交換したときだけだった。

「あーっ、美味しかった。お腹いっぱい」

 片桐さんは満足そうにエスプレッソコーヒーを一口飲んだ。僕も同様にコーヒーカップを傾けた。

 僕は竜石を右腕にはめてパスタを食べ終えたとき、片桐さんとさらに親密になれたような気がした。そして僕はぼんやりと今日一日の出来事を振り返っていた。

「高田さん、あのぅー」

 片桐さんの遠慮がちな問いかけに僕の思考を中断された。

「えっ、なに?」

「高田さんって勘とかがいいんじゃないですか?」

「うーん、どうかなぁ」僕は彼女の突然の質問に若干戸惑いながらも、そのことについて考えてみた。

「人から勘がいいって言われたことはないと思う」

「そうですか」片桐さんはそう言うと少し難しい表情浮かべた。

「あっ、五年前だったかな。母が病気でなくなったときは、ちょっと不思議なことがあったんだ」僕はそのときのことを唐突に思い出した。

「でもその話は大丈夫ですか? 高田さん、つらくない?」

 彼女はなぜか心配そうに尋ねた。

「うん、大丈夫だよ。僕の母は病弱で何ていうのかな、いつも死の影を背負っていた雰囲気があった。変な話だけど、いつ死んでもおかしくない感じ。でも悲壮感みたいなものはなかった。片桐さん、僕の言っていることわかるかな?」

「多分わかると思います」片桐さんは僕の目をまっすぐ見て、小さく何度も頷いた。

「大学四年生のこの時期だった。夜中にアパートで眠っているとガタガタと大きな音がして、目が覚めた。灯りをつけて音がした窓をみると大きなヘビのようなものが、スルスルと上へ昇っていったのが見えた。それでその日の朝5時に父から電話があって、母が心臓発作で急に亡くなったことが告げられたんだ」

「そうですか・・・・・・」彼女は急にしんみりしてしまった。

「ん、どうしたの?」

「ごめんなさい。つらいこと思い出させたみたいで・・・・・・」

 彼女は今にも泣き出しそうで、瞳には涙が溢れそうだった。僕はびっくりして慌ててポケットからハンカチを取り出し片桐さんに渡した。

「それからね、僕はこれまで何回もヘビを助けたことがあるんだよ」

「えっ、そうですか」目の前の傷つきやすい女の子は、瞼をハンカチで押さえながら答えた。

「外を歩いているとき、ヘビがネコにいじめられていることがあるでしょ。ネコが面白がってヘビの顔面にネコパンチしてたりする」

「へぇー」

「ネコの方がヘビよりも身体能力が上だから、ヘビはネコパンチをかわせない。ヘビはボコボコにやられてグロッキーになってしまう。そんな場面に数回遭遇して、そのたびにネコを追っ払ってやった」

「じゃあ、ヘビに感謝されますね、高田さんは」片桐さんはようやく微笑むことができた。

「うん、だからかな、僕は結構ヘビを目にするし、部屋にもなぜかヘビが入ってきたことがある」

「それって高田さんに助けられたヘビがお礼に来たのかも」

「なるほど。でも僕らは部屋にヘビが入ってきても平気だけど、普通の人は帰ってきてヘビがいたらびっくりするだろうね」

「多分、パニックになりますね、フフフッ」

 彼女の笑顔に癒されながら、僕は店内の古ぼけた時計を見た。時刻は九時を過ぎ、僕の大切な一日は無事終わりつつあった。




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