3丁目のコンビニエンスストア
「ハセガワサン、コレドコデスカ?」ジョージはいつまで経っても仕事を覚えない。
「右の奥の棚。同じパンがまだあるだろ、そこに置いとけよ」
「ハイ、ワカリマシタ」ジョージは返事だけはいい。深夜なのに客は結構来る。
みんな遅くまで何やってんだ? 俺はレジで客の対応をしながら胸の中で毒づく。
「やだぁー。ジョージ、面白いーっ」いつもの甲高い声が聞こえる。
「ヨーコか?」
「ハイ?」レジの目の前の男性客が不審な顔をする。
「ありがとうございました」俺は客を送り出すと奥の飲食スペースに視線を向けた。ジョージとヨーコが楽しそうに喋っている。
「またコーヒー一杯でねばっている」
「クモちゃん、いいじゃない。ここ居心地良いからぁ」相変わらず甘ったるい口調だ。
「ねえねぇ、それよりこれ見て」ヨウコは黄色いTシャツの豊かな胸の谷間を指さす。
「やだぁー、エッチーィ!」自分で言っておきながら、何て言い草だ。
「ハセガワサンハ、ムッツリ助平デスカラネ」ジョージもヘラヘラ笑っていやがる。こいつ、仕事は覚えないくせに変な日本語だけは覚えるのだ。
「クモちゃん、そこじゃなくてココ」ヨウコはそう言うと、Tシャツをめくって白い物体を取り出した。その白い物体はニャーニャー泣いている。
「何だよ、猫かよ」
「カワイイでしょ」
「ヨーコチャンニニテ可愛いデスネ」
「エーッ、そうかなぁ。ウレシー」ヨーコは子猫を触りながら、名前をどうしようとか言っている。
「ニャンニャン鳴くからニャン太郎ってどうかニャ?」猫はニャンニャン鳴くものだろ! と思ったが言葉を飲み込んだ。それにヨーコのふざけた言い方とその猫を真似たポーズは何だ。
「オー、ソレハ、ピッタリノネーミングデスネ」どこがピッタリだと思ったが黙っていた。
「ニャン太郎っていうからオスだろ?」俺はヨーコが抱き上げた子猫の下腹部を見た。
「ない! オスにあるべきものがない!」俺はヨーコとジョージを見た。
「キャーッ! クモちゃんエッチーィ!」
「ハセガワサンハ、ネコニモ欲情スルノデスネ」ぶっ飛ばすぞ! この野郎。しかし俺はジョージに手出しはしない。こいつはカポエラの達人なのだ。以前、レジの金を盗もうとした強盗犯を回転蹴りで吹っ飛ばしてKOさせた記憶が蘇る。誰でも良いところ? はあるのだ。
「それでぇ、クモちゃん、お願いがあるんだニャン」完全に猫モードだ。こいつ、化け猫にでも憑りつかれたか? それにそのメス猫、ニャン太郎でいいのか?
「あたしの家ではニャン太郎、飼えないのだニャン。クモちゃんのお家で飼ってくれないかニャン?」
「またかよ」
「ハセガワサンノ家ハ、ヒロサダケハアリマスカラネ」いちいち気に障ることをいう奴だ。
「ねえねえ、前に預けたワンちゃんーワン五郎は大丈夫なのかニャン?」
「ああ、あの瘦せこけた犬か。ちゃんと良いところに行ったよ」
「ヨーコチャン、アノイヌハナゼワン五郎ナノデスカ?」確かに何故ワン太郎ではなくてワン五郎なのか? おれも気になっていたところだ。(この犬はオスだった)
「何故ワン五郎かって? 私のママがワンちゃん大好きなのだ。それから野口五郎の大ファンなのだニャン」何か中途半端な猫モードだな。
「野口五郎? うーん・・・?」
「オー野口五郎デスカ! ボクハカレノ大ファンデス。『青いリンゴ』『私鉄沿線』―カイサーツグーチデーキミノコトー」こいつ、アフリカ系アメリカ人で十九歳って言っているけどホントか?
「キャーッ! ジョージ、素敵ィー・・・・・・だニャン」いい加減な猫モードだな。途中でニャン忘れている。
「ヨーコの母親が犬好きで野口五郎好きだから『ワン五郎』なのか」
「そう・・・・・・だニャン」
「ヨーコチャンハ『ピョン太』ト『ピー子』モタスケテアゲマシタネ」ピョン太は灰色兎でピー子はセキセイインコだ。
「えへへへへ、偉いでしょ、ピョンピョン」猫モードから兎モードになっているぞ。
「預かったのは全部俺だぞ」
「デモ、お世話ヲシテイルノハ、ハセガワサンノオトーサンデショ」
「グッ」俺はジョージをキッと睨むがアイツはヘラヘラ笑ってやがる。
「ヨーコ、もう三時だぞ。帰れよ」さすがに客はほとんど来ない。
「ジャアボクガヨーコチャン送リマス」ジョージは嬉しそうだ。
「道草するなよ」
「オーノー」
「ウフフッ、クモちゃん、またね」二人が出ていくと俺は店内の掃除を始めた。ヨーコの残した冷めたコーヒーも捨てた。三時半にジョージは帰ってきた。
「お疲れ様」
「ハセガワサン、チョットイイデスカ?」ジョージが珍しく真面目な顔をしている。
「ハセガワサン、ヨーコチャン数日後ニニャン太郎ノヨウスヲミルタメニ、ハセガワサンノ家ニイクッテイッテマシタ」
「えっ! 俺の家に。本当か?」
「ホントウデス」
俺たちは暫く黙り込んでしまった。
東の空が紫色に染まり始めた。夜明けが近い。石段を上る俺たちに時折涼しい風が吹いてくる。周囲の木々の梢が小さく揺れている。
「結構高いところにあるのね、クモちゃんのお家」
「ハセガワサンノ家ハスゴクオンボロデスヨ」
「ジョージ、お前、俺の家でただ飯食ってんじゃないのか」俺が一瞥すると「オー! ハセガワサンノ料理ハサイコーデス」とか言ってる。
百十七段の石段を上ると『隆雲寺』という木の札が見えてきた。
「へぇー、クモちゃんのお家はリュウウンジって言うんだぁ」
「ハセガワサンノナマエモ雲海トイッテ、ナマエダケハリッパデスカラネ」
「お前だってジョージ・ワシントンだろ!」
「ボクノバアイハ、名は体を表すデス。フッフッフッ」こいつの根拠のない自信は何処から来るのか、俺はいつも不思議に思う。
「アッ! ニャン太郎!」
ヨーコが本堂に向かって駆け出した。本堂にある幅が広い階段の四段目に白い子猫が座っていた。
「ニャン太郎、元気になっている」
「ホントデスネ。イイ顔シテマス」
ヨーコがニャン太郎を抱き上げた。ニャン太郎はヨーコの腕の中でゴロゴロ言っている。しばらくニャン太郎はヨーコの腕の中で目をつむり気持ちよさそうにしていた。そして目を開けて「ニャン」
と言った。
「オイ、ヨーコ。ニャン太郎がそろそろいくぞ」
「エッ?」ヨーコが腕の中のニャン太郎を見た。ニャン太郎の体が白い光に包まれた。そして白い子猫の体が徐々に霞んでいった。白い光が消えていくと同時にニャン太郎もいなくなった。
木立の間に見える空は薄紫に染まっている。
「ニャン太郎、いっちゃった・・・・・・ニャン」ヨーコは空を見上げながら呟いた。隣でジョージが十字を切っている。
「ねえ、クモちゃん、ジョージ・・・」ヨーコは微笑んで呟くように言った。
「あたしもそろそろいこうかなって思う」
俺は頷き、ジョージは真剣な顔をしている。
「あの事故から半年経ったし。ママはずっと泣いてるけどパパが傍にいる」
「ソウデスネ・・・」
「あたしがまだここにいるのは、あの二人には良くないことだと思うの」
俺とジョージは何も言えなかった。
「クモちゃん、どこにいても、いくことはできるんだよね?」
「ああ、もうこの世界から旅立ってもいいと思ったらな」
ヨーコは自分の手のひらを見ながら暫く考えていた。
「あたしはクモちゃんやジョージにいっぱい優しくしてもらったから、もういいの。でも二人の前でいくのは、何か恥ずかしいっていうか嫌だ」
「うん・・・・・・」俺はよく分からないけど頷いた。
「だから握手して・・・」
ヨーコはジョージに小さな右手を差し出した。ジョージは両手でヨーコの手を包んだ。ジョージの大きな手の中でヨーコの手が透けて見える
「ありがとう、ジョージ」
「サンキュー、ヨーコサン」ジョージは泣きそうな顔をしている。
「じゃあ、クモちゃん」ヨーコは先ほどと同じように右手を俺の前に差し出した。俺もゆっくりと右手を差し出して彼女の柔らかい手を握った。小さくて冷たい手だ。
「エッ?」ヨーコは小さく驚いた。そしてゆっくりと右手を見た。それから大きく深呼吸した。ジョージもなぜか驚いている。
「クモちゃん、ジョージ、お別れね。二人とも元気で。サヨナラ!」
ヨーコはそう叫ぶと石段めがけて走り出した。
「ヨーコチャン、サヨナラー!」ジョージは大きく手を振った。俺は茫然と佇むだけだった。
月曜日の深夜のコンビニは暇だ。おまけに雨も降っている。ヨーコが去ってから十日が過ぎた。
「ハセガワサン、コノパンドコデスカ?」ジョージは相変わらず仕事を覚えない。
「右の奥の棚」
「ハイ、ワカリマシタ」
もうすぐシフトチェンジなので俺はレジの金をチェックした。
「いやだぁージョージったら」聞き覚えのある甘ったるい声が聞こえてきた。俺は飲食スペースに目をやるとヨーコとジョージが楽しそうに喋っている。
「ハーイ! クモちゃーん。ホットコーヒー一つお願い」
「ヨーコ! お前どうしてここにいるんだ?」
「ヨーコチャンハ、マダこの世デ、ヤリノコシタコトガアルノデス」
「はあ?」
「ちょっと前にとても素敵なことがあったから、もう少しこの世界にいることにしたの」
「幽霊に素敵な体験とかあるのか?」
「ハセガワサンハ、乙女心ガワカラナイダメ男デスネ」
「ねー、クモちゃんはデリカシーないよねー、ジョージ」
「ネーッ、ヨーコちゃーん」
バカバカしいと思いつつ、俺はヨーコの前にホットコーヒーを置いた。
「ありがとう、クモちゃん」
「お、おう・・・」ヨーコの笑顔に俺は柄にもなく照れた。
「クックックッ」ジョージは何が可笑しいのか、必死で笑いを嚙み殺している。
俺は混乱した頭で外を見た。
いつの間にか雨は止んでいた。
午前三時、街はまだ闇の中に沈んでいる。